Wild in Blood~episode dawning~

まりの

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大九龍編

7:強情な蜥蜴と嫉妬深い狐

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 そう長くいたつもりはなかったが、思った以上に時間が経っていたらしい。夜龍達を待たせていた場所に戻った頃には三人の姿は無かった。劇場の支配人の丸い男も踊り子も誰も。代わりにミネラルウォーターのボトルの下に紙切れが敷いてあった。
 大九龍劇場(グレート・クーロンシアター)のチラシ。その隅っこに書かれた文字。
“我会回去(先に帰ってる)”
 夜龍の字だな、これは。
「くそったれが……」
 思わず呟いて、首を振った。いかんいかん、こんな下品な言葉は使ってはいけない。
 帰ってるって事は、家じゃなく店の方だろう。チラシの住所を見るに、劇場とやらは夜来香楼とそう近いとは言えなくても同じエリアにあるみたいだ。まああの方面は歓楽街だ。任せたはいいが相手も仕事の時間があるだろうし、同じ方向だから一緒に帰ったのかもしれない。途中まででも誰かと一緒なら安心だ。
 だがなぁ……
 何だかんだで今三つも依頼を抱えてることになる。いや、四つか? 
 一つ目は本来ここに来た目的のカエル娘を連れ戻すこと。
 二つ目は黄薬舗の親父さんに託された伝言。これはもう伝言はした。だから終わったと言えなくもない。第一タダ働きだ。それでも……確かに伝えたと親父さんにわかるには、夜龍が一度でいいから家に帰ってくれないとな。
 三つ目はその困った息子のボディガード。こいつも刺客を撃退したから終わったと言えなくもないが、無事安全な場所まで帰るまで見届けないとスッキリしない。自分は中途半端は嫌いなのだ。
 そして四つ目、こいつが厄介だな。一つ目と全く相反する内容。どっちかというと虫唾が走る類の元の依頼人より、これを優先してやりたい。だがやはり全部中途半端は嫌なわけで。
「なんかいい方法が無いかねぇ……」
 とりあえず今のところは一つだけでも完璧に終わらせよう。蜥蜴姫様……男だが……が無事帰ったか確かめるか。

