世界でいちばん最後の

岩崎みずは

文字の大きさ
上 下
6 / 22
5.

世界でいちばん最後の

しおりを挟む
「ちっす、女の敵くん、おはよー」
 朝、教室へ入るなり、ふざけた挨拶をかましてきたのは、匡平が、別れた元カノと付き合うこととなった、そもそもの切っ掛けを作ったクラスメイトだった。
 小さく舌打ちする。
 匡平の元カノ、と言っても、全然あんなもの恋愛だったとも思えないが、一応元カノだった女は、匡平にあっさりと捨てられたのが余程癪に障ったのか、有ること無いこと言い触らして回っているらしい。そのせいで、最近は、学校中の女子の目が、匡平に対して冷ややかだ。
 その話のなかで、匡平は、恋人に平気で暴力を振るうDV男で、セックスは変態趣味、度々カネを要求し、おまけに援助交際までを強要。
 堪りかねて彼女の側から別れを切り出すと、今度は悪質なストーカーに転身した最低最悪の女の敵、という役回りに設定がなされている。
 よくもまあ、そこまで空々しい嘘がつけるものだと、腹立たしいどころか感心したくなる。
 男だったらとっくにボコボコに殴っているところだが、いかに性質が悪かろうと、相手は女だ。それに、やっていることがくだらなさ過ぎて、まともに取りあう気にもなれない。
 だが、目の前にいるクラスメイトは男だ。軽く小突くくらいはいい。
「ああ?もっぺん言ってくんねーか。よく聞こえなかったんで」
 襟首を掴んで顔を覗き込むと、半端な虚勢が一瞬にして崩れた相手の目に恐怖の色が浮かぶのが見て取れた。
 身長186cmの匡平に胸座(むなぐら)を掴んで釣り上げられ、平然としていられるような男は、この教室、どころかこの学校には一人もいない。特に鍛えているわけではないし、身長からしてみればウェイトは不足気味だが、子供のころから運動好きだったせいか匡平はそこそこ筋肉質で、握力だって相当なものだ。
 敢えて物理的な力を見せつけなくても、自分が周囲から恐れられ、敬遠されていることは知っている。
 中学時代の荒れた匡平を忘れていない者が尾鰭のついた噂を撒き散らすのか、腫れ物に触れるような扱いをしてくる生徒が少なくはない。実際のところ、補導歴は確かにあるが、少年院にも更生施設にも世話になったことはないし、未だにヤバい連中とつるんでいる、など根も葉もない与太話に過ぎない。そもそも、匡平は高校に進学して以来、問題を起こしたことは一度もないのだが、そんなことをいちいち説明して回る気はさらさらない。
「マジにとんなよ。ごめん、ふざけただけだって」
 脂汗を浮かべ、振るえる手で逃れようとするのを見て、匡平は大きく舌打ちした。こんなカス野郎、殴る気にもならない。
「で?なんか、俺に用なのか」
 手を離してやると、喉を抑えて咳こみながら、昼休みに呼び出しがかかってる、と告げてきた。
 相手は、元カノ。大事な話があるから、昼休みに中庭に絶対に来て、とのことらしい。
 あんな女と関わるのもいい加減うんざりだが、一方的に別れたのはこちらにも非がなくはない。相手の言い分も聞いて、改めて別れを切り出すにはいい機会かも知れない。
「行く、って伝えとけ」
 女に伝書バト代わりに使われる情けないカス男は、逃げるようにして教室を出て行った。
 
