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陰陽少女(仮)
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十二月だというのに、珍しく春のように暖かな日だった。
麻野京子【あさの・きょうこ】は、セーラー服の上に羽織った冬用のカーディガンを脱ぎ捨てた。本当に、少し体を動かすと汗ばむほどの陽気だったのだ。
こんな天気のいい日に太陽の光に当たらないなんて、勿体ないよ。
そう言って半ば無理矢理にクラスメイトの芝川優香【しばかわ・ゆうか】を屋上に連れ出したものの、特に日当たりのいい場所にフェンスに二人でもたれ、ランチボックスを広げた段階になっても優香の表情が曇ったままなのが、京子はずっと気になっていた。
「ごめんね、麻野さん。私のことを心配してくれて、わざわざお昼に誘ってくれたんでしょう」
ぽつりと優香が言う。京子はあやうく、コンビニで買ったサンドイッチを手から落とすところだった。
「麻野さんって明るいし、クラスでも人気者だし。私なんかと一緒にお弁当を食べても詰まらないのに、気を遣ってくれてありがとう」
一口齧ったサンドイッチを無理矢理呑みくだし、慌てて答える。
「やだ、もう、なに言ってんの。そんなことあるわけないよ。むしろ、お礼を言うのはこっちのほう。実はね、あたし、以前から芝川さんと友達になりたかったの。でも、あたしみたいな一般人が、芝川さんみたいな飛び切りの美人に声かける勇気がなかなか出せなくて、やっと今日、思い切って誘えたんだ」
本当は今日は、中学の頃から仲のいい千夏や翔子と共に、学校の近くに新しく出来たお好み焼き屋に食べに行く約束をしていた。が、隣の席の芝川優香がいつ にも増して憂い顔をしているのを見て、とうとう放っておけなくなったのだ。どういうわけか、京子は、以前から優香のことが気になっていたから。
「芝川さんのこと、優香、って名前で呼んでもいい?あたしのことも、京子って呼び捨てでいいからさ」
ちいさく頷き、はにかんだように優香が微笑む。それを見て京子の心臓は何故かドキリと音をたてた。
「芝川さん、じゃなくって、優香。なにか部活とかやってたっけ?あたしは以前に弓道やってたんだけど、腕の筋痛めちゃって。親にもすごく心配かけちゃって、先月、泣く泣く退部したの。次はなにか文化部にでも入ろうかなあ」
優香は首を横に振る。部活はしていない、ということなのだろう。
「そっかあ。じゃあ、優香、映画とか好き?あたし、オカルトとかホラーとか怖いの結構好きなんだけど。あと、テレビの連ドラとかさ、最近なにか観てるのある?」
少し焦り気味に話の接ぎ穂を探そうとしている自分に、京子はとっくに気づいていた。友達とのお喋りが大好きで、常に流行にもアンテナを張っていて、大概のジャン ルの話題には事欠かないつもりの京子だったが、優香が相手だと少々勝手が違うようだ。会話のキャッチボールがどうも巧くいかない。映画にもドラマにも興味 がないのか、京子がなにを言っても、優香は申し訳なさそうに微笑を浮かべ、首を横に振るだけだ。
どうやら優香は自分から話題を提供してくれるようなタイプではないようだ。とはいえ、黙っているのは気づまりだし、弱ったな、二人きりでランチというの は失敗だったかも、と思いかけたところで、セーラー服の胸当てに隠れて優香の胸に光るものが、京子の視界の隅に入った。
やった、話のネタ、発見。
「そのペンダント、見せて貰ってもいい?」
優香がニッコリと笑い、細い指で持ち上げたアクセサリーを京子の目の前に示す。
