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Perfume2.過去への疑問と子供の感情。
17. “すべて”背負わせてはいけない。
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それからしばらく、タクミの母親からの返事はなかった。
承諾はおろか、怒りすら見せてこない母親が、ヒカルはむしろ怖かった。
一切タクミに興味がない、タクミに対して感情がない……そう言っているようで。
また、ヒカルの両親と似ているようで。
火曜はヒカルがオオサカへ行く前日。
その日の昼休憩にいつもより早く弁当を食べ終わってトランクに荷物を詰めているとき、クリニックのベルが鳴った。
“CLOSE”の札を出したはずだよな、と記憶を確認しつつ、「診療時間外です」と言おうと受付から顔を出したがヒカルは何も言わなかった。
強く巻かれた茶髪、体にフィットする赤いワンピース、ヒールの高い赤のハイヒール。
その派手な顔立ちの中でも特に、大きな目より、真っ赤なマットリップのほうが印象的なほど唇が厚い美しい女性。
ヒカルと大して年齢は離れていないようだ。
時間を間違えて入って来たわけではないことがわかるほど、その表情には怒りが満ち、何かを言いたげな様子だった。
女性は事務的に頭を下げ、
「初めまして、タクミの母の愛海《あみ》です」
と自己紹介をし、お世話になっておりますなどの定型文を並べた。
しかしたちまちその口はきゅっと結ばれ、その目は鋭くなった。
じっと1点を見つめているようで、実はヒカルの全身を確認するように視線を走らせていた。
ヒカルは沈黙のまま、次の言葉を待つ。
開かれた口は言葉が思っていたよりも穏やかなトーンで飛び出した。
「……あなたは、私たち親子に関係がある方でしょうか?」
甘ったるい、妖艶な声。
本人はそういった声を出しているつもりはないのであろうが。
その甘ったるさがゆっくりと時が経ち冷めていくにつれ、重みとなってヒカルに落ちる。
ヒカルはひとつひとつの行動がすべてこの会話の重大な要素となり得る気がして慎重に言葉を発した。
「私は息子さんの主治医です」
「ですがあの火傷の怪我を治していただく契約しかしていませんよね? うちの事情に口出しされる筋合いはないのではありませんか?」
彼女は次第に早口になり怒りを滲ませ始めた。
腕を組み、指でその腕をトントンとテンポ良く叩いている。
その思考させる時間を奪うかのような早口さにヒカルは威圧されたが、あえて間を長く取って、一言ずつ言葉を繋いでいった。
「しかし私は、医者というのは1つの怪我や病気だけでなく、患者の精神状態も含め、身体のすべてを万全にすることが仕事だと考えています。彼は今、母親に会えず毎日悲しそうな表情をしている。それを見過ごすわけにはいきません」
アミはため息をついた。
未だその視線はヒカルに注がれたまま、まるで照準を合わせているようだ。
「私は忙しいんです。私が働かないとあの子を養えない。離婚してシングルだし仕方ないでしょう」
「離婚はあなた自身の選択であって、息子さんの選択ではありません。あなた自身の選択によって起きることを、すべて息子さんに背負わせることはあってはなりません」
「では離婚していない人に合わせて仕事を控えて苦しい生活をしろと?」
「いいえ、私は“すべて”背負わせてはいけないと言いました。……少し言い方を変えましょう。あなたは息子さんに最小限の苦労だけさせられるように努力しなければならないと私は思います。アサノさんはタクミくんの思いを、そして願いを、十分に聞いてあげられていると言えますか? 聞くというのは叶えるということではなく、そのままの意味でただ聞くことです」
先ほどまで早口でヒステリックに問い詰めていたアミが言い澱《よど》んだ。
しかし視線は外さずにまた尋ねた。
「なぜあなたにタクミの気持ちがわかるんです? 悲しそうだとか、こうして欲しいだとか」
ヒカルは微笑みを見せたが、アミはその笑みの奥深くに傷跡が見えたような気がして目を見開いた。
「私とタクミくんは似ているのです。両親は離婚、母親は私のこの栗色の髪を嫌って弟ばかり可愛がっていました」
そのとき彼は寂しかったこと、母親にもっと自分を見て欲しかったし、話を聞いて欲しかったことを話した。
「だからタクミくんに異常なほど感情移入しているのかもしれません。たしかにあなたにはあなたの人生があって、選択がある。私の話はこれでやめておきます」
今度はいつも通りの優しい笑みを見せた。
先ほど見えた気がした傷跡はもうすっかり消えていた。
過去の悲しみを忘れず、受け入れることによって乗り越えた笑顔。
この笑顔はそういう雰囲気があった。
アミは初めてヒカルから目を逸らし、指の動きも止めた。
俯いたまま、すうっと息を吸う。
「……わかりました。明日、またここに来ます」
お辞儀したヒカルを見る前に彼女は踵《きびす》を返し、では、と小さい声で言ってクリニックから出て行った。
ちょうど午後の開院時間。
アミと入れ替わるようにソウがクリニックへと入って来て、「タクミくんに会いに来たよ!」と元気に言って笑った。
母親の都合が合わず、久しぶりの来院だった。
タクミくんはさぞ喜ぶだろうなあ。
ソウの来院を知らせるとともに、明日母親が見舞いに来ることを伝えようと、ヒカルはソウと一緒にタクミの病室に入った。
「えっママ来るの⁉︎」
