王冠の受難

まりの

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戦いは朝に

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 朝はいい。
 変な話、この歳になると目覚めるのが早い。夜明けと共に目が覚めてしまう。
 ルー……いや、ロンは朝が苦手だ。起こさないと絶対に起きない。一度放っておいたら昼まで寝ていた。寝る子は育つというが、これ以上大きくならないで欲しい。
 深呼吸しながら庭を散歩。昨日午後降った雨が足元を濡らすが、朝焼けに仄かにピンク色に光る水滴が美しい。今日は体の調子は良さそうだ。
 リビングの暖炉に火をくべる。いかに前世紀の建物とはいえ空調は整っているのだが、暖炉は私の憧れだったのだ。アンティークと暖炉。必須だと思う。
 朝食の準備でもしよう。
 パンは気が向けば私が焼くこともあるが、昨日ロンが買ってきてくれた。本当はまだ彼を一人で買い物に行かせるのは不安なのだが、試しに外では口をきかない約束でメモを持たせておつかいに出したら上手く出来たので、以来行かせている。
「みんな親切だね。おまけいっぱいくれるの」
 大層ご機嫌で帰って来た。昨日のパン屋の戦利品はバケット一本とベーグル4個。ライ麦入りのものが好きなので、それを一個買いに行っただけの筈……石鹸を買いに行った雑貨屋では蜂蜜の瓶を、鶏肉目当ての肉屋でソーセージを、ラデッシュを買った八百屋でりんごとオレンジももらって来た。
 目に浮かぶようだ。店のご婦人方が頬を赤らめて「おまけ」とか言いつつそれらの品を差し出す様が。黙っていればちょっとそこいらにはいないような男前だ。嬉しそうに微笑まれたりしたら、次は何時来るのか心待ちにしているだろう。
 別にもらわなくても生活に支障は無いのだが、ご好意はありがたく頂戴しよう。私が先に死んでも食うには困らないな。得な顔だ。
 毎日ベーコンにスクランブルエッグも飽きたので、今日は卵とチーズでオムレツを作ろう。庭のハーブも先程摘んできたし、後はタダでもらってきたオレンジを絞って、パンは昨日のジャムでいいな。ミルクも蜂蜜もあるし。たまにはオートミールもいいかなと思っていたが、おまけのパンが沢山あるからな。
 料理は嫌いじゃない。思わず鼻歌も出てしまう。声は出てないが。
 と、爽やかな朝はここまでだ。
「さて、ロンを起こすか……」
 憂鬱な瞬間が近づく。心は臨戦態勢だ。
 これはもう毎朝の戦い。下手したら命懸けの戦いになる。
 声が出ないので揺すって起こすしかないのだが、そうなると接近戦だ。一度寝ぼけて引っ搔かれ、服がすだれになった。寝起きは機嫌が悪いので威嚇の唸り声を聞くといつ噛み付かれるかドキドキだ。
 ルーも寝起きの悪い子だったが、あれはあれで可愛らしかったのに……。
 彼の部屋のドアをノックする。これで起きてくれたらラッキーだが、滅多にそうはいかない。そんな生易しい相手では無い。そーっとドアを開けると、ベッドから足が出そうな長い男がうつぶせに寝ている。
 ううっ、なぜ裸? いつも薄着だがこれは酷い。寒くないのか? 毛布もとりあえず腹に掛かってるだけだし。
 少し揺すってみる。全く反応無し。くーっと長閑な寝息が聞える。
「……」
 もう一度揺すって、肩の辺りを軽くぺちぺち叩いてみる。
「うう……ん」
 あ、起きた?
 寝返って仰向けにはなったが、またもくー。
 これは長丁場になりそうな予感がする。オムレツが冷めてしまう。
 しかしまあ、本当に色が白いな。血管が透けて見える。今から思うに父親はほとんどアルビノだった気がする。この子も髪は黒いが他の色素は極めて薄い。
 ……寝顔が可愛い。なんて睫毛が長いんだ。何故こんなに幸せそうな顔をして眠ってるんだろう。ああ、これがもっと小さいか女の子だったら良かったのに……。
「起きてください」
 声は出てないが一応そう言いつつ、ちょっと強めに揺すってみる。
 そこへ不意打ちが襲ってきた。
「えっ?」
 長い腕が首のあたりに絡みついてきた。そのままものすごい力でベッドに引き寄せられる。わぁあああ! こんな攻撃は初めてだ。
「ルイもねんね~」
 背中をとんとんされてますが……。
 寝ぼけている。完全に寝ぼけてる。私はルーの息子の幼児では無い、おっさんだぞ!