細いチェーンの先に、五角の星を象った小さな銀色のヘッドがついている。顔を寄せてまじまじと眺め、京子は少し驚いた。つい最近、雑誌で目にして密かに欲しいと思っていた、某有名ブランドの新作だったのだ。
「うわあ、素敵。あたしもこれ、いいなあ、って思ってたんだ。でも、アルバイトもしていない身じゃあ、とても手が届かないもんね。優香のこれは、もしかして彼氏からのプレゼントとか?」
わざと茶化すように感想を述べる。
やだ、京子ちゃんたら。私、彼氏なんていないわ。そんな反応が返ってくるとばかり思っていた京子は、優香が小さく頷いたのを見て再び驚いた。別に、控えめな優香だから彼氏などいなくて当然、などと考えていたのではない、京子自身が恋愛や男女交際についてこれまで縁がなかったせいだ。クラスメイトや遊び仲間の男子生徒に告白めいたことを言われたことが過去にないわけではなかったが、かれらにそういった意味で興味を持つことは京子には考えられないことだった。
そうだよね。よくよく考えたら、おかしいのはあたしのほうなんだよね。だってもう高校二年生なんだし。
優香ほどの美少女なら、男の子だって放っておく筈がない。
改めて見るまでもなく、優香はクラスのどの女子生徒よりも大人びていているし、とびぬけて綺麗だ。肌は真っ白で、潤んだ目は大きい。セピア色の長い髪がふわりと肩に流れているさまは、まるで一葉の絵から抜け出してきたかのようだ。同年代の少女たちが幾ら流行のメイクで自分を飾り立て自己主張したところで、生まれついての美しさを持った優香のような少女に敵うわけがない。黙ってそこに立っているだけで、女としての劣等感を感じさせられる。千夏や翔子、それにほ かのクラスメイトがそれとなく優香を避けるのも分かるような気がした。
「そうなんだ。ね、訊いてもいい?彼氏って、うちの学校の生徒?歳は同じ?やだ、これじゃなんだかあたし、尋問しているみたいだね。イヤだったら華麗にスルーするか、黙秘権使ってね」
出来るだけ明るい口調で、京子は尋ねた。優香のことをもっと知りたい。それに、優香には自信を持って色々と話して欲しい。美人なだけでなく、成績だって 学年で常にトップクラスの位置にいるのだから。才色兼備の優香が、クラスでもほとんど発言もせず、いつも独りで目立たないように身を縮めているなんて、なんて勿体ないことだろう。
「ああ、羨ましい。いいなあ、彼氏。あたしの小指でも、ちゃんと運命の赤い糸っていうのが、まだ見ぬ誰かさんの指と繋がってたりするのかなあ」
どっかで絡まって切れてたりしてね、イヒヒ、などと、立てた小指を振りながらお道化て笑うと、優香も優しく微笑み返してくれる。
と、不意に優香の表情が曇った。言っては不味いことを口にしてしまったかと冷やりとした京子の表情を読んだのだろう、囁くように優香が言う。
「ごめんなさい。京子ちゃんのせいじゃないの。ただ」
口篭る優香の視線を追って首を巡らせた京子が見たのは、校舎と屋上を繋ぐ半開きの鉄製ドアの向こうから京子たち二人を見ている、ストレートの黒髪を肩の辺りで切り揃えた、背の高い少女の姿だった。
「なに、あれ。いつから居たの?こっち見てるし。カンジ悪いなあ」
きつめの顔立ちになんとなく見覚えがあるような気がする。しばらくしてようやく思い出した。確か、クボなんとか言う名前の剣道部の副主将だ。京子が以前 に所属していた弓道部と部室が近かったせいもあって廊下ですれ違ったことが何度かある。いつも一人で俯き加減に歩く、陰気な女子生徒だと思っていた。会話 を交わしたことはないが、正直なところ、あまりいい印象を持ったことはない。
あたしらに何か用でもあるの?そう咬みついてやろうと腰を浮かしかけたところで、袖口を掴んだ優香に止められた。
