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Perfume3.悲痛な決断と伯剌西爾での三日間。
47. したたかな人。
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警察官の話通り、正面に座るペドロは心ここにあらずという調子であった。しかしそれは本当に放心しているわけではなく、これ以上のヒカルとの関わりを断つためである。
ペドロとの間に仕切りもなく、ただ机を挟んで向かい合うヒカルを護衛するかのように警察官が傍で目を光らせている。
ヒカルはミカゲからの手紙を見せながらそこに書かれていることを話した。
嗅覚を失った歴史について調べていることは警察官の前では大っぴらに話すことができない。
「友人の歴史学者が歴史と医療の関係について調べたいと言っているんです。けれどニッポンにある本では限界があって……これは伯剌西爾の本も参照したいという手紙です」
依然ペドロの瞳は空《くう》を捉えている。
ヒカルは腕を思い切り上にあげて肩をぐるぐると回した。そして時折左頬のガーゼを撫でる。
「友人のためにも持って帰ってあげたいけど、もうけっこう重い荷物持ってるからこれ以上増やすと郵送になっちゃうな。でも送料って高いんだよなあ。はあ、何だか左頬が痛いなあ」
わざとらしく言ってペドロのほうを見ると、彼はヒカルのほうを見ていた。目が合った、とは言っても彼の瞳は冷たい。
「……金を払え、と?」
たった一言、彼とは思えぬほど低い声での一言であったが、彼が口を開いてくれたことがヒカルは嬉しかった。
手をひらひらと振って、
「とんでもない! トランクにしっかり詰めれば八冊は入ります。持ってきていただくのでもちろん宿も着替えも食事も出しますよ」
と明るく言った。目を見開いて、よく通る声で堂々と。
笑顔でペドロを見つめる彼の思考があまりに読み取れず、ペドロも彼をじっと見つめた。
立ち会っている警察官も唖然とした様子である。
「僕はあなたの嗅覚を奪おうとしたんだぞ。嗅覚を奪われたらセラピスト人生の終わり、ある種の死をあなたに与えようと僕は……同情だったらやめてくれ、僕がさらに惨めになる。嗅覚も奪えなかった挙句、同情で未来を決められるなんてまっぴらだ……」
こちらが口を挟む隙もないくらい早口だった。次第に酸欠になっていく様子で、言葉の最後は喉から絞り出したような声。
ペドロの震える手を上からそっと包んだ。その褐色の拳が途端に強張るのが手のひらを通じて分かる。
ヒカルが“犯罪者”に触れたことで無駄な刺激を与えたのではないかと警察官が身構えた。しかし制止される前にヒカルは、先ほどまでの軽薄さに、それと対照的な真剣さを織り交ぜて話し始めた。
「あなたにはこれからも出来ることがきっとある。上手く言えませんが、自分と同じく特殊能力を持たないあなたとの関係を断ちたくないと思うのは筋が通っていないでしょうか?」
「そんなのおかしい……」
「あ、ひとつ勘違いされているかもしれません。私はあなたを救うのではありません、利用するのです」
一本真っ直ぐに立てた人差し指を二人の間で行ったり来たりさせた。
これは与える行為ではなく、奪う行為なのだと伝えるために。
「あなたは私の嗅覚を。私はあなたの時間を。言うなれば奪い合いです」
頬杖をついて上目遣いにペドロを見るその大きな瞳は、無邪気そうに見えて意外と澱んでいて、ペドロは恐怖を抱いた。
「はは、したたかな人だ」
彼は決して笑っていない。けれども彼の青い瞳には以前の輝きが戻っている。
「では、ニッポンで待っています」
警察官に千切ってもらった紙にニッポン語でクリニックの住所を書いて渡す。
またすぐに会えることを信じて、振り返ることもなく部屋を後にした。
これ以上警察官もヒカルに尋ねることはなく、迎えとしてヴィトールが呼ばれていた。
ナイフで切り掛かった青年をガラス越しにちらと見ると、彼はうなだれていてその表情を見ることは出来なかった。
彼の心に抱かれているのは後悔か、怒りか、憎しみか。後悔であることを祈るしか出来ない。
無言のまま連れ立って署を出たとき、ミカゲのハヤブサを帰していなかったことに気が付いた。平均時速百キロメートル以上と言えども、ここ伯剌西爾までかかった時間は莫大だろう。
壁を利用してミカゲの手紙の裏に、
『今度こちらの人に本を持って来てもらうことにしたよ。それと長旅を終えたハヤブサのはーちゃんにたくさんご褒美をあげてやってくれ』
と殴り書きをしてハヤブサに持たせた。
帰るよう指示を出すといつものようにふわりと舞って、その大きな翼で前へと進む。そしてあっという間にハヤブサの姿は建物に阻まれて見えなくなる。
どちらかともなく歩き始め、遠くからでも見える大きな病院に進む。
ふと立ち止まったヴィトールはヒカルのほうに身体を向けて、
「二度も危険な目に遭わせてしまって、本当に申し訳ない」
と謝った。この国は頭を下げる文化がなく、彼はじっとヒカルを見つめている。
ペドロにやったのと同じように手をひらひらと振って、
「いいえ、その代わりペドロさんに重い本を持ってニッポンに来てもらうことになりました」
と言い、先ほど交わした会話を簡易的に説明する。
