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4:やりたいこと
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朝、目を覚ますと……視界いっぱいに美しい顔があった。
「!?」
「…………」
長い睫毛、スッと通った鼻筋、薄めの唇。
あと……良い匂いがした。暫く観察していると、長い睫毛が揺れて、ゆっくりと瞼が開いていく。
「おはようございます……」
「……ああ、夢じゃない。おはよう、三葉さん」
蕩けるような笑顔を向けられ、俺はどんな顔をしていいかわからず、ガバッと身を起こして目を擦った。
龍太さんも起き上がり、俺に躊躇無くキスをしてきた。
柔らかい唇の感触に、ボフンと再び布団に沈んだ。
「ふふ、顔が真っ赤ですよ」
「……誰のせいだと思ってるんですか」
「昨日の誘いでは表情一つ変わらなかったのに」
「いや……だって、龍太さんのキスは、なんと言うか……勘違いしそうな程、優しいので」
「勘違い?」
唇の感触を拭うように手の甲で口を押さえて一拍置き、龍太さんの問いに答える。
「愛されてる、みたいで……」
「…………」
俺の言葉に、龍太さんは無反応だった。無表情、無言で見つめられ、俺は居た堪れなくなって布団で顔を隠した。
……やっぱ変な事言ったな。愛されてるなんて……どの口が言うんだか。
「……みたい?」
「っ!?」
龍太さんの低い声にビクッと身体が恐怖に硬直する。
今まで受けてきた躾と言う名の暴力がフラッシュバックする。
身体が震え出し、衝撃に耐える為に頭を守って身を丸くする。
「ごめんなさい、ごめんなさい、許してください、俺が間違ってました、ごめんなさい、生意気な口利いてごめんなさい」
「あ、ああっ! 違うんです! 怖がらせたかったわけじゃ」
『コンコンコン』
「龍太様、三葉様、おはようございます。お目覚めでしょうか」
「士郎! 入っていい」
士郎さんの声が聞こえる。
ガチャリと入室の許しを得て入ってきた士郎さんは、布団に蹲って震える俺を見て何かを察したのか淡々としていた。
「…………龍太様、恐れながら、お二人の営みにあまり口出しは致しませんが、少しは段階を踏まれた方がよろしいかと」
「誤解だ!」
全然察していなかった。
龍太さんからしたら、俺が急にパニックを起こして震えて怯え出したように見えるだろうが、的確に状況の説明を士郎さんにしてくれた。
士郎さんは布団で丸まる俺の背を撫でてくれた。
「なるほど。怒らせたから殴られると思ったのですね」
「なぐっ……そんな野蛮な」
「そんな野蛮な場所に幼少期から、三葉様は身をおいていたのです。安心してください三葉様。ココには誰も、貴方を殴ったり蹴ったりする人は居ません」
大丈夫大丈夫……まるで子どもを宥めるみたいに、優しい声かけ。
少しずつ、俺の震えが落ち着いてきたのを見計らい、布団を捲られた。
「……三葉さん」
「…………ごめんなさい。取り乱してしまって」
「いいえ。ゆっくり、ゆっくり進みましょう。理解されるまで愛し続けますから」
「…………は、はい」
朝から一悶着あったが、朝食は美味しかった。
龍太さんは仕事に行かれるらしく、玄関まで見送りに行った。
「では、帰るまでゆっくりしていてください」
『ちゅっ』
士郎さんの前でキスをされた。変わらず、優しい感触に身が縮む。
「行ってきます」
「い、いってらっしゃい、ませ」
顔が熱い。多分真っ赤になってる。恥ずかしい……士郎さんの前でなんて、なおさら恥ずかしい。
「三葉様」
「ひゃい!」
「そんな緊張なさらずに、何かしたい事などはありますか?」
「したい、事?」
やりたい事って、何だろう。
「……何をしたいのか、わかりません」
俺が答えると、士郎さんは顎に手を当てて少し考えていた。
俺は気まずくて目を逸らした。
「では、やりたくない事は、なんですか?」
「やり……??」
今度は逆の質問だ。
俺は目を瞬いて、言われた事をゆっくり考えた。やりたくない事なんて、いっぱいあるけど……何も思い浮かばない。俺にとって、この世はやりたく無い事で溢れている。
「なんでも構いませんよ。怒りませんから」
「…………ぇっと」
士郎さんは微笑みながら、俺の答えを待っていた。
「………………性的な、ごほうし……は、もう……したく、ありません」
服の裾を力一杯握り締めて、喉から捻り出した言葉は、自分の存在を否定しているような、答えだった。
俺は口にしてすぐ、士郎さんの顔を見れなくて下を向いた。なんて言われるだろう……軽蔑されたかな? 本当に使えない奴で、生きてる価値を捨てたと思われるかな?
