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先日、母方の祖母の四十九日が済んだ。
一区切りがついたことで、私、剣崎巴は祖母の家に遺品整理をしにやってきた。今日、明日の土曜、日曜ですべてを終わらせるつもりでいる。会社の人には有給を取ったらいいと言われたけれど、私はまだ社会人一年目の二十二歳。そう簡単には仕事を休めない。
私にこの任務を託したのは、祖母の一人娘である母だ。母は父と一緒に海外に住んでいて、孫も私一人だけ。
母は四十九日の法事が終わるやいなや、私にすべてを任せた。
『巴、遺品整理をお願いね。母屋はほとんど片付いてるし、あとは一人でも大丈夫でしょう? 残しておきたいものには目印の赤い紙を貼っておいて。それ以外は不要なものとして、後日業者の人が引き取りに来てくれるから。じゃあ、後は任せたわよ』
母はそう言い残して、父と一緒に日本を発ったのだった。
私はその時のことを思い出し、ため息をつく。
「後は任せる……ねぇ」
我が両親ながら素っ気なさすぎる。
しかも母は、祖母の家があるこの土地の買い手を、もう見つけたらしい。
両親はほとんど日本にいないし、祖母も『自分の死んだ後、この家は処分してほしい』と遺言を残していた。家を壊して土地を売ること自体は、私も納得している。
とはいえ、母にとっては生まれ育った場所で、私にとっても祖母との思い出が詰まった家だ。
四十九日が済んですぐに売りに出すなんて、母は薄情なのでは、と複雑な気持ちでいる。
故人を偲ぶためにもう少し置いておく、という選択肢はないのだろうか。しかも家の整理を私に丸投げするというのは、いかがなものか。
恨み節はあるけれど、母が自分で祖母の遺品を整理しない理由はわかっている。
母と祖母は、あまり仲がよくなかった。父も折り合いが悪く、この義実家に近寄ろうとしない。
でも私は祖母が大好きだった。父方の祖父母は早くに亡くなったので、私にとって母方の祖母が唯一のおばあちゃん。
両親が仕事で海外に行くと言った時、日本に残ることにしたのも祖母がいたからだ。中学校を卒業し、高校を出て大学に進学するまで、私はここで祖母と暮らした。この家での思い出はたくさんある。
祖母は不思議な人だった。
今時珍しく、和服を普段着としていて、一見古風でおしとやかな雰囲気。けれど、本当はとても気が強くて、言いたいことをハッキリ言うタイプだ。
それに薙刀と剣道の達人で、若い頃は道場で人に教えていたこともある。その影響で、私も高校を卒業するまでは剣道をやっていた。この家の庭でよく稽古をつけてもらったものだ。
さらには時々思いがけないことを言い出す、お茶目な人だった。
印象深かったのは、私が夏休みに剣道の稽古をサボった時のこと。こっそり友達に借りたゲームで遊んでいるところを、祖母に見つかったのだ。
てっきり叱られるかと思ったのに、祖母はゲームの画面を見て、尋ねてきた。
「これはどんなゲームなの?」
「冒険者になって鍛えながら、勇者や魔法使いと一緒に、悪い竜や魔王を倒しに行くんだよ」
ありきたりなRPGの概要を説明すると、祖母は穏やかに笑った。
「へぇ、勇者……竜。懐かしいねぇ。私も久しぶりに冒険に出たいわ」
祖母も昔、ゲームをやったことがあったのかな。そういうイメージはなくて、意外だった。
そういえば、親戚のおじさんや近所のお年寄りから聞いたところによると、祖母は今の私と同じくらいの年の頃に『神隠し』にあったらしい。
祖父との婚約が決まった数日後、家から一歩も出ていないのに忽然と姿を消したという。
たくさんの人と警察が捜したにもかかわらず、祖母は長い間見つからなかった。当時、家には家族がいたし、消える直前まで普通に過ごしていて、身の回りのものや履物もそのまま。
現場の様子を見る限り、誘拐されたわけでもなさそう。けれど、家出や行方不明と言うには不可解な消え方だった。そのため『神隠し』としか言いようがなかったんだとか。
でも一年ほど経った頃、祖母はこの家の蔵から酷く疲れ果てた様子で出てきたという。もちろん蔵の中は隅々まで皆が探したのだから、ずっと隠れていたということはないはず。