 いつ来ても仰々しい夜来香楼の裏口に回ると、見張りの男がチップも無しに通してくれた。今日は見上げるほど大きな熊のA・Hだが、愛想よく会釈までしてくれた。夜龍に言われていたんだろう。
「無事お帰りになって部屋でお待ちですよ」
 よく考えたら、普通だったらそのままさようならでもいいところを、自分が確かめに来ると見透かされてたわけだ。面白くない。
 香の匂いのする部屋、赤い絹のような光沢のある部屋着に着替えて夜龍は窓辺で電子新聞を広げていた。すっかり元気そうだな。無事帰ってるのを確かめたんで夜龍の依頼はこれで完了でいいな。本当はもう終わってたのを個人的に納得しただけだが。
 だが一言文句は言っておきたい。
「体調が戻っても少しくらい待っていれば良かったのに。帰り道まで責任は持つつもりだった」
「だって、ザック忙しそうだったし、途中で死んでたら戻って来ないじゃない」
 縁起でもない……そう言いかけたが、なるほどその通りだ。事実消すぞと脅されたしな。
「で? 毒カエルちゃんは捕まえたの?」
 こちらも見ないまま、ぺらりと紙面を繰る白い手。
「まだだ。明日会う約束はして来たが」
 そうだ、ちょいと元の依頼主について探りを入れておくかな。
 横に座ると、やっと新聞を畳んでこっちを見た目。
「詳しくは言わないが、M社の役員でチャンって男について何か知っているか? 知らなきゃ別にいい。名前は忘れてくれ」
 あまり期待はしていなかったのに、思いの外あっさり答えが返って来た。
「チャン・ロウヘィ……M社の取締役常務? 医療用汎用型人工肝臓を開発し、安価で使えるようにした事で一般研究員から今の地位にまで上がった人物。表向き悪い噂は無いけど、A・H売買の闇市場とも深い繋がりがあるとか無いとか。専門は機械の方だけど、変わった爬虫類や両生類のコレクターとしても有名だ」
 すらすらと言いやがったので、ちょっと呆れて目の前の魔性の蜥蜴の横顔を見た。
「あ、そうか。カエルのA・Hも珍しい両生類と言えなくもないし、ひよっとしてそいつが家出カエルちゃんを連れ戻せて言った今回の依頼人?」
「それはノーコメントで」
 いくらクズ野郎だといっても一応依頼人なのでその辺は伏せておく。依頼人との関係は明かさない、これは何でも屋の暗黙のルール。
 ふうん、と興味なさげに肩を竦めただけで、夜龍はそれ以上は追求しなかった。まあ全てお察しのことだろうがな。
「しかしお前、色々知ってるな。本当にこの街から出た事がないのか?」
「うん。知ってるでしょ。俺、ここ二年はこの店からもほとんど出た事無いよ。ただM社のライバル企業の会長のじいさんがいい客だったから色々話してくれた」
 ……こいつ、いつも客とベッドの上でどんな話をしているんだ……。
「そうだなぁ、後M社……というか、チャンがいた研究機関っていえば、前にこのクーロンでも治験の募集をやってて、タダで病気を治してもらえる上、高額報酬をもらえるって何人も飛びついてた。俺も悪いところを治してやるって誘われたけど断った。ちなみに行った奴は一人も帰って来なかったよ。中にはノーマルの奴もいたみたいだけど、主に非合法のA・Hだったし消えたところで誰も騒ぎやしない」
「……断っといて正解だったな」
 聞けば聞くほどとんでもない奴だな、依頼人。はぁ……良かったな夜龍。ひょっとしたらあのリン青年みたいになってたのはお前だったかもしれないぞ。
 だがいい事を聞いた。ぼんやりと浮かんでいた二つの相反する依頼を解決する方法、これで心置きなく実行できるというものだ。
 爬虫類、両生類のコレクターとして有名なのか。こいつは使える。
「他には? 今日は世話になったからサービスするよ。何ならこっちで?」
 いやいやいや、夜龍、首に腕を回すのはやめてもらおうか。かろうじて覗きこんできた目は逸らしたものの、至近距離に紅も引いていないのに赤い唇が迫ってきて思わず高速で飛んでドアのところまで逃げた。そっちのサービスは謹んで遠慮したい所存だ。いくら色っぽくても男は死んでも勘弁だ。
「冗談だ。そんなに慌てなくても」
「……お前、一度殴るぞ?」
 その後、さり気なくこの街のもぐりの義肢屋の情報を得て、今日の刺客の撃退への報酬から今の情報料を引いてという、ものすごく事務的な話をしていると、夜龍の部屋の古めかしい柱時計がオルゴールの音色を奏でた。午後六時か。
「もう少ししたら予約の客が来るから俺も準備しないと。今日はありがとう」
「ああ、私はもう行く。こちらも助かった」
 昼間倒れておいて夜は客をとるのか。どこまでやるのかは想像したくもないが、健康な時だって非常に疲れるし、体に大きな負担がかかるのだけは間違いない。発作の時以外は元気そうに見えてもいつ死ぬかわからないような病人が……命を削ってるようなもんだ。こいつ本当に生きることに対して執着が無いんだな。
 部屋を出る間際、一応言い残していく。
「近いうち、親父さんのところに顔を出せよ」
「うん……でも今はまだね……」
 強情っぱりが。まあ、今日みたいに狙われるのは一度や二度じゃないだろう。ここが一番安全だとはわかっているだけに何も言えない。

 夕方に例の服屋に受け取りに行くと言っていたクレアは、無事対毒スーツを手に入れたようだ。念のため店の方に行ってみて店主に確認した。これでこの街の人間も少しは危険が減る。
 色々と下準備をするために、クーロン中をあちこち駆けまわって、何だかんだでまた夜遅くにシンディの部屋に帰ると、狐娘は顔を見るなり抱きついてきた。
「もう! 待ってたんだからぁ!」
 くそっ、可愛いな。ああ、やっぱ女がいい……このぽよんと当たる胸の感触。今日もクタクタになるまで駆けずり回って、最後にこの建物の階段でとどめを刺された疲れも飛んで行きそうだ。
 だがシンディは鼻をひくひくさせながら、上着のニオイを嗅いでいる。
「香水みたいな匂いがする。女と遊びに行ってたんじゃないでしょうね?」
「女とは会ってないし、これっぽっちも遊んでなんかいない。ずっと忙しく仕事してたぞ?」
 シンディ、口うるさい嫁かお前は。自分もなぜ弁解しないといけないんだ。カエル娘とは一緒にいたから女と会ってないというのは嘘だが、決して触ってない。触ってたら今ここに生きて帰ってない。
「でも、相当密着するか抱かないとこんなニオイしないもん」
「お前なぁ……」
 思い返してみてもそんな疚しい事―――あ。夜龍か! そういえば抱きつかれたし、夜来香楼の部屋の香はキツイ。
「妬くな。相手は男だ」
「…………」
 何か酷い誤解を招いた気がしなくもないが、可愛い狐ちゃんがヤキモチを妬いてくれるというのは嬉しいかもしれない。
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