「いいの。仕方ないの。久保田さんが悪いんじゃないの」
「え、でも」
京子が振り返ったとき、久保田という名の少女は、既に姿を消していた。
優香は、久保田に何かされているのかもしれない。この頃ずっと元気がないのは、それが理由なのだろうか。
もし、虐めや嫌がらせの類だったら、久保田にガツンと一発かませて、止めさせてやる。でも、面と向かって優香に「あの娘から虐めを受けているの?」などと訊けるわけがない。
京子がもじもじしていると、初めて優香のほうから話を向けて来た。
「田倉くん。って、いま私がお付き合いしているひとなんだけど、その田倉くんと久保田さん、以前に交際していたの。勿論、私と付き合う前に久保田さんとは ちゃんと別れたって田倉くんは言ってくれてるけど、久保田さんはまだ田倉くんのことを想っているのかもしれない。久保田さんにしてみたら、私は彼氏を奪っ た略奪女なんだと思う。だから久保田さんに憎まれるのは、仕方のないことなの」
京子は絶句した。およそテレビドラマか漫画のなかでしかお目に掛かったことのないような古典的な三角関係がごく身近にあったなんて、今年いちばんの驚きだ。赤い糸が絡まっているのは、京子ではなく、どうやら優香のほうらしい。
「ときどきああやって睨まれるだけで、特になにをされるっていうのでもないし。田倉くんも、気にするなって言ってくれてる。でも、久保田さんの気持ちを考えると、申し訳なくて、ときどき、すごく辛くなるの」
そうやって、プライベートなことを打ち明けてくれたのは嬉しい。優香との遠かった距離が、一気に縮まったような気がする。それでも、京子は不満だった。もっと言えば、腹がたった。優しすぎる優香にたいしてだけではない、田倉とかいう優香のボーイフレンドに、だ。前カノが今カノに陰湿な嫌がらせをしているというのに、それを気にするなと気休めを言うだけなのか。自分の手で優香を守ってやろうという気持ちに、どうしてならないのだろう。
あたしだったら、なんとしてでも、優香を守る。こんなに綺麗で繊細で、心の優しい娘を、前カノの卑屈な嫉妬心なんかに傷つけさせて黙っていられるもんか。
京子が口を開く前に、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
「話を聞いてくれて有難う、京子ちゃん。お陰で少し気が楽になった」
次、英語だったわよね。ラボの授業だから、急ぎましょう。
そう言って立ち上がり、笑いかけてくれる優香が、やはりどこか無理をしているように見えて仕方ない。誰かに憎まれ、悪意を向けられているのがはっきりと分かっているのに、それをまったく気にせず日々を過ごせる人間なんている筈がない。
「あらあ、もう行っちゃうの?三角関係の恋バナ、面白かったのに」
突然、背後からそんなふうに声を掛けられたのは、京子たちが屋上から本校舎への階段に出ようとしたときだった。
「え?」
京子と優香が座っていた場所の向かい側、給水塔の影から姿を現したのは、見知らぬ女子生徒だった。
「誰よ、あなた」
思わず、誰何(すいか)する声が尖ってしまう。目の前の少女は、同じセーラー服を身につけていても、スカートの形もリボンの色も違う。他校の学生だろうか。それほどの長身というのではないが、すらりとした体。ストレートの長い黒髪が、少女の動きに少し遅れて、背中で踊っている。整った鼻筋、長い睫毛に縁 取られた目と、瞳に宿る強い光。優香とはまた違うタイプの、溌剌とした美貌。
認めるのは癪だが、京子は一瞬、目の前の少女に見惚れた。そして同時に、反感を抱いた。
なに、なんなのよ、このひと。一体、いつからここに居たのよ。もしかして、あたしたちの会話を全部立ち聞きしていたってこと?
