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4.砂生の、素顔

あの日、肩越しに見た青

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 缶ビールを手渡すと、砂生は黙って受け取った。
 よれたジャージ、素足にサンダル。いでたちは昼間と同じなのに、まるで別人だ。
 顔を隠していた長い前髪は、後ろに流してひとつに束ねられている。夜なのだから当然といえば当然なのだが、濃い色の入ったサングラスをいまはしていない。志田は、隣に座る男の横顔を、幾度か盗み見た。
 至近距離で見ても、まだ信じられない。
 硬質な体の線は細く、月明かりに浮かび上がるほどに肌の色が白い。まるで、磁器で出来た美しい西洋人形だ。
 熟練の職人が、極細の筆を用いて描きあげたような切れ長の目。繊細なカーブを描く頬と顎の線、細く整った鼻梁。ただ美しい、というのではない、端正な顔立ちとは、こういう造りの顔のことをいうのだと、初めて知った気がした。志田の父親が経営している理容店の壁に所狭しと貼られた昭和の銀幕スターのモノクロ写真。そんな、往年の美男俳優、美人女優を彷彿とさせる、誰しもが目を奪われる、古典的でいて、完璧な美貌。
 昼間会ったときは、顔をほとんど見なかったので分からなかった。否、見なかった、というより、むしろ、いま思えば、砂生は、志田の視線を避けるように、さり気無い動作で顔を隠していたような気がする。
「こんなとこで、何してんの?」
 軽い口調で問われ、志田は、顔から火が噴き出しそうになった。こっそり見ていたことを気づかれただろうか。
 ちょっと一人で考え事をしていた、と答えた。嘘ではない。
「ふーん」
 訊いておきながら興味もなさそうに、ビールを一口含む。
「ここ、いいだろ」
 初め、砂生が鹿咲島のことを言っているのだと思い、志田は頷いた。だが、そうではなかったらしい。
「俺も、独りでぼーっとしたいとき、ここに来る。こっちの砂浜、夜は滅多に島の連中が来ないんだ。コイツさ、東の入り江に流れ着いたのをなんか気に入って、俺がここまで運んできたんだよね」
 そう言いながら上半身を捻って、二人で並んで凭れる流木を平手で軽く叩く。と、いうことは、だ。
 志田は慌てて腰を浮かせた。
「すみません、ここって指定席だったんですね。知らずに勝手に入り込んじゃって」
 砂生は、一瞬、目を丸くし、それから小さく声をあげて笑った。
「指定席もなにも、別に、どっかに俺の名前とか書いてあるわけじゃあるまいし」
 アンタ、クソ真面目過ぎってよく言われるだろ、と、揶揄うような口調。それは志田も否定出来ない。
 強面だと言われる外見とは裏腹に、子供の頃から人見知りで、接客業だって仕事だと思えばこそ努めて平静にこなしてきたが、本来、よく知らない相手と二人きりになるのは志田にとっては拷問と同じだ。ひとを笑わせる面白いことだって言えないし、冗談も通じにくいと思う。初対面の人間とこんなふうにサシ飲みなど、想像しただけで逃げ出したくなる。
 その筈だったのだが。
「俺も、好きです」
 どうしてそんな台詞がいきなり出て来たのか、志田にも分からなかった。
「なんか、大きな動物の骨みたいに見えませんか。俺は、こいつは、トリケラトプスの頭蓋骨だなって」
 何故か、砂生と二人だと、違った。
「へえー。成程な。俺には、ただの朽ち木にしか見えなかったけどなー。なんとなく寄りかかるのに丁度いいかな、って思っただけで、運んできたのは、ただの気紛れなんだけど。トリケラトプスかあー。んじゃ、この辺りがツノだな」
 立ち上がって拳を顎にあて、鹿爪らしい顔で繁々と眺めたり、身軽な動作でいきなり上に飛び乗り、両手のひらで、枯れた木の表面を撫でたり摩ったり忙しい。
 昼間は、怪し気で胡散臭いただのオッサンだと思った。昼と夜とで、何故、こんなにも印象が違うのか。いま、志田のすぐ近くにいる砂生は、好奇心旺盛な、ヤンチャ坊主だ。
 押し黙っていれば彫像のように整った顔なのに、くるくると変わる表情を惜しげもなく見せる様は、どこか無防備で、それがたまらなく魅力的で、目が離せない。
 一頻り『恐竜の骨』と戯れて満足したのか、砂生は大人しく、もとのように志田の隣に腰を降ろした。
 二本目のビールのプルタブを引き抜くのに手こずっているようなのを見て、代わりに開けてやった。渡すとき、冷たい指先が触れ、慌てて手を引いたのは、志田のほうだった。
「志田っち、どうかした?」
「いや、なんでも」
 見惚れていた、などと、言える筈がない。きっと、自分は、少し酔っているのだ。酒には強いほうだが、今夜は、ビールの前にも、日本酒やチューハイを結構重ねている。
 砂生は、足元の細い小枝を拾い上げると、砂の上に何やら描き始めた。それとなく目を向けると、渦巻きや、アニメの猫型ロボット、ただの手遊びだ。少しもじっとしていないところは、仔犬のようだ、とも思う。
「志田っち。また俺の顔、見てる。あんまし見んなよ、コンプレックスなんだから」
 砂生が口を尖らせ、顔を背ける。志田には意外な言葉だった。
「なんで?そんなイケメンなのに。ひょっとして、やっぱり昼間、顔、隠してた?」
 本当は、イケメン、ではなく、超絶美人、だと言いたかった。でも、流石に男にそんなことを言ったら、気を悪くされるに決まっている。
