僕に翼があったなら

まりの

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旅の空

ずるいよユシュアさん

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「逃げろ!」
 ユシュアさんが叫んでいる。
 それは僕の前に来た。
 黒くてテラテラしたもの。暗くてはっきりは見えないけど、ルイドよりは小さい。
 でも何とも言えない気配。これが魔物なのか。変わった生き物なんだ。全体には蜘蛛みたいな格好。すごく怖いけど、足は動かなかった。
「……ニン……ゲン」
 それが喋った。
「血を吸う魔物?」
「……? ……ハラヘッテル」
「僕の血も吸うの?」
「オマエ……タベナイ……」
 魔物はまたぎゅるるっと唸っただけだった。
 何でだろう。言葉がわかると怖くなくなった。さっきの村長のおじさんのほうが余程怖い。
 さあっと、辺りが一層暗くなった。雲で月が隠れたせいだ。
 次の瞬間、体がふわっと浮いた。
「え?」
 それはユシュアさんが僕を抱きかかえて、跳躍したのだと気がついた時には、かなり高くまで上がっていた。ユシュアさんには羽根は無いのに、こんなに高く飛べるなんて。
「話は後で。少し離れて待ってなさい」
 暗くてほとんど何も見えない。着地したユシュアさんは僕を降ろすと走って行ったみたい。
 ほんの少し雲が切れて、二つの月の一つが顔を出した。
 魔物は唸り声を上げて、触手みたいな何かを伸ばしながらユシュアさんの方に突っ込んでいく。
 きらっと剣が光っただけに見えた。次の瞬間には黒い影が二つに分かれて見えた。
「よし、最後の一匹を仕留めた」
 魔物はユシュアさんの剣で倒されてしまったみたいだ。何だかひどく可哀想に思えた。
 僕はユシュアさんに駆け寄ったけど、まず最初に叱られる……そう思った。
 でも怒鳴られるでもなく、ユシュアさんは僕に背を向けたまま立ってるだけだった。手から剣が落ちて、からんと音がした。
「……来るな」
 はっ! そういえば僕、今ズボンも履いてないし上の服は破れちゃってるしとんでも無い格好だったんだ!
 恥ずかしくなって、その場にしゃがみこんだ。
「……勝手に外に出てゴメンなさい」
「それはいい。無事だったなら……それよりオレを見るな……」
 ユシュアさんの声が震えてる。暗い中で背中しか見えないけど震えているようにも見える。
「ユシュアさん?」
「すまん、先に帰っててくれ」
 泣いてるの?

『奴に触れるな。夜、人に触れると姿が変わる。そりゃあ恐ろしい見た目になるんだ』

 そういえば村長のおじさんがそう言ってた。僕に触れたから?
「ぐ……!」
 ユシュアさんが突然蹲った。
「どうしたの?!」
「たの……む。見る……な。行け」
 でもでも! 苦しそうだよ。放って置けるわけ無いじゃないか。
 蹲ったユシュアさんの背中が盛り上がったのが見えて、ばりばりっと音がした。
 黒い尖ったものが背中から突き出た。それは次の瞬間にはぶわっと広がって大きな翼になった。
「羽根……」
 わあ。羽根だぁ! 鳥の羽根とはちょっと違うけど、蝙蝠みたいな艶々した薄い羽根はとっても素敵。
 すご~い。すごいすごいいいいっ!
 僕、今までで一番感動してるかも。人間に羽根があるなんて!
 ユシュアさんは立ち上がって両手で顔を覆ったまま、こっちを向いた。
「何故、逃げない? 怖くて動けないのか?」
「ちがう。すごいよ! ユシュアさん羽根あるんだっ!」
 僕はなんだかすごく嬉しくなって、一歩踏み出した。逃げるようにユシュアさんが一歩下がる。
「……怖くないのか?」
「うん。全然」
 怖いどころが、羨ましくて仕方ないのに。
「え……」
「それ、飛べるの? ねえ、ねえ」
 僕が訊くと、顔は見えないけど、ユシュアさんは何だか溜息をついた様に見えた。
「変わった子だな。大抵これを見れば皆魔物だと言って逃げるぞ」
「ウソ、いいのに。すっごく素敵。僕も欲しいな~」
「……」
 何でガックリしたみたいにもう一度しゃがみ込んじゃったんだろう。僕、何か悪い事言っちゃったかな?
「これを見ても?」
 ユシュアさんが顔を覆っていた手を退けた。
 そこには見た事の無い顔があった。
 二つの月の月明りに浮かんだその顔。目はユシュアさんのまま。でも頬には黒く光る鱗みたいなのがあって、口は尖った嘴。
「クチバシっ!?」
「こんな醜い姿を見たら、幾ら君でも怖いだろう?」
 ひゃああああっ! 感動再び。
 色んな色に、高い背に、強さ。それだけでも凄くすご~く羨ましかったのに、羽根と嘴まであるなんてっ!
 僕は思わず足をじたじたしてたみたい。
「ほら、怖がってるじゃないか」
「ずるい……」
「はぁ?」
「ズルイっ! ずるいよ、ユシュアさんばっかり! 僕に無いもの全部持ってるんだもんっ」
 もう、羨ましいのを通り越してちょっと腹が立ってきた。それなのに怖いかとか、醜いとか自分で言っちゃって。
「……シス君? 何言ってるんだ?」
「それはこっちが言いたいのっ。何言ってるの? そんなに素敵なのにどこが怖いって? 僕は自分に羽根も嘴も無くってずっと悲しい思いをしてたのに。全部持ってて羨ましいのに」
「……」
 再びがっくりした様子のユシュアさん。両手を地面につけて項垂れてる。
「くくく……」
 突然、ユシュアさんが笑い出した。
 しばらくして、むくっと起き上がって僕の方を真っ直ぐ見た。
「その……抱きしめていい?」
「え?」
 頷くと、ユシュアさんは手を広げて僕を抱きしめた。ふわっと、とても優しく。温かくて、気持ちよかった。なんだかすごくほっとする。
「ユシュアさんは怖くない。おじさんにぎゅってされた時は怖かった」
 はっとしたように、ユシュアさんが僕を少し放した。
「そういえばこれは……」
「村長さんが僕に用事があるって来て……お兄ちゃん疲れてよく寝てたし、僕のお家じゃないから入ってもらえないって言ったら、空いてるムナの小屋に……勝手に外に出てごめんなさい」
 もう一度ぎゅっと抱きしめられた。
「君が謝る事は無い! 村長、酷い事を……!」
「服、脱がされただけ。上に乗られたのは怖かったけど……」
「言わなくていい」
 ユシュアさんが震えてる。怒ってるの? 泣いてるの?
「ねえ、僕……人を誘ってるの? 狂わせるの? そんなニオイする?」
「……」
 何も答えてくれなかった。ただ、背中に回った手に、ちょっと力が入った気がした。
「帰ろう。お兄さんが心配してるよ」
「うん……」
 本当はもう少しこうして抱きしめていて欲しかった。何なのだろう、この胸の奥が痛いのは。今までに感じた事の無い痛みだった。

「シスっ! 無事か?」
「ルイドこそ……大丈夫?」
 お兄ちゃんは小屋の入口に詰まって動けなくなっていた。僕を追いかけて来る気だったみたいだけど、慌てたのか狭い扉に羽根が引っかかって出られなかったのだ。
 ゴメンね、心配かけて……。
「すまん、弟が勝手に出て行くのを止められなくて」
 ルイドがユシュアさんに言ったが、通じてはいない。でも、ルイドもやっぱり変わってしまったユシュアさんの姿を見ても、気にもしてないようだった。
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