前世江戸町奉行

ジロ シマダ

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本編‗伊勢山田奉行時代

伊勢山田のある日

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 忠相は非番ということもあり街道沿いの茶屋でゆったりと過ごしていた。

「お奉行様、どうぞ」
「ありがとう。今日はいい天気ですね」
 「本当に良い天気ですね。悪ガキどもがいつも以上に騒ぐもんで困りますわい」

 茶屋の店主は困るといいながらも楽しそうにしわくちゃの顔をもっとしわくちゃにして笑った。忠相も悪ガキのしそうなことが思い浮かんで吹き出す。どろどろに汚れ、母親に怒られる姿は想像に難くなくいつの時代も変わらないと忠相はすこし過去に思いを戻した。
その表情に茶屋の店主はこの若き奉行の身に何があったのかと忠相を案じてしまう。


「そろそろ戻るか・・・・・・ご馳走様」
「へい! また来てくだせぇまし」

 気持ちを切り替えるようにパッと立ち上がると忠相は傘を被ると役宅に向かい歩き出す。蝶々や草花を見ながら歩いていると子供たちの元気な声が聞こえてきた。あまりの元気のよい声に忠相は感嘆の笑みを浮かべたが、子供たちの楽し気な声が悲鳴に変わったことに忠相は駆けた。

 忠相が土手の端つくと川に流されている子供が1人もがいているのが見えた。忠相は川に入ろうとする子供に鋭い声を発した。

「入るな!」

忠相の声に肩を震わせ怯えた様子で振り返ろうと下子供の横を笠や刀を投げ捨てた忠相が勢い殺さず川に飛び込んだ。忠相を迎えてくれた川は前日の雨で深く流れが速かった。川面は穏やかに見えても川底では流れが凶器となり忠相をも襲うがこの程度問題にもならない。
 なんといっても忠相は水神の加護を持ち、力を多少でも行使することのできるからだ。忠相は子供のもとに行けるように川の流れを変化させる。
 念じた通りに流れを変化させる川に忠相はにやりと笑いそうになる。今までは白い空間で鍛錬していただけで実践するのはこれが初めてといってもいい。鍛錬の成果が出ていることに忠相は嬉しくなりながら子供を後ろから羽交い絞めの体制で抱きしめた。

 「大丈夫だ。大丈夫だ」と混乱し暴れる子供に言い聞かせ落ち着くのを待った。子供が落ち着いてきたことを確認し忠相は子供の向きを変えて正面から抱きかかえた。

「しっかり掴まっているんだ」

子供は震えながら濁流の中で自分を抱きしめる忠相の目を見て頷いた。穏やかに見つめる忠相の瞳に子供は不思議と落ち着き忠相にしがみつくことができた。
 今度は土手に流れるように忠相は念じ子供を抱え泳いだ。土手では心配そうに見つめながら泣きじゃくる子供たちが待っている。飛び込んだところより進んだところで忠相と子供が上がれば子供たちが駆け寄ってきた。真っ青な顔で泣きじゃくり忠相ごと抱き着いてくる。


「怒鳴ってすまない。おぼれているものを助けるためにおぼれることは多い。むやみに助けにいってはいけない」

 子供たちはぐしゃぐしゃの顔で忠相の言葉に必死で頷く。これは理解していないなと思い、後で言って聞かせようと忠相は予定に組み込んだ。まずはしがみついている子供のことが先だなと抱えたまま立ち上がる。子供は急な動きに忠相にしがみついた。忠相は子供の反応に眉を下げて謝りまわりの子供に尋ねた。

「この子の家を知っているか」

子供たちは頷きあっちと指をさした。指をさされても土手の向こうが見えるわけもなく、忠相は苦笑する。

「案内してくれるかな。あと笠と刀を持ってくれると嬉しいんだが」


 子供たちは普段の悪ガキさがなりを潜め忠相の言うことをきちんと聞いた。しばらく歩いていると休憩していた農夫たちが忠相や子供に気が付き慌てるように駆け寄ってきた。

「お奉行様!?」
「すいませんが子供から刀を預かってもらえますか。やはり子供に持たせるのは怖いので」

慌てたように忠相の言うとおりにする農夫に事情を説明していると子供の名前を呼ぶ大声が響いた。
「喜一!?」と子供の名前を叫びながら走ってくる農夫と妻であろう2人が駆けてくる。腕の中で子供がお母さんとつぶやいた。