思った通り、明日のことを伝えた途端タクミは目を輝かせた。
何から話そうかな、と指を折って話したいことを考えている。
ヒカルはソウを残して病室を出た。
承諾はおろか、怒りすら見せてこない母親が、ヒカルはむしろ怖かった。
一切タクミに興味がない、タクミに対して感情がない……そう言っているようで。
また、ヒカルの両親と似ているようで。
火曜はヒカルがオオサカへ行く前日。
その日の昼休憩にいつもより早く弁当を食べ終わってトランクに荷物を詰めているとき、クリニックのベルが鳴った。
“CLOSE”の札を出したはずだよな、と記憶を確認しつつ、「診療時間外です」と言おうと受付から顔を出したがヒカルは何も言わなかった。
強く巻かれた茶髪、体にフィットする赤いワンピース、ヒールの高い赤のハイヒール。
その派手な顔立ちの中でも特に、大きな目より、真っ赤なマットリップのほうが印象的なほど唇が厚い美しい女性。
ヒカルと大して年齢は離れていないようだ。
時間を間違えて入って来たわけではないことがわかるほど、その表情には怒りが満ち、何かを言いたげな様子だった。
女性は事務的に頭を下げ、
「初めまして、タクミの母の愛海《あみ》です」
と自己紹介をし、お世話になっておりますなどの定型文を並べた。
しかしたちまちその口はきゅっと結ばれ、その目は鋭くなった。
じっと1点を見つめているようで、実はヒカルの全身を確認するように視線を走らせていた。
ヒカルは沈黙のまま、次の言葉を待つ。
開かれた口は言葉が思っていたよりも穏やかなトーンで飛び出した。
「……あなたは、私たち親子に関係がある方でしょうか?」
甘ったるい、妖艶な声。
本人はそういった声を出しているつもりはないのであろうが。
その甘ったるさがゆっくりと時が経ち冷めていくにつれ、重みとなってヒカルに落ちる。
ヒカルはひとつひとつの行動がすべてこの会話の重大な要素となり得る気がして慎重に言葉を発した。
「私は息子さんの主治医です」
「ですがあの火傷の怪我を治していただく契約しかしていませんよね? うちの事情に口出しされる筋合いはないのではありませんか?」
彼女は次第に早口になり怒りを滲ませ始めた。
腕を組み、指でその腕をトントンとテンポ良く叩いている。
その思考させる時間を奪うかのような早口さにヒカルは威圧されたが、あえて間を長く取って、一言ずつ言葉を繋いでいった。
「しかし私は、医者というのは1つの怪我や病気だけでなく、患者の精神状態も含め、身体のすべてを万全にすることが仕事だと考えています。彼は今、母親に会えず毎日悲しそうな表情をしている。それを見過ごすわけにはいきません」
アミはため息をついた。
未だその視線はヒカルに注がれたまま、まるで照準を合わせているようだ。
「私は忙しいんです。私が働かないとあの子を養えない。離婚してシングルだし仕方ないでしょう」
「離婚はあなた自身の選択であって、息子さんの選択ではありません。あなた自身の選択によって起きることを、すべて息子さんに背負わせることはあってはなりません」
「では離婚していない人に合わせて仕事を控えて苦しい生活をしろと?」
「いいえ、私は“すべて”背負わせてはいけないと言いました。……少し言い方を変えましょう。あなたは息子さんに最小限の苦労だけさせられるように努力しなければならないと私は思います。アサノさんはタクミくんの思いを、そして願いを、十分に聞いてあげられていると言えますか? 聞くというのは叶えるということではなく、そのままの意味でただ聞くことです」
先ほどまで早口でヒステリックに問い詰めていたアミが言い澱《よど》んだ。
しかし視線は外さずにまた尋ねた。
「なぜあなたにタクミの気持ちがわかるんです? 悲しそうだとか、こうして欲しいだとか」
ヒカルは微笑みを見せたが、アミはその笑みの奥深くに傷跡が見えたような気がして目を見開いた。
「私とタクミくんは似ているのです。両親は離婚、母親は私のこの栗色の髪を嫌って弟ばかり可愛がっていました」
そのとき彼は寂しかったこと、母親にもっと自分を見て欲しかったし、話を聞いて欲しかったことを話した。
「だからタクミくんに異常なほど感情移入しているのかもしれません。たしかにあなたにはあなたの人生があって、選択がある。私の話はこれでやめておきます」
今度はいつも通りの優しい笑みを見せた。
先ほど見えた気がした傷跡はもうすっかり消えていた。
過去の悲しみを忘れず、受け入れることによって乗り越えた笑顔。
この笑顔はそういう雰囲気があった。
アミは初めてヒカルから目を逸らし、指の動きも止めた。
俯いたまま、すうっと息を吸う。
「……わかりました。明日、またここに来ます」
お辞儀したヒカルを見る前に彼女は踵《きびす》を返し、では、と小さい声で言ってクリニックから出て行った。
ちょうど午後の開院時間。
アミと入れ替わるようにソウがクリニックへと入って来て、「タクミくんに会いに来たよ!」と元気に言って笑った。
母親の都合が合わず、久しぶりの来院だった。
タクミくんはさぞ喜ぶだろうなあ。
ソウの来院を知らせるとともに、明日母親が見舞いに来ることを伝えようと、ヒカルはソウと一緒にタクミの病室に入った。
「えっママ来るの⁉︎」
思った通り、明日のことを伝えた途端タクミは目を輝かせた。
何から話そうかな、と指を折って話したいことを考えている。
ヒカルはソウを残して病室を出た。
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