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25:ヴァニタスの反逆
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生まれた時から、俺には何も無かった。
親から与えられるのは、ジャリジャリした変な味の食べ物だけ。
奴隷商に売られてからも、与えられるのは見定める嫌な視線ばかり。
幼心ながら、自分の人生はずっとこうやって見下され、誰にも愛されずに不幸が続くのだとぼんやりと思っていた。
だがそれは、少し違った。
初めてアイツに会ったのは、奴隷になって数ヶ月目の頃だった。檻に投げ込まれて、死んだ様に眠っていた。実際、死んでいるのだと思っていたのに、動き出したからすげえ驚いたのを今でも覚えている。
見慣れない総白髪だが、幼かった男の俺から見ても……整った顔をしていた。
俺は初めて人に優しくしてもらった。
ソイツから分けてもらったパンは美味かった。味じゃない。心が美味い美味いとソイツの優しさを味わっていた。
手を握って寄り添って眠ってくれた。
コイツが男で良かった。女だったらすぐにでも娼館に売られていただろうから。
でも、買われてしまった。仕方ない事だったが、ソイツを奪われた事に俺は納得出来なかった。
それからも俺は売れ残った。紋章が無いからだ。何の役にも立たないと見限られて、奴隷商からも捨てられた。
何日も彷徨っていると、店でソイツを見つけた。
同じ髪色の少年とメイド、楽しそうに高価な服を選んでいた。
俺から奪われた先で、幸せそうにしてるアイツを見ていられなかった。
アイツにも、俺は必要ないんだ。
駆け出した先で、旅の奴隷商に捕まった。
それから、アイツと再開するまで酷い日々が続いた。
奴隷禁止法が出来てから、奴隷商が取締られ、奴隷達は保護される。けれど、保護された先で何されるかわかったもんじゃない。
逃げ出した仲間達と共に残飯や野草を食って凌いでいた。盗みが出来る程、街は豊かでもなかったから。
身体が悲鳴をあげている。皆それに気付いていた。特にチビ達はもう一年と持たないだろう。
このまま何も残せず死にたくないと言って、墓に名前を残そうと皆が自分で名を付け始めた。
俺はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。死ぬ前提で、自分に名付けるなんておかしいと思ったからだ。
その頃だった。アイツと再会したのは。
アイツとの再会は、良い物ではなかった。
変なヤツが街で病人を直していると噂が立っていた。どんなヤツか気になって裏路地から表通りを見に行ったら……子どもが大人に馬乗りにされて殴り付けられていた。
砂と血で汚れる白髪に……気付けば俺は走り出していた。
酷い顔にされたソイツの手を取って走った。疑問が胸を埋める。何故、コイツがここに居るのか。
答えは単純明快。
俺を探しに来たソイツは、アーサンと名乗った。
その日から、俺の日常は一変した。
アーサンとの日常は、世界が輝いて見えた。
食い物が美味い。楽しい事がいっぱいで、アーサンが俺の側に居た。
日に日に体の痛みが強くなっても、アーサンと共に居る方が幸せだった。
俺を愛してくれる。俺を、心の底から必要としてくれる。こんなに嬉しい事は他にない。
幸せだった。本当に……俺には勿体無い程に、アーサンは俺の人生に意味をくれた。
「なぁ、コレなんかどうだ?」
「…………」
「こっちのがいいか?」
「…………」
「……アーサン、折角考えたんだ。ちょっとは反応してくれ」
考えた名前を、力の入らない手で紙に書きだしてみても、アーサンは俯いて見ようともしない。
現実を見ないとお互い辛いってのに。
「はぁ……アーサン、嫌なのはわかるが、俺の覚悟を無駄にしないでくれ」
「……っ……私の頑張りも、無駄にしないでよ」
「無駄じゃないだろ……すげえじゃん。お前の薬で、みんな大助かりって、言ってた」
息がしにくくなってきた。今日は、ここまでだ。体力が大分落ちた。寝てばっかだしな。
面会を終えて、ガラス張りの壁に手をついて、また泣きそうな顔をしているアーサン。壁際に凭れているのを見るに、相当疲れが溜まっているんだろう。
そこへ、いけすかないマグナがやってきた。
「どうだった?」
「…………」
問いかけに首をふるアーサンにマグナが肩にポンポンと手を置いた。
マグナはムカつくヤツだが、信頼出来る。俺が死んだ後も、アーサンの支えになってく──
「んっ!」
「…………は?」
………………………。
………………。
…………。
……?
…………なんだ。何が起きている。
マグナが……アーサンの口に……?
「ぅ……んん……ぁ、んっ」
キス……なんで? は?
