Wild in Blood ~episode Zero~

まりの

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12:人の縁

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 監視カメラに映っていた影は、確かに首、肩、手など、全てが完璧に人間とわかる姿だった。しかし、一つだけハッキリと普通の人間と違うとわかる特徴があった。あまり鮮明とは言い難い画像であるにも関わらず、断定出来るその特徴。
 頭部に非常に大きな角がある事。
「かなり特徴的な形の角ね。何だと思う?」
「うーん……」
 京に訊かれ、ディーンは口元に左手を当てて少し唸った。本人は気がついていないが、考え事をするときの癖である。
 植物、昆虫、魚類は専門分野では無いとはいえ、それも含め、およそ百万種くらいはディーンの頭の中にデータが入っている。逆に覚えすぎていて、思い出すのに時間がかかるらしい。
 脊椎動物、哺乳類、角のある動物、ほとんどが偶蹄目……記憶の中の分類を辿ってゆき、似た姿を探す。そしてディーンは近いものを探り当てた。
「アイベックスよりは巻いているし、溝も少なそうだ。このあたりの山岳部やツンドラ地帯にいるビックホーンか、ドールシープに似ていますね」
 横でヒラキも頷いている。ビックホーンもドールシープも、前々世紀の終わりには角を得るために乱獲された事もあったが、今は数も回復し岩場や草原部でよく見られる。
 G・A・N・Pの山岳系の隊員にも同じ血を引いた者もいる。しかし、流石に角を持った者はいない。必要外の身体的差異であり、危険であるため合法範囲には無いからだ。
 京が言う。
「愛玩用か何かの目的で作られた、非合法のA・Hでしょうね。でも、なぜよりによってこんな辺鄙な所に……」
 続けようとして、京は苦笑いで言葉を切った。その『よりによって』『辺鄙』な場所に住んでいる者と、そこで生まれた男がいるのだ。
「顔も見えない不鮮明な映像でもわかるほどの派手な異形です。人の多い都市部では目立ちすぎる。身を隠すためでしょうね」
 当たり障りのない返答をするディーンに、京はややホッとして続ける。
「それはそうでしょうけど。食料を得るのに盗みに入るのはどうかと思うわよ? 草食動物系みたいだから、そう荒っぽく無くても、あの角は結構危険よ。どこかから逃げて来たのならさっさとG・A・N・Pに保護を求めればいいのに」
 京の言葉に、今度はディーンが苦笑いせざるを得ない。
「保護を求めようにも、よりによってこんな辺鄙な場所ですし、通信手段も無い」
「……聞いてたんじゃない」
 そんな二人のやりとりを、ヒラキがにやにやしながら聞いている。
 客も疎らな山小屋で生活している彼にとって、目の前で他人が人の言葉で話しているのが嬉しくて仕方が無いらしい。
「お腹が空いているなら一声掛けてくれればいいのにねぇ。食事ぐらいご馳走してあげるのに。それに夜はどうしてるんでしょう? これから寒くなるのに大変ですよね。今は熊も狼も一番危険な時期ですし」
 ヒラキの言葉に、京とディーンは顔を合わせた。
 このヒラキ氏はなかなか変った男のようだ。自分の家の大事な食料を盗みに入ったA・Hを心配する者など、京もディーンも聞いた事が無い。良く言えば優しい、正直に言えばお節介な人間なのだろうと思った。そもそも便利で、世界的に見ても豊かな地域である生まれ故郷を捨てて、遠く離れた土地に来た男だ。
 だが、京もディーンも少し嬉しくはあった。ノーマルタイプの人間の通報で現場に行き、すぐに射殺しろと言う人間はいても、その身を案じる者などいないのが現状だ。A・Hが社会に浸透しつつあるとはいえ、未だ差別意識は根強く残っているのだから。
 その事にはそれ以上触れずに、京が話を事務的に持っていった。
「荒らされた間隔は大体四・五日おきくらいですよね? カメラを取り付けて撮影されたのは、日付を見ると四日前。また来るとしたらそろそろかしら?」
「また来ますかね?」
 心なしかヒラキは楽しみに待っている様にも見え、京は少し呆れた。
「映像を見る限り、カメラに気付いている様子も無い。木の実などが採れる季節なので食料にはそう困りはしないでしょうが、まだ近くにいるとすれば、来るのではないでしょうか」
 この辺りに詳しいディーンが言う。
 一番近い町までも何十キロもある。歩くにはかなり時間がかかるだろう。前世紀に作られたハイウェイまでは近いとはえ、異形のA・Hのヒッチハイクに応じてくれる人間がいるとは思えない。そもそも通る車も少ない。
「いつも夜間なんですよね?」
「ええ」
「このワンちゃんは騒がないんですか?」
 まだディーンを上目使いで窺いながら尻尾を巻いている猟犬を撫でて京がヒラキに訊いた。京が触っても怒らない人懐っこい犬だ。
 ヒラキがにこやかに答える。
「こいつは熊やムースには吠えるのですが。仕事柄、知らない人も来るので、人には吠えないんですよ。多分A・Hとはいえ、人間と認識しているのではないでしょうか。なあ、クロ?」
 それに怖がられる自分って……と、少し落ち込んだディーンだった。生き物の中でも、イヌは最もディーンの好きな動物だ。自分をタイプDにしたほどに。
 とにかく夜まで待つ事にした京とディーンは、ヒラキと共に日が暮れるまで近くを捜査してみることにした。
九月の終わり近く、随分早くなって来たとはいえ、二十時を過ぎないと日が落ちない。反対に冬場は日照時間はかなり短くなる。もう少し北に行けば夏場は完全に暗くなる事は無い白夜だ。
 湖畔の森を抜けると、彼方に高い山々が見え、夏でも溶けない永久凍土と氷河が広がる。内陸部にある氷河では最大なので、旧世紀には世界遺産にもなっていたらしい。その周囲は木も生えない森林限界。地面を覆う背の低い草や低木が、すでに始った紅葉で鮮やかな絨毯のように広がっている。
「よくコケモモを摘みに行きました」
 思わず漏れたディーンの言葉に、ヒラキが首を傾げた。
「あれ? 近くの出身なのですか?」
「あ、いや……まあ」
 しまった、とディーンが気がついた時にはもう遅かった。京が待ってましたとばかりに語り出したのだ。
「別に隠す事でも無いと思うんだけど? ヒラキさん、この坊やは、多分さっき仰っていた知り合いのネイチャーガイドのウォレスさんの息子ですよ。親不孝者を里帰りついでに連れて来ました」
「支部長!」
「やっぱりね。なんとなく似てると思った。そうか、アレクさんの息子なんだ。僕ね、学生の頃にここに旅行で来て、世話になったウォレスさんに憧れてガイドになったんですよ。そういえば息子がいるとは聞いていたけど。世間って広いようで狭いですよね」
 ヒラキの言葉の最後の部分には、ディーンも激しく同意した。まさか任務で来て、幾ら同じエリアとはいえ十数キロ離れている中で、そこまで縁の深い人間と会うなど確率的に見ても尋常ではない。
 ヒラキが一つ不思議に思ったことを口にする。
「でもお父さん、A・Hじゃなくて普通の人だよね?」
 そこにはさすがに京も口を挟まなかったし、ディーンも黙秘した。
 日本人は人の感情の裏や機微を読むのが得意な人種だ。答えない二人に何か感じたのか、ヒラキはそれ以上の詮索はしなかった。
「……親父には内緒にしておいてください」
「気持ちはわからなくも無いけどね。僕だって日本に親を置いて来て、死に目にも間に合わなかった親不孝者だから。でもね、まだお父さんも元気だし、君は生きてるうちにちゃんと会いなよ。僕みたいに後悔しないようにね」
「……」
 ヒラキの言葉は確実にディーン・ウォレスの心を動かした。だが、まだ認めたくないのは、若さゆえだろうか。