その間どうしていたかとどれだけ尋ねても、祖母は『遠くに行っていた』としか語らなかったそうだ。
私が聞いても祖母は『どうだったかね』とはぐらかして、何一つ教えてくれない。
そんなミステリアスな雰囲気も含めて、祖母のことが好きだった。七十歳だったから、まだしばらくの間――私が結婚する頃までは元気でいてくれると思ってたのに、病気であっさり逝ってしまった。
母はあてにならないし、私がこの世に祖母のいた証を少しでも残さないと。
汚れても大丈夫で動きやすいジャージに着替えた私は、気合いを入れて遺品の整理を始めた。
私は仕事の都合で、ここから少し離れた町にマンションを借りて一人で住んでいる。部屋は狭いから持って帰れる量は限られるし、これぞというものに絞らないと。
ありがたいことに、母屋はすでにほぼ片付いている。目ぼしいものは親戚や近所の人に形見として持って帰ってもらったからだ。
私が残したいものは、祖母が大事にしていた亡き祖父の写真や、お気に入りだった縁側の籐椅子など。それら数点に、目印の赤い紙を貼る。
そういえば、祖母はなんにでも愛称をつける癖があった。人だけでなく、湯呑みやお箸にまで愛称をつけていたのだ。ちなみに祖父のことは『キイさん』、籐椅子のことは『おフジさん』と呼んでいた。
愛称をつける理由を聞いたら、祖母は『大事なものに呼び名があると、一層愛着が湧くじゃない』と笑った。
そんな祖母の影響で、私もひそかにペンやパソコンに愛称をつけていたりする。
それはさておき、母屋の確認は完了。後は、この母屋の裏手にある土蔵だ。
一応旧家の蔵なので、祖母が健在の頃から『お宝があるかもしれないから見せてくれ』と言う人がいた。けれど、なぜか祖母は誰も蔵に近づかせなかった。
祖母が鍵を預けてくれたから、私は自由に出入りできる。でもなんとなく怖くて、私は蔵に入ったことがない。母ですら怖がり、入ったことがないらしい。
正直気乗りはしないけれど、壊されてしまうのだ。少しでも様子を見ておかないと。それに、祖母が蔵に人を近づかせなかったのは、大事なものがしまってあるからかもしれない。
私は重い鉄の鍵と懐中電灯を握りしめて、蔵の前に立った。
この蔵から『神隠し』にあった祖母が出てきたことを思い出し、少し緊張する。黒光りする大きな南京錠に鍵を差し込むと、錠はガチャッ、と重厚な音を立てた。
その時、突然私の前髪がなびいて、チカッと光った気がした。そして視界に紫色が飛び込んでくる。
「あれ? この前染めたばかりなのに――」
頭も容姿もごくごく普通の私だけど、一つだけ他の人とは違うところがある。それは家族だけの秘密。
不思議なことに、子供の頃から前髪のほんの一部だけ、メッシュが入っているように髪の色が違うのだ。これが金髪や茶髪、白髪ならまだ納得がいくのに、なぜか明るい紫という、変わった色。
かなり特殊ではあるけれど、母も髪の一部に同じような色の毛束があるから、遺伝なのは明らかだ。とはいえ結構目立つので、幼い頃からずっと毛染めで隠している。
前回染めてからそんなに経っておらず、まだ色が落ちるには早いのに――
そう思って前髪をつまむと、色は変わっておらず、黒いままだった。さっきのは、気のせいだろうか。
私は気を取り直して、重くて分厚い蔵の扉を開ける。
何かを守るような扉の向こうは、薄暗い空間が広がっていた。
壁の上方にある格子付きの小窓以外から光が入らないせいで、空気はひんやりしている。
天井からは小さな裸電球がぶら下がっていて、ホッとした。懐中電灯だけでは心もとないと思っていたのだ。蔵に入ってすぐの壁にあるスイッチを押し、電気をつける。気休め程度の明るさだけれど、なんとか全体が見えた。
白熱電球に照らされた蔵の中を見渡すと、思いの外整理されている。
なんだ、別に怖くないじゃない。
まるで博物館のような印象だ。昔の農耕具や手箕、大きな壺、鉄の金具の時代箪笥など、時代を感じる代物ばかりが並んでいた。特に時代箪笥は、味があってカッコイイ。
見る人が見れば、骨董として価値があるものなのかもしれない。でも私にはよくわからないから、業者の人に任せるのがいいだろう。
