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陰陽少女(仮)
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それは今から二ヶ月ほど前、十月頃から始まったという。田倉が和美と別れ、優香と交際を始めたのが、その少し前だった。
優香は、いつも背後に、誰かの、いや、久保田和美の、刺すような視線を感じていた。
初めは、和美の交際相手だった田倉を意図せずとも奪ってしまったという罪悪感が在り、極力気にしないように努めていたが、ついに悪夢の世界で和美の姿を見るようになった。夜毎の夢に登場する和美は、人間の姿ではなく、禍々しい大蛇に似た不気味な姿をしていた。
夢のなかで、和美は何度も優香に告げた。
あんたを殺してやる。必ず、呪い殺してやる。
翌日の下校途中、優香は駅の階段で足を滑らせた。運よく、後ろにいたサラリーマン男性が優香の身体を受け止めてくれ、擦り傷と、左の手首を捻っただけ で、事なきを得た。だが、もしもその屈強な男性が偶然そこに居合わせなければ、急な階段を真っ逆さまに落ち、どのような大怪我を負ったか知れない。
「足を滑らせた、っていうより、まるで、誰かに凄い力で、いきなり両足首を掴まれたような感じだったの」
恐怖を感じたが、優香は自分自身の怯えを否定した。足を滑らせたのは自分が不注意だったせいだし、悪夢だって、久保田和美に負い目を感じ続けているせいだ。
それから数日後、初めて優香は和美に声をかけられた。クラスも教室の階も違うのだから、校内で擦れ違うことさえ滅多にはないというのに、わざわざ、優香の教室に和美が訪ねて来たのだ。
以前に田倉くんに借りていた本なんだけど、かれ、もう私とは顔を合わせたくないだろうから、芝川さんから返しておいてくれない?
優香は、紙袋に入れられた数冊の本を手渡された。断る理由も見つからず、受け取ろうとしたそのとき、故意か偶然か、紙袋が和美の手から滑り落ち、優香の足元に本の表紙が露わになった。
それを目にしたとき、優香は悲鳴をあげそうになった。
『呪殺』
ハードカバーの分厚い本の表紙には、禍々しい赤い文字でそう書いてあったのだ。
和美は、優香を見てにやりと嗤った。
田倉に借りた、というのは、嘘なのだろう。これは、明らかに脅しだ。
その日以来、優香は学校へ行くのが怖くなった。家に居るのも怖かった。両親は海外旅行中、まだ数週間は帰ってこない。田倉に相談したところで、どうせ真剣に取り合ってはくれないだろう。
優香は追い詰められていった。
そんな精神状態のなか、右手を火傷したのは、今朝のことだった。
「私、もう、どうしたらいいのか分からない」
そこまで話し終えたとき、恐怖に耐えきれなくなったのだろう、優香は頽(くずお)れ、細い指で自分の顔を覆った。京子はなにも言えないまま、優香の細い肩を抱き締めた。
優香から連絡を受けた京子は矢も楯も堪らず、優香の元へ戻ったのだ。
「京子ちゃん、占いとか、信じる?」
不意に、優香が問う。京子は言葉を探しながら答えた。
「雑誌の星占いのページくらいは読むけど、特には信じないなあ。占いなんて、所詮は統計学みたいなものだって聞いたことがあるし」
「じゃあ、呪いは?」
京子は、息を呑む。
「それこそ、信じないよ。だって、映画やドラマでは面白いけど、実際には科学的に解明できないものなんてほとんど無いもの。まさか、優香だって信じてなんかいないでしょう?」
優香はふらりと立ち上がると、和美から預かったままだという本を持ち出してきた。今まで、手を触れることも怖くて、紙袋に入れたまま、クローゼットの奥に隠すようにしまい込んでいたという。
「その本、読んだの?」
「まさか」
即座に、優香が首を横に振る。
「気味が悪くて、ページを開くどころか、触ることも出来なかったの。でも、こうなって見ると、どうしても気になって」
京子は、和美に手渡されたという本の一冊を取り上げた。和美の仕業だろうか、栞の挟まった箇所に、その文章は書かれていた。
呪法。相手の姿を象った人形(かたしろ)を造り、左右の手、左右の足、胸部、頭部と順番に瑕をつけてゆく。しかるのち、その人形に息を三度吹きかけ、次には。
そこまで読んで、京子は優香の顔を見つめた。優香の顔面は蒼白で、それと分かるほどに震えている。
「初めは左の手、次に右の手。その次は、左の足?」
優香が、恐怖に満ちた、甲高い悲鳴を上げた。
信じられないことが、京子の目の前で起こった。優香の左の足首が、突然に裂けたのだ。真っ赤な血が噴き出し、透き通るような白さの皮膚が、真紅に染められていく。
何が起きたのか分からないまま、京子は咄嗟に手直にあった布巾で、優香の傷口を押さえた。
