僕は人々が嗅覚を奪われた世界で、アロマセラピストをしています。

梅屋さくら

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Perfume1.アロマセラピストは幸せ?

5. 相変わらず慣れてない。

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 翌日、ヒカルの体調はすっかり戻っていた。
セラピストに効く薬はないので、ただほとんどの時間を寝て過ごし、昼にはイノウエが作ったたまご粥、これが薄味ながら旨味があって絶品なのだが、それを小さい鍋で食べ、夜にはマコトが剥いた林檎を食べただけだった。
幸い軽い風邪だったので1日で治った。
 二階で寝癖のひどい髪に少しワックスを付けて軽く整え、一階に制服のエプロンを取りに行くと、開院時間よりかなり早い時間なのにすでにマコトが受付の奥にあるパソコンで何かの表を作成していた。
 彼はヒカルと、ヒカルの仕事モードのヘアスタイルを見ると、微笑んで「おはよう」と言った。

「昨日はごめん、すっかり元気になったよ」

 と腕を曲げて、ない力こぶをどうにか作って見せた。

「イノウエさんの粥のおかげだな。後でお礼を言えよ」

 力こぶのことにはまったく触れず、すぐにまたパソコンに顔を戻したマコトにヒカルはゆっくりと近付き、肩にそっと手を置いた。
マコトの男性にしては小さく細い肩がヒカルの大きい手に包まれる。

「マコトも近くにいてくれたし、林檎も剥いてくれたでしょ。ありがとう」

 そう言った途端、マコトはパソコンからも顔を背けて、ヒカルとは正反対の方向に顔を向けた。
しかし彼は気付いていないが、耳はヒカルからも見える。

「お、おお……」

 小さい声でそう言ったマコトの耳は真っ赤だった。

「相変わらず、感謝されるの慣れてないんだね?」
「なっ⁉︎」

 マコトががたっと音を立てて椅子から立ち上がり、腕を振り上げる。
ははは、と陽気に笑いながら、ヒカルはエプロンのあるさらに奥のバックヤードに入った。
ドアの外でマコトの足音と、「もう!」と呟く声が聞こえた。
 ヒカルはエプロンを着けながら、マコトとの思い出を振り返っていた。

 ヒカルとマコトは幼稚園児の頃からの幼馴染みだ。
というより、産まれてすぐ嗅覚判定をし、そこで嗅覚有りと判定された者は産まれた都道府県に1つ(ホッカイドウやトウキョウなどには2つ)あるセラピストスクールと言われる幼稚園や学校に通うことになる。
そしてセラピストが産まれるのはおよそ10万分の1の確率。
ゆえに同じトウキョウ出身で1歳差の同世代セラピストは彼らに限らず大体のセラピストと幼馴染みなのだ。
 学校は縦の繋がりが強いシステムになっていて、上級生が1年間、1つ下の学年の3、4人を受け持つ“クラス”というものがある。
その“クラス”単位で実験したり遠足に行ったりするのだが、ヒカルが受け持つ“クラス”にマコトがいた。
 そのときからマコトはぶっきらぼうな性格と口調で、同学年と上手く馴染めていなかった。
実は、だからこそ人当たりが良く誰からも愛されるヒカルの“クラス”に割り当てられた、という背景があるのだが、本人たちはそれを知らない。
 遠足の一環としてキャンプに行ったときのこと。
 カレーを作っている最中、ヒカルの“クラス”の1人である男子生徒が怪我をした。
にんじんを切っているときに、包丁で指を切ってしまったのだ。
 そのときちょうどヒカルは生徒の落とし物を探す手伝いをしていてその場にいなかった。
周りの生徒たちはだらだらと流れている血が恐ろしく、先生を大きな声で呼ぶのがやっとだった。
 しかしマコトは、先生が来る前に怪我をした生徒に駆け寄り、声を掛けた。
唯一、怪我をした生徒に寄り添ったのだ。
 その一件が収まった頃ヒカルはその騒動とマコトの取った行動を聞いた。
そしてヒカルはカレーを食べるときにマコトの隣に座り、

「すぐ駆け寄って声を掛けてあげたんでしょ? すごいね、優しいし、えらい」

 と言うと、マコトはスプーンを持つ手にぎゅっと力を入れて、

「でも『大丈夫、泣かないで』くらいしか言えなかった。結局何もしてないよ」

 と言った。
暗く低く、泣きそうな声だった。
 ヒカルはマコトの、そのときはまだ真っ黒だった髪に手をそっと置いて、

「それだけでも支えになったと思うよ。ありがとう」

 と言って微笑むと、今度はマコトは何も言わなかった。
しかし言葉の代わりにその少年は耳まで真っ赤にして、ヒカルと目を合わせないまま、自分のカレーに入っていた大きめの肉をヒカルの皿に置いた。

 ……あのときのマコト、本当に可愛かったなあ。
 ヒカルはその出来事からマコトをそれまで以上に可愛く思い、ついには一緒にクリニックを開くほど長く、そして深い関係になったのだ。
 このエピソードを一通り思い返している間にエプロンの紐は結び終え、名札も付け、診療に取り掛かる準備が整った。
ヒカルはクリニックの受付へと出て行った。
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