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鎮魂曲
─28─事実
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そして、夜が明けた。
常ならば父や母の好物や花を手に、人目を避け家を出、墓を詣でる父の命日が来た。
ようやくその無念を晴らすことができた、そう伝えられる日が。
が、ユノーは適当な口実で不審がる祖母をはぐらかし、一足早く家を出た。
まだ殆どの店が鎧戸を閉め、人通りが殆ど無い街を、一路墓地へと向かい走る。
開門直後の入口は、既に先客がいたのか、僅かに開いていた。
嫌な予感がした。
ユノーは思い鉄製の扉を押し開く。
墓地に溜まる邪気が街に流れ込むのを防ぐ結界でもある扉を通り抜けた途端、ある物を感じた。
押さえ込まれながらも溢れ出ようとする哀しい『力』の波動。
これと全く同じ物を、ユノーは以前ごく身近に感じたことがある。
それは忘れもしない、ルドラの最終決戦の後……。
なるべく自分の気配を消しながら、ユノーはその『力』の波動を追う。
それは滅多に足を運ぶ人もいない、罪人──皇帝に対する逆賊者をまとめて埋めている場所から流れてきている。
苔むした道を歩くユノーの足は僅かに震えていた。
鬱蒼と茂っていた広葉樹が次第に疎らになる。
木々の中、申し訳程度に整地されたそこに、やはり申し訳程度な石塔が建っている。
その前で祈る人の姿が見えた。
無造作に束ねられたセピアの髪が、風に揺れている。
その人が祈り終えたとき、だが現れるはずのあの光の群は、浮かび上がっては来なかった。
信じがたい現実。
言葉もなくユノーは木の幹にもたれかかる。
静けさの中、ユノーが良く知るその人の声が、いつもと同じく無感動に告げる。
「罪人の魂が浮かばれないと言う伝承は本当らしいな。ここで何度祈りを捧げてみても、誰も天に呼ばれて行こうとはしない」
すでにユノーの存在に気付いていたのだろう。
振り向きもせず言うシーリアスに、ユノーは泣きそうになりながら問うた。
「……何故、ここに……?」
「貴官と同じ理由……両親の命日だ。俺の親は、この下にいる。……俺の両親は、敵国エドナの間者だ」
気が付けば、ユノーの足下には、戦場で繰り返し見た血の沼が広がっている。
失われてしまった、かつての家族の団らんの場所。
背中に致命傷を負った男が、消え入りそうな声でお前だけは逃げろ、とようやく言い終えて息絶える。
無数の白刃を閃かす朱の隊。
早くその子供を殺せとの怒号にも似た命令に、ユノーの父は首を横に振る。
居丈高な分隊長が一歩足を踏み出したとき、怒りと悲しみとが入り交じった絶叫が朱の隊へと襲いかかる。
突然の攻撃に、同時に彼らは為す術もなくばたばたと倒れていく。
目の前に倒れ伏す大人達。
ひたすら謝罪を繰り返す泣き声が響く。
そこにいたのは幼い少年だった。
肩口で切りそろえられた、真っ直ぐなセピアの髪と、涙をためた深い藍色の瞳。
その姿は、紛れもなく……。
「前に聞いただろ。貴官が俺の行為の被害者であっても、全く同じ事が言えるのか、と」
自分は大罪を犯した、と言い放つ司令官。
好機を逃した、と笑う皇帝。
親の敵を許せるか、と問う皇妹。
そして、意味ありげな宰相の言葉と含み笑い。
それらの顔がユノーの脳裏に浮かんでは消えていった。
ようやくユノーの脳裏で、今までばらばらに散らばっていた情報が一本の線の上に繋がった。
自分は知らないうちに、親の敵に命を預けていたのだ、と。
全てを知った上で、この人は自らの後背をユノーに任せた。
無防備になっている背後から突け、と言うように。
見開かれた水色の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
やはり振り向くことなく、シーリアスは低い声で言った。
「……戦い方を、生きて帰れたら教えると約束したな。さほど難しい事じゃない」
何時にもまして冷たく平板なシーリアスの口調。
それを、木によりかかったまま、ユノーは身じろぎもせずに聞いている。
「相手を『殺したい』と強く願えばいい。殺してやりたいとひたすら恨めばいい。そうすれば……」