 昼休み。
 どうやら、相手の性質の悪さを見誤っていたらしい。
 中庭へ足を踏み入れると、すぐ、相手が一人ではないことに気がついた。
 普通科の女子が三人、元カノにぴったりと寄り添っている。
 まだ昼飯も食ってないのに、四人の女に吊し上げられるのかよ。
「で、大事な話って、なに?」
 元カノ本人ではなく、四人のなかで一番背の高い、きつい目の女が一歩進み出た。面影に見覚えがある感じだ。
「分かってるんでしょう?やってること、男としてサイテーだよ」
 だから、何がだよ?
 それを皮切りに、ほかの女どもも口々に叫ぶ。
「自分の彼女ハラボテにさせといて、逃げを打つなんてさ。酷すぎ」
「責任とんなよ」
 はらぼて?んだ、そりゃ。
 当の本人はと見れば、取り巻きから少し引いたところで俯いている。その手が、制服のスカートの上から自分の下腹辺りをしきりに撫でている。
 妊娠した、ってことか?
 耳鳴りがした。
 ゴムは、必ず着けるようにしていたが、忘れたことも一回二回はあったかも知れない。それに、コンドームを着用していたところで、避妊は完全ではないと聞いたこともある。
 自分の鼓動の音だけが、やけに大きく耳に響く。視界が狭まり、周りの声が聞き取れなくなった。
「十万、用意して」
 最初の女が、いきなり言った。
「中絶費用。足りない分は、あたしらでカンパするから」
「女の子の心も身体も傷つけるんだから、ほんとは、慰謝料払うくらいが当然なんだからね」
 つい最近も、どこかで妊娠と言う単語を耳にした。ぼんやりと思った。
 そうだ、親父だ。こないだ、親父が言ってたんだ。
 一人は照れ臭そうに、それでも幸せそうにその言葉を口にし、別の一人は、まるで隠し持っていた寸鉄を振るうような態度でそれを突き付ける。
 頭が真っ白になりかけて、それでもまだ根っこの部分は冷静さを失っていなかったようだ。
 深呼吸を、一つ。
「へえ。すげえな。妊娠したってか」
 意図して、ゆっくりと声を出す。少しずつ、事の次第が見えてくる。
「最後に会ったの、先月、映画観に行った日だったよな。あんときお前、確か生理だったんじゃなかったっけ?」
 え、と、取り巻き連中に動揺が走るのが分かった。
「その翌日に、俺ら別れてるから、俺のタネとかっての、在り得ねえんじゃね?それとも、することしねえで妊娠出来る特異体質かよ」
 元カノだけの画策か、ほかの女どももグルなのか最初は分からなかったが、この反応を見るに、どうやら単独で企んだことのようだ。
「なによ。ちゃんと調べたわよ。あんたこそ、逃げようとしてゴタク抜かしてんじゃないよ」
 それまで、いかにも被害者然として大人しく構えていた元カノ女が、いまにも飛びかかってきそうな勢いで、噛みついてくる。
 これが、この女の本性か。
 小悪魔。違うな、そんな可愛いもんじゃない。さらに性質の悪い、言うなれば、女狐だ。
 こんな女と、俺は寝てたのか。
「まあ、特異体質なのはいいとして、いま何ヶ月だ?産婦人科の診療明細、持ってんだろ、見せてみな。まさか、そこいらの薬局で買った検査薬で小便調べただけで、中絶だなんのと騒いでるわけじゃねえよな」
 元カノが、ぐ、と口籠る。
 妊娠という単語さえチラつかせれば、男はビビって腰が引け、言いなりにカネを払うとでも思っていたのか。
 女の立場を利用した、小賢いカツアゲだ。匡平を睨みつけるふてぶてしい態度から察するに、以前にも少なくとも一度はこの手を使い、男からカネを巻きあげたことがあるに違いない。
「どうしても、ってなら子供堕ろすの、立ち会ってやるからよ。同意書のサイン必要だろ。どこの病院で手術すんのか、決まったら連絡入れろ」
 当然、俺のタネかどうかDNA鑑定くれえは先にしてもらうけどな。妊娠何週目から出来るんだっけ?確か十四週目からだっけか。
 匡平が口にしているのはほとんど過去に見た映画や海外ドラマから仕入れたにわか知識に過ぎないが、眼の前の相手にはそれなりに効いたようだ。そもそも、こんなものはブラフ(はったり)勝負だ。汗をかいていることを気づかれたほうが負ける。
 取り巻きの女たちは、先刻から一言も発さず、息を呑んでいるだけだ。
 パチ妊娠女は、唇を噛みしめ、憤怒の表情で肩を震わせている。
「なあ」
 元カノに一歩近づくと、同じ歩幅を相手が後退さった。
