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16・quatre mains

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 先生の熱も下がり、いつもの日常へと戻って二週間が経った。
 ボクは動画配信サイトの自分のアカウントを覗いた。

「うわ……すごい。この動画だけ再生数桁違いですよ」
「……あー、花奏も言ってた。天音君、顔がいいから」

 顔じゃなくて音楽聞いて欲しいんだけど……まぁ、いいや。広告収入で先生に美味しい物ご馳走出来る。
 そういえば、前にお願いされて了承したCMの仕事……そろそろ使用される時期じゃないかな?
 女優さんとご一緒してちょっと緊張した。
 
「他の動画も見ていい?」
「どうぞ」

 先生がタブレットを足で操作して器用にスクロールして、タップする。
 動画の前に広告が流れた。

「……ん? コレ、君?」
「あっ! そうですそうです。前に仕事で」
「………………」
「先生?」

 高音質の外付けスピーカーのCMで、ボクと女優さんが並んでピアノの連弾をするという内容だ。
 その演奏をジッと見てる先生。

「……連弾だけど、両方とも君の音だ」
「よく分かりましたね。映像と音は別撮りなんですよ」
 
 女優さんもピアノ経験はあるけど、プロではない為、連弾の動きだけ。それでも演技力によって完全にカバーされている。

「…………実際どうだった?」
「ボクの耳には、確かに高音質に聞こえました」

 ピアスで耳を立てているだけあり、ボクは前方の音をよく拾える。
 けどその分、人と聞こえ方が若干違うから参考にはならないと思う。

「スピーカーじゃなくて、連弾。エアーでも隣に誰か居る感じはどうだった?」
「あ、そっちですか。まぁー難しいですね……ボクにとって連弾は夢でしたけど、現実は非情です」
「?」

 あまり先生に言う事ではないけれど、ボクにとって大事な夢だった。
 
「先生と連弾するのが、ボクの夢でした」
「………………あー」

 先生が自分のペラペラの袖を眺めてボクの言葉に納得していた。
 ピアノ演奏には未練のない先生と先生のピアノ演奏に未練タラタラのボク。
 先生の奏でる音とボクの音を重ねる事はこの先どうやっても実現出来ない。
 同じ舞台に立つ事は、もう、無いのだ。
 叶わない夢をずっと見続けてしまう。ボクの幻肢痛だ。

「天音君」
「はい」
「久しぶりに宿題出していい?」
「え!? あ、はい!」
「俺の『彼は誰時』を暗譜してきて。期限は一ヶ月」

 唐突な宿題にボクは面食らう。
 あの譜面を全て暗譜するのは大変そうだ。それに何より、期限が短い。
 しかもボクが一番好きだと言った先生の曲。絶対にミスしたくない。
 先生が何を思ってボクに宿題を出してきたのかわからないけど、空いた時間は全て宿題に注ぎ込む必要がありそうだ。

「(仕事依頼のスケジュール見直しとこう)」
「(……俺も忙しくなるな)」

 その日から、先生は自室に篭る事が多くなった。
 先生と一緒にいる時間が減って寂しいけど、困ったらアドバイス貰える距離にいるからまだ大丈夫だ。

《♬~♫~》
「……はぁ、すごいなぁ」

 自室のパソコンで先生が『彼は誰時』を演奏していた時の映像を見返していた。
 何度見ても、初見の感動と相違ない感情が生まれる。
 ピアノ教室でこの曲の演奏を間近で見た時は鳥肌が立った。
 ボクの憧れが詰まった曲だからこそ、その演奏を何度も見返していた。
 脳内再生も余裕で出来るほどに。

「(……好きだなぁ)」

 ピアニストとして尊敬しているのも事実。けどそれ以上に、ボクの心に居座っている先生への気持ちがある。
 ただ、あの人の側に居たいと心の底から叫んでいた。
 そしてもっと奥底では、醜い欲が渦巻いて、あの人を……

「ああ! ダメだダメだ! 集中集中!」

 雑念を振り払うようにブンブンと首を横に振って頬を叩く。
 よしっ! と気合いを入れ直してボクはピアノ部屋に向かい、指を動かしはじめた。

「(先生の動きは頭に入ってる。譜面もだいぶ覚えられた。けど、難しいのは表現)」

 見失いそうな音の中で必死に追いかけているのに、届かない。
 まるで、先生そのものだ。
 どんなに走っても、手を延ばしても追いつけない。宵闇に姿を奪われてしまう焦燥感。

「繊細な心情の再現……難しい」

 自分のピアノ演奏を録音した音源を聴いて、客観的に分析していく。
自分で言うのは何だけど、悪くは無い気がする。
 だけど、何か足りないんだ。

「先生~」
「ん?」
「ちょっとココ弾きますんで聞いて下さい」

 ボクがそう言うと先生は無言で椅子に腰掛ける。

「…………先生に比べて何か足りないんです」
「……君はこの曲好きでしょ」
「はい!」
「自信が滲み出てる。俺は不安でいっぱいだったから、演奏者の持つ感情の違いじゃない?」