言葉を切ると、ようやくシーリアスは振り向いた。
殺伐としたことを口にしているにもかかわらず、その顔には微笑さえ浮かべている。
「思いは勝手に暴走する。自分以外の人間を、敵味方の区別無く殺してくれる」
しかし、ユノーは返答することが出来なかった。
怒りとも恨みとも悲しみとも言い難い感情に押しつぶされ、もたれかかる木に幹に両手をかけ、ようやく身体を支えている、という状態だった。
初陣の時以上の醜態を晒しているユノーに、シーリアスの微笑は苦笑に変わった。
何故この人は、こんな時にこんな顔が出来るのだろう。
疑問に思うユノーの目前に、見事な放物線を描いて何かが落ちた。
それは紛れもなく『お守りみたいな物』とシーリアスが言っていた、古びた短剣だった。
「……親父の形見だ。自分の手で少しずついたぶりながら殺したいなら、それを使うといい」
その言葉が終わると同時に、ユノーは木にもたれたまま草むらの上に腰をつく。
それでも自分を凝視する水色の瞳に、シーリアスは呆れたように笑った。
「戦場を生き抜いた貴族様が、一介の平民一人殺すくらい、訳ないだろう?」
けれど、ユノーは目を閉じ首を左右に振る。
「……僕が生還できたのは、貴方のお陰です」
思いもよらぬ答えに、シーリアスの顔に刹那、戸惑いの表情が浮かんで消える。
感情を失った藍色の瞳を睨み付けるように、ユノーは自分の目の前に立つその人を見上げた。
「蒼の隊に必要な物は、生きようとする貪欲な思いだ、と貴方が言ったから……。それなのに、貴方は何故、死を求めるのですか? 納得がいきません!」
叫ぶように言い終えると、ユノーは両の拳を地面に叩きつける。
涙が数滴、雑草の上にこぼれ落ちた。
「言ったはずだ。……俺は今まで、『死ぬ』為に『生きて』きた。全ては俺に科せられた罰だ。それに……」
「貴方が僕の父の敵だと仰るなら、僕は貴方にとって何ですか?」
言いながら、ユノーは投げかけられた短剣に手を伸ばす。
束を握りしめ鞘を抜き、自らの目前にかざしたかと思うと、寂しげに笑う。
そのまま彼は、おもむろにその切っ先を喉元に突き立てようとした。
そして……。
常ならば父や母の好物や花を手に、人目を避け家を出、墓を詣でる父の命日が来た。
ようやくその無念を晴らすことができた、そう伝えられる日が。
が、ユノーは適当な口実で不審がる祖母をはぐらかし、一足早く家を出た。
まだ殆どの店が鎧戸を閉め、人通りが殆ど無い街を、一路墓地へと向かい走る。
開門直後の入口は、既に先客がいたのか、僅かに開いていた。
嫌な予感がした。
ユノーは思い鉄製の扉を押し開く。
墓地に溜まる邪気が街に流れ込むのを防ぐ結界でもある扉を通り抜けた途端、ある物を感じた。
押さえ込まれながらも溢れ出ようとする哀しい『力』の波動。
これと全く同じ物を、ユノーは以前ごく身近に感じたことがある。
それは忘れもしない、ルドラの最終決戦の後……。
なるべく自分の気配を消しながら、ユノーはその『力』の波動を追う。
それは滅多に足を運ぶ人もいない、罪人──皇帝に対する逆賊者をまとめて埋めている場所から流れてきている。
苔むした道を歩くユノーの足は僅かに震えていた。
鬱蒼と茂っていた広葉樹が次第に疎らになる。
木々の中、申し訳程度に整地されたそこに、やはり申し訳程度な石塔が建っている。
その前で祈る人の姿が見えた。
無造作に束ねられたセピアの髪が、風に揺れている。
その人が祈り終えたとき、だが現れるはずのあの光の群は、浮かび上がっては来なかった。
信じがたい現実。
言葉もなくユノーは木の幹にもたれかかる。
静けさの中、ユノーが良く知るその人の声が、いつもと同じく無感動に告げる。
「罪人の魂が浮かばれないと言う伝承は本当らしいな。ここで何度祈りを捧げてみても、誰も天に呼ばれて行こうとはしない」
すでにユノーの存在に気付いていたのだろう。
振り向きもせず言うシーリアスに、ユノーは泣きそうになりながら問うた。
「……何故、ここに……?」
「貴官と同じ理由……両親の命日だ。俺の親は、この下にいる。……俺の両親は、敵国エドナの間者だ」
気が付けば、ユノーの足下には、戦場で繰り返し見た血の沼が広がっている。