「ええ。もう、しなくていいんですよ」
「ぇ?」
「貴方はもう商品でも男娼でもありません。我々の家族なのですから」
「かぞく?」
あまりピンと来なかった。今まで俺は独りだった。身寄りなんて無い、何も無かった。
毎日死んだように生きていたから、家族とか実感がわかない。同僚達がそれに近かったのかもしれない。
けど、そうだ。一つ、わかった事。
「……そう、かぁ」
もう、ご奉仕で心を掻き混ぜられなくて済むんだ。
それがわかっただけで、肩が軽くなった。
「……あ」
「?」
「士郎さん、俺──」
俺は不意にやりたい事を思い出した。と、言うより、しなければならない事だ。
士郎さんにお願いして、書斎でノートを広げて鉛筆で文字の読み書きを教えてもらった。
「五百蔵は、こうです。分解すると、五と百と蔵」
「読み方が違う……」
「はは、そういう漢字もあるんですよね。ややこしいですが、いずれ嫌でも書く字になります」
ややこしすぎる。俺の苗字がこんなややこしいものになるなんて。
ノートに線がめちゃくちゃな漢字が増えていく。漢字って、難しいな。
ひらがな、カタカナは、書くのはそんな難しくなかったのに、漢字はレベルが違い過ぎる。
書き順も覚えなければならない。特に、俺は字が汚い。書き順に沿って書かないと文字にならない。
「……龍太様に漢字ドリルを買ってきてもらいましょうか」
「ド、ドリル!?」
「おや、ドリルはご存知でしたか?」
「……あまり気持ち良くなかったです」
「そっち系じゃありませんよー」
漢字ドリルとは、何枚かページがある小さなノートで、読み書き学習の道具だ。
龍太さんにお使いを頼む使用人の遠慮の無さに驚きながらも、自分と龍太さんの名前だけでも書けるように何ページも練習する。
「りゅう、た……」
「はい。上手いですね」
「まだまだです」
手が真っ黒になるまで鉛筆を握り、何度も削って字を書き続けた。
「(ゲシュタルト崩壊が起きないあたり、漢字を文字ではなく、記号と見ているのかもしれませんね)」
「……士郎さんは、苗字あるんですか?」
「ええ、後藤と申します。まだ、三葉様には難しいと思われますよ?」
「んぐ……何、この字」
藤って何? 縦線も斜めもいっぱい。なんだこの字。
昼を挟みながら、俺は格闘した。少しずつ、ページをめくるスピードが上がっていく。どんどん文字を覚える事に達成感を感じ始めた。
多分、知らない事を知れるのは楽しかったんだと思う。自由に学んでいいと言われたのが、俺は嬉しかった。
算数も少し教えてもらった。掛け算の意味がわからなかったけど、ルールを教えてもらったら理解出来た。
「飲み込みが早いですね」
「そうですか?」
「はい。三葉様は、地頭が良いのでしょう」
何だか照れ臭い。でも、嬉しい。こんなに楽しいと思ったのは、初めてだ。
いつの間にか俺は日が暮れるまで夢中になっていた。ようやく筆を置いて固まった肩を回すと、後ろからコキッと骨が鳴った。
「……五百蔵、龍太……五百蔵、三葉……うん。形になってる」
ただ……これを普通に書けるようになるのは、相当先だ。気長に頑張るしかない。
漢字以外にも覚える事がたくさんある。
「三葉さん?」
「りゅ、龍太さん、おかえりなさい」
「漢字ドリル買ってきましたよ。国語の教科書もあります」
「ぉ、おお!」
龍太さんがエコバッグから小学生向けの教材を俺へ手渡してくれた。
教科書って、学校で貰えるあの教科書!