「ビクつくなって。俺が女殴んねーことくらい、知ってんだろ?」
 いきなり獣のような奇声をあげ、女が、匡平の顔に爪を立てようとした。
 躱しざま、その腕を掴むと、手近な木の幹に背中を押しつける形で押さえ込む。山猫のように暴れる女の耳に、取り巻きどもには聞こえないように、低い声で囁いた。
 殴りゃしねえけどな。俺のほうだって、お前の過去の男関係、全部洗って、この辺の学校一帯に流してやったっていいんだぜ?そーすりゃ、誰にも見向きもされなくなんだろうな。
 在り来たりな脅し文句だったが、糸が切れたように地べたに座り込む元カノには、効果覿面だったのだろう。
 ちょっと、どういうことよ。
 アタシらまで、騙してたってわけ?
 目線を落としたままの元カノに、今度は取り巻き女どもの矛先が向けられる。当然の報いだ。
「あの、神崎くん」
 戻ろうとした匡平を、背の高い女が引きとめた。多分これが、例のクラスメイトの従妹とやらなのだろう。すらりとしたモデル型で、スカートからのぞく脚のかたちがいい。制服のベストのボタンがはち切れそうな胸も、大きくてきつい目も、通った鼻筋も、悪くない。
「ごめんね。あたしたちも、あの娘の口車に乗せられてたみたいで」
 謝罪の言葉に、どこか媚びを含んだような響きがあった。眼の前の女が自分に関心を、それも好意らしき感情を持ち始めていることを匡平は敏感に察した。アウトロー的な存在を毛嫌いする者たちが多い一方、そういう男を欲しがる女が少なくないのもまた事実で、女の側から言い寄られることなど匡平は慣れっこだ。
 だが今はそれに応える気にはどうにもならなかった。普通の状態であれば、とっくに携帯を出してメアド交換と、最初のデートの約束くらいはしていただろうが。
 うんざりだ。当分、女と付き合う気にはなれそうもない。
 貴重な昼休みを、かれこれ二十分は無駄にした。購買の焼きそばパンは、もう売り切れてしまっただろう。
 中庭を立ち去る前に一度だけ振り返ると、取り巻きのなかの一人が、泣き崩れている元カノに指を突き付けているところだった。
 もう、誰もあんたのことなんか、相手にしないよ。
 それを耳にしたとき、一発くらい、殴らせてやってもよかったかな、と思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

友達が僕の股間を枕にしてくるので困る

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
僕の股間枕、キンタマクラ。なんか人をダメにする枕で気持ちいいらしい。

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

咳が苦しくておしっこが言えなかった同居人

こじらせた処女
BL
 過労が祟った菖(あやめ)は、風邪をひいてしまった。症状の中で咳が最もひどく、夜も寝苦しくて起きてしまうほど。 それなのに、元々がリモートワークだったこともあってか、休むことはせず、ベッドの上でパソコンを叩いていた。それに怒った同居人の楓(かえで)はその日一日有給を取り、菖を監視する。咳が止まらない菖にホットレモンを作ったり、背中をさすったりと献身的な世話のお陰で一度長い眠りにつくことができた。 しかし、1時間ほどで目を覚ましてしまう。それは水分をたくさんとったことによる尿意なのだが、咳のせいでなかなか言うことが出来ず、限界に近づいていき…?

少年野球で知り合ってやけに懐いてきた後輩のあえぎ声が頭から離れない

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。 ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。 だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。

手作りが食べられない男の子の話

こじらせた処女
BL
昔料理に媚薬を仕込まれ犯された経験から、コンビニ弁当などの封のしてあるご飯しか食べられなくなった高校生の話

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

処理中です...