少し気に入った箪笥にだけ赤い紙を貼って、奥へ向かう。
蔵の奥には中二階への梯子があり、上にも何か置いてあるのが見える。
梯子を上ってみると、中二階はこぢんまりした部屋みたいになっていた。床の一部に畳が敷かれていて、まるで隠れ家のよう。
こんなにいいところがあったんだ。もっと早く入ってみればよかったかも。
そんな後悔をしつつ、中二階のものを見て回る。
すると最奥に、浅いけれど大きな木の箱があった。蓋付きの、古びた大きな箱。材質はおそらく桐。衣装箱だろうか。
祖母は日常的に着物を着ていて、母屋の箪笥にはたくさん着物が入っていた。
母屋のものは、どれもそう高価なものではなかったと思う。色味も柄も地味なのばかりだったし。
でもこの衣装箱はとても大事なものが入っていそうな雰囲気だ。
「おばあちゃんの若い頃の可愛い着物が入ってる、とか?」
そんなことを呟きながら衣装箱の蓋に手をかけて、ふと気付いた。
箱の蓋と本体を繋ぐように小さな紙切れが貼ってある。まるで何かを封印するかのように。
御札? ――違う。紙切れには、見慣れた少し特徴のある手書きの文字があった。祖母の字だ。
『開放厳禁』
これはなんだか怪しい。婚礼衣装が入っているとか? それとも、誰にも秘密で買った着物?
開けるなと言われると余計開けたくなるのが人間というものだ。
それに私の役目は遺品整理。中身を確認しないと、どうするか判断できない。
「おばあちゃんゴメン、開けちゃうよ」
私は天国の祖母に謝ると、紙を剥がし、衣装箱の蓋をそっと持ち上げる。
中は……
「あれ?」
空っぽ? 何も見えない。懐中電灯で照らしてもただ暗いだけで、底も見えない。
思わず少し顔を突っ込んでみたけれど、やっぱり何も見えなくて……ん? ちょっと待って。
この箱は浅くて、せいぜい三十センチほどだった。それなのに、ものすごく深くない? 私の体、肩まで入っちゃってるんじゃないか? どうなっているんだろう?
そう思った時――再び、私の前髪が光った気がした。そして次の瞬間、箱の中にものすごい力で引き寄せられた。
「えっ?」
ナニコレ!? 吸い込まれるっ!
とんでもなく大きな掃除機に吸われるかのような感覚に襲われ、私は慌てて箱から体を出そうとする。しかし、強い力が私の全身を箱の中に引きずり込んだ。
「きゃあああ――――!」
箱の中に入ってしまったと思ったら、落ちてる? 耳元で風がびゅうびゅう鳴り、ぞっとする。何がどうなってるのよコレ?
開放厳禁……確かに開けちゃいけなかったのかも。
注意書きは守った方がよかったな。そんなことを思いながら、私はものすごい勢いで暗い闇の中に落ちて行く。
――どのくらい落ちただろう。
気が遠くなって、私は意識を手放した。意識を失う間際、闇の底で大きな扉が開くのが見えて、そこを潜ったような気がした。
目が覚めると、落下の感覚はなくなっていた。
随分と長い間落ちていたはずだから、落下の衝撃は強かったのではと思うのだけど、別段どこも痛くない。おかしい。――もしかして、私は死んだのだろうか。
いやいやいや。そもそも衣装箱を開けて覗き込んだら吸い込まれて……という状況がおかしい。
ひょっとしたら遺品整理中に私は昼寝してしまい、おかしな夢でも見ているのかな。
きっとそうだ。そうであってほしい。こんなふうに夢で状況を分析するなんて不思議な気もするけど……
そーっと目を開けると、意外にも明るかった。
うつ伏せに倒れていた私の目に入ったのは、つやつやの石の床。明らかに祖母の家の蔵でも、母屋でもない。ましてや自分の住んでいるマンションでもない。
手をついて身を起こしてみる。妙に体が軽くて違和感はあるものの、普通に起き上がれた。
辺りを見回すと、今まで見たこともない幻想的な空間だった。
床は磨きあげたようにピカピカ。でも、壁や高い天井は、床とは不釣り合いなほどゴツゴツしていて、自然のままという感じ。
天井に至っては、つららみたいな石がたくさん垂れ下がっていて、鍾乳洞のようだ。それらすべてが水晶みたいに、透き通っていて、淡く光って見える。照明がないのに明るいのはそのせいかな。
なんて綺麗なんだろう……って、うっとりしてる場合じゃない!