 た  す  け  て

 くそっ、なんて力だ。逃げられない。嫌な汗が出てきた。爽やかな筈の朝に裸の男に「ねんね~」とか言われつつ抱きしめられているなんて。
 がしっ、と頭を鷲掴みにされる。イヤだぁ。胸に頭を擦り付けないでくれぇ!
 は、肌触りはとても良いが……。
 いっそ自慢の冠熊鷹の爪で引っ掻いてやろうか? いやいや、それはあまりに可哀想だ。というか反撃が怖い。流血の事態は避けたい。
 じりじり腕の間から身を捩って何とか脱出に成功した。
 殺されるかと思った……今までで一番精神的に効いた。髪と服の乱れを直してから、ちょっと悔しいので、ロンの額をぺちっと一回叩いておいた。
「ふぁ~? あ、レイ。おはよぉ」
 やっとお目覚めですか。
「朝ごはんが出来てます。冷めてしまうのでさっさと服を着て降りてらっしゃい」
「ふぁい……」
「それから、風邪をひくのでちゃんと寝巻きを着て寝なさい」
「……朝から色々と言うね」
 あ、微妙にぐるるって低い唸り声が聞える。逃げよう。
 朝の戦闘は終了した。本日も何とか生還した。勝利には程遠いが。
 新しい攻撃が来た。このままだと本気で命の危険すら覚える。また目覚まし時計でも買ってやろう。前回のはうるさすぎると一撃で粉砕されてしまったから、もっと丈夫なのを。鋼鉄製の時計でもあつらえるか。
 可愛くは無さそうだがな……。

 朝食の後、一緒に散歩に出ようとロンを誘ってみる。
 今日は週に二回のお手伝いさんが来る日なので、洗濯や掃除はしておいてくれる。
 とにかくロンを連れ出したほうがいい。お手伝いさんはどうも彼を目当てに来ているようだが、家の中では見た目と言動の不一致が酷すぎて他人にはあまりお見せ出来ない。ただでさえメルヘンな内装調度の家に男二人が住んでいるのを訝しんでいるのがわかる。
「あ、そうだ。この前森の近くでいっぱいローズヒップがなってるの見つけたの。採って帰ってお茶にしよう」
 いいですねぇ、ローズヒップ。最近血行がよろしくないのでぜひ欲しい。
 長閑な田舎の村外れ。緑の季節は終わってこれから冬がやってくる。金色の枯れ草の色もなかなか良いものだ。いい天気だし、散歩するにはもってこいだが……。
 ステッキ片手のおじさんと若い男。さて、傍から見たらどんな取り合わせに見えているのだろうか。親子かな? まさか孫と爺さんに見えて無い事を祈りたいが。
 しかしまあ、大きい事。思わず見上げる。私もそう背が低くは無い。若い頃は百八十センチ近くはあった筈だ。ルーも女の子にしては背が高い方だった。ウォレス博士もかなりの長身だったのでどちらに似ても背が高くなる運命だったのだろうな。
「そんなに背が高いと見える景色が違うでしょう?」
「うん。おもしろいよ、何だか遠くまで見える気がする」
 それはそれは。
 森も色づいた葉が赤や黄色でとても綺麗だ。目的のドッグローズの木が群生している場所に到着。濃いオレンジの実が美しい。
「沢山ありますね。棘にお気をつけなさい」
「うん」
 低い野薔薇の木から窮屈そうに身を屈めて一生懸命採ってるのが見てて面白い。男二人がかりで美容によい実を採ってるのが、そもそも面白い光景ではあるが……。
 しばらくして、はっとしたようにロンが顔を上げた。
「どうしました?」
「しっ、身を低くして」
 遠くでぱーんと音がした。そういえば狩猟シーズンに入ったか。危ないかもしれない。これ以上奥には行かない方がいいな。
 ワンワン。猟犬の声。
「帰ろうか」
 そう私が言った時だった。
「そこの人! 熊がそっちに行った! 手負いだから危ないぞ」
 木々の向こうからハンターらしき男が手を振ってる。
「レイ、動いちゃダメ!」
 気がつくと背後に物凄い殺気を感じた。
 そっと振り返ると、大きな熊が立ち上がって手を広げていた。
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