俺はドキドキしながらページをめくる。
「わぁ…………」
「……そんなに珍しいですか?」
「中身を見るのは初めてなんです……うわぁ、うわうわうわ! 龍太さん、見て下さい! これ、これテレビで見たヤツです!」
「スイミー……」
「今なら読めます!」
興奮気味に教科書に目を走らせる。
ずっと前に雇われ先の家の子ども達が広げていた教科書は、俺には漫画本よりずっと魅力的だった。
学校に行っている子どもが持つ特別な本。
……これを、俺が読む日が来るなんて、思わなかったな。
「ご飯にしましょうか」
「はい」
食卓へ行っても、俺は変わらず床へ直行してしまった。
今日も龍太さんと床で食事を摂った。申し訳ない。
「明日は漢字ドリルを制覇しますか?」
「はい。あ、一人で大丈夫なので家の仕事に集中してください」
「そうですか。何かわからない事があればすぐに言ってください」
士郎さんとそんな会話を風呂終わりにして、俺は寝室へ。
ご奉仕しなくていいってわかると、とても気が楽だ。
「今日はどんな字を書けるようになったんですか?」
「えっと、お、俺達の苗字と名前、他にもいろいろ」
「え!? ちょ、ちょっとコレに書いてください!」
慌てた龍太さんが、書くものを持ってきた。
「汚いですよ?」
「こういうのは味って言うんです」
「味……あー、なんか、聞いたことあるかもです。趣きとか、なんとか」
「ですから気にぜずに」
趣きの意味が結局わかってないけど、とりあえず……出来るだけ丁寧に、龍太さんのフルネームを紙に書いた。
「どうですか?」
「…………これ貰って、いいですか?」
「いいですけど……」
俺の書いた五百蔵 龍太の紙を受け取ると、しみじみと文字を目で追っていた。
「嬉しい……」
「そんなに?」
胸に抱えて、何かを噛み締めている。そんな龍太さんに俺は首を傾げた。
どうしてそんな、嬉しそうにするんだろう?
そんな紙、ゴミみたいなものなのに。
この日は、目と頭を使って疲れてしまったのか、すぐに寝てしまった。
「!?」
「…………」
長い睫毛、スッと通った鼻筋、薄めの唇。
あと……良い匂いがした。暫く観察していると、長い睫毛が揺れて、ゆっくりと瞼が開いていく。
「おはようございます……」
「……ああ、夢じゃない。おはよう、三葉さん」
蕩けるような笑顔を向けられ、俺はどんな顔をしていいかわからず、ガバッと身を起こして目を擦った。
龍太さんも起き上がり、俺に躊躇無くキスをしてきた。
柔らかい唇の感触に、ボフンと再び布団に沈んだ。
「ふふ、顔が真っ赤ですよ」
「……誰のせいだと思ってるんですか」
「昨日の誘いでは表情一つ変わらなかったのに」
「いや……だって、龍太さんのキスは、なんと言うか……勘違いしそうな程、優しいので」
「勘違い?」
唇の感触を拭うように手の甲で口を押さえて一拍置き、龍太さんの問いに答える。
「愛されてる、みたいで……」
「…………」
俺の言葉に、龍太さんは無反応だった。無表情、無言で見つめられ、俺は居た堪れなくなって布団で顔を隠した。
……やっぱ変な事言ったな。愛されてるなんて……どの口が言うんだか。
「……みたい?」
「っ!?」
龍太さんの低い声にビクッと身体が恐怖に硬直する。
今まで受けてきた躾と言う名の暴力がフラッシュバックする。
身体が震え出し、衝撃に耐える為に頭を守って身を丸くする。
「ごめんなさい、ごめんなさい、許してください、俺が間違ってました、ごめんなさい、生意気な口利いてごめんなさい」
「あ、ああっ! 違うんです! 怖がらせたかったわけじゃ」
『コンコンコン』
「龍太様、三葉様、おはようございます。お目覚めでしょうか」
「士郎! 入っていい」
士郎さんの声が聞こえる。
ガチャリと入室の許しを得て入ってきた士郎さんは、布団に蹲って震える俺を見て何かを察したのか淡々としていた。
「…………龍太様、恐れながら、お二人の営みにあまり口出しは致しませんが、少しは段階を踏まれた方がよろしいかと」
