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白夜の章
青い森の少女 2
しおりを挟むしばらく黙った後、ハフさんが思い切ったように切りだす。
「事件のことでは無いが……ユシェンに関して気になることがあるんだ」
「気になること?」
しかしハフさんは切りだしておいて、やはり話すのは……と、思い直したようにすぐには続けなかった。たとえ無関係でも、そう言われるとこちらも気になる。思い切って言ってもらうように促した。
「ユシェンはここ最近、ドーム外への輸出で経済的に潤っていて、住民だけでなく、近隣の私達のような昔から住んでいる者もその恩恵は受けている」
「輸出ですか。都市の経済的自立は中央政府も勧めたい事でしょうが、ドームが出来て三年ほどですよね? 何を輸出しているのですか?」
一応基本的な予習はしてきたはずだが、それは初耳だった。ユシェンの管理者、および住民の多くはノーマルタイプの人間だ。G・A・N・Pにいると、なかなかこんな辺境の都市の様子までは耳に入ってこないのが現状。確かに事件に関係ないとしても興味深い話だ。
「君達はユシェンの特産品を知ってるかね?」
「特産品、ですか? いえ……」
いきなり聞かれてもぱっとは答えが出なかった。
いくら世界的規模で進められてるプロジェクトで優遇されている都市とはいえ、この過酷な自然にあって、特産品などあるのだろうか?
「海が近いからお魚とか?」
フェイが先に答えた。俺もまずそれしか思いつかなかった。フィヨルドの海でタラやサーモンやカニは獲れると思う。
だがハフさんは首を振った。答えはノーらしい。
「じゃあ石油とか? 近くに油田があったはずだ」
俺の答えもノーだった。考えてみたら数年前から化石燃料の採掘は一切禁止されているな。
「正解は絹生糸だよ」
「シルク……ですか?!」
あまりに意外な答えに俺が驚くと、ハフさんの顔は『ほら驚くだろう?』と言いたげだった。
フェイはあまりピンと来なかったのか、そんなには驚かなかった。そもそも、それがどんなに凄い事なのか実感出来てないだけだったようだ。
「絹って艶々した上等の布? 虫が吐く糸で作るんだよね? えっと……」
「カイコだよ。蚕っていう蛾の繭から採る糸が絹だ。その蛾は比較的暖かい土地で育つ特定の葉しか食べないし、温度にとてもデリケートだ。アジアでは昔から飼育が盛んだったが、こんなに寒い土地では聞いたこともないな」
「でもドームの中は暖かいし、飼育も可能なんじゃない?」
フェイの言葉に首を先に振ったのはハフさんだった。
「餌となる葉の出所がわからないんだよ。確かにユシェンには農業エリアがある。しかし、人口も考えればドームの限られたスペースでは通常の食料生産だけで手一杯だと思う。事実、ドームの外に住む私達……近隣の村の者もこの気候で作物が採れなくてドームの農作物に世話になっているからよく畑には行くけれど、それらしいものは植えられていないよ」
「生糸を生産して他所に売るほどの繭を採ろうと思えば、相当大掛かりな養蚕になる。蚕は少しの数でも相当の新鮮な餌を必要とするから、かなり広い桑畑が無いとおかしいですね。まあ、前世紀の遺伝子研究の初期でさえ桑以外を食べて育つ雑食性の蚕は人工的に作られていたし、そもそも熱帯に近い地方の蚕は、他の葉を食べて繭を作っていた。それでも消費する餌は半端じゃないはずだ」
人類が哺乳類や鳥類以外で、古くから身近で飼育してきた昆虫は、蜜蜂と蚕くらいだろう。養蚕はそのうちでも種の一生を全て人が管理するという、ある意味特殊な産業。昆虫は専門外だが、一応俺も元の職業柄、基本としてアジアに行って勉強したことがある。
「大変なんだね、絹を作るのって。高いのがわかったよ」
フェイもやっと少しはなぜ俺が驚いたのかがわかったようだ。
「そういえばユシェンに移り住んだ人の大半は中国系でしたね。世界中で最も養蚕の盛んだった地域だ。技術的には全く問題ないでしょうが、確かに気になりますね」
俺がそう言うと、ハフさんはひとつ頷いてから深刻な表情をした。
「それでだ、何が気になるといえば、ドームの西の端にある巨大な建物なんだ。何のための施設なのか住民でも自由に出入りは出来ないそうだ。どうもそこで絹の生産をしているらしいということはわかっているんだが、異常なほど警備が厳しくてね。私の考えすぎかもしれんが、怪しく思えてね。まあ今度の事件に直接関係は無いかもしれないが」