目を丸くしていたヴィトールは、聞き終わった途端豪快に笑い始めた。
「ミスターヒロセはしたたかな男だ!」
伯剌西爾の街中にその大声が響いた気がした。
ペドロとの間に仕切りもなく、ただ机を挟んで向かい合うヒカルを護衛するかのように警察官が傍で目を光らせている。
ヒカルはミカゲからの手紙を見せながらそこに書かれていることを話した。
嗅覚を失った歴史について調べていることは警察官の前では大っぴらに話すことができない。
「友人の歴史学者が歴史と医療の関係について調べたいと言っているんです。けれどニッポンにある本では限界があって……これは伯剌西爾の本も参照したいという手紙です」
依然ペドロの瞳は空《くう》を捉えている。
ヒカルは腕を思い切り上にあげて肩をぐるぐると回した。そして時折左頬のガーゼを撫でる。
「友人のためにも持って帰ってあげたいけど、もうけっこう重い荷物持ってるからこれ以上増やすと郵送になっちゃうな。でも送料って高いんだよなあ。はあ、何だか左頬が痛いなあ」
わざとらしく言ってペドロのほうを見ると、彼はヒカルのほうを見ていた。目が合った、とは言っても彼の瞳は冷たい。
「……金を払え、と?」
たった一言、彼とは思えぬほど低い声での一言であったが、彼が口を開いてくれたことがヒカルは嬉しかった。
手をひらひらと振って、
「とんでもない! トランクにしっかり詰めれば八冊は入ります。持ってきていただくのでもちろん宿も着替えも食事も出しますよ」
と明るく言った。目を見開いて、よく通る声で堂々と。
笑顔でペドロを見つめる彼の思考があまりに読み取れず、ペドロも彼をじっと見つめた。
立ち会っている警察官も唖然とした様子である。
「僕はあなたの嗅覚を奪おうとしたんだぞ。嗅覚を奪われたらセラピスト人生の終わり、ある種の死をあなたに与えようと僕は……同情だったらやめてくれ、僕がさらに惨めになる。嗅覚も奪えなかった挙句、同情で未来を決められるなんてまっぴらだ……」
こちらが口を挟む隙もないくらい早口だった。次第に酸欠になっていく様子で、言葉の最後は喉から絞り出したような声。
ペドロの震える手を上からそっと包んだ。その褐色の拳が途端に強張るのが手のひらを通じて分かる。
ヒカルが“犯罪者”に触れたことで無駄な刺激を与えたのではないかと警察官が身構えた。しかし制止される前にヒカルは、先ほどまでの軽薄さに、それと対照的な真剣さを織り交ぜて話し始めた。
「あなたにはこれからも出来ることがきっとある。上手く言えませんが、自分と同じく特殊能力を持たないあなたとの関係を断ちたくないと思うのは筋が通っていないでしょうか?」
「そんなのおかしい……」
「あ、ひとつ勘違いされているかもしれません。私はあなたを救うのではありません、利用するのです」
一本真っ直ぐに立てた人差し指を二人の間で行ったり来たりさせた。
これは与える行為ではなく、奪う行為なのだと伝えるために。
「あなたは私の嗅覚を。私はあなたの時間を。言うなれば奪い合いです」
頬杖をついて上目遣いにペドロを見るその大きな瞳は、無邪気そうに見えて意外と澱んでいて、ペドロは恐怖を抱いた。
「はは、したたかな人だ」
彼は決して笑っていない。けれども彼の青い瞳には以前の輝きが戻っている。
「では、ニッポンで待っています」
警察官に千切ってもらった紙にニッポン語でクリニックの住所を書いて渡す。
またすぐに会えることを信じて、振り返ることもなく部屋を後にした。
これ以上警察官もヒカルに尋ねることはなく、迎えとしてヴィトールが呼ばれていた。
ナイフで切り掛かった青年をガラス越しにちらと見ると、彼はうなだれていてその表情を見ることは出来なかった。
彼の心に抱かれているのは後悔か、怒りか、憎しみか。後悔であることを祈るしか出来ない。
無言のまま連れ立って署を出たとき、ミカゲのハヤブサを帰していなかったことに気が付いた。平均時速百キロメートル以上と言えども、ここ伯剌西爾までかかった時間は莫大だろう。
壁を利用してミカゲの手紙の裏に、
『今度こちらの人に本を持って来てもらうことにしたよ。それと長旅を終えたハヤブサのはーちゃんにたくさんご褒美をあげてやってくれ』
と殴り書きをしてハヤブサに持たせた。
帰るよう指示を出すといつものようにふわりと舞って、その大きな翼で前へと進む。そしてあっという間にハヤブサの姿は建物に阻まれて見えなくなる。
どちらかともなく歩き始め、遠くからでも見える大きな病院に進む。
ふと立ち止まったヴィトールはヒカルのほうに身体を向けて、
「二度も危険な目に遭わせてしまって、本当に申し訳ない」
と謝った。この国は頭を下げる文化がなく、彼はじっとヒカルを見つめている。
ペドロにやったのと同じように手をひらひらと振って、
「いいえ、その代わりペドロさんに重い本を持ってニッポンに来てもらうことになりました」
と言い、先ほど交わした会話を簡易的に説明する。
目を丸くしていたヴィトールは、聞き終わった途端豪快に笑い始めた。
「ミスターヒロセはしたたかな男だ!」
伯剌西爾の街中にその大声が響いた気がした。
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