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14:再会
しおりを挟む「おや先客がいるのか。悪い事をしたな」
「いえ、まだ起きてましたから。それより傷の手当を」
冬の寒さの厳しいこの辺りでは、小屋とはいえ玄関とリビングはドアで仕切られている。玄関の様子はまだディーンと京には見えない。
だが、深夜に訪れた人物が誰なのか、ディーンにはわかった。すぐに身を隠そうとも思ったが、身を隠す場所も無いし、ヒラキの言葉の内容から、相手が怪我をしている事がわかり、気になって動けずにいたのだ。
京はそのディーンの明らかにそわそわしている様子に気がついた。
「どうしたの?」
ディーンが答える間も無く、ヒラキが部屋に入って来た。
ヒラキは、目を逸らしているディーンをちらりと見て、何か言いたげに笑みを浮かべたものの、言葉は掛けなかった。代わりにドアの向こうの人物を呼び寄せる。
「薬箱を取ってきます。温かい所に入って掛けていてください、アレクさん」
呼ばれて、足を引き摺りながら入って来たのは大柄の男だった。薄い茶色の癖毛に細面の輪郭を覆う短い顎鬚。少し濃い色の肌は日焼けだろうか。まだそう歳は行っていない。四十台半ばというところだ。
「おや、沢山いるじゃないか。お嬢さんまで。すまないね夜分に」
「あ……いえ」
京が少しその独特の雰囲気に気圧された様に口篭りつつ会釈した。
どう見てもノーマルタイプの人間だ。なのに何だろう、森の巨木……そういう印象を受ける男だと京は思った。横を見ると、ディーンが男に顔を背けるように挨拶もせずに奥を向いている。
ヒラキは薬箱を取りに行ってまだ帰って来ない。
「どうぞ、こちらへ」
足を引き摺っている男に京が椅子を勧めた。左足の腿の辺りはズボンが裂け、タオルで縛ってあっても血が滲んでいて痛々しい。
「酷い怪我ですね」
「狼に噛まれてな」
「まあ……」
皮肉にもこの部屋にも狼がいるのだが……と、京は心の中で苦笑いした。
「その制服はG・A・N・Pかな?」
「はい。こちらの食料庫を荒らしていたA・Hを捕獲するために来ました。犯人はそこで寝ている可愛らしい羊さんでしたけどね」
人が動いて喋っていても、暖炉の前で毛布に包まって丸くなっているイアンは起きる気配が無い。寒い外で熟睡出来ていなかったのが、久しぶりに満腹になって暖まり安心しきっているのだろう。
その様子を優しい目で見てから、怪我をした男は京に向き直って語り掛ける。
「ああ、いきなりお邪魔して名乗りもしていなかったな。私はススムと同じガイドの、アレクサンダー・ウォレス。怪しいおじさんじゃないよ」
「え……」
京が慌ててディーンの方を振り返ったのは言うまでも無い。相変わらずディーンは向こうを向いたままだ。そして、なぜ彼が先ほど慌てていたのか、今も顔を隠すようにそっぽを向いているのかを京は理解した。
「こ、こちらこそ。私はG・A・N・P北米支部の京・ガーランド。すみません、室内で失礼かと思いますがコウモリのA・Hなのでサングラスは外せませんが。もう一人は……」
丁度、そこへヒラキが薬箱を持って戻ってきたので、ほんの僅かだけディーンは助かったと思った。気にはなるのだ。別に父親は嫌いではない。寧ろ尊敬しているし、唯一の肉親として愛している。
だからこそ、会いたくなかったのだ。今の体になったことにディーンに後悔は無い。自ら望んだことだ。だが、この世に満足な体で生み出してくれた親。その親からもらった体を根本から変えてしまった事には罪悪感がある。
そんなディーンの横で、アレクサンダーの傷をヒラキがてきぱきと処置をしていく。
「結構深いじゃないですか。まったく、狂犬病もパスツレラも怖いんですよ」
ヒラキは呆れた声だ。
「ちゃんと傷は洗ったよ。大丈夫だ」
「なんで狼になんか噛まれるんです? あれは人は襲わんでしょう?」
「独り立ちしたばかりの若い狼が沢の所で岩に足を挟まれててな。獲物を追ってて落ちたみたいだ。助けてやろうとしたら噛まれた。私が怖かったんだろう」
包帯を巻かれながら笑っている男は、悪びれた風も無く答える。
所謂一匹狼というやつだ。成獣になると雄のオオカミは群れからはじき出され、自分の群れを見つけるまで一頭で動く。どちらかというと格好の良い響きで語られる一匹狼は、実際は人間でいうところの、一人ぼっちの右も左もわからない若造なのだ。庇護してくれる強いボスの下に着くか、自分がトップを張るようになるまでに命を落とすものも多い。
ここにも一匹狼はいる。自分の力量もまだ知らない、素直になれない一人ぼっちの狼。いずれはトップに立ち群れを率いるであろう狼。でも今はたった一人の人間が現れただけで慌てている。
処置が済んで、一息ついたところで、突然アレクサンダーがぽつりと溢した。
「ディーン、久しぶりに父親に会ったのに挨拶も無しか?」
その表情は別段怒った様子も無く穏やかだった。
ディーンは相変わらず顔を見ようとはしない。横にいる京とヒラキの方がハラハラしていた。
「気付いてらしたんですか」
