Wild in Blood ~episode Zero~

まりの

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 2123年 12月29日 ボストン

 はあ、はあ、はあ。
「う……あ……」
 もう、叫び声すら上がらない。
 部屋に響くのは荒い呼吸と、微かに漏れる呻き声だけ。
 少し前までは心拍数、呼吸、脳波をモニタしていた計器はコードも引き千切られ、規則正しい電子音は鳴り止んでしまった。
 ひと思いに死んだ方が絶対に楽だっただろう。
 彼が今恨めしく思うのは、こうやって、気も失えずにいる事だ。痛みで気が遠くなりかけても、それ以上の苦痛によって引き戻される。それの繰り返し。
 体の中全てに太く鋭い針を突き刺されたような激痛が、もう何時間。
 体の一部の細胞一つ一つがバラバラに解き放たれ、新しい命の設計図に基づいて再構築されていく。それは薄い皮膚の中で、これから蝶に変わる蛹の中身のように……生きているのが疑わしい状態となって流れ、蠢いている。
 毛細血管はズタズタに引き裂かれ、体中から血が漏れ出し床を染めた。床に広がる血溜まりの中で、彼は蹲り、身を捩り、ただこの地獄の様な時間が過ぎるのをひたすらに耐えた。最後の一線を守っているのは仄暗い復讐への思いだけ。
 もう全てを捨てる覚悟だ。今更惜しい命など彼には無い。たとえそれが死よりも辛い、永劫に続くかの様なこの時間であっても。
 めりめりと音をたてて爪が伸びる。人間のものとは異なる黒く硬質の爪。
 歯茎を突き破って伸びる牙。それは唇を噛み締める度に、自らを傷付けた。
 ぐるるる……。
 呻き声に混じって低く響くのは獣の唸り声。
 それを発しているのが自分自身だと彼が気がついた時、彼はやっと意識を手放す事が出来た。
 次に目覚めた時は、人では無くなっている。

 遡る事、四十八時間前。
「君に罪は無いではないか。確かに、新たに発覚した改造は明らかに漏洩した君の研究データを基にしてはいる。しかし資格はく奪、学会除名は酷すぎる。ここぞとばかりに君に負け続けてきた学者達の嫌がらせだろう。もう一度アカデミーに私が掛け合って……」
 学長が渋い顔で机に臥した。この大学に彼が転籍して来た時からすっと理解者だった一人だ。
「もういいんです。簡単に持ち出せる状態にしていたこちらに非がある。後……もう新しい研究をする気も無い。潔く身を引く覚悟です」
 若き天才学者は眉一つ動かさず答えた。
 信じていたもの全てに裏切られ、もう何を聞いても動じる神経など残ってはいない。全ての人類の希望となるべく、命を削って完成させた長年の研究は、全てを記したファイルと共に盗み出され、その犯人と思しき人物は最愛の人だった。またその盗まれたデータが裏社会で悪用されるとは。
 それに、もう目標としていた人もこの前亡くなった。これ以上、学者として何を続けていけば良いのかもわからない。
「最後に一つだけ願いを聞いてもらえますか?」
「何だね?」
「明け渡す前に研究室を使わせて欲しい。最後に一つだけやりたい事がある。何があっても絶対に誰も入れないで下さい」

 彼は一人研究室に篭った。
 ディーン・ウォレス博士が最後にやりたかった事。
 それは、普通の人間として生まれた自分を、戦う獣に変える事。
 自らの牙で、自らの蒔いてしまった種を刈り取る事。



 そして、彼はオオカミに生まれ変わった。


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