「誤解だ!」
全然察していなかった。
龍太さんからしたら、俺が急にパニックを起こして震えて怯え出したように見えるだろうが、的確に状況の説明を士郎さんにしてくれた。
士郎さんは布団で丸まる俺の背を撫でてくれた。
「なるほど。怒らせたから殴られると思ったのですね」
「なぐっ……そんな野蛮な」
「そんな野蛮な場所に幼少期から、三葉様は身をおいていたのです。安心してください三葉様。ココには誰も、貴方を殴ったり蹴ったりする人は居ません」
大丈夫大丈夫……まるで子どもを宥めるみたいに、優しい声かけ。
少しずつ、俺の震えが落ち着いてきたのを見計らい、布団を捲られた。
「……三葉さん」
「…………ごめんなさい。取り乱してしまって」
「いいえ。ゆっくり、ゆっくり進みましょう。理解されるまで愛し続けますから」
「…………は、はい」
朝から一悶着あったが、朝食は美味しかった。
龍太さんは仕事に行かれるらしく、玄関まで見送りに行った。
「では、帰るまでゆっくりしていてください」
『ちゅっ』
士郎さんの前でキスをされた。変わらず、優しい感触に身が縮む。
「行ってきます」
「い、いってらっしゃい、ませ」
顔が熱い。多分真っ赤になってる。恥ずかしい……士郎さんの前でなんて、なおさら恥ずかしい。
「三葉様」
「ひゃい!」
「そんな緊張なさらずに、何かしたい事などはありますか?」
「したい、事?」
やりたい事って、何だろう。
「……何をしたいのか、わかりません」
俺が答えると、士郎さんは顎に手を当てて少し考えていた。
俺は気まずくて目を逸らした。
「では、やりたくない事は、なんですか?」
「やり……??」
今度は逆の質問だ。
俺は目を瞬いて、言われた事をゆっくり考えた。やりたくない事なんて、いっぱいあるけど……何も思い浮かばない。俺にとって、この世はやりたく無い事で溢れている。
「なんでも構いませんよ。怒りませんから」
「…………ぇっと」
士郎さんは微笑みながら、俺の答えを待っていた。
「………………性的な、ごほうし……は、もう……したく、ありません」
服の裾を力一杯握り締めて、喉から捻り出した言葉は、自分の存在を否定しているような、答えだった。
俺は口にしてすぐ、士郎さんの顔を見れなくて下を向いた。なんて言われるだろう……軽蔑されたかな? 本当に使えない奴で、生きてる価値を捨てたと思われるかな?
「ええ。もう、しなくていいんですよ」
「ぇ?」
「貴方はもう商品でも男娼でもありません。我々の家族なのですから」
「かぞく?」
あまりピンと来なかった。今まで俺は独りだった。身寄りなんて無い、何も無かった。
毎日死んだように生きていたから、家族とか実感がわかない。同僚達がそれに近かったのかもしれない。
けど、そうだ。一つ、わかった事。
「……そう、かぁ」
もう、ご奉仕で心を掻き混ぜられなくて済むんだ。
それがわかっただけで、肩が軽くなった。
「……あ」
「?」
「士郎さん、俺──」
俺は不意にやりたい事を思い出した。と、言うより、しなければならない事だ。
士郎さんにお願いして、書斎でノートを広げて鉛筆で文字の読み書きを教えてもらった。
「五百蔵は、こうです。分解すると、五と百と蔵」
「読み方が違う……」
「はは、そういう漢字もあるんですよね。ややこしいですが、いずれ嫌でも書く字になります」
ややこしすぎる。俺の苗字がこんなややこしいものになるなんて。
ノートに線がめちゃくちゃな漢字が増えていく。漢字って、難しいな。
ひらがな、カタカナは、書くのはそんな難しくなかったのに、漢字はレベルが違い過ぎる。
書き順も覚えなければならない。特に、俺は字が汚い。書き順に沿って書かないと文字にならない。
「……龍太様に漢字ドリルを買ってきてもらいましょうか」
「ド、ドリル!?」
「おや、ドリルはご存知でしたか?」
「……あまり気持ち良くなかったです」
「そっち系じゃありませんよー」
漢字ドリルとは、何枚かページがある小さなノートで、読み書き学習の道具だ。