「ここ、どこよ?」
とりあえず、天国という雰囲気ではない。洞窟?
鏡みたいにつやつやな床に映る私の顔は見慣れたもので、服装は蔵に入った時と同じ上下ジャージ。一つ違うところといえば、染めたはずの紫の髪がなぜか顕になっていることくらい。
一応お約束で頬をつねってみた。結構痛い。
「えーっと……」
頭が真っ白でよく考えられない。しばらく座り込んでぼうっとしていたけれど、足やお尻が冷えてきたので、立ち上がった。そして、少し周りを見てみようと、歩きはじめる。
その空間は、長細く続いていた。やっぱり洞窟なのかもしれない。
どこかに出口はないかな。誰か他に人はいないのだろうか。
信じられない状況に陥っているわりには、自分でも呆れるほど私は冷静だった。現実味がなさすぎて、自分のことだと思えない。
それにしても体が軽い。歩いていると、まるで弾むかのようだ。
試しにスキップしてみたら、ふわんふわんといつもの倍くらい体が跳ねる。それにまったく疲れない。
「やだ、面白い」
まるで月面着陸した宇宙飛行士の歩き方みたい。
なんだかすっかり楽しくなってしまい、私は明るく輝く通路をスキップで進んだ。
時折軽くジャンプしてみたら、これも尋常でない高さまで跳べる。天井からぶら下がるつららみたいな岩にだって届く。岩は叩くとピアノみたいないい音が鳴った。
これまた面白くて、私は夢中になってぴょんぴょん跳ねては音を鳴らす。
それから、音を奏でながら光る通路をしばらく進むと、突然行き止まりになった。
いや、行き止まりじゃない。
突き当たりだと思ったところには、虹色に輝く幕のようなものがぶら下がっていた。それはオーロラみたいな不思議な煌めきを放ちながら、かすかに揺れている。
風が吹いているのだろうか? 幕の向こうには、先があるのかな。
出口かもしれない。期待をこめて、私は虹色の幕に手を伸ばしたのだけど――
「えっ……!?」
布みたいに見えたのに、掴めない。それどころか指先はものに触れた感触もなく、すり抜けてしまった。あ、もしかして幕じゃなくて光なのかな。
そうだ。指がすり抜けるということは、全身も抜けられるのでは?
