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黒い陰
─8─異変
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そして夜。
食事を取ることもままならず、僕は寝台の中に潜りこんでいた。
薄暗い中に、あの惨劇がまざまざと浮かんでくる。
痛いほどの静寂の中に、絶叫が響く。
そんな僕の脳裏に、ある疑問が浮かんだ。
あの子は、どうなったんだろう。
あのまま、抵抗し続けて逃げることができたんだろうか。
それとも、殺されてしまったんだろうか。
その時、扉が開いた。
父さんの足音が近付いてくる。
「……大丈夫か?」
薄暗がりの中に浮かび上がる父さんに、僕はうなずいた。
それを確認してから、父さんはひざまずき、僕の瞳を真正面から見つめてくる。
「無理を承知で言うが、もう一度『見て』くれないか?」
突然の言葉に、僕は思わず瞬いた。
そして、小さな声で答えた。
「今、ここで?」
即座に父さんはうなずいた。
「このままだと、同胞……仲間を見殺しにしてしまう。そうなる前に……」
「……わかった」
僕が答えると、父さんは胸元から何かを取り出した。
広げられたそれは、紛れもなくあの地図の写しだった。
大きく息をついてから、僕は地図の上に手をかざす。
あの子がいた、あの家の側に。
けれど……。
「……どうかしたのか?」
父さんの声に、僕は首を左右に振った。
「……見えない」
「何だって?」
そう。
僕の視界に広がってきたのは、霧のようなもやもやとした白い壁だった。
乳白色のねっとりとしたそれは、皇都をすっぽりと包み込んで、僕の侵入を拒んでいた。
ありのままのことを、僕は父さんに告げる。
瞬間、父さんは僅かに眉根を寄せた。
「何と言うことだ……」
わずかにいら立ちを含んだ口調で言ってから、父さんは足早に部屋を出ていく。
そしてその日、父さんは帰って来なかった。
※
それから数日、僕は父さんと軍務省に行くことなく、家の中で過ごした。
あれから何度か、皇都を見るよう父さんにうながされて『見よう』としたけれど、結果は同じだった。
そんなある夜のこと、夕食の席で父さんがぽつりと言った。
「大臣閣下から正式にお許しをいただいた」
何事か解らず、僕は首をかしげる。
父さんは無理矢理に表情を押し殺しているようだった。
「士官学校に編入のお許しをいただいた。母さんも望んでいたんだろう? お前が父さんの跡を継いで、立派な武人になることを」
すっと、周囲の温度が下がったような気がした。
もう大臣さんの所に通う必要がない。
そう理解するまでに、しばらくの時間が必要だった。
敵の都が見えなくなった原因は一体何なのかは解らない。
僕の心の中に『恐怖』が生まれたせいなのか、敵が僕の『視線』に気付き何かを仕掛けたのか、そのどちらかだろうとは言われたけれど、それを確める術はない。
ただ一つ確かなことは、敵の懐を『見る』ことができなくなった僕は、大臣さんにとって『用済み』だ、ということ。
けれど、国の機密深くに踏み込んでしまった僕を野放しにしておくことはできない。
結果導き出されたのが、僕を常に監視下に置く……軍籍に着かせるということだったのだろう。
そして、あわよくば戦闘に巻き込まれて死んでしまえば良い、くらいのことを考えていたのかもしれない。
けれど、これは今の僕に示された唯一の生き延びる道だった。
拒絶すれば即、僕はたぶん殺される。
下手をすれば父さんも。
「……ごめんなさい……」
うつむき、僕は小さな声で言った。
しばらく父さんはそんな僕を見つめていたけれど、ややあってその口から低い声がもれた。
「……すまない。父さんがお前を引きずりだしてしまったせいでこんなことに……。母さんとの約束も、守れなかった……」
翌日、僕は荷物をまとめた鞄と一緒に玄関先から馬車に乗せられた。
行き先は全寮制の士官学校。
入ったら最後、卒業するまで出られない。
閉ざされた世界で、僕は色々な事を学んだ。
剣の使い方、馬の乗り方、兵法、果ては下らない派閥争いの泳ぎ方まで。