頭の中が真っ白になっていた。
なんだっていうの?呪いなんて、信じられない。こんなバカなことが、二十一世紀のにもなったいま、現実にある筈がない。
でも、もしかしたら。
もしかしたら。
優香は、いつも背後に、誰かの、いや、久保田和美の、刺すような視線を感じていた。
初めは、和美の交際相手だった田倉を意図せずとも奪ってしまったという罪悪感が在り、極力気にしないように努めていたが、ついに悪夢の世界で和美の姿を見るようになった。夜毎の夢に登場する和美は、人間の姿ではなく、禍々しい大蛇に似た不気味な姿をしていた。
夢のなかで、和美は何度も優香に告げた。
あんたを殺してやる。必ず、呪い殺してやる。
翌日の下校途中、優香は駅の階段で足を滑らせた。運よく、後ろにいたサラリーマン男性が優香の身体を受け止めてくれ、擦り傷と、左の手首を捻っただけ で、事なきを得た。だが、もしもその屈強な男性が偶然そこに居合わせなければ、急な階段を真っ逆さまに落ち、どのような大怪我を負ったか知れない。
「足を滑らせた、っていうより、まるで、誰かに凄い力で、いきなり両足首を掴まれたような感じだったの」
恐怖を感じたが、優香は自分自身の怯えを否定した。足を滑らせたのは自分が不注意だったせいだし、悪夢だって、久保田和美に負い目を感じ続けているせいだ。
それから数日後、初めて優香は和美に声をかけられた。クラスも教室の階も違うのだから、校内で擦れ違うことさえ滅多にはないというのに、わざわざ、優香の教室に和美が訪ねて来たのだ。
以前に田倉くんに借りていた本なんだけど、かれ、もう私とは顔を合わせたくないだろうから、芝川さんから返しておいてくれない?
優香は、紙袋に入れられた数冊の本を手渡された。断る理由も見つからず、受け取ろうとしたそのとき、故意か偶然か、紙袋が和美の手から滑り落ち、優香の足元に本の表紙が露わになった。
それを目にしたとき、優香は悲鳴をあげそうになった。
『呪殺』
ハードカバーの分厚い本の表紙には、禍々しい赤い文字でそう書いてあったのだ。
和美は、優香を見てにやりと嗤った。
田倉に借りた、というのは、嘘なのだろう。これは、明らかに脅しだ。
その日以来、優香は学校へ行くのが怖くなった。家に居るのも怖かった。両親は海外旅行中、まだ数週間は帰ってこない。田倉に相談したところで、どうせ真剣に取り合ってはくれないだろう。
優香は追い詰められていった。
そんな精神状態のなか、右手を火傷したのは、今朝のことだった。
「私、もう、どうしたらいいのか分からない」
そこまで話し終えたとき、恐怖に耐えきれなくなったのだろう、優香は頽(くずお)れ、細い指で自分の顔を覆った。京子はなにも言えないまま、優香の細い肩を抱き締めた。
優香から連絡を受けた京子は矢も楯も堪らず、優香の元へ戻ったのだ。
「京子ちゃん、占いとか、信じる?」
不意に、優香が問う。京子は言葉を探しながら答えた。
「雑誌の星占いのページくらいは読むけど、特には信じないなあ。占いなんて、所詮は統計学みたいなものだって聞いたことがあるし」
「じゃあ、呪いは?」
京子は、息を呑む。
「それこそ、信じないよ。だって、映画やドラマでは面白いけど、実際には科学的に解明できないものなんてほとんど無いもの。まさか、優香だって信じてなんかいないでしょう?」
優香はふらりと立ち上がると、和美から預かったままだという本を持ち出してきた。今まで、手を触れることも怖くて、紙袋に入れたまま、クローゼットの奥に隠すようにしまい込んでいたという。
「その本、読んだの?」
「まさか」
即座に、優香が首を横に振る。
「気味が悪くて、ページを開くどころか、触ることも出来なかったの。でも、こうなって見ると、どうしても気になって」
京子は、和美に手渡されたという本の一冊を取り上げた。和美の仕業だろうか、栞の挟まった箇所に、その文章は書かれていた。
呪法。相手の姿を象った人形(かたしろ)を造り、左右の手、左右の足、胸部、頭部と順番に瑕をつけてゆく。しかるのち、その人形に息を三度吹きかけ、次には。
そこまで読んで、京子は優香の顔を見つめた。優香の顔面は蒼白で、それと分かるほどに震えている。
「初めは左の手、次に右の手。その次は、左の足?」
優香が、恐怖に満ちた、甲高い悲鳴を上げた。
信じられないことが、京子の目の前で起こった。優香の左の足首が、突然に裂けたのだ。真っ赤な血が噴き出し、透き通るような白さの皮膚が、真紅に染められていく。
何が起きたのか分からないまま、京子は咄嗟に手直にあった布巾で、優香の傷口を押さえた。
頭の中が真っ白になっていた。
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