衣装箱に吸い込まれたり、落ちたり、異常なほど跳べたりと、すでにいろいろあったのだ。今更何を躊躇することがあろうか。
「えいっ!」
ぎゅっと目を閉じて虹色の光の幕に飛び込む。同時に、耳元でシャラランとハープをかき鳴らしたみたいな音が聞こえた。
目を開けると、祖母の家の蔵に戻って……ないね。
「残念」
狭くて細長かった通路と違い、そこは広い円形の空間。大聖堂のような場所だった。
天井は通路よりもさらに高くて、なだらかな曲線でドーム型。そのつやつやした表面には美しい絵が描かれている。壁も床と同じような磨かれた石だ。壁際に並ぶ柱には、複雑な模様の彫刻が施されていた。
ただ、石が光っていない分ちょっと薄暗い。光源は高い壁の上の方にある窓だけ。
この場所がどこだかわからないのはさっきと変わらないけれど、私はホッとした。
ここは明らかに人工的な空間だ。あの通路は楽しかったものの、人の気配がなく、人の手も入っていないことが少し怖かった。
教会であれば祭壇がある場所の横手から、私は出てきたみたいだ。
窓から差し込む光が、大きな岩をスポットライトのように照らしている。あの通路を作っていた岩に似た、透き通ったとても硬そうな岩だ。
私は気になって、岩に近づく。そこに突き立って存在感を放っているのは……
「剣?」
複雑な彫刻を施した、金色の柄のとても立派な剣。和風の剣ではなく、西洋風の剣だ。
こういう剣は、昔やったRPGゲームに出てきた。『常人には決して抜けぬこの聖剣を抜いた者こそ、真の勇者!』という勇者選出のシーンを思い出す。
「ふーん、すごい。誰がこんな硬そうな岩に刺したんだろう。神様?」
何気なく片手で剣の柄を握り、軽く引っ張ってみる。どうせ抜けるはずないのだから――
メキメキィ……ずぼっ。
「え?」
なんか、雑草を抜くくらいな感じで、普通に抜けてしまった。しかも剣はとても軽い。
私は慌てて、その理由を考える。きっとこれ、ガッチリ刺さっているように見えて、岩の切れ込みに入れてあっただけだったんだ。
メキメキって岩から音がしたのも、床に岩の破片が落ちているのも気のせい。
それとも、岩が硬そうに見えて実は柔らかかったとか。この剣だって、どう見たって金属で重そうなのに、めちゃくちゃ軽い。こういうレプリカなのだ……と納得することにした。
とはいえ、勝手に触ってはいけないものな気もする。とにかく元に戻しておかなきゃ。
その時、横から視線を感じた。それも多数。そしてざわざわとどよめく声も聞こえてくる。
「お、おい……」
「女?」
「嘘……だろ……」
剣を手にしたまま、声がした方をそーっと見る。すると扉があって、そこから入ってきたと思しき男性が十人ほどいた。
どの人も驚いているのか、口をパクパクさせていたり呆けたような表情だったり。
人がいるということはありがたい。だが、しまった。間に合わなかった――――!
剣を手に固まる私。
団体さんも固まっている。団体さんは全員男性で、ほとんどが若い。かなりムッキムキの筋肉質な人も多数。みんな少し変わったファッションで、髪の色が見たことのない色ばかり。いや、私の前髪と同じような紫の人もいる。けれどとにかく、自然な髪色ではありえない色だ。
そんな中、他の男性達より年かさで、背の高い一人の男性が近づいてきた。ズルズル引きずるほど長い装束に身を包んだ、これまた長くて青い髪と髭のおじさん。
その人は落ち着いた声で私に問う。
「そなた、どこからこの神殿に入った?」
「え? ここ神殿なんですか。えーと、あっちの光る通路から来て、虹色のカーテンみたいなのをすり抜けるとここで……って、あれ?」
自分の来た方向を指さしたものの、そこは壁。通路とこの空間を仕切っていた虹色の光の幕が消えている。
「そこに入り口があったんですけど……」
首を傾げるしかない私に、青い髭のおじさんはなぜか納得がいったように頷いた。
「なるほど。奥の『扉』を潜ってきた、異界の者なのだな」
扉? 異界? ――そういえば、落下の最中に闇の中で大きな扉を潜ったような気がする。あれは異世界への扉だったってこと?
私がまだ混乱しているのに、髭のおじさんはさらに問う。
「そなた、名は?」
「剣崎巴……トモエです」
「私はこの神殿を守る神官の一人。ここの『扉』から来た者は何十年もおらぬし、よそでもここ数年来めっきり減った。しかし、この世にはあちこちに『扉』があり、そこから異界の者が来るのはそう珍しいことではない。今はいろいろあって『扉』の繋がりが不安定でな。現れてもすぐに消えてしまうのだ」
神官? この人、偉い人みたい。それに、事情に詳しいとみた。
よし、この人に相談したら帰れるかも! 私は帰って、遺品整理の続きをやらなきゃいけないのだ。それに休みは明日までだから、明後日には会社に行かないといけない。
「私、どうしてここに来たのかよくわからないんです。『扉』ってなんですか? ここはどこなんですか? 帰る方法をご存知でしょうか? 詳しく教えていただけませんか?」
私が焦って捲し立てると、神官さんはやや引き気味に笑う。
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