マグナがアーサンにキスをしている。困惑しているアーサンを抱き寄せて、舌まで入れてやがる。
「あっ……なん、マグナさん」
「アーサン、俺を見ろ」
マグナはアーサンの顎を掴んで上向かせている。アーサンの潤んだ瞳がマグナを捉えていた。
「(……駄目だ)」
俺を好きだと言っていたその口を、アイツに奪われて、俺だけを見ていた視線さえ独占されている。
一瞬で、気が狂いそうな程の嫉妬で腸が煮え繰り返った。
「んっ、んん」
執拗なまでに、二人のキスを見せ付けてくる。マグナが押さえ込んでいるが、アーサンの抵抗が少ない。
ああ……そうか。アイツは快楽に弱い。
股の間に足を差し込まれ、腰を揺すられてどんどん体の力が抜けていく。
アーサンの口内がマグナに侵略されている。歯列をなぞり、口蓋を舌で擽られ、舌を吸われる。
「ん……っ、は……ぁ」
「はぁ……」
マグナとアーサンの間に銀糸を引いて、静かに切れて落ちていった。
息を荒げて惚けてるアーサンは頬を朱に染めてマグナに身を任せている。
そんな態度をとるなよ。誰にだって、優しいのもお前のいい所だ。でも……
「(俺以外に、そんな顔を見せないでくれ)」
『ちゅっ』
「マグ、ナ、さん……」
「もう気にするな。アイツはお前と生きる事を諦めた……今度は、俺が側に居てやる」
「あっ」
マグナが首筋に顔を埋めて、衣服の下にある素肌に手を滑り込ませた。
「アイツじゃなくて、俺を選べ」
「……っ……やっ」
首にキスマークが付けられた後、アーサンの欲に濡れた嬌声が上がり始めた。
なけなしの抵抗をしていた四肢から力が完全に抜けたアーサンの体を弄る。
「あっ、あっ……や、やだ、やめて」
「やめねぇ……アーサン。今は俺の事だけを考えろ」
「はぁっ、うぁ……」
「俺はお前を、ちゃんと愛してる」
「っ……ぅ、マグナ、さん」
緩慢な動きで、マグナの背にアーサンの手が回されていく。
「忘れちまえ。お前を愛さないあんな男……お前の愛を蔑ろにするあんな男の事なんて……」
「……うっ、ぅう」
「俺が愛してやる。一生、大事にしてやる」
「マグナさん……」
まるで、マグナの告白を受け入れたかのようにアーサンがマグナに唇を捧げる。
「や、めろ……!」
再び口付ける瞬間、マグナがこちらへ不敵に微笑んできた。勝ち誇った笑みを俺へ向けた。
最早、痛みなんて感じない。
あれ程綺麗だった世界が血のように真っ赤に染まった錯覚を引き起こす。
胃から煮えくり返るドロドロとした感情が込み上げてきた。
コイツのせいでアーサンがまた俺から離れていく! 俺の側に居てくれない! 忘れさられる!
「ふざけんじゃねえッ!!」
『バリィン!』
「ぉっと」
身体に繋がれたチューブを無視して無理矢理立ち上がって、二人の前のガラスに拳を打ち付けても、派手にヒビが入るだけ。頑丈だなちくしょう!
「アーサンを愛してんのは、俺だ! 誰よりもッ、ハァ……アーサンを、大事に思ってんのは……俺だ!」
ああ、そうだ。そうだよな。やっぱ。
アーサンに悲しみだけ残して死んで、何か意味があってたまるか。泣き顔でさよならなんて、絶対嫌だ。
覚悟なんて、自己満足だ。諦めを良いように言っただけだ。
墓に刻む名前? 馬鹿馬鹿しい!
「ハァ……死んで、たまるか! お前に、アーサンを二度も奪われて、たまるか! ゼェ……俺は……生きるぞ! アーサン!」
「よく言った」
『パチン』
『パァン』
「……んぁ?」
マグナが指を鳴らしたら、アーサンが消えた。泡のように。
「たく、もうちょっと早く怒れよ。人形相手に虚しいつーの」
「人形?」
床に落ちた人型の紙を拾って、マグナが俺に事の説明をする。
「今日面会させたのは、アーサンの魔力を込めた魔法人形だ」
「…………まんま、アーサンだったぞ」
「そりゃそうだ。そういう魔法だからな。本人と同じ動きと言葉を話す。若干、お前を煽れるように俺が脚色したけどな」
「はぁぁ……そうか。偽物か」
「だがな」
マグナが俺へ向き直り、鋭い眼光を突きつける。
「俺の言葉は本物だ」
「!」
「お前がアーサンを諦めて死んだら、アーサンの側にいるのは俺だ」
「ハッ……絶対、に……渡さねえ!」
「お前が死なない限りは、アーサンに手は出さない。アーサンの幸せはお前の隣にいる事だからな。だから、たとえ生を諦めても、絶対にアーサンは諦めるな。アーサンを幸せに出来るのは、お前しかいないんだ」
コイツが何故、アーサンの魔法人形にあんな事をしたのかわかった。
死を受け入れた俺へ、生への執着を再び持たせる為。アーサンへの気持ちをより強固にする為だ。
「なんて、荒治療だ」
「ふふん、効果覿面だろ」
「性格悪りぃ」
俺の事を良く知っている主治医の処置は完璧だった。
あれだけ無気力だった身体が、死に刃向かい始めた。
「俺も全力でお前の治療にあたる。アーサンの努力も無駄にしない」
「……頼むぞ。お医者様」
「ああ」
『チャリ』
割れたガラス越しに恋敵と拳を合わせた。なんだか、変な気分だ。
けど、悪くない。
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