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其の肆 冥戦剣変◆紅炎
飛竜烈伝 守の巻
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竜は高く跳躍した。
まるで重力の軛から解き放たれたかのように、体が軽い。総身に負った筈の火傷の痛みは感じないが、ただ叢雲を握った右手のみが熱い。右拳の上に、あの痣が燃えていることは、見ずとも分かった。
全身に、凄まじい風の流れを感じる。
ひょっとしたらこれって、飛竜と橋姫の力がぶつかり合ってるっていうことなのか?
間違いない、飛竜と橋姫、各々の持つ超常能力が狭い範囲でぶつかり、対立する力が強い上昇気流のようなものを生み出して、竜の体を上へと押し上げているのだ。
竜は空中で体を僅かに捻り、叢雲の鯉口を切った。一気に、刀身を引き抜く。まるでそれを待っていたかのように、澄み返った刃が竜の目の前に姿を現した。
竜は雄叫びをあげた。だが、それが自分の叫びだったのか、それとも、数百年の眠りから醒め、いまやっと力を解放された荒ぶる獣の咆哮であったのかは、分からなかった。
一閃した刃は、橋姫の鎖の罠を苦もなく断ち切った。叢雲に導かれるように、体が勝手に動いた。
体の細胞一つ一つが目覚め活性化していく感覚。そのエネルギーは、燃える痣を媒介にして、右手に持った叢雲から流れ込んでくる。初めて、今、自分は自由なのだと感じる。
激しい雨のように金色の火の粉が踊るなか、寸断された鉄鎖が背骨を斬られた蛇のようにのたうち、塵と化しながら落ちていくのを横目に、竜は身体を返し、橋姫のすぐ近くに着地した。
「許さん。決して許さんぞ、飛竜」
橋姫が叫ぶ。猛り狂う憤怒と憎悪をその全身から噴き出させながら。
橋姫の放つ黒い鎖が、牙を剥いた毒蛇のように竜に襲いかかる。竜はそれを、咄嗟に体の正面に構えた叢雲で辛うじて受け止めた。
同時に、橋姫の体も空を飛んでいた。
橋姫の思念の力によってであろう、その手に握られた羂索の一部が、一瞬にして鋭い刃を持つ大鎌へと変化するのを竜は見た。
体ごと、竜の刀と橋姫の鎌がぶつかり、火花が散る。その細身のどこに、これ程の力が秘められているというのか、橋姫の打ち込みの鋭さと重さは凄まじい。
「赦せぬ。何故、貴様がそのような力を持っている。お館さまを害した貴様が。無間地獄へ堕ちるべき貴様が」
傷ついた虎のように吼え猛りながら、橋姫が鎌を振るう。
重くのしかかる殺意の雪崩。これは殺し合いの闘いなのだということを、竜は初めて意識した。何かが、それまで冷静だった橋姫を狂わせていた。橋姫は決して止めないだろう。おそらく、竜を殺した後も、その死体を切り刻み、細切れにせずにはいられないに違いない。それほどに強烈な憎悪の渦。
だけど。
竜は思った。
俺は、出来ることなら、もう、このひととは、争いたくない。
切り結ぶ刃を通して、橋姫の想いが自分の内部(なか)に流れ込んで来るような気がする。底知れぬ邪悪を匂わせた不動とは全く違う。血に餓え殺戮を楽しんでいた怪士とも違う。ただ、紹巴を守るために戦うという、ひたむきな想い。そして、その感情は、同時にひどく哀しい影を帯びている。
竜に加えられる一撃一撃が、寧ろ橋姫自身に傷を与え、その心から血を噴き出させている。やり場のない感情に橋姫自身が翻弄され悲鳴をあげているような、そんな心の波動。
それに。
俺の勘が間違っていなければ、きっと、橋姫は。
竜の頭蓋を狙って振り下ろされた大鎌は、僅かに狙いを逸らした。竜は両手で構えた刀に渾身の力を込め、鎌を跳ね返した。その勢いのせいで、竜と橋姫は同時に、分かれて背後に数メートル吹っ飛んだ。竜と離れた橋姫が、稲妻のような速さで身を翻す。
