僕は人々が嗅覚を奪われた世界で、アロマセラピストをしています。

梅屋さくら

文字の大きさ
上 下
9 / 62
Perfume1.アロマセラピストは幸せ?

8. 必ずしも一致しない。

しおりを挟む
 マコトがまたコーヒーカップを2つ持って来た。
そして彼はソファに座り、ヒカルとは向かい合う形になった。
 そのコーヒーの香りが先ほどのフクシマのものとは違うことにヒカルは気付いた。

「今度はどこの?」
「オキナワ。フクシマのよりも苦味があるからヒカルはこっちのほうが好きかも」

 ふぅん、と気の抜けた返事をして、カップを手に取りまだ熱いコーヒーを一口含むと、ゆっくり口の中で冷めてきてそれと同時に苦味が広がった。
マコトの言う通り、彼の好きな味だった。

「美味しいね」

 と言うと、マコトは微笑んだ。
 彼が口を開く様子がなくヒカルはもう一度彼の考えを尋ねようかと様子を窺っていると、マコトはふいにカップをテーブルに置いて、ソファの背もたれに深くその体を預けた。
息を少し吐いて、ゆっくりと吸った。
そして天を仰いで口を開いた。

「俺はさ、セラピストって不幸だと思う。産まれたときから職業決まってるようなものだし、薬使えないし、正直、忙しいし人の死に向き合わなきゃいけないわりには給料だって高くない。理不尽だ」

 ここで言葉を切ったが、ヒカルは何も言わなかった。
まだマコトは自分の思想の中にいて、再び言葉を繋げようとしているのを感じたからだ。
 案の定、マコトはまた言葉をぽつりぽつりと吐き出し始めた。

「“セラピストの資格を与えられた選ばれし人間なんだ”とか、“天からのギフトに感謝しなさい”とか、セラピストスクールで良く言われたよね」

 目が合って、ヒカルは少しマコトの瞳に怯みつつ無言で頷いた。
たしかに入学式や卒業式の校長先生の言葉にはそういった文章が必ず含まれていた記憶があった。

「でも俺たちは選ばれたいともギフトが欲しいとも願ってない。そういう大人たちの言葉は、俺たちにセラピストとしての責任を押し付ける言葉なんじゃないのかってずっと思ってた。希少な存在であることと幸福であることは必ずしも一致しないと俺は思う」

 そう言ってマコトは体を起こし、カップを手に取って一口コーヒーを飲んだ。
ソファの軋む音とコーヒーを啜《すす》る音が、この静かすぎる部屋ではとても大きな音となって響いたように感じた。
 彼が自分の考えを言い終わったのは明確だった。
 今はマコトはヒカルをじっと見つめている。
ヒカルはその瞳が彼の奥深くにある思考を読み取っているような気がしてぞくりとした。
 これ以上奥を見られるのは嫌だった。
マコトの視線は家族であっても見せたくないパーソナルスペースのすぐ近くまで迫っていた。
ちくりと刺すような痛みがそれを警告する。
 その視線を食い止めようと、ヒカルは必死で思考し、言葉を発した。
そのときヒカルは無意識に、彼もまたコーヒーカップを置き、背もたれに体を預け、天を仰いでいた。

「俺は不幸だと思ったことはないよ。じいちゃんを見ていてこの仕事が身近だったからっていうこともあるのかもしれないけど、少なくとも今、俺はこの仕事ができてありがたいと思ってる。たくさんの人に感謝されて、たくさんの人を笑顔にできて」

 ヒカルは患者の笑顔を思い浮かべた。

「やりがいを感じてる。セラピストに産まれて良かった、って思ってる」

 と言うと、お決まりのように体を起こし、コーヒーを飲んだ。
マコトと違う点は1つ、ヒカルはコーヒーを一気に飲み干した。
彼の喉はいつの間にか緊張で渇ききっていたのだ。
 それを聞いてマコトは今度は俯《うつむ》いて、

「そうか。不幸だと思う時が来ないと良いな」

 とだけ言って立ち上がった。
 マコトが部屋を出て行った後、部屋には彼の言葉の意味を掴めないでいるヒカルと、白檀の香りと、コーヒーの香りだけが残された。
 少し経って戻ってきたマコトは、手に白い新品らしきバスタオルと大きめのTシャツとハーフパンツを持っていた。

「先に風呂どうぞ。明日も予定あるわけだし、早めに寝よう」

 これ着替えな、と言って手渡されたその衣類は、ヒカルがここに泊まるときにいつも借りる寝巻きだった。
 そのマコトの「先に風呂どうぞ」という言葉は、“セラピストは幸福か?”という議題での意見交換の終わりを告げる合図だった。
ヒカルは息が詰まるようだった空気が和らぎ、ほっと息をついて、言われた通り先に風呂に入ることにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

スローライフとは何なのか? のんびり建国記

久遠 れんり
ファンタジー
突然の異世界転移。 ちょっとした事故により、もう世界の命運は、一緒に来た勇者くんに任せることにして、いきなり告白された彼女と、日本へ帰る事を少し思いながら、どこでもキャンプのできる異世界で、のんびり暮らそうと密かに心に決める。 だけどまあ、そんな事は夢の夢。 現実は、そんな考えを許してくれなかった。 三日と置かず、騒動は降ってくる。 基本は、いちゃこらファンタジーの予定。 そんな感じで、進みます。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

処理中です...