飛竜烈伝 守の巻

岩崎みずは

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其の壱 飛竜覚醒◆予感

飛竜烈伝 守の巻

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 竜には、絵里が自分を振り切っていきなり走り出したのも、唇を噛み締めて一言も口をきいてくれないのも、どうしてなのか分からなかった。ひょっとしてまた何か、絵里を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
 てか、俺、今日は何にもしてねーよな。ちゃんと部活にも出たし。
「待てよ、絵里」
 絵里は振り向きもせず、逃げるように走り去ろうとしている。
「なにキレてんだよ。理由(わけ)があんなら、ちゃんと説明しろ」
「うるさい。ついてこないでよ」
 必死で感情を押さえつけているような、どこか震えを帯びた絵里の声。
「ついて来んなって言ったって、バス停まで道同じだろーが。ほら、丁度バス来たぜ」
 ステップに足をかけて振り返ると、絵里は何を考えてか、妙に躊躇っている。
「あにしてんだよ、乗らねーのか?」
 意を決したように、クルリと後ろを向いた絵里は、通行禁止の三ノ輪山への坂道を登って行った。
「絵里?」
 なんだあいつ。勝手にしろ。まったく、女の気まぐれにいちいち付き合ってらんねーっての。
 そのとき、竜の内部(なか)で、何かが動いた。虫の知らせとでも言うのだろうか、これから起こる何らかの危険を警告するようなものが。
 いけない、絵里。三ノ輪山のほうへ行っちゃあ。
「絵里、待て」
 発車しかけたバスから強引に飛び降り、竜は絵里の後を追った。
 駄目だ、戻って来い、絵里!
 霧が濃く辺りを覆う三ノ輪山の奥に踏み入るに従って、胸のなかの得体の知れない緊張感が、固く、固く絞られていく。最初の石垣の前で、竜はやっと絵里を捕まえた。
「離しなさいよ、変態」
 へ、ヘンタイ??
「あんたなんかと話をしたくないし顔も見たくないの。ついて来ないでってさっきから言ってるでしょう」
 激しい言葉で詰(なじ)られ、竜もつい熱くなって言い返す。
「あんなあ、黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって。だいたいお前はそういう性格が可愛くねーんだよ。大人しくしてりゃちっとは見れるルックスなのに」
 突然、絵里が悲鳴をあげて竜に飛びついて来た。一瞬何が起こったのか分からず、それでも反射的に抱きしめてしまう。
「こいつは」
 やっと辺りの異臭に気づいて足元を見渡せば、そこには無残な獣の死骸があった。ただ死んでいるというだけではない、まるで何者かが異常な情熱を籠めて一片一片、肉と臓物を選り分け、辺り一面にばら撒いたとでもいうかのようだ。
 半分がぐしゃりと潰れ脳漿の飛び出した頭部が、それが犬であることを辛うじて教えている。しかも死骸は一匹ではなかった。どれも大型の野犬が五頭、或いは腹を、または頭を目茶目茶に潰されて、熟れ過ぎて落ちた果実のような惨い姿を曝していた。
「ひでえ。野良犬同士が共食いでもしやがったのか」
 目線をあげると、石積にどす黒く、血らしきものが飛び散っている。
 違う。共食いなんかじゃねえ。こいつはまるで、発破かなんかでバラバラに吹っ飛ばされたみてえだ。
 そのときになって竜は初めて、腕のなかに絵里を抱いたままなのに気がついた。
「あッ」
 我に返った二人同時に身体を引き離す。眼を見開き、頬を微かに赤く染めた絵里を見て、竜の心臓も何故か高鳴った。
「絵里、戻ろう。こんなとこにいないほうがいい」
 竜の言葉に、今度は絵里も素直に頷く。
「この辺りって、変質者が出るとかいうだろ。ひょっとしたらそういうモノホンの変態の仕業かもしんねーぜ。そんなのに出くわしたかねーしな」
 先刻の口喧嘩で絵里に言われた言葉を、わざとおどけて口にする。
「可哀想。酷過ぎる。動物に、なんでこんなことをする人がいるの?」
 竜の腕を掴んだままの左手はまだ震えているものの、絵里も少し落ち着いたようだ。竜の後ろから恐る恐る犬の死骸を覗き込みながら、呟く。そんな絵里を、竜は好もしいと思った。普段は気の強さばかりが先に立った男勝りの性格の絵里を、初めて女だと意識した。
 へえ。意外と、可愛いトコあんじゃねーの、こいつって。
 そのとき。霧のなかで何か人影らしきものが動いた。絵里の小さな悲鳴が沈黙を裂く。刹那、背後の白い闇が、砕けた。
 なに?
 咄嗟に振り向いた竜の目に映ったものは、白く光る刃、ただそれだけだった。何を考える間もなく、ただ、瞬間的に痺れた心の片隅で意識する。突如、闇を裂いて姿を現した殺気。それが白刃と姿を変え、霧のなかに姿を隠した何者かの手によって振り下ろされたことを。
「竜」
 再び絵里が、恐怖に満ちた、甲高い悲鳴を上げた。
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