「次だ。この一撃で、貴様のそっ首、叩き落してくれる」
その言葉と同時に、橋姫が頭上に構える黒い大鎌が、見る間に赤熱化し始めた。大気が燃え始めているのか、橋姫の周囲の景色が陽炎のように揺らぎ出す。
対峙する竜も、全身の皮膚に、刺すような熱を感じていた。
今度こそ、橋姫は全力で来る。
叢雲を構え直す。声と共に、橋姫が突っ込んできた。刀と大鎌の刃が、二匹の狂った獣の牙のように咬み合い、閃光が走る。
拮抗した力は、光の球のように二人を包んだ。迸った強烈な光芒が、一瞬、視界を灼く。爆風が、竜の全身を呑み込もうとする。凄まじい重圧(プレッシャー)に、膝の関節が砕けそうになるのを歯を喰いしばって耐える。気を抜いたら最後、刀ごと、全身を細切れに引き裂かれるに違いない。
「死ね、飛竜」
激しい攻防のうちに、束ねていた紐が切れたのだろう、爆炎に煽られた橋姫の黒髪が、蛇のように踊る。陰翳を刻んだ、鬼気迫る異相の面。
だが、竜とても退くわけにはいかなかった。
橋姫。あんたが紹巴のために戦っているのと同じように、俺にも、守らなければならないものがあるんだ。
竜は吼えた。右拳の痣が、燃え上がる。叢雲が大鎌の刃を押し切った。次の瞬間、大鎌は形を崩し、空気に溶けるように消滅した。力のバランスが崩れる。
橋姫が、何かを叫んだ。武器を失った橋姫は、衝撃波を正面から喰らったのだろう、空中にその身を放り投げられた。竜も、反動で身体を大きく撓(しな)らせたが、両足に力を入れて何とか踏みとどまる。
力場は消えることなく、そこにまだ存在していた。光と炎は、二つながら絡み合い、のたうつ蛇のように周囲に余波を飛び散らせている。
一際、巨大な光弾が耀き、竜の背後の草むらに向かって真一文字に飛ぶ。
竜は動きを止めた。その草むらのなかに、何かの気配を感じたのだ。束の間、視界を掠めた影。
まるで重力の軛から解き放たれたかのように、体が軽い。総身に負った筈の火傷の痛みは感じないが、ただ叢雲を握った右手のみが熱い。右拳の上に、あの痣が燃えていることは、見ずとも分かった。
全身に、凄まじい風の流れを感じる。
ひょっとしたらこれって、飛竜と橋姫の力がぶつかり合ってるっていうことなのか?
間違いない、飛竜と橋姫、各々の持つ超常能力が狭い範囲でぶつかり、対立する力が強い上昇気流のようなものを生み出して、竜の体を上へと押し上げているのだ。
竜は空中で体を僅かに捻り、叢雲の鯉口を切った。一気に、刀身を引き抜く。まるでそれを待っていたかのように、澄み返った刃が竜の目の前に姿を現した。
竜は雄叫びをあげた。だが、それが自分の叫びだったのか、それとも、数百年の眠りから醒め、いまやっと力を解放された荒ぶる獣の咆哮であったのかは、分からなかった。
一閃した刃は、橋姫の鎖の罠を苦もなく断ち切った。叢雲に導かれるように、体が勝手に動いた。
体の細胞一つ一つが目覚め活性化していく感覚。そのエネルギーは、燃える痣を媒介にして、右手に持った叢雲から流れ込んでくる。初めて、今、自分は自由なのだと感じる。
激しい雨のように金色の火の粉が踊るなか、寸断された鉄鎖が背骨を斬られた蛇のようにのたうち、塵と化しながら落ちていくのを横目に、竜は身体を返し、橋姫のすぐ近くに着地した。
「許さん。決して許さんぞ、飛竜」
橋姫が叫ぶ。猛り狂う憤怒と憎悪をその全身から噴き出させながら。
橋姫の放つ黒い鎖が、牙を剥いた毒蛇のように竜に襲いかかる。竜はそれを、咄嗟に体の正面に構えた叢雲で辛うじて受け止めた。
同時に、橋姫の体も空を飛んでいた。
