42 / 62
Perfume3.悲痛な決断と伯剌西爾での三日間。
41. 大晦日と初詣。
しおりを挟む
ゴーン……
「明けましておめでとうございます!」
何のモチーフなのかわからない和柄の座布団の上で、ヒカル、マコト、アヤノ、イノウエ、イオリがそれぞれ床に手を付いてお辞儀をする。
未だ鐘の余韻は鼓膜を揺らしていたが、彼らはすぐに割り箸を割って蕎麦に食いついた。一口食べただけで出汁のふくよかな香りと風味が彼らを包み込む。
ここはイノウエの家。至って普通の家だが、床の間にある掛け軸と花瓶は彼女こだわりの逸品らしくヒカルたちは恐ろしくて触れることができない。
イノウエがヒカルに怪訝な顔を向ける。
「それにしても何よその被り物。1週間間違えてるわよ」
「いやあクリスマスはアルコール中毒になる人が多すぎて被る機会がなかったのでここでと」
「ヒカルくんはわかるけど、マコトくんまで被るとはね……」
そう言われてマコトは、被っていたサンタ帽を脱いだ。ヒカルはまったく脱ぐ気配はない。
彼らはここに来る前に各自の家で風呂に入ったので、身体が温まり、いくらか目がとろんとしている。
「俺も恥ずかしいですけど、ヒカルの言うことも一理あるかなと思って」
「本当にヒカルくんに対して甘すぎるのよ」
その間にもヒカルはビールを煽っていて、彼の隣でふらふらしている。
年末恒例の音楽特番も終わり、残りわずかの蕎麦を食べ終わってしまえば後は寝るだけ。
蕎麦の出汁に浸った鶏天を齧《かじ》りながらイオリはもうほぼ眠っていた。演歌のときにもう風呂を済ませ、パジャマを着ているので寝る準備はほぼ整っている。
もう寝れば? と母に言われ、せっかく夜更かし出来る大晦日を名残惜しそうにしながらも頷いた。
「おやすみなさい」
「おう、おやすみー」
彼の足音が遠ざかり、残された大人たちはそっとニッポン酒の瓶を開ける。
イノウエは何種類も酒を飲んでいるというのに顔色ひとつ変えずにアヤノに声を掛けた。
「お母さん良かったの? 来てくれたほうが私たちも嬉しいのに」
「うちお客さんがいっぱい集まる家なので、母はいないといけないんです。きっと今頃母の周りもこうなってますよ」
アヤノは横で寝そべるヒカルに視線をやる。ため息をついてイノウエは「これは悪い大人の例……」と苦笑してつぶやいた。
「もう一杯だけ飲みたいよお、どうして酒好きな俺がマコトより弱いんだよお」
「あんたは子供か」
それだけマコトが返答し、皆がヒカルを無視してテレビを観た。
厚着をした人がぎゅうぎゅう詰めで寺や神社に訪れる様子が中継されている。新たな1年の始まりに皆がどこか浮ついているようで、寒さで頬を紅くしているが彼らの表情は暖かそうだ。
中継映像に見入っていたアヤノに、イノウエが温かい緑茶を出しながら、
「明日、初詣行こっか!」
と言った。
「私今までお客さんの相手で忙しくて元日にお寺とか行ったことなかったので夢だったんです!」
「あはは、夢って……アヤノちゃーん、若い子はお寺よりディスコとか行きたいものよ?」
「イノウエさん、ディスコは何か違う気がします」
目を輝かせたアヤノをイノウエが笑い、冷静にマコトが一言。
この様子を床から見上げていたヒカルは、誰にも聞こえないくらい小さな声で「幸せだなあ」と言って眠ってしまった。
元旦、イオリが起きてまず見たのは、こたつに入って眠りこけるセラピストたちだった。
起こすのも悪いと思い、起きたら初めにこたつに入ってテレビを点けるというルーティンに反して、彼はまず顔を洗いに洗面所へ向かう。
洗面所を開けると、赤い着物に身を包んだ華やかなアヤノの姿があった。彼女の後ろから着付けをしていた母が姿を見せる。
「おはよう! イオリも着せてあげようか?」
「ううん、窮屈だからいいや」
ふうんそっか、と言って彼女はまたアヤノの着付けに戻った。
女性の身支度を見てはいけないと思い洗面所を出ると、真っ青な顔をしたヒカルと対面する。
「だめです、僕らは出掛ける準備をしましょう」
何がなんだかわからないままヒカルは和室に戻され、イオリが淹れた緑茶をとりあえず飲む。