「おりるか?」
忠相の問いかけに子供が頷くのを見てゆっくりと子供を下ろすと子供はぱっと親の方に駆け出す。2人は子供に何をしたんだと怒鳴り子供は泣きながらひたすら謝っている。

「まずは着替えさせましょう。このままでは風邪をひいてしまいますよ」
「お奉行様!ありがとうございます!」

 2人はもう一度子供を大事そうに抱きしめると農夫が子供を抱き上げ忠相に深く頭を下げた。忠相はもう大丈夫かと刀と笠を受け取り役宅に帰ろうとその場に背を向け、その背にしわがれたながらも強い声がかかった。

「お奉行様、どちらへ」
「役宅に帰りますけど」

忠相は何を言っているのかと振り返ると老婆がどしっという音が似あう姿で立っていた。

「おや、お春さん。こんにちは」
「こんにちは、お奉行様。お奉行様も乾かさなければ」
「大丈夫ですよ」

 軽い調子で笑う忠相に鋭い眼光が向けられる。どこぞの漫画のように目が光っているようだとお春の眼光に一歩後ろに足をさげひきつった笑みを返した。

「何が大丈夫なのかこの老婆にわかるように説明してくれますかな」
「えっと」
「この間まで風邪をひいておられたのはどなたですか」

「ーー私です。はい、行きます」

 老婆がならばよし!とでもいうように鼻から短く強い息を吐きだした。

「一応、奉行なんだけどな」

あまりな対応に忠相は首をかしげてつぶやいた。

「勤めはきちんとこなすが自分のことはおざなりで気にしないといっとりましたよ。榊原先生が」
「伊織か。風邪のこともあいつが」

お春に告げ口した正体に不服そうに腕を組んだ忠相の後ろから「あいつがなんだって」と咎めるような声が聞こえた。
 忠相が振り返ると榊原伊織が立っていた。榊原伊織は忠高が長崎奉行のおりに出会い意気投合した忠相の親友だ。時折お母さんと呼びたくなるほど、うざいほどよくしてくれる。

「いや、お春さんにばらす必要はないとおもうぞ」
「周りに言わなければすぐに無理をするのは忠相だろ。やっと非番でゆっくりしているのかと思えば役宅にいないし、なぜか濡れているし」

「それは・・・・・・すまない」

忠相はこれ以上、口答えもとい言い訳をしていいことはないと肩をすくめて降参だと伊織に肩をすくめた。



ーーー


「戻ったぞ」
「おかえりなさいまし、お奉行様、榊原先生」

役宅に戻ると清吉が夕餉の支度をして出迎える。

「後は自分でやるから今日はもう休んでいい」
「はい」

清吉は頭をもう一度下げると自分の家に戻っていった。だいぶこの時代に慣れたとはいえこのように誰かを使うというのはなかなか慣れないことの一つだ。
 山田奉行としてこの役宅に住み始めた最初のころは清吉に驚かれてばかりだった。今のように休ませて自分で器などを片付けておいた時など目が点になっていた。忠相は申し訳なく思うがその時の清吉の素っ頓狂な顔を思い出すと笑いだしそうになる。

 伊織と夕餉を食べて晩酌としゃれこむ。伊織は気兼ねなく話せるからか忠相にとって楽で楽しい時間を過ごせる貴重で大切な親友だ。

「忠高様たちは元気なのか」
「あぁ、この間の文には息災だと書いてあった。母上曰く父上にはもっと落ち着きを持ってもらいたいそうだ」

忠相が想像するだけでも面白いと教えれば伊織も落ち着いた忠高を想像しそんなことまず無理だろうと笑った。

「それはなかなか」
「難しいだろ」

忠相がにやにや笑いながら伊織の言葉を引き継いだ。自分の父親を捕まえて言うのもおかしな話であるが、落ち着いた忠高など気持ちが悪いと感じる。
べらんめえ口調で考えるより動く、口より手が出るような人柄の持ち主に落ち着きを求めるのは酷なこと。しかし忠高に落ち着きを持ってもらいたいという気持ちもわかる。どちらにしろ忠相にも伊織にもどうにもできないことだ。

 それからも2人は酒を飲みながらたわいもない話を楽しく続けた。
田舎に襲い来る騒動が始まるまでは

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