「イヤだ、そんなに怒った顔しないで。別に盗み聞きとかしていたんじゃないのよ。そんな趣味は無いし、第一、私の方が先にここに来ていたんだから」
そう言われてしまえば返す言葉はないが、なんで自分の言いたいことが一から十まで、この少女に分かってしまったのだろう。
「あなた、思っていることがすっごく顔に出やすい性格みたい。そんな読みやすい顔、見たことない」
少女が笑う。思わず京子は反射的に自分の顔面を両手で覆った。
なんてふざけた、失礼な娘なの?そう思ったが、心からの怒りを感じたわけではなかった。目の前の少女が、あまりにも無邪気で自然体なので、毒気を抜かれてしまった感じだった。
「見かけない制服だけど、あなた、もしかしたら転校生?もう授業が始まるし、もし教室が分からないんだったら、連れて行ってあげる」
それまで京子の後ろに身を隠すようにしていた優香が、見知らぬ少女に声を掛けた。知らない他人への警戒心より、困っている者への親切心が勝ったのだろう。そんな優香を、京子は好ましく思う。
ところが、少女の反応は違った。
「結構よ。私はこの学校の学生じゃないわ。面白いものが見られる予感がしたから、今日はこの学校をただ見学に来ただけ」
少女の目が、優香を無遠慮に眺め回す。優香は怯えたように、再び京子の背後に隠れてしまった。さすがにそれには京子も不快感を覚えた。
「ちょっと、なんなの。ひとが親切に言ってあげてるってのに。それにうちの学校の生徒じゃないなら、不法侵入じゃない。とっとと消えてよ。さもないと先生を呼んでくるわよ」
見知らぬ少女は、京子の脅しに似た警告にも動じる風は無い。強い光を宿した瞳は、変わらず優香一人を見つめている。
「そっちのあなた、ユウカさん、といったわね」
突然呼びかけられて戸惑ったのだろう、京子の後ろで、優香が身を竦ませるのが分かった。
「素敵なペンダントね、よく似合ってる」
なんなの、一体。優香に言い掛かりつけるつもり?
見かねた京子が、一歩踏み出そうとしたとき、少女が片頬に謎めいた微笑を浮かべ、妙なことを呟いた。
「似合っているけど、よくないわ。あなたにとってそのペンダントは逆運を招く。出来るだけ早く手放した方がいい」
京子と優香は顔を見合わせた。一体、何を言っているのだろう。
「えっと、あなたはキョウコさん、だっけ。あなたが心から大切だって思えるひととは、じきに出会えるわ。だから、あまり焦らないでね」
自分に向けられた、からかうような台詞に、我に返る。
「さっきから何言ってるのよ?さっぱりワケが分からない。大体、ひとの個人的な話を勝手に聞いて、こっちの名前まで知って、自分は名乗らないつもり?どんだけ、礼儀知らずなのよ」
まくしたてたとほぼ同時に、本鈴が鳴った。
「京子ちゃん、行かなきゃ。遅刻になっちゃうわ」
優香が、泣きそうな顔で促す。
「あ、本当だ。ヤバい」
正体不明、意味不明の不法侵入少女の相手などしている暇はない。小走りにドアを抜け階段を駆け下りる優香の後を追いかけようとした京子を、少女が止めた。
「ハルサキ・ルサキ」
「はあ?」
「春崎流咲。私の名前。またどこかで会うこともあると思うわ、京子さん」
流咲と名乗った少女は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。やっぱり、綺麗な娘はどんな表情をしても綺麗だ、などと不覚にも思ってしまう。
「ルサキだかイサキだか知らないけど、いまはそれどころじゃないの。授業に遅刻しちゃったら、あなたのせいだからね」
なんとか捻りだした意地悪な言葉を投げて、流咲を睨み付ける。京子はそこで言葉を止めた。流咲が素っ気なく京子の横を素通りして、扉の方へ向かったからだ。
「あ、え?待ちなさいよ、まだ話は終わって」
京子は慌てて流咲を追った。
屋上から本校舎へと繋がる扉は鉄製で、四角く切り取られたような上部に二重の硝子が嵌めこまれている。踊り場からは折り返し状になった階段が続き、手摺からほんの少し身を乗り出すだけで、数階下までが見渡せる。
その筈なのに。
京子は息を呑んだ。
春崎流咲の姿が、京子の視界のなかのどこにも無かったのだ。