 辺りを探ってみても、これと言った手掛かりも痕跡も見つけられないまま日も傾いてきて、ヒラキの小屋に戻った三人。気温も夜間は氷点下まで下がる事もある。すっかり寒くなって来た。
 留守番として待っていた猟犬のクロの様子からも、何事も無かったことが伺える。
 念のため、もう一度監視カメラの動作をチェックし、京とディーンは中で待つことにした。簡単な夕食もご馳走になり、すっかり京も寛いで来たようだ。
「コーヒーでも淹れましょう」
 ヒラキがそう言ってキッチンに立つのを見送って、ディーンが監視カメラからの映像をモニターでチェックしていると、壁際でクロが何かを前足で大事そうに抱え込んで、ゴリゴリ音を立てて齧っていた。大きな動物の大腿骨のようだ。
「いいの持ってるな。鹿かな?」
「僕にも触らせてくれない宝物なんですよ、その骨」
 ヒラキがそう言って笑う。
 しばらくすると、クロがディーンの足元に鹿の骨を置いて、ころりと腹を見せて寝そべった。一番弱い腹を見せるのは服従のポーズ。骨はご機嫌を取るための貢ぎ物らしい。
「……ボス認定されてしまいました」
 それを見て京がふき出す。
「流石はαね。良かったじゃない、仲良くなれて」
 仲良くなったというのだろうか……と、ディーンは思わなくも無かったものの、大好きな犬に触れられるのは嬉しい。ディーンが腹を撫でてやると、クロがキュンと可愛い声を上げた。
 しばらく京とヒラキがじゃれ合っている犬と狼を微笑ましく見ていると、一人と一匹は同時に顔を上げる。クロの耳がぴくんと動いた。
「どうしたの?」
「足音……動物の足音じゃない」
 京に訊かれて声を潜めて答えたディーンに、ヒラキが慌ててモニターに駆け寄った。しかし映像には何も映っていない。
「まだです。でも近づいてきます」
 時刻はもうすぐ二十二時。外はもう暗い。
「そろそろ私の活動時間ね」
 京が髪を纏め、サングラスを外した。
 角のあるA・Hは来たのだろうか。

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