「はぁ……」
ひょっとしたら……少し頭の中にぼんやりと形が浮かんできたような気がした。
極寒の地での絹の生産、謎の施設、大量のA・Hの死体……多分ハフさんの考えすぎなどではない……そんな根拠のない確信がある。
だが、もしそうなら―――。
「とにかくG・A・N・P北欧支部の科学班の解析結果待ちですね。朝一番に俺もできる限り遺体の解析をしたいと思います。その子供たちが何の遺伝子を持ったA・Hなのかがはっきりわかれば、おそらく答えが出ます」
その夜、俺は眠れなかった。飛行機の中で寝ていたからかもしれない。
どうも最悪の現実が待っていそうな今回の事件の事を、あれこれ考えていたせいもある。そして……この冷たい空気と針葉樹の森の匂いが、俺の中の忘れかけていた記憶を呼び覚ましたからだ。
飛行機の中で見ていた夢。一面の雪に咲いたひとつの赤い花の記憶。
途中に立ち寄った事件は海洋性のA・Hに関するものだったので、泳ぎ回ったフェイは疲れたのかすっかり熟睡状態だ。ハフさん夫妻も遅くまで待っていてくれたこともあって、よく眠っている。
じっとベッドに横になっていても、眠りの国に行けそうにないばかりか、あれこれ深刻に考え込んでしまうので、俺はこっそり抜け出して白夜の森を歩いてみる事にした。
冷たく澄んだ空気が心地いい。コケ、花、緑の葉の香り、雪解け水で湿った土の匂い。動物のニオイもする。森の空気にはいろいろな命のニオイが息づいている。
そして音も。風が葉を揺らす音、小動物が木の枝を伝う音、どこからか聞こえる微かな水のせせらぎ。
おおーん。
遠くで獣の遠吠えがした。狼の声だ。どうやら俺は群れの縄張りに足を踏み込んでしまったらしい。あの声は上位の若い母親の声。ぴんと張り詰めたような殺気を感じた。
「ああ子供がいるのか。大丈夫、縄張りを荒らしたりしない。ちょっと散歩させてくれよ」
危害を加える気が無いのがわかったのか、それとも俺の声が聞こえたか。殺気が消えた。
この、ここから以北は木も生えないツンドラという北限、森林極限の厳しい自然の中にも、逞しく育った森の木々はさまざまな命を育んで守っているのだ。そんな感慨を抱きながら、宛もなく森の中を行く。ふかふかした足元の感触は何とも言えない。コケの下の湿った土のそのまた下は、数万年も溶けた事の無い凍土なんだろうか。
あまり遠くまで行くのも何だし、いかに昼間に近い明るさとはいえ、深夜に一人で死体を見に行くのもどうかと思う。気にはなるが気持ちのよいものでは無いし……そろそろ引き上げよう、そう思った時。
何か聞こえる。人の声?
それは歌声だった。
赤い木の実をひとつ
黄色い実もひとつ
おいでおいでかわいい小鳥
唄を聞かせて遠い国の唄
ここで羽根をやすめておいき
この歌は……それよりもこの声。俺のよく知ってる声に似ている。
引き寄せられるように、俺の足は声の方へ向かう。声はかなり遠くだったので、辿り着くまでに相当距離がある。こういう時は密かに自分の聴力を恨みたくなる。目はイヌ科のせいだけでなく元々良くないし、歩く足は人間なんだからな。
おいでおいで自由な小鳥
唄を聞かせて違う国の唄
ここで羽根をやすめておいき
驚かせない様に気配を殺して足音をたてずにそっと近づいたつもりだったが、歌声がふいに止まった。まだ姿の見える距離でもないが気がついたのだろうか?
「誰か来る……」
小さな声で歌声の主が呟いた。
ああ、やっぱりだ。この声はフェイに似てるんだ。いや、似てるとか言うレベルでは無く、まるっきりそのもの本人の声じゃないか。
木々の向こうに、やっと人影が見えた。感じられた人の気配は一人ではないと思えたのに、意外にも見えたのは一人だけだった。
その姿を確かめた途端、俺は実は今森の中では無くべッドの中にいて、夢を見てるのではないだろうかと疑いたくなった。白夜の森に住む妖精が悪戯で魔法の粉をふりかけて、俺にこんな夢を見せているのだと。
青い光が差す森の中、白いワンピースを着た髪の長いほっそりした人影がこちらを向いて立っていた。
その顔は……。
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