麻野京子【あさの・きょうこ】は、セーラー服の上に羽織った冬用のカーディガンを脱ぎ捨てた。本当に、少し体を動かすと汗ばむほどの陽気だったのだ。
こんな天気のいい日に太陽の光に当たらないなんて、勿体ないよ。
そう言って半ば無理矢理にクラスメイトの芝川優香【しばかわ・ゆうか】を屋上に連れ出したものの、特に日当たりのいい場所にフェンスに二人でもたれ、ランチボックスを広げた段階になっても優香の表情が曇ったままなのが、京子はずっと気になっていた。
「ごめんね、麻野さん。私のことを心配してくれて、わざわざお昼に誘ってくれたんでしょう」
ぽつりと優香が言う。京子はあやうく、コンビニで買ったサンドイッチを手から落とすところだった。
「麻野さんって明るいし、クラスでも人気者だし。私なんかと一緒にお弁当を食べても詰まらないのに、気を遣ってくれてありがとう」
一口齧ったサンドイッチを無理矢理呑みくだし、慌てて答える。
「やだ、もう、なに言ってんの。そんなことあるわけないよ。むしろ、お礼を言うのはこっちのほう。実はね、あたし、以前から芝川さんと友達になりたかったの。でも、あたしみたいな一般人が、芝川さんみたいな飛び切りの美人に声かける勇気がなかなか出せなくて、やっと今日、思い切って誘えたんだ」
本当は今日は、中学の頃から仲のいい千夏や翔子と共に、学校の近くに新しく出来たお好み焼き屋に食べに行く約束をしていた。が、隣の席の芝川優香がいつ にも増して憂い顔をしているのを見て、とうとう放っておけなくなったのだ。どういうわけか、京子は、以前から優香のことが気になっていたから。
「芝川さんのこと、優香、って名前で呼んでもいい?あたしのことも、京子って呼び捨てでいいからさ」
ちいさく頷き、はにかんだように優香が微笑む。それを見て京子の心臓は何故かドキリと音をたてた。
「芝川さん、じゃなくって、優香。なにか部活とかやってたっけ?あたしは以前に弓道やってたんだけど、腕の筋痛めちゃって。親にもすごく心配かけちゃって、先月、泣く泣く退部したの。次はなにか文化部にでも入ろうかなあ」
優香は首を横に振る。部活はしていない、ということなのだろう。
「そっかあ。じゃあ、優香、映画とか好き?あたし、オカルトとかホラーとか怖いの結構好きなんだけど。あと、テレビの連ドラとかさ、最近なにか観てるのある?」
少し焦り気味に話の接ぎ穂を探そうとしている自分に、京子はとっくに気づいていた。友達とのお喋りが大好きで、常に流行にもアンテナを張っていて、大概のジャン ルの話題には事欠かないつもりの京子だったが、優香が相手だと少々勝手が違うようだ。会話のキャッチボールがどうも巧くいかない。映画にもドラマにも興味 がないのか、京子がなにを言っても、優香は申し訳なさそうに微笑を浮かべ、首を横に振るだけだ。
どうやら優香は自分から話題を提供してくれるようなタイプではないようだ。とはいえ、黙っているのは気づまりだし、弱ったな、二人きりでランチというの は失敗だったかも、と思いかけたところで、セーラー服の胸当てに隠れて優香の胸に光るものが、京子の視界の隅に入った。
やった、話のネタ、発見。
「そのペンダント、見せて貰ってもいい?」
優香がニッコリと笑い、細い指で持ち上げたアクセサリーを京子の目の前に示す。
細いチェーンの先に、五角の星を象った小さな銀色のヘッドがついている。顔を寄せてまじまじと眺め、京子は少し驚いた。つい最近、雑誌で目にして密かに欲しいと思っていた、某有名ブランドの新作だったのだ。
「うわあ、素敵。あたしもこれ、いいなあ、って思ってたんだ。でも、アルバイトもしていない身じゃあ、とても手が届かないもんね。優香のこれは、もしかして彼氏からのプレゼントとか?」
わざと茶化すように感想を述べる。
やだ、京子ちゃんたら。私、彼氏なんていないわ。そんな反応が返ってくるとばかり思っていた京子は、優香が小さく頷いたのを見て再び驚いた。別に、控えめな優香だから彼氏などいなくて当然、などと考えていたのではない、京子自身が恋愛や男女交際についてこれまで縁がなかったせいだ。クラスメイトや遊び仲間の男子生徒に告白めいたことを言われたことが過去にないわけではなかったが、かれらにそういった意味で興味を持つことは京子には考えられないことだった。