「自分の息子をわからない親はいないよ。最後に見た時に比べて随分大きくなってるけどね」
「……」
十歳になる前に大学に入り、最後に親子が直に顔を合わせたのはディーンが十四の時だ。実に四年ぶりだが、その間の変貌ぶりは京も良く知っている。ひょろひょろのオチビさんが、見上げるほど大きい青年になったのだ。まだ線は細いがトレーニングの甲斐もあって筋肉もついてきた。何より、見た目ではすぐにはわからないとはいえ、人では無い「獣」に変ってしまったのだから。
観念したように、ディーンがやっと父を見た。
「親父……」
「去年の暮れに大学から連絡があって以来、連絡の取りようも無かったが……生きてたんならいい」
意外にそっけない再会の言葉だった。
「その制服を着ているという事はG・A・N・Pに入ったのか?」
「……うん。まだ入ったばかりだけど……」
「そうか」
もうアレクサンダーは何も言わなかった。
普通の人間がG・A・N・Pに入れない事は、勿論アレクサンダーも知っている。本来の学者としてならありえる事だが、学会を追放になった事は聞き及んでいるし、僅かなりとも息子がどういう研究をしていたのかも知っている。こうして実働隊の制服を来て現場に来ている地点で、研究者でない事は充分に理解出来る。
それでも父は何も言わなかった。
「親父、あまり無理するなよ……」
「ふん。まだそこまで歳じゃない。動けなくなるまで仕事は辞めんよ」
色素の足りない白い息子の手。そこに人間にあるはずもない獣の爪を見ても、驚きもしなかったアレクサンダーは、いつかはこうなる事を予測していたのかもしれない。
夜明け近くまで父と息子は一緒に過ごした。
言葉を交わすでもなく、身を寄せ合うでもなく。
それでもここに帰って来られた事を、京に心から感謝するディーンだった。
翌朝、ディーンと京が気がついた時には、アレクサンダーの姿は既に無かった。何も言わず自分の小屋に戻ったらしい。
「アレクさんから伝言ですよ。年に一度くらいは生存報告くらいしろって」
悪戯っぽくヒラキ氏が笑ってディーンに告げた。
イアンを連れ、ニューヨークの北米支部に戻るヘリに乗り込み、ヒラキ氏の山小屋を後にする。すっかり懐いたクロが別れを惜しんで、ディーンからなかなか離れなかった。
冬は厳しい北国の自然。もう少し寒くなると空にオーロラの見える日もある。美しい空気と水、様々な命が息づく土地。ここで生まれ、育った事はディーンの誇りである。
厳しいが大きくて優しい故郷。それは父と同じ。
「ま、今回の任務の最大の敵は自分自身だったって事よ。心配する事なかったじゃない。どう、少しは肩の荷が降りたんじゃない?」
京に言われて、ディーンは小さく頷く。
「……はい」
「良いお父さんじゃない。大人の男って感じでカッコイイしね。独身でしょ? 今度紹介しなさいね」
「それは、命令ですか?」
「さあね。あ、でもこんな大きな怖い息子が出来るのは嫌ね」
コウモリの超口煩い上司が継母になるのも嫌ですよ、そう言いたかったディーンだったが、止めておいた。彼が簡単に冗談を言えるようになるにはもう少し時間がかかった。新しいパートナーと一緒になって、色々な人と出会い、外の世界を見るようになってから。
イアン個人の罪は軽いもので、書類一枚で終わった。彼が作られた非合法の研究所は既に別件で取り壊しになっていた事もある。
元所有者の女性も最後に捨てた以外の虐待の事実も無く、イアン自信が元主人を訴えなかった事もあり、条約機構からの罰則だけですんだ。
オークションという形で、直接接触が無かった闇市場へのルートは、月日が経ちすぎていて謎のままだ。
伸びてくる大きな角を定期的に切る事で、イアンは充分に普通の人間に混じって生活もできる。大人しく、精神状態も安定していることから、行く宛てはすぐに決まった。
ヒラキ氏がイアンの後見人に名乗りを上げたのだ。
「こんな辺鄙な場所で良かったら帰っておいで。仕事がら山に強い助手が欲しいと思ってたんだ」
岩山も軽々登る身軽なドールシープには、打って付けの条件だった。勿論イアンは喜んで受け入れた。
「あの人なら安心ね」
「変ってるけどいい人ですし」
京もディーンもご機嫌だ。今回は納得のいく終わり方だったようだ。
それから半年余り、支部長京のパートナーとして経験を積み、支部の中に少しづつ溶け込んできた頃、ディーンのパートナーが決まった。
「本来は同タイプで組むのが多いのだけど、互いに無い物を埋められるのもバランスが取れていて良いと思うの」
京が選んでくれた相手に、異存などあるはずも無いディーンだった。
「よぉ。やっと一緒に現場に出られるな」
「嬉しいよ、ダグ」
ダグ・ミュラーとの熊と狼のコンビは、この後ディーン・ウォレスがG・A・N・P本部に移動するまで二年半続いた。
自信も、信頼も、人並みに笑う事も京とダグが教えてくれた。
いつか果たすべき復讐に備え、爪を研ぐ時間。
一匹狼は自分の群れを見つけたのだ。
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