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2:猛獣よりインパラ
しおりを挟む頭の中が真っ白になった。
床で頭を打ったのか、しばらく彼は動かない。
「きゃ~っ!! どうしましょう!」
私の密かな憧れは跳び蹴りで終わった……って、そんなコト考えてる場合じゃないし!
まさか、死んでないわよね!?
「……い……ててて」
数秒後、やっと彼が動いた。
良かった。殺人犯にならなくてすんだ……ってそんな安心してる場合でもないし!
ふと、周囲を見渡すと、皆一様に怯えた顔で後ずさって行った。ヒューイまでっ!
それは、私に対して怯えてるの? それとも彼に?
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
私はひたすら謝るしかない。
「一体何が……」
状況が飲み込めないのか、彼は倒れたまま固まっている。
せめて起きるのを手伝おうと思って私が数歩近付いたとき。
めきめきっ。
「……ん?」
足の下でいや~な音と感触が……。
私がそーっと足を持ち上げると、彼の眼鏡が無残な姿で現れた。
ああ……あああ……! 詰んだ。
「何か今、すごく嫌な音が聞こえたんだけど……」
「はい。あなたの眼鏡、たった今粉砕してしまいした。私の足が」
こうなったら開き直りしかない。
「……俺に何か恨みでも?」
声のトーンがちょっと怖い。微妙にがるる……って唸り声が聞こえるんですけど。ちょっと牙も見えますよぉ。お、怒ってる?
「いえ、恨みなど何も……」
「つぅ……!」
立ち上がろうとした彼は、もう一度肩を押さえて膝をついた。あっ、なんか左手がぶらーんって……。
「すまない、肩が外れたみたいだ。手を貸してくれないか?」
えええ~~っ!
「い、急いで医局に!」
私はとにかく立ち上がるのを手伝った。無事な方の手ががっしり私の肩に乗ってる。
うわ。背、高っ! でもちょっと震えているところをみると、相当痛いんだわ。関節外れてたら痛いわね、そりゃ……。
ってか、私がやったのよね。うわぁ、大変な事をしてしまったぞ~!
この密着度に恥ずかしくなったのは、後で冷静になってからだったが、廊下を行く間にすれ違った女性達からはおそらく敵視されてるんだろうなぁ―――。
突然、肩越しに彼の顔がアップで迫ってきた。
ひぃ~~ちかい~! 息がかかるぅ~~。
間近で見ると結構男っぽい顔ね。眼鏡が無いせいかしら? 肌も髪も眼の色も色素が薄いせいか線の細い繊細なイメージだったのに。いやん、でも睫毛長~い……って、そんな場合じゃないし!
「あ、あの? すごく近いんですが」
視線が~! 周りの視線が~~! 殺されるぅ~~~。
「ごめん、ぼやけててよく見えないんだ。えっと、君は……」
「マルカです。マルカネッタ・ギブソン」
「ああ、研究班の」
おおう、私のことを知ってるの?
「で、いきなりとび蹴りを喰らわなきゃいけなかったのは何故?」
「……事故です。あなたを狙ったわけではありません。ホントです!」
「あんなに凄いキックをくらったのは初めてだ。誰かを蹴り殺そうとしてたのか?」
「いや、だから蹴ったワケではなくて、言い寄ってきた男から逃れようとジャンプしたら、着地点にあなたが入ってきた、という次第で」
「なるほど……事故だね」
「ちなみに眼鏡を踏んだのも事故です」
「……面白い娘だ」
医局に着いたら、ナースのお姉様方に奪い取られる様に彼は連れて行かれた。
「ちょっと。いつに無く酷いじゃないの。一体何があったのよ? 猛獣にでも襲われたの?」
カーテンの向こうで治療しているのは女医さんの声。
はい、彼はインパラという猛獣に襲われたのです……。
ああっ、シルエットだけど服を脱がされてるのがわかるぅ~! なんで男の先生じゃないのよ?
