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黒い陰

─7─惨殺現場

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 飛び込んできたのは、荒れ果てた家々だった。
 調度品は倒れ、壁や床には真新しい血の跡が残っている。
 それを大臣さんに伝えると、深々とため息をつき、父さんは手元の名簿に記された名前を一つ消した。
 そんなことを繰り返すこと、数回。
 どこもかしこも、似たような物だった。
 戦の跡のように荒れ果てた家屋には、猫の子一匹見られない。
 大臣さんの表情は陰り、父さんの持つ名簿は次第に黒く染められていく。
 日が真上にきたころ、大臣さんは軽く手を挙げて僕に『見る』ことを止めさせた。
 正直、僕も疲れてきていたので、丁度いい頃合いだった。
 けれど、それを顔に出すことはできなかった。
 気難しい表情のまま、部屋を出て行く大臣さんと父さん。
 二人の姿が見えなくなると、主任さんは寂しげな顔を僕に向ける。

「……大変だったね。お疲れ様。まだまだ今日は、つらい日になりそうだね」

 主任さんの言葉に、僕は首を左右に振った。
 主任さんの言葉には、裏表はない。
 本当に僕の事を心配してくれている。
 だから、心配をかける訳にはいかない。
 そう思ったから。
 けれど、主任さんは不安げに僕の顔をのぞきこむ。

「どうだい? 良ければ昼食、おじさん達と食べないか? 君のお父さんは少し忙しそうだし」

 思わず僕は顔を上げる。
 こんな優しい言葉、思えば父さんからは一度もかけてもらったことはなかったから。
 主任さんの顔には、優しい笑顔が浮かんでいる。
 僕はぎこちなく笑いながらうなずいた。
 食堂で一息ついてから、僕と主任さんは部屋に戻った。
 机の上には、地図が広げられたままの状態で置かれていた。
 この街の中で、何千何万という人々が暮らしている。
 そして『善良な市民』を装って何十何百の大臣さんの言うところの同胞が、息を潜めて生活している。
 そして、その人達の運命を、僕が握っている。
 その重さに耐えかねて、席につくなり僕は机に突っ伏した。
 思わず泣きそうになった時扉が開き、大臣さんと父さんが入ってきた。
 席についた大臣さんが軽く右手を挙げる。
 それが再開の合図だった。
 再び僕は意識を地図の街へと飛ばす。
 今度はお城から離れた場所だったせいか、午前中のような所は少なかった。
 僕の目の前に広がるのは、どこにでもある普通の家族の姿がそこかしこにあった。
 僕の口から安堵の声がもれる度、厳つい大臣さんの表情は和らぎ、僕の顔が苦痛に歪むと、眉間にしわを寄せる。

「……五分五分、か」

 大臣さんの口から、そんな言葉がもれた。
 無言で父さんは名簿に目を走らせ、重々しくうなずいていた。

「いかがなさいますか? 一時的に連絡を断つように命じ、ほとぼりが冷めるのを待つか、帰還を命じるか……」

「だが、彼らの多くは幾世代に渡り潜伏している、母国をしらない世代だ。こちらに戻ったとしても、生活の保証はどうする?」

「それは……」

 言葉に詰まる父さん。
 大臣さんはわずかに頭を揺らしてから、僕の方へ視線を転じた。

「残りはあと一ヶ所だったな? 準備は良いかな?」

 うなずくと僕は、指示されたその場所へと『目』を向ける。
 都の外れにある、何の変哲のない小さな家に。
 けれど……。

 おかしい。

 そう気がついた時は、もう手遅れだった。
 僕の目の前に広がっていたのは、血の池と化した床と、倒れ伏す男と女。
 それを取り巻くように、無数の抜き身の剣が、茜色の夕日を反射してきらきらと輝いている。
 それを構える甲冑姿の男達の視線は、入り口に向けられていた。
 開け放たれた戸口に立っていたのは、僕とさして歳が違わない少年だった。
 深い夜空の色をしたその瞳は、これ以上ないと言うくらい大きく見開かれている。
 その時だった。
 辛うじて息が残っていた男が最後の力を振り絞り顔をあげ、少年に向かい掠れた声で言った。
 お前だけは逃げろ、と。
 そして男はがっくりと血の沼へ沈んだ。
 少年は夢遊病患者のような足取りで室内に踏み込み、床に付き立っていた短剣を引き抜いた。

「ロンダート卿、何をしている! 早くこの子を両親の元へ送ってやれ!」

「で……できません! いかに敵の間者とは言え、子どもを……」

「ならば私が引導を渡してやる!」

 言いながら、隊長とおぼしき男が一歩足を踏み出した。
 けれど……。

「うわああぁぁ!」

 叫んだのは、僕なのか少年なのか解らない。
 視線の先を血の飛沫が染める。
 ぐしゃり、という嫌な音と共に断末魔の声が室内に反響する。
 そうこうするうちに、一人、また一人と甲冑をまとった大人が倒れていく。
 いつしか僕の意識は少年と同化し、彼が人一人斬り伏せる度、僕の手も血に滑っていくような感覚に捕らわれた。

「どうしたんだ? しっかりしろ!」

 異変に気付いた父さんがあわてて立ち上がり、僕の肩を揺さぶった。
 主任さんが地図を丸め、無理矢理に僕の意識を切り離す。

「……何事だ?」

 不機嫌そうな大臣さんの声に、僕は答えることができなかった。
 ガラス玉の瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれおちる。
 目の前で起きた凄惨な出来事に、僕はただ泣くことしかできなかった。
 不安げに僕を見つめる主任さん。
 父さんは僕の背中を、暖かい手でさすってくれている。
 けれど、あの鮮やかな朱の色は、僕の脳裏に焼き付いて離れない。

「一体、どうしたんだ?」

 大臣さんが、わずかに声を荒らげる。
 泣きじゃくりながら僕は口を開いた。

「家の中に……男の人と女の人が、倒れていて……たくさんの鎧を着た人がその周りを囲んでいて……子どもが一人、その中に……」

 僕の言葉に、大臣さんは深々とため息をついた。

「草刈りか……。先手を打たれたな。至急皆を集めろ。作戦を見直す必要がありそうだ」

 そう言い捨てると、大臣さんは乱暴に床を蹴り、厳しい顔をして部屋を出て行った。
 心配するな、とでも言うように僕の背中をぽんぽんと叩いてから、父さんはその後を追う。
 地図を巻き終えた主任さんが、僕の隣に座る。

「大丈夫かい? 怖かっただろう?」

 優しい言葉に、再び涙が溢れてくる。
 けれど脳裏に浮かび上がるあの地獄絵図に、僕の身体は小刻みに震えていた。
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