僕は人々が嗅覚を奪われた世界で、アロマセラピストをしています。

梅屋さくら

文字の大きさ
上 下
26 / 62
Perfume2.過去への疑問と子供の感情。

25. 許してください!

しおりを挟む
 報告をしなければならないと言って署へ戻っていった警察官に曖昧な返事をしたまま、マコトは受付に寄り掛かって地面に座っていた。
 ヒカルがタクミの部屋に入ってから早1時間、部屋に様子を見に来ていた野次馬はもう自室へ戻っている。
 クリニックの外にはもうここに来たときの騒々しさはなくなっていた。
赤いサイレンが鳴り響き、近所の住民らが叫んだり囁いたりする高圧的な声が波打っていたとは思えぬほどの沈黙。
 マコトは自らの心音が次第に大きくなるのを感じた。
床の冷気が次第に尻を冷やしていくのを感じた。
眠気など吹き飛び、深夜だというのにむしろ次第に覚醒していくのを感じた。
 ヒカルがアミに出した手紙を思い出す。
あの手紙を出したことによってアミがここを訪れ、親子が時を過ごすことになり、タクミがその幼い心と身体に傷を負うことになった。

「ヒカルが負い目を感じるのも仕方ない、かな」

 静かなクリニックで1人「はあ」と息をつき、ぐったりとうな垂れる。

 その姿勢のままマコトは夜を明かした。
 外にわずかに太陽の光が差し込み始めたとき、警察で事情を説明していたイノウエがクリニックに戻った。彼女は目の下に深いクマをつくり、ひどく疲れている様子である。
 そしてタクミの部屋を一瞥《いちべつ》すると、何も言わずにマコトの隣に座った。
2人の少し触れ合った肩を通じて体温がじわりと広がり、緊張で固まった彼らを溶かしていく。

 小鳥が軽やかに鳴き、陽が高く昇り町を明るく照らす朝、タクミの部屋の扉がカラカラと音を立てて開いた。
 マコトとイノウエは弾かれたように立ち上がりそちらを見て、そこから現れる人影を待つ。

「2人とも、ずっと起きてたんですか?」

 へらへらと笑って出てきたヒカルもずっと起きていたことが一目でわかった。
ひどいクマ、土色の肌、紫色の唇……しかし、彼の目には光が取り戻されている。
 ヒカルの後ろには彼と固く手を繋ぎ、不安げに周りを見るタクミがいた。

「タクミくん!」

 名前を呼ばれてびくりとしたが、ヒカルが目線を合わせて「大丈夫、クリニックの人だよ」と言ったことでタクミはほっとしたような顔をした。
 そしてヒカルの手を離れ、マコトたちのほうへと駆け寄る。
驚いて小さな彼を見つめるマコトたちに、彼は頭を下げ、「ごめんなさい」と言った。
 慌ててイノウエが、

「何も謝ることないでしょう!」

 と言っても、タクミは頭を上げない。

「僕がわがまま言ったから、先生たちに迷惑かけました。ごめんなさい。でも」
「でも?」

 やっと彼は顔を上げ、ぎこちなさを残しながらも歯を見せて無邪気に笑った。

「僕は前に進みます。許してください!」

 その潔さに呆気に取られるイノウエたちをよそに、彼はヒカルのほうを振り返る。
 ヒカルは親指を立てて「いいぞいいぞ」と楽しそうに笑っていた。
 クリニックを出ようとしたとき、カワムラの病室のドアが開くと、少し眠そうに目を擦りながらカワムラが出てきた。

「タクミくん、ソウと仲良くしてくれてありがとう。あいつまた君と遊びたいって言ってるんだ。今度遊びに行っても良いかな?」
「僕もソウくんと遊びたい!」
「では後ほど、私が連絡先など伝えますね」

 ヒカルがそう約束して、カワムラはその白い歯を見せながらタクミに大きく手を振った。
タクミも嬉しそうに手を振り返し、そのまま2人はまた手を繋いで警察と話をするためにクリニックを出て行く。
 マコトが彼らの後ろ姿を見送りに外に出ると、ヒカルがタクミの頭を笑顔でわしゃわしゃと撫でているのが見えた。
タクミも抵抗しながらも笑顔だ。

「なんだか、親子みたいねえ」

 いつの間にか外に出て来ていたイノウエが、マコトの思っていたことを口に出した。

「そうですね、懐いてるし可愛がってるし」

 2人は顔を見合せてふふふと笑う。
 マコトは、たしかにヒカルの手紙のせいでタクミは傷を負ったと言っても間違いではないが、ヒカルの手紙によってタクミは前に進める力を得たと言っても良いのではないかと思った。
彼にとって、同様に母親に捕われて今でももがいているヒカルとの出会いは、きっと大きな出会いだったであろう。
 後でそれを言ってやろう。
 そう思ってドアを開けようとしたとき、すでに3人ほど患者が開院を待っていることに気付いた。

「暑い中お待たせしてすみません。中へどうぞ」

 そう声をかけ、エプロンを着けて彼はヒカルより先にあまりに普通すぎるくらいの日常へと戻っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

スローライフとは何なのか? のんびり建国記

久遠 れんり
ファンタジー
突然の異世界転移。 ちょっとした事故により、もう世界の命運は、一緒に来た勇者くんに任せることにして、いきなり告白された彼女と、日本へ帰る事を少し思いながら、どこでもキャンプのできる異世界で、のんびり暮らそうと密かに心に決める。 だけどまあ、そんな事は夢の夢。 現実は、そんな考えを許してくれなかった。 三日と置かず、騒動は降ってくる。 基本は、いちゃこらファンタジーの予定。 そんな感じで、進みます。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

処理中です...