龍太さんにお使いを頼む使用人の遠慮の無さに驚きながらも、自分と龍太さんの名前だけでも書けるように何ページも練習する。
「りゅう、た……」
「はい。上手いですね」
「まだまだです」
手が真っ黒になるまで鉛筆を握り、何度も削って字を書き続けた。
「(ゲシュタルト崩壊が起きないあたり、漢字を文字ではなく、記号と見ているのかもしれませんね)」
「……士郎さんは、苗字あるんですか?」
「ええ、後藤と申します。まだ、三葉様には難しいと思われますよ?」
「んぐ……何、この字」
藤って何? 縦線も斜めもいっぱい。なんだこの字。
昼を挟みながら、俺は格闘した。少しずつ、ページをめくるスピードが上がっていく。どんどん文字を覚える事に達成感を感じ始めた。
多分、知らない事を知れるのは楽しかったんだと思う。自由に学んでいいと言われたのが、俺は嬉しかった。
算数も少し教えてもらった。掛け算の意味がわからなかったけど、ルールを教えてもらったら理解出来た。
「飲み込みが早いですね」
「そうですか?」
「はい。三葉様は、地頭が良いのでしょう」
何だか照れ臭い。でも、嬉しい。こんなに楽しいと思ったのは、初めてだ。
いつの間にか俺は日が暮れるまで夢中になっていた。ようやく筆を置いて固まった肩を回すと、後ろからコキッと骨が鳴った。
「……五百蔵、龍太……五百蔵、三葉……うん。形になってる」
ただ……これを普通に書けるようになるのは、相当先だ。気長に頑張るしかない。
漢字以外にも覚える事がたくさんある。
「三葉さん?」
「りゅ、龍太さん、おかえりなさい」
「漢字ドリル買ってきましたよ。国語の教科書もあります」
「ぉ、おお!」
龍太さんがエコバッグから小学生向けの教材を俺へ手渡してくれた。
教科書って、学校で貰えるあの教科書!
俺はドキドキしながらページをめくる。
「わぁ…………」
「……そんなに珍しいですか?」
「中身を見るのは初めてなんです……うわぁ、うわうわうわ! 龍太さん、見て下さい! これ、これテレビで見たヤツです!」
「スイミー……」
「今なら読めます!」
興奮気味に教科書に目を走らせる。
ずっと前に雇われ先の家の子ども達が広げていた教科書は、俺には漫画本よりずっと魅力的だった。
学校に行っている子どもが持つ特別な本。
……これを、俺が読む日が来るなんて、思わなかったな。
「ご飯にしましょうか」
「はい」
食卓へ行っても、俺は変わらず床へ直行してしまった。
今日も龍太さんと床で食事を摂った。申し訳ない。
「明日は漢字ドリルを制覇しますか?」
「はい。あ、一人で大丈夫なので家の仕事に集中してください」
「そうですか。何かわからない事があればすぐに言ってください」
士郎さんとそんな会話を風呂終わりにして、俺は寝室へ。
ご奉仕しなくていいってわかると、とても気が楽だ。
「今日はどんな字を書けるようになったんですか?」
「えっと、お、俺達の苗字と名前、他にもいろいろ」
「え!? ちょ、ちょっとコレに書いてください!」
慌てた龍太さんが、書くものを持ってきた。
「汚いですよ?」
「こういうのは味って言うんです」
「味……あー、なんか、聞いたことあるかもです。趣きとか、なんとか」
「ですから気にぜずに」
趣きの意味が結局わかってないけど、とりあえず……出来るだけ丁寧に、龍太さんのフルネームを紙に書いた。
「どうですか?」
「…………これ貰って、いいですか?」
「いいですけど……」
俺の書いた五百蔵 龍太の紙を受け取ると、しみじみと文字を目で追っていた。
「嬉しい……」
「そんなに?」
胸に抱えて、何かを噛み締めている。そんな龍太さんに俺は首を傾げた。
どうしてそんな、嬉しそうにするんだろう?
そんな紙、ゴミみたいなものなのに。
この日は、目と頭を使って疲れてしまったのか、すぐに寝てしまった。
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