戦場という非日常の世界でいかに生きるかを身に付けた俺は、気が付いた時あれほど忌み嫌っていた戦争の最前線を駆け回っていた。
食事を取ることもままならず、僕は寝台の中に潜りこんでいた。
薄暗い中に、あの惨劇がまざまざと浮かんでくる。
痛いほどの静寂の中に、絶叫が響く。
そんな僕の脳裏に、ある疑問が浮かんだ。
あの子は、どうなったんだろう。
あのまま、抵抗し続けて逃げることができたんだろうか。
それとも、殺されてしまったんだろうか。
その時、扉が開いた。
父さんの足音が近付いてくる。
「……大丈夫か?」
薄暗がりの中に浮かび上がる父さんに、僕はうなずいた。
それを確認してから、父さんはひざまずき、僕の瞳を真正面から見つめてくる。
「無理を承知で言うが、もう一度『見て』くれないか?」
突然の言葉に、僕は思わず瞬いた。
そして、小さな声で答えた。
「今、ここで?」
即座に父さんはうなずいた。
「このままだと、同胞……仲間を見殺しにしてしまう。そうなる前に……」
「……わかった」
僕が答えると、父さんは胸元から何かを取り出した。
広げられたそれは、紛れもなくあの地図の写しだった。
大きく息をついてから、僕は地図の上に手をかざす。
あの子がいた、あの家の側に。
けれど……。
「……どうかしたのか?」
父さんの声に、僕は首を左右に振った。
「……見えない」
「何だって?」
そう。
僕の視界に広がってきたのは、霧のようなもやもやとした白い壁だった。
乳白色のねっとりとしたそれは、皇都をすっぽりと包み込んで、僕の侵入を拒んでいた。
ありのままのことを、僕は父さんに告げる。
瞬間、父さんは僅かに眉根を寄せた。
「何と言うことだ……」
わずかにいら立ちを含んだ口調で言ってから、父さんは足早に部屋を出ていく。
そしてその日、父さんは帰って来なかった。
※
それから数日、僕は父さんと軍務省に行くことなく、家の中で過ごした。
あれから何度か、皇都を見るよう父さんにうながされて『見よう』としたけれど、結果は同じだった。
そんなある夜のこと、夕食の席で父さんがぽつりと言った。
「大臣閣下から正式にお許しをいただいた」
何事か解らず、僕は首をかしげる。
父さんは無理矢理に表情を押し殺しているようだった。
「士官学校に編入のお許しをいただいた。母さんも望んでいたんだろう? お前が父さんの跡を継いで、立派な武人になることを」
すっと、周囲の温度が下がったような気がした。
もう大臣さんの所に通う必要がない。
そう理解するまでに、しばらくの時間が必要だった。
敵の都が見えなくなった原因は一体何なのかは解らない。
僕の心の中に『恐怖』が生まれたせいなのか、敵が僕の『視線』に気付き何かを仕掛けたのか、そのどちらかだろうとは言われたけれど、それを確める術はない。
ただ一つ確かなことは、敵の懐を『見る』ことができなくなった僕は、大臣さんにとって『用済み』だ、ということ。
けれど、国の機密深くに踏み込んでしまった僕を野放しにしておくことはできない。
結果導き出されたのが、僕を常に監視下に置く……軍籍に着かせるということだったのだろう。
そして、あわよくば戦闘に巻き込まれて死んでしまえば良い、くらいのことを考えていたのかもしれない。
けれど、これは今の僕に示された唯一の生き延びる道だった。
拒絶すれば即、僕はたぶん殺される。
下手をすれば父さんも。
「……ごめんなさい……」
うつむき、僕は小さな声で言った。
しばらく父さんはそんな僕を見つめていたけれど、ややあってその口から低い声がもれた。
「……すまない。父さんがお前を引きずりだしてしまったせいでこんなことに……。母さんとの約束も、守れなかった……」
翌日、僕は荷物をまとめた鞄と一緒に玄関先から馬車に乗せられた。
行き先は全寮制の士官学校。
入ったら最後、卒業するまで出られない。
閉ざされた世界で、僕は色々な事を学んだ。
剣の使い方、馬の乗り方、兵法、果ては下らない派閥争いの泳ぎ方まで。
戦場という非日常の世界でいかに生きるかを身に付けた俺は、気が付いた時あれほど忌み嫌っていた戦争の最前線を駆け回っていた。
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