そうだよね。よくよく考えたら、おかしいのはあたしのほうなんだよね。だってもう高校二年生なんだし。
優香ほどの美少女なら、男の子だって放っておく筈がない。
改めて見るまでもなく、優香はクラスのどの女子生徒よりも大人びていているし、とびぬけて綺麗だ。肌は真っ白で、潤んだ目は大きい。セピア色の長い髪がふわりと肩に流れているさまは、まるで一葉の絵から抜け出してきたかのようだ。同年代の少女たちが幾ら流行のメイクで自分を飾り立て自己主張したところで、生まれついての美しさを持った優香のような少女に敵うわけがない。黙ってそこに立っているだけで、女としての劣等感を感じさせられる。千夏や翔子、それにほ かのクラスメイトがそれとなく優香を避けるのも分かるような気がした。
「そうなんだ。ね、訊いてもいい?彼氏って、うちの学校の生徒?歳は同じ?やだ、これじゃなんだかあたし、尋問しているみたいだね。イヤだったら華麗にスルーするか、黙秘権使ってね」
出来るだけ明るい口調で、京子は尋ねた。優香のことをもっと知りたい。それに、優香には自信を持って色々と話して欲しい。美人なだけでなく、成績だって 学年で常にトップクラスの位置にいるのだから。才色兼備の優香が、クラスでもほとんど発言もせず、いつも独りで目立たないように身を縮めているなんて、なんて勿体ないことだろう。
「ああ、羨ましい。いいなあ、彼氏。あたしの小指でも、ちゃんと運命の赤い糸っていうのが、まだ見ぬ誰かさんの指と繋がってたりするのかなあ」
どっかで絡まって切れてたりしてね、イヒヒ、などと、立てた小指を振りながらお道化て笑うと、優香も優しく微笑み返してくれる。
と、不意に優香の表情が曇った。言っては不味いことを口にしてしまったかと冷やりとした京子の表情を読んだのだろう、囁くように優香が言う。
「ごめんなさい。京子ちゃんのせいじゃないの。ただ」
口篭る優香の視線を追って首を巡らせた京子が見たのは、校舎と屋上を繋ぐ半開きの鉄製ドアの向こうから京子たち二人を見ている、ストレートの黒髪を肩の辺りで切り揃えた、背の高い少女の姿だった。
「なに、あれ。いつから居たの?こっち見てるし。カンジ悪いなあ」
きつめの顔立ちになんとなく見覚えがあるような気がする。しばらくしてようやく思い出した。確か、クボなんとか言う名前の剣道部の副主将だ。京子が以前 に所属していた弓道部と部室が近かったせいもあって廊下ですれ違ったことが何度かある。いつも一人で俯き加減に歩く、陰気な女子生徒だと思っていた。会話 を交わしたことはないが、正直なところ、あまりいい印象を持ったことはない。
あたしらに何か用でもあるの?そう咬みついてやろうと腰を浮かしかけたところで、袖口を掴んだ優香に止められた。
「いいの。仕方ないの。久保田さんが悪いんじゃないの」
「え、でも」
京子が振り返ったとき、久保田という名の少女は、既に姿を消していた。
優香は、久保田に何かされているのかもしれない。この頃ずっと元気がないのは、それが理由なのだろうか。
もし、虐めや嫌がらせの類だったら、久保田にガツンと一発かませて、止めさせてやる。でも、面と向かって優香に「あの娘から虐めを受けているの?」などと訊けるわけがない。
京子がもじもじしていると、初めて優香のほうから話を向けて来た。
「田倉くん。って、いま私がお付き合いしているひとなんだけど、その田倉くんと久保田さん、以前に交際していたの。勿論、私と付き合う前に久保田さんとは ちゃんと別れたって田倉くんは言ってくれてるけど、久保田さんはまだ田倉くんのことを想っているのかもしれない。久保田さんにしてみたら、私は彼氏を奪っ た略奪女なんだと思う。だから久保田さんに憎まれるのは、仕方のないことなの」
京子は絶句した。およそテレビドラマか漫画のなかでしかお目に掛かったことのないような古典的な三角関係がごく身近にあったなんて、今年いちばんの驚きだ。赤い糸が絡まっているのは、京子ではなく、どうやら優香のほうらしい。
「ときどきああやって睨まれるだけで、特になにをされるっていうのでもないし。田倉くんも、気にするなって言ってくれてる。でも、久保田さんの気持ちを考えると、申し訳なくて、ときどき、すごく辛くなるの」