少し後に起きたマコトは自分で緑茶を淹れて、寝起きの身体に一気に流し込んだ。
テレビには山を登るランナーたちが映し出され、 実況者が物凄い熱量で現状を伝えている。白熱した展開に、皆が息を呑む。
1番良い場面でマコトが車内を暖めておくために外に出た。残されたヒカルたちは、ぼーっと窓の外を眺める。
ガチャリ。戸が開いて着物に身を包んだアヤノがちょこんとそこに立っていた。
小柄な彼女に和服が良く似合う。
真紅の口紅を乗せた唇と、少し赤のアイシャドウを塗った目元が彼女の可愛らしさを最大限に引き出している。
「わあ、可愛いね、アヤノちゃんは和風美人だよ」
チークは塗っていないはずの頬に赤みがさした。
「あらあらあ」
とイノウエが冷やかして、お腹が空いたから早く行こうと皆を急かす。
暖かい車から神社に降りたとき、全員が思わず寒いという言葉を漏らした。
女性2人が列に並んで男性3人が唐揚げや鯛焼き、そして甘酒を買ってくる。
「神様すみません、朝食なしでこの寒空の下は凍死します」
列の先にいるはずの神にイノウエが言い訳する。その言葉を聞いて皆が笑った。
やっと訪れた順番。
1年の感謝を述べた後、それぞれが、それぞれの、思い思いの願いをした。
『いつまでもこの幸せが続きますように』
この一言がヒカルとマコトの願いだった。
クリニックの休憩室にある例のコルクボードには、着物姿のアヤノを囲んで撮った写真が増えた。
「明けましておめでとうございます!」
何のモチーフなのかわからない和柄の座布団の上で、ヒカル、マコト、アヤノ、イノウエ、イオリがそれぞれ床に手を付いてお辞儀をする。
未だ鐘の余韻は鼓膜を揺らしていたが、彼らはすぐに割り箸を割って蕎麦に食いついた。一口食べただけで出汁のふくよかな香りと風味が彼らを包み込む。
ここはイノウエの家。至って普通の家だが、床の間にある掛け軸と花瓶は彼女こだわりの逸品らしくヒカルたちは恐ろしくて触れることができない。
イノウエがヒカルに怪訝な顔を向ける。
「それにしても何よその被り物。1週間間違えてるわよ」
「いやあクリスマスはアルコール中毒になる人が多すぎて被る機会がなかったのでここでと」
「ヒカルくんはわかるけど、マコトくんまで被るとはね……」
そう言われてマコトは、被っていたサンタ帽を脱いだ。ヒカルはまったく脱ぐ気配はない。
彼らはここに来る前に各自の家で風呂に入ったので、身体が温まり、いくらか目がとろんとしている。
「俺も恥ずかしいですけど、ヒカルの言うことも一理あるかなと思って」
「本当にヒカルくんに対して甘すぎるのよ」
その間にもヒカルはビールを煽っていて、彼の隣でふらふらしている。
年末恒例の音楽特番も終わり、残りわずかの蕎麦を食べ終わってしまえば後は寝るだけ。
蕎麦の出汁に浸った鶏天を齧《かじ》りながらイオリはもうほぼ眠っていた。演歌のときにもう風呂を済ませ、パジャマを着ているので寝る準備はほぼ整っている。
もう寝れば? と母に言われ、せっかく夜更かし出来る大晦日を名残惜しそうにしながらも頷いた。
「おやすみなさい」
「おう、おやすみー」
彼の足音が遠ざかり、残された大人たちはそっとニッポン酒の瓶を開ける。
イノウエは何種類も酒を飲んでいるというのに顔色ひとつ変えずにアヤノに声を掛けた。
「お母さん良かったの? 来てくれたほうが私たちも嬉しいのに」
「うちお客さんがいっぱい集まる家なので、母はいないといけないんです。きっと今頃母の周りもこうなってますよ」
アヤノは横で寝そべるヒカルに視線をやる。ため息をついてイノウエは「これは悪い大人の例……」と苦笑してつぶやいた。
「もう一杯だけ飲みたいよお、どうして酒好きな俺がマコトより弱いんだよお」
「あんたは子供か」
それだけマコトが返答し、皆がヒカルを無視してテレビを観た。
厚着をした人がぎゅうぎゅう詰めで寺や神社に訪れる様子が中継されている。新たな1年の始まりに皆がどこか浮ついているようで、寒さで頬を紅くしているが彼らの表情は暖かそうだ。
