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其の壱 飛竜覚醒◆古戦場
飛竜烈伝 守の巻
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辺りは既に暗くなっていた。
石垣に沿って帰り道を急ぎながら、竜は、蓮と一緒で良かったと心の底から思った。夏場の肝試しに使われるのも憚られるような山道を夜、たった一人で歩くなど、 あまりにゾッとしない。
竜と蓮は近道をとることにした。
山の斜面にある墓地から遊歩道に戻らず、三ノ輪山を突っ切るのだ。このルートだと、竜の家までバスの停留所およそ五つ分のショートカットになる。
それにしても、相変わらず、いつ来ても薄気味の悪いトコだぜ。
所々が崩れた高く長い石積みは、蓮に聞いた話によると、戦国時代の城址で、その一帯は数百人もの人間が命を落とした古戦場だという。中学のときの歴史の授業でやったようなやらないような曖昧な記憶でしかないが、寧ろ、史実云々よりも、竜にとって重要なのは、そういった古い曰くつきの場所に付き物の、冷やかし的な怪談話のほうだ。竜が、暗くなってからこの道を通るのを嫌うのは、それが最大の理由なのだから。
うちの鬼ババア以外に、この世に恐いものなんかありゃしない。そういつも豪語しているものの、実は、怪談や心霊の話などに、子供の頃からからきし弱い。夜中に鎧武者の亡霊が刀を合わせていただの、鬨の法螺貝の音とともにヒトの呻き声が風に乗って聞こえるだの、そんな話が耳に入る度、冷や汗をかいてしまう。幼馴染みの蓮しか知らない秘密の弱点だった。
もっとも、普段から山に人が入らないのは四百数十年も昔の幽霊話のせいなどではない、現実的な理由だ。変質者が逃げ込んでいる、野犬が子供を咬み重傷を負わせた、落石で重傷者が出た、など、不穏なニュースが後を絶たないのだ。数年前、ジョギング中の年輩夫婦が暴行され殺された事件などは、未だに犯人が見つかっていない。
竜と蓮の通う高校も、三ノ輪山の遊歩道を通ったほうが早いのだが、数年の間に立て続けに起きた事故、事件のせいで、通学のための通行は禁止され、その結果、竜が三ノ輪山に足を踏み入れるのは、年に一度の両親の墓参りの日だけとなっていた。
「さっき思ったんだけど、竜と京野さんて、いい雰囲気だよね。京野さん明るくて可愛いし。竜にはああいうコが似合うよ。付き合っちゃえば?」
「あの暴力オンナと俺が?冗談じゃねえっての。ああいうのはバーゲンセールだって売れ残るぜ。それよかさ、お前のファンのなかからイケてるコ紹介してくれよ。年上でもいいんだ、誰かいない?」
他愛もない会話を交わしながら、何となく、どちらにも暫くの沈黙が訪れたとき。竜は、蓮の顔色が優れないことに気が付いた。もとから血色のよいほうではないが、緊張しているのか或いは何かに脅えてでもいるように、その顔は妙に蒼褪めている。辺りに不安気に素早く視線を走らせる落ち着きのない仕草も、常の蓮らしくなかった。
「どした?蓮。体の具合でも悪いのか」
心配になり声をかけると、口ではなんでもないと応えながらも、目眩を堪えているのか、蓮は頻(しき)りに頭を振っている。
「さっきのチビ猫、連れて帰って来れりゃよかったのにな。なのに、ちょっと目え離した隙に、どっか行っちまって」
竜はわざと明るい口調で、廃寺で見失った仔猫の話を持ち出した。普段の蓮なら、夜通し探してでも迷子の仔猫を連れ戻したがった筈だ。
しかし、竜の言葉を聞いているのかいないのか、蓮は黙りこくったまま、足を引き摺るようにして遅れて歩いている。竜は何度となく振り返り、蓮を促さなければならなかった。
「大丈夫、ごめん。この頃ちょっと寝不足なだけで」
見かねた竜が、鞄を持とうと言いだしたとき、きっぱりと首を横に振って、蓮が答えた。
「眠ろうとするんだけど、嫌な夢を見て夜中に何度も目が覚めちゃうんだ。嫌な夢ってだけで、内容のほうは起きると忘れてるんだけど。そういうことって、たまにないかな」
言われてみれば、蓮の両目の下にはうっすらとくまが出来ている。
「寝不足ってお前、今からもう受験の心配とかしてんの?あんま勉強ばっかしてねーで、たまにはガス抜きしたほうがいいぜ」
冷やかす口調で笑いを含んで言ったつもりが、それに応えて微笑んだ蓮の瞳が少し遠くを見つめ、そのまま凍りついたのを目にして、竜は戸惑った。
「いつも、ここなんだ」
まるで独り言のような、蓮の呟き。
「ここから。いつも決まって、この場所から始まる」
「蓮、お前、どうしたんだ?」
蓮が何を言っているのか分からず問い返す。しかし、蓮の瞳は遠く背後に続く石垣を凝視したまま動かない。
その視線を辿ってみても、竜の目には、闇を色濃く纏った石積と、その上に密生した木々の枝々に隙間なく茂った葉が微かに風に揺れるのが見えるだけだった。
風の音にじっと耳を澄ませていると、木々の向こうの闇は、いよいよ、ねっとりと濃厚になり、冷たい触手に姿を変えて足元に絡みついてくるような気がする。未だ浮かばれずに戦場を徘徊している戦国時代の亡霊が風や、闇や、三ノ輪の空気に溶け込んで、その姿を垣間見せようとしているかのように。
そんな考えがふと頭に浮かんだと同時に、その冷たい手で首筋を撫で上げられたような感触を覚え、全身の毛が逆立った。
「蓮、行こう。早く行こうぜ、な」
焦った口調で促す。出来ることなら、一秒でも早くこの場を離れたかった。
「そうだね、あんまり遅くなると竜がお祖母さんに叱られるよね。お墓参りの筈が、一体どこで油売ってたんだ、って」
蓮は台詞の後に思い出したように微笑をつけ加え、速足で歩きだした。竜は慌ててその後を追った。
半ばほっとしながら、遠く小さくなっていく石積を振り返る。
これで、この場所とはまた来年までおさらばだ。
風が強くなってきている。ふと、木々の擦れあう音が、まるで仔猫の断末魔の悲鳴のように、竜には聞こえた。
石垣に沿って帰り道を急ぎながら、竜は、蓮と一緒で良かったと心の底から思った。夏場の肝試しに使われるのも憚られるような山道を夜、たった一人で歩くなど、 あまりにゾッとしない。
竜と蓮は近道をとることにした。
山の斜面にある墓地から遊歩道に戻らず、三ノ輪山を突っ切るのだ。このルートだと、竜の家までバスの停留所およそ五つ分のショートカットになる。
それにしても、相変わらず、いつ来ても薄気味の悪いトコだぜ。
所々が崩れた高く長い石積みは、蓮に聞いた話によると、戦国時代の城址で、その一帯は数百人もの人間が命を落とした古戦場だという。中学のときの歴史の授業でやったようなやらないような曖昧な記憶でしかないが、寧ろ、史実云々よりも、竜にとって重要なのは、そういった古い曰くつきの場所に付き物の、冷やかし的な怪談話のほうだ。竜が、暗くなってからこの道を通るのを嫌うのは、それが最大の理由なのだから。
うちの鬼ババア以外に、この世に恐いものなんかありゃしない。そういつも豪語しているものの、実は、怪談や心霊の話などに、子供の頃からからきし弱い。夜中に鎧武者の亡霊が刀を合わせていただの、鬨の法螺貝の音とともにヒトの呻き声が風に乗って聞こえるだの、そんな話が耳に入る度、冷や汗をかいてしまう。幼馴染みの蓮しか知らない秘密の弱点だった。
もっとも、普段から山に人が入らないのは四百数十年も昔の幽霊話のせいなどではない、現実的な理由だ。変質者が逃げ込んでいる、野犬が子供を咬み重傷を負わせた、落石で重傷者が出た、など、不穏なニュースが後を絶たないのだ。数年前、ジョギング中の年輩夫婦が暴行され殺された事件などは、未だに犯人が見つかっていない。
竜と蓮の通う高校も、三ノ輪山の遊歩道を通ったほうが早いのだが、数年の間に立て続けに起きた事故、事件のせいで、通学のための通行は禁止され、その結果、竜が三ノ輪山に足を踏み入れるのは、年に一度の両親の墓参りの日だけとなっていた。
「さっき思ったんだけど、竜と京野さんて、いい雰囲気だよね。京野さん明るくて可愛いし。竜にはああいうコが似合うよ。付き合っちゃえば?」
「あの暴力オンナと俺が?冗談じゃねえっての。ああいうのはバーゲンセールだって売れ残るぜ。それよかさ、お前のファンのなかからイケてるコ紹介してくれよ。年上でもいいんだ、誰かいない?」
他愛もない会話を交わしながら、何となく、どちらにも暫くの沈黙が訪れたとき。竜は、蓮の顔色が優れないことに気が付いた。もとから血色のよいほうではないが、緊張しているのか或いは何かに脅えてでもいるように、その顔は妙に蒼褪めている。辺りに不安気に素早く視線を走らせる落ち着きのない仕草も、常の蓮らしくなかった。
「どした?蓮。体の具合でも悪いのか」
心配になり声をかけると、口ではなんでもないと応えながらも、目眩を堪えているのか、蓮は頻(しき)りに頭を振っている。
「さっきのチビ猫、連れて帰って来れりゃよかったのにな。なのに、ちょっと目え離した隙に、どっか行っちまって」
竜はわざと明るい口調で、廃寺で見失った仔猫の話を持ち出した。普段の蓮なら、夜通し探してでも迷子の仔猫を連れ戻したがった筈だ。
しかし、竜の言葉を聞いているのかいないのか、蓮は黙りこくったまま、足を引き摺るようにして遅れて歩いている。竜は何度となく振り返り、蓮を促さなければならなかった。
「大丈夫、ごめん。この頃ちょっと寝不足なだけで」
見かねた竜が、鞄を持とうと言いだしたとき、きっぱりと首を横に振って、蓮が答えた。
「眠ろうとするんだけど、嫌な夢を見て夜中に何度も目が覚めちゃうんだ。嫌な夢ってだけで、内容のほうは起きると忘れてるんだけど。そういうことって、たまにないかな」
言われてみれば、蓮の両目の下にはうっすらとくまが出来ている。
「寝不足ってお前、今からもう受験の心配とかしてんの?あんま勉強ばっかしてねーで、たまにはガス抜きしたほうがいいぜ」
冷やかす口調で笑いを含んで言ったつもりが、それに応えて微笑んだ蓮の瞳が少し遠くを見つめ、そのまま凍りついたのを目にして、竜は戸惑った。
「いつも、ここなんだ」
まるで独り言のような、蓮の呟き。
「ここから。いつも決まって、この場所から始まる」
「蓮、お前、どうしたんだ?」
蓮が何を言っているのか分からず問い返す。しかし、蓮の瞳は遠く背後に続く石垣を凝視したまま動かない。
その視線を辿ってみても、竜の目には、闇を色濃く纏った石積と、その上に密生した木々の枝々に隙間なく茂った葉が微かに風に揺れるのが見えるだけだった。
風の音にじっと耳を澄ませていると、木々の向こうの闇は、いよいよ、ねっとりと濃厚になり、冷たい触手に姿を変えて足元に絡みついてくるような気がする。未だ浮かばれずに戦場を徘徊している戦国時代の亡霊が風や、闇や、三ノ輪の空気に溶け込んで、その姿を垣間見せようとしているかのように。
そんな考えがふと頭に浮かんだと同時に、その冷たい手で首筋を撫で上げられたような感触を覚え、全身の毛が逆立った。
「蓮、行こう。早く行こうぜ、な」
焦った口調で促す。出来ることなら、一秒でも早くこの場を離れたかった。
「そうだね、あんまり遅くなると竜がお祖母さんに叱られるよね。お墓参りの筈が、一体どこで油売ってたんだ、って」
蓮は台詞の後に思い出したように微笑をつけ加え、速足で歩きだした。竜は慌ててその後を追った。
半ばほっとしながら、遠く小さくなっていく石積を振り返る。
これで、この場所とはまた来年までおさらばだ。
風が強くなってきている。ふと、木々の擦れあう音が、まるで仔猫の断末魔の悲鳴のように、竜には聞こえた。
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