そうやって、プライベートなことを打ち明けてくれたのは嬉しい。優香との遠かった距離が、一気に縮まったような気がする。それでも、京子は不満だった。もっと言えば、腹がたった。優しすぎる優香にたいしてだけではない、田倉とかいう優香のボーイフレンドに、だ。前カノが今カノに陰湿な嫌がらせをしているというのに、それを気にするなと気休めを言うだけなのか。自分の手で優香を守ってやろうという気持ちに、どうしてならないのだろう。
あたしだったら、なんとしてでも、優香を守る。こんなに綺麗で繊細で、心の優しい娘を、前カノの卑屈な嫉妬心なんかに傷つけさせて黙っていられるもんか。
京子が口を開く前に、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
「話を聞いてくれて有難う、京子ちゃん。お陰で少し気が楽になった」
次、英語だったわよね。ラボの授業だから、急ぎましょう。
そう言って立ち上がり、笑いかけてくれる優香が、やはりどこか無理をしているように見えて仕方ない。誰かに憎まれ、悪意を向けられているのがはっきりと分かっているのに、それをまったく気にせず日々を過ごせる人間なんている筈がない。
「あらあ、もう行っちゃうの?三角関係の恋バナ、面白かったのに」
突然、背後からそんなふうに声を掛けられたのは、京子たちが屋上から本校舎への階段に出ようとしたときだった。
「え?」
京子と優香が座っていた場所の向かい側、給水塔の影から姿を現したのは、見知らぬ女子生徒だった。
「誰よ、あなた」
思わず、誰何(すいか)する声が尖ってしまう。目の前の少女は、同じセーラー服を身につけていても、スカートの形もリボンの色も違う。他校の学生だろうか。それほどの長身というのではないが、すらりとした体。ストレートの長い黒髪が、少女の動きに少し遅れて、背中で踊っている。整った鼻筋、長い睫毛に縁 取られた目と、瞳に宿る強い光。優香とはまた違うタイプの、溌剌とした美貌。
認めるのは癪だが、京子は一瞬、目の前の少女に見惚れた。そして同時に、反感を抱いた。
なに、なんなのよ、このひと。一体、いつからここに居たのよ。もしかして、あたしたちの会話を全部立ち聞きしていたってこと?
「イヤだ、そんなに怒った顔しないで。別に盗み聞きとかしていたんじゃないのよ。そんな趣味は無いし、第一、私の方が先にここに来ていたんだから」
そう言われてしまえば返す言葉はないが、なんで自分の言いたいことが一から十まで、この少女に分かってしまったのだろう。
「あなた、思っていることがすっごく顔に出やすい性格みたい。そんな読みやすい顔、見たことない」
少女が笑う。思わず京子は反射的に自分の顔面を両手で覆った。
なんてふざけた、失礼な娘なの?そう思ったが、心からの怒りを感じたわけではなかった。目の前の少女が、あまりにも無邪気で自然体なので、毒気を抜かれてしまった感じだった。
「見かけない制服だけど、あなた、もしかしたら転校生?もう授業が始まるし、もし教室が分からないんだったら、連れて行ってあげる」
それまで京子の後ろに身を隠すようにしていた優香が、見知らぬ少女に声を掛けた。知らない他人への警戒心より、困っている者への親切心が勝ったのだろう。そんな優香を、京子は好ましく思う。
ところが、少女の反応は違った。
「結構よ。私はこの学校の学生じゃないわ。面白いものが見られる予感がしたから、今日はこの学校をただ見学に来ただけ」
少女の目が、優香を無遠慮に眺め回す。優香は怯えたように、再び京子の背後に隠れてしまった。さすがにそれには京子も不快感を覚えた。
「ちょっと、なんなの。ひとが親切に言ってあげてるってのに。それにうちの学校の生徒じゃないなら、不法侵入じゃない。とっとと消えてよ。さもないと先生を呼んでくるわよ」
見知らぬ少女は、京子の脅しに似た警告にも動じる風は無い。強い光を宿した瞳は、変わらず優香一人を見つめている。
「そっちのあなた、ユウカさん、といったわね」
突然呼びかけられて戸惑ったのだろう、京子の後ろで、優香が身を竦ませるのが分かった。
「素敵なペンダントね、よく似合ってる」
なんなの、一体。優香に言い掛かりつけるつもり?