失われてしまった、かつての家族の団らんの場所。
背中に致命傷を負った男が、消え入りそうな声でお前だけは逃げろ、とようやく言い終えて息絶える。
無数の白刃を閃かす朱の隊。
早くその子供を殺せとの怒号にも似た命令に、ユノーの父は首を横に振る。
居丈高な分隊長が一歩足を踏み出したとき、怒りと悲しみとが入り交じった絶叫が朱の隊へと襲いかかる。
突然の攻撃に、同時に彼らは為す術もなくばたばたと倒れていく。
目の前に倒れ伏す大人達。
ひたすら謝罪を繰り返す泣き声が響く。
そこにいたのは幼い少年だった。
肩口で切りそろえられた、真っ直ぐなセピアの髪と、涙をためた深い藍色の瞳。
その姿は、紛れもなく……。
「前に聞いただろ。貴官が俺の行為の被害者であっても、全く同じ事が言えるのか、と」
自分は大罪を犯した、と言い放つ司令官。
好機を逃した、と笑う皇帝。
親の敵を許せるか、と問う皇妹。
そして、意味ありげな宰相の言葉と含み笑い。
それらの顔がユノーの脳裏に浮かんでは消えていった。
ようやくユノーの脳裏で、今までばらばらに散らばっていた情報が一本の線の上に繋がった。
自分は知らないうちに、親の敵に命を預けていたのだ、と。
全てを知った上で、この人は自らの後背をユノーに任せた。
無防備になっている背後から突け、と言うように。
見開かれた水色の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
やはり振り向くことなく、シーリアスは低い声で言った。
「……戦い方を、生きて帰れたら教えると約束したな。さほど難しい事じゃない」
何時にもまして冷たく平板なシーリアスの口調。
それを、木によりかかったまま、ユノーは身じろぎもせずに聞いている。
「相手を『殺したい』と強く願えばいい。殺してやりたいとひたすら恨めばいい。そうすれば……」
言葉を切ると、ようやくシーリアスは振り向いた。
殺伐としたことを口にしているにもかかわらず、その顔には微笑さえ浮かべている。
「思いは勝手に暴走する。自分以外の人間を、敵味方の区別無く殺してくれる」
しかし、ユノーは返答することが出来なかった。
怒りとも恨みとも悲しみとも言い難い感情に押しつぶされ、もたれかかる木に幹に両手をかけ、ようやく身体を支えている、という状態だった。
初陣の時以上の醜態を晒しているユノーに、シーリアスの微笑は苦笑に変わった。
何故この人は、こんな時にこんな顔が出来るのだろう。
疑問に思うユノーの目前に、見事な放物線を描いて何かが落ちた。
それは紛れもなく『お守りみたいな物』とシーリアスが言っていた、古びた短剣だった。
「……親父の形見だ。自分の手で少しずついたぶりながら殺したいなら、それを使うといい」
その言葉が終わると同時に、ユノーは木にもたれたまま草むらの上に腰をつく。
それでも自分を凝視する水色の瞳に、シーリアスは呆れたように笑った。
「戦場を生き抜いた貴族様が、一介の平民一人殺すくらい、訳ないだろう?」
けれど、ユノーは目を閉じ首を左右に振る。
「……僕が生還できたのは、貴方のお陰です」
思いもよらぬ答えに、シーリアスの顔に刹那、戸惑いの表情が浮かんで消える。
感情を失った藍色の瞳を睨み付けるように、ユノーは自分の目の前に立つその人を見上げた。
「蒼の隊に必要な物は、生きようとする貪欲な思いだ、と貴方が言ったから……。それなのに、貴方は何故、死を求めるのですか? 納得がいきません!」
叫ぶように言い終えると、ユノーは両の拳を地面に叩きつける。
涙が数滴、雑草の上にこぼれ落ちた。
「言ったはずだ。……俺は今まで、『死ぬ』為に『生きて』きた。全ては俺に科せられた罰だ。それに……」
「貴方が僕の父の敵だと仰るなら、僕は貴方にとって何ですか?」
言いながら、ユノーは投げかけられた短剣に手を伸ばす。
束を握りしめ鞘を抜き、自らの目前にかざしたかと思うと、寂しげに笑う。
そのまま彼は、おもむろにその切っ先を喉元に突き立てようとした。
そして……。
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