橋姫の思念の力によってであろう、その手に握られた羂索の一部が、一瞬にして鋭い刃を持つ大鎌へと変化するのを竜は見た。
体ごと、竜の刀と橋姫の鎌がぶつかり、火花が散る。その細身のどこに、これ程の力が秘められているというのか、橋姫の打ち込みの鋭さと重さは凄まじい。
「赦せぬ。何故、貴様がそのような力を持っている。お館さまを害した貴様が。無間地獄へ堕ちるべき貴様が」
傷ついた虎のように吼え猛りながら、橋姫が鎌を振るう。
重くのしかかる殺意の雪崩。これは殺し合いの闘いなのだということを、竜は初めて意識した。何かが、それまで冷静だった橋姫を狂わせていた。橋姫は決して止めないだろう。おそらく、竜を殺した後も、その死体を切り刻み、細切れにせずにはいられないに違いない。それほどに強烈な憎悪の渦。
だけど。
竜は思った。
俺は、出来ることなら、もう、このひととは、争いたくない。
切り結ぶ刃を通して、橋姫の想いが自分の内部(なか)に流れ込んで来るような気がする。底知れぬ邪悪を匂わせた不動とは全く違う。血に餓え殺戮を楽しんでいた怪士とも違う。ただ、紹巴を守るために戦うという、ひたむきな想い。そして、その感情は、同時にひどく哀しい影を帯びている。
竜に加えられる一撃一撃が、寧ろ橋姫自身に傷を与え、その心から血を噴き出させている。やり場のない感情に橋姫自身が翻弄され悲鳴をあげているような、そんな心の波動。
それに。
俺の勘が間違っていなければ、きっと、橋姫は。
竜の頭蓋を狙って振り下ろされた大鎌は、僅かに狙いを逸らした。竜は両手で構えた刀に渾身の力を込め、鎌を跳ね返した。その勢いのせいで、竜と橋姫は同時に、分かれて背後に数メートル吹っ飛んだ。竜と離れた橋姫が、稲妻のような速さで身を翻す。
「次だ。この一撃で、貴様のそっ首、叩き落してくれる」
その言葉と同時に、橋姫が頭上に構える黒い大鎌が、見る間に赤熱化し始めた。大気が燃え始めているのか、橋姫の周囲の景色が陽炎のように揺らぎ出す。
対峙する竜も、全身の皮膚に、刺すような熱を感じていた。
今度こそ、橋姫は全力で来る。
叢雲を構え直す。声と共に、橋姫が突っ込んできた。刀と大鎌の刃が、二匹の狂った獣の牙のように咬み合い、閃光が走る。
拮抗した力は、光の球のように二人を包んだ。迸った強烈な光芒が、一瞬、視界を灼く。爆風が、竜の全身を呑み込もうとする。凄まじい重圧(プレッシャー)に、膝の関節が砕けそうになるのを歯を喰いしばって耐える。気を抜いたら最後、刀ごと、全身を細切れに引き裂かれるに違いない。
「死ね、飛竜」
激しい攻防のうちに、束ねていた紐が切れたのだろう、爆炎に煽られた橋姫の黒髪が、蛇のように踊る。陰翳を刻んだ、鬼気迫る異相の面。
だが、竜とても退くわけにはいかなかった。
橋姫。あんたが紹巴のために戦っているのと同じように、俺にも、守らなければならないものがあるんだ。
竜は吼えた。右拳の痣が、燃え上がる。叢雲が大鎌の刃を押し切った。次の瞬間、大鎌は形を崩し、空気に溶けるように消滅した。力のバランスが崩れる。
橋姫が、何かを叫んだ。武器を失った橋姫は、衝撃波を正面から喰らったのだろう、空中にその身を放り投げられた。竜も、反動で身体を大きく撓(しな)らせたが、両足に力を入れて何とか踏みとどまる。
力場は消えることなく、そこにまだ存在していた。光と炎は、二つながら絡み合い、のたうつ蛇のように周囲に余波を飛び散らせている。
一際、巨大な光弾が耀き、竜の背後の草むらに向かって真一文字に飛ぶ。
竜は動きを止めた。その草むらのなかに、何かの気配を感じたのだ。束の間、視界を掠めた影。
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