見かねた京子が、一歩踏み出そうとしたとき、少女が片頬に謎めいた微笑を浮かべ、妙なことを呟いた。
「似合っているけど、よくないわ。あなたにとってそのペンダントは逆運を招く。出来るだけ早く手放した方がいい」
京子と優香は顔を見合わせた。一体、何を言っているのだろう。
「えっと、あなたはキョウコさん、だっけ。あなたが心から大切だって思えるひととは、じきに出会えるわ。だから、あまり焦らないでね」
自分に向けられた、からかうような台詞に、我に返る。
「さっきから何言ってるのよ?さっぱりワケが分からない。大体、ひとの個人的な話を勝手に聞いて、こっちの名前まで知って、自分は名乗らないつもり?どんだけ、礼儀知らずなのよ」
まくしたてたとほぼ同時に、本鈴が鳴った。
「京子ちゃん、行かなきゃ。遅刻になっちゃうわ」
優香が、泣きそうな顔で促す。
「あ、本当だ。ヤバい」
正体不明、意味不明の不法侵入少女の相手などしている暇はない。小走りにドアを抜け階段を駆け下りる優香の後を追いかけようとした京子を、少女が止めた。
「ハルサキ・ルサキ」
「はあ?」
「春崎流咲。私の名前。またどこかで会うこともあると思うわ、京子さん」
流咲と名乗った少女は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。やっぱり、綺麗な娘はどんな表情をしても綺麗だ、などと不覚にも思ってしまう。
「ルサキだかイサキだか知らないけど、いまはそれどころじゃないの。授業に遅刻しちゃったら、あなたのせいだからね」
なんとか捻りだした意地悪な言葉を投げて、流咲を睨み付ける。京子はそこで言葉を止めた。流咲が素っ気なく京子の横を素通りして、扉の方へ向かったからだ。
「あ、え?待ちなさいよ、まだ話は終わって」
京子は慌てて流咲を追った。
屋上から本校舎へと繋がる扉は鉄製で、四角く切り取られたような上部に二重の硝子が嵌めこまれている。踊り場からは折り返し状になった階段が続き、手摺からほんの少し身を乗り出すだけで、数階下までが見渡せる。
その筈なのに。
京子は息を呑んだ。
春崎流咲の姿が、京子の視界のなかのどこにも無かったのだ。
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先輩たちに無視されつつも、休むことなく頑張る聡志は、海岸への階段にある「ルナール古書店」の店主や、バイト先である「海の家」の店長らとかかわっていくうちに、自分が何ものだったのかを知ることになるのだった。
表紙は写真ACより引用しています
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春から一緒に暮らすことになったいとこたちは露出癖があるせいで僕に色々と見せてくる
釧路太郎
キャラ文芸
僕には露出狂のいとこが三人いる。
他の人にはわからないように僕だけに下着をチラ見せしてくるのだが、他の人はその秘密を誰も知らない。
そんな三人のいとこたちとの共同生活が始まるのだが、僕は何事もなく生活していくことが出来るのか。
三姉妹の長女前田沙緒莉は大学一年生。次女の前田陽香は高校一年生。三女の前田真弓は中学一年生。
新生活に向けたスタートは始まったばかりなのだ。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」にも投稿しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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高校生なのに娘ができちゃった!?
まったりさん
キャラ文芸
不思議な桜が咲く島に住む主人公のもとに、主人公の娘と名乗る妙な女が現われた。その女のせいで主人公の生活はめちゃくちゃ、最初は最悪だったが、段々と主人公の気持ちが変わっていって…!?
そうして、紅葉が桜に変わる頃、物語の幕は閉じる。
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