 なるほど、ボクの自信満々の不安じゃ本物の不安の足下にも及ばない。

「なら、どうしたらこの胸に不安を巣食わせる事が出来るんでしょうか?」
「ものすごい悩みを与えてしまった……いいんだよ。物足りなくて。大丈夫」
「でも……」
「君は俺じゃない。君のピアノは君のもので、俺とは違う音でいい」

 再現してなんぼのクラシックなのに、ボクの音で良いと先生は言った。
 それからボクは毎日毎日ひたすら練習した。夢に見るぐらいに。先生の部屋でも弾いたりしてた。
 けれど、期限の一ヶ月経っても結局納得がいくような演奏は出来なかった。

「ゔぉぉぉああ……宿題が終わらず九月一日迎えた気分です」
「頑張ってたのは見てたから」
「でも、結果が全てです」
「俺は過程も評価する先生だから。てか、結果が出る前に全てが終わったような顔しない。今に集中」

 先生が先生モードだ。
 宿題の成果を見せる為にピアノの前に座り、深呼吸をして弾く準備をした。

『バサ』
「あ、今日弾いてもらうのはこっち」
「へ??」

 先生が譜面台に見た事ない楽譜を置いた。

「なんですか? これ」
「新譜」

 まさかの新作!!
 ボクは譜面台の楽譜を手に取って譜読みをする。短い休符がちょっと多くて、タイミングが難しそうだけど、それ以外には特に躓きそうなところはない。

「弾けそう?」
「はい。弾けますけど……」
「じゃ、弾いてみて」

 先生の有無を言わせぬ雰囲気に圧されつつ、鍵盤に手を置く。
 そして、いつも通りに指を動かす。

『♪~♫』
《♬》
「(……あれ?)」

 譜面に無い音が聞こえてきた。
 いや、実際に聞こえてるわけじゃない。

「(なんだ? 休符なのに、音が……)」

 譜面には無い旋律が、ボクの音に並び始める。
 そして、歯車が噛み合うようにピッタリと、重なっていく。
 その旋律は、今まで何度も聴いてきた。今日まで何度も弾いたものだ。

「(……『彼は誰時』!)」

 ボクの独奏に寄り添う先生の音が聞こえる。
 巧妙に打ち込まれた新譜の音は『彼は誰時』をはじき出す。ボクの奏でる音の邪魔にならない程度に、控えめに。
 ボクの指が動く度に音が生まれる。脳裏に先生の音も加わる。まるで二人だけでセッションしているみたいだ。

「(あっ……)」

 鮮明に思い出す先生の演奏姿。あの時の感情が胸の底から沸々と湧き上がってくる。
 同じ鍵盤の上を二つの旋律が駆け抜けていく錯覚が引き起こされる。
 錯覚で、幻聴で……でも、それでも……ボクは、今、先生と音を奏でている。
 そう認識した瞬間、身体中の血液が沸騰したような興奮が背筋を駆け上がる。
 ボクが、憧れたもの。その全てが今、ここに。
 ボクだけの演奏じゃなくなったそれは、とても暖かく優しいものに変わっていった。
 『彼は誰時』の輪郭を浮かび上がらせる、光芒のような調べ。
 追いつけないと思っていた、その思いすら塗り潰されるほどに。安堵が照らし出す。

 彼はココにいる。

 ずっとこの音に触れていたい。いつまでも、いつまでも。
 けど、終わりは必ず来る。
 最後の一小節を紡ぎ、ピアノの音色が止む。

「…………はっ」

 呼吸を忘れて夢中で走り抜けた演奏が終わると、先生は優しく笑っていた。

「……素晴らしい」
「…………ぁ……あ、ああ」

 言葉が形にならなかった。ボクの口から漏れるのは意味を持たない嗚咽だけだ。
 顔を覆って俯いた瞬間、気付いた。
 先生の足の指に巻かれた絆創膏に血が滲んでいた。

「……せっ……先生、指」
「大丈夫。すぐに治る。ほら、そんな顔しない。笑って、天音君」
「むり、むりですよ!」

 だって、こんなの、ズルい……。
 ボクの好きな曲で、ボクが望んだ、夢を叶えようと……こんな、すごい曲を、ボクの為に。

「せんせぇ……先生ッありがとう、ございます」
「こちらこそ、もう一度弾かせてくれて、ありがとう」

 ボクは涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、どうにか笑顔を作る。

「宿題、よくできました」
「ぁ……あ、ぅうあああああ!!」

 大人になってから、こんな声を上げて泣いたことなんて無かった。恥ずかしさより喜びの方が勝ってるからいいけど、先生の前では子供っぽいとこばかり見せてる気がする。
 ひとしきり泣いてから、顔を冷やしながら夕飯を作った。

「……天音君」
「はい」
「もう、俺に縛られなくていい」
「……え?」

 食後に告げられる不穏な先生の言葉に顔を上げる。

「君はこんな所で燻ってていい人間じゃない。もっと大きな世界に出るべきだ。俺はもう満足した。専属ピアニストのヘルパーは、もういらない」







(quatre mainsキャトルマン・四手連弾)
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