「いや、トレーニングルームで少し接触事故を……」
「うそ。足型に内出血してるわよ? 誰かに蹴られたのね? 誰がこんな酷いことを」
はぁ~い、私ですぅ。ううっ……! そこまでヒドかったとは……。
「本当に事故だから。それに外れてるだけだし。折れてないのは自分でもわかるから」
「簡単に言うわねぇ、まったくこの坊やは。もう少し自分を大事になさいな。困った常連さんだこと」
女医さんの呆れた声。
重要な事件の現場に常に出ていて、危険な仕事が多いため『生傷男』というヒドイあだ名があるというのは聞いたことがあったが、ホントだったんだ。ここの常連さんなのね。
本来なら出動なんかしなくても、研究室で指揮がとれる人なのに……同族を名乗るならユーリも少しは見習いなさいよ。
「じゃあ嵌めるわよ。言っとくけどものすごく痛いわよぉ。ほら、みんな押さえて」
おいおい、麻酔も使わないのっ? Sか、ここの女医はっ!
「はい、せえの」
「ぐぁ……っ!」
何とも言いようのない切ない呻き声と、ごきっ、というニブイ音が聞こえた。カーテンの向こうでは一体どんなことが行われて……いやいや、治療中だっつ~の。
「いいわねぇ、苦痛に耐えるその顔。とってもセクシー」
やっぱこの医者ドSだな……。
いや~ん、でもちょっとその顔見てみたかったかも! さっきは震えてはいたけど、そんなに表情を変えなかったもの。ひょっとして気を使って我慢してたの?
「はい、終了。後は冷やして固定しておけば一週間ほどで治るわ。骨は戻っても腱は痛んでるから、こっちの手はしばらく使わないように。衝撃も避けてね」
「えぇ? 一週間って……明日から俺、任務でケニアに行く予定なんだけど」
むむぅ。それは聞いてなかったぞ。
「それは無理。違うチームに替わってもらいなさい。大体、昨日ペルーから帰ってきたばかりじゃない。本部長はあなたとフェイを使いすぎなのよ。いくらお気に入りだからって、もう少し大事にしてもらわないと。ホントにいつか死ぬわよ。いいの? まだ本懐は遂げてないんでしょ?」
何やら最後に意味深な事を言われて、彼は黙ってしまったようだ。
「さて」
突然、カーテンが勢いよく開いた。
顔を出したのはドSの……いやいや、意外にも清楚な感じの美人の先生だった。四十代って感じ?
先生が私に言う。
「そこのお嬢ちゃん、しばらくこの坊やを見張っててちょうだい。放っておくと無理するから」
坊やに……お嬢ちゃん……ですか。
「その娘は研究棟に戻さないと……」
彼の声が聞こえたが、すかさず先生が振り向きもせずに言う。
「あなたは黙ってらっしゃい」
こわっ!
先生は真っ直ぐに私を見ている。
「どんな理由があったのかは知らないけど、ディーンにここまで怪我をさせたんだから、せめて今日一日でも彼の腕と眼鏡のかわりをなさい。事の重大さがわかるわ」
「……バレてましたか」
「誰かを庇ってるのが丸わかりだもの。それに、トレーニングルームから運んで来るだけだったら、屈強の野郎共がいるのに研究班のこんな小さな女の子のはずが無いじゃない」
名探偵ですこと……。小さなは余計だけど。
「せめてフェイを呼んでくれよ」
後ろから彼が声をかけても、名探偵の女医さんはやはり振り返りもしなかった。
「子供を男女の問題に呼べますか。それにフェイだってあなたと同じでオーバーワークなんだから、丁度いい機会だから休ませておやりなさい」
男女の問題って……なんかものすご~く誤解をされてるんですけど……。
そこんとこの推理は間違ってるよ名探偵さん。
でも怖いので、私はもう何も言わなかった。それは彼も同じだったらしい。
この先生もA・Hなんだろうか。
狼が怖がるんだから、きっと虎か雌ライオンみたいな猛獣に違いない……。
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