「そりゃそうだろ。俺、自分のカオ、嫌いだもん」
 今度は、へのへのもへじを描いている。描きあがると、隣に、また同じものを描いた。
「これまで、歳相応に見られたことないし。女みてーだし。あんまし、人前に顔、曝したくないんだよね」
 昔、夜中に繁華街歩いてたら、補導されかけた。俺、そんときオーバーサーティだったっつーのに、と大袈裟に溜め息をつくので、悪いと思いながらも志田は吹きだしてしまった。
「補導って、この島で?」
「あ、そこに喰いつく?」
 砂生は、明るく笑った。
「まさか。この島に繁華街なんてないし。駐在さんだって夜中は寝てるよ。東京に住んでたときのハナシ。もうかれこれ、三、四年前になるかな」
 これまた驚いた。志田は、砂生の年齢を、二十代前半から、いっても半ばくらいだと見ていたのだ。しかし、今の話から計算すると、三十代の半ばということになる。まさか、自分よりも年上とは。
「せめて人並みに貫禄欲しくってさあ、一週間前から、ヒゲ、伸ばそうとガンバってんだけど。見て、コレ。まばらというか、ほとんどカビだろ」
 言いながら、華奢な顎を突き出してみせる。顎と口の周りを覆う薄いそれは、確かに、黴だ。志田も、反射的に自分の顎に触れる。志田の場合はマメにあたらないと、すぐに伸びてしまう。
「むしろ羨ましいけど。俺なんか、剛毛だからさ。一回剃り忘れただけでも、嫁にスゴイ叱られて」
 ついうっかり、別れた妻、依子(よりこ)のことを口に出してしまい、続く台詞を、志田は曖昧に笑って誤魔化した。まだ佐治にすら、離婚のことも退職のことも掻い摘んで話しただけで、理由も経緯も、詳しいことはなにも伝えていない。
 砂生がとくに興味を持つ素振りも突っ込んで訊いてもこないことに、志田はホッとした。同時に何故か、少し拍子抜けのような気もした。
「砂生さんは、体質的に伸びないんだよ。諦めて、全部キレイに剃っちゃったほうがいいんじゃない?」
「やだね。俺は、ジョニデ目指してんだ」
 むくれたように言うのがおかしくて、志田は、また笑った。
 砂生と話をしていると、楽しい。
 名乗ったらいきなり『志田っち』などと勝手な愛称で呼びかけてくる気安さも、少しも不快ではない。志田には逆立ちしたって真似は出来ないが、稀にいるのだ、初対面であっても、相手の警戒心を易々と解いて懐に飛び込める、そういう笑顔と魅力を持つ人間が。
「砂生さん、東京にいたことあるんだ?」
「うん。ちょっとの間だけど」
 志田の問いに、砂生は顔も上げずに答えた。幼稚園児のような熱心さで絵を描き続けている。今度のは、デフォルメされた裸の女の絵だ。Wが胸で、その下の小さなXがヘソ、さらにその下のYが股間。オイオイ、なにを描いてるんだか、と、志田は、苦笑する。
「東京だけじゃなくて、千葉とか神奈川とかに住んだこともあるよ。仕事も色々やったなあ」
 女の体を爪先で蹴って消し、そこに、正の字を二つ並べて書く。
「この島には、半月ばかり前に戻って来たばっか。それも、十年振り」
 線の一本一本が、遠い土地で過ごしてきた一年を表しているのだろうが、特に思い入れもなさそうに、砂生は、それも、爪先で乱暴に消した。
 志田は、海のほうに視線を投げた。
 夜の海は、不思議だ。月明かりに照らされていても、隣に誰かの体温を感じていても、簡単に孤独になれる。
「鹿咲島、いいですよね。空気がキレイで、海に囲まれてて。島のひとたちも皆、あったかいし、気さくで感じよくて」
 点数稼ぎに島を褒めたのではない、志田の本心だ。
「ここに住めたら、きっと幸せだろうなあ」
「そうか?」
 同意も否定もなかった。砂生は、手にしていた筆記具代わりの小枝を、遠くに放り投げた。
「The grass is always greener on the other side of the fence.」
「え?」
 志田は、次に、砂生が言葉の説明をしてくるものと思っていたが、砂生はそれをしなかった。そんなことをせずとも志田に通じていると思っているからだろう。無論、意味は分かる。よく知られる諺だ。
 隣の芝生は青い。言い換えれば、他人のものは、いつだって良く見える。
 確かにそうだ。東京にいれば、田舎の風景に憧れ、きっと田舎に住めば住んだで、都会の喧騒を懐かしく思うのだろう。冬は夏を、夏は冬の訪れを待ち焦がれるように。
 砂生は、志田の個人的事情に言及したわけではない。しかし、志田は、自分の心の裡を見透かされたような気がした。酒のうえとも本心とも捉え難い無造作な佐治の誘い、移住という言葉にぐらついていた気持ちに、言外に、待ったをかけられたような。 
「んー。ちと、違うかも。こんな海と砂ばっかの島に、芝生なんかないもんなあ」 
 砂生が、ぽんと手を叩く。
「他人の肩越しの空は、青く見える、だな」
 この男は、一体、何者なのだろう、と思った。気やすくて人懐こくて、明るくて楽しくて、美しく不可解で、そして、捉えどころがない。
 志田は、まじまじと砂生を見つめた。見つめてもなお、砂生は悪戯っぽく笑むばかりで、本質は欠片も見えて来ない。飲み過ぎた、と思った。もう、帰らなければ。
「志田っち、ビールもう一本貰っていい?」
 その声は、志田の耳に、微かな波の音と重なって聞こえた。
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