中継映像に見入っていたアヤノに、イノウエが温かい緑茶を出しながら、
「明日、初詣行こっか!」
と言った。
「私今までお客さんの相手で忙しくて元日にお寺とか行ったことなかったので夢だったんです!」
「あはは、夢って……アヤノちゃーん、若い子はお寺よりディスコとか行きたいものよ?」
「イノウエさん、ディスコは何か違う気がします」
目を輝かせたアヤノをイノウエが笑い、冷静にマコトが一言。
この様子を床から見上げていたヒカルは、誰にも聞こえないくらい小さな声で「幸せだなあ」と言って眠ってしまった。
元旦、イオリが起きてまず見たのは、こたつに入って眠りこけるセラピストたちだった。
起こすのも悪いと思い、起きたら初めにこたつに入ってテレビを点けるというルーティンに反して、彼はまず顔を洗いに洗面所へ向かう。
洗面所を開けると、赤い着物に身を包んだ華やかなアヤノの姿があった。彼女の後ろから着付けをしていた母が姿を見せる。
「おはよう! イオリも着せてあげようか?」
「ううん、窮屈だからいいや」
ふうんそっか、と言って彼女はまたアヤノの着付けに戻った。
女性の身支度を見てはいけないと思い洗面所を出ると、真っ青な顔をしたヒカルと対面する。
「だめです、僕らは出掛ける準備をしましょう」
何がなんだかわからないままヒカルは和室に戻され、イオリが淹れた緑茶をとりあえず飲む。
少し後に起きたマコトは自分で緑茶を淹れて、寝起きの身体に一気に流し込んだ。
テレビには山を登るランナーたちが映し出され、 実況者が物凄い熱量で現状を伝えている。白熱した展開に、皆が息を呑む。
1番良い場面でマコトが車内を暖めておくために外に出た。残されたヒカルたちは、ぼーっと窓の外を眺める。
ガチャリ。戸が開いて着物に身を包んだアヤノがちょこんとそこに立っていた。
小柄な彼女に和服が良く似合う。
真紅の口紅を乗せた唇と、少し赤のアイシャドウを塗った目元が彼女の可愛らしさを最大限に引き出している。
「わあ、可愛いね、アヤノちゃんは和風美人だよ」
チークは塗っていないはずの頬に赤みがさした。
「あらあらあ」
とイノウエが冷やかして、お腹が空いたから早く行こうと皆を急かす。
暖かい車から神社に降りたとき、全員が思わず寒いという言葉を漏らした。
女性2人が列に並んで男性3人が唐揚げや鯛焼き、そして甘酒を買ってくる。
「神様すみません、朝食なしでこの寒空の下は凍死します」
列の先にいるはずの神にイノウエが言い訳する。その言葉を聞いて皆が笑った。
やっと訪れた順番。
1年の感謝を述べた後、それぞれが、それぞれの、思い思いの願いをした。
『いつまでもこの幸せが続きますように』
この一言がヒカルとマコトの願いだった。
クリニックの休憩室にある例のコルクボードには、着物姿のアヤノを囲んで撮った写真が増えた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!
珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。
3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。
高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。
これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!!
転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!
ひっそり静かに生きていきたい 神様に同情されて異世界へ。頼みの綱はアイテムボックス
於田縫紀
ファンタジー
雨宿りで立ち寄った神社の神様に境遇を同情され、私は異世界へと転移。
場所は山の中で周囲に村等の気配はない。あるのは木と草と崖、土と空気だけ。でもこれでいい。私は他人が怖いから。
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる