自愛の薔薇には棘がある

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3・厄介なヤツら※

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※嘔吐有り


 朝の通勤時に一駅分だけ触れられる。
 自分からこの人、痴漢ですって言える勇気が欲しい。けど、僕はいつも震えながら耐えるだけ。

「(この触り方……いつもの、人だ)」

 ストーカータイプの痴漢は粘着質だ。
 僕が抵抗出来ないと知っているかのように何度も繰り返し身体に触れてくる。そして、ズボン越しにお尻の割れ目を広げられる。
 僕を追い詰めるみたいに。逃げ場をなくすみたいに。しつこくねっとりとした手付きで割れ目の奥で指が這い回る。
 その度に全身が粟立ち、ゾクゾクと鳥肌が立つ。

「んぅ……ッ」

 吐き気を催す不快感に声が出そうになる。
 我慢しなければ。二分だけだ。あと少しの辛抱。
 そう言い聞かせて堪えるしかないのだ。

「はぁ……っ」

 こんなにも気持ち悪くて、悔しくて辛いのに……僕は怖くて何も出来ない。情け無い。涙目になりながらも早く終われ。そう願うばかり。
 駅に着いて、痴漢が降りていき、やっと解放された。二、三分が一、二時間に感じる。

「(仕事前なのにドッと疲れた)」

 撫で回されたお尻にまだ手の感覚が残ってる。気持ち悪い。
 しかし、その日からストーカータイプの痴漢遭遇率が跳ね上がった。
 帰りは清水さんが一緒だから平気だけど、行きの電車での接触は如何にもならない。
 日に日に痴漢の手付きがエスカレートしていくのを身をもって実感する。
 短い時間なのに、僕の身体を堪能されているのが嫌でもわかる。
 シャツ越しに乳首を弾きながら、お尻を弄られたり、股の間に手を突っ込まれて内腿を撫で上げられたり……バラエティに富んできた。
 清水さんには心配させたくないから朝の被害は言えていない。言ったらどんな顔をされるだろう。きっと優しいから、朝も同行するとか言い出すかもしれない。そこまで迷惑はかけられない。

 そして、ストーカー痴漢の被害が二ヶ月目になった頃……最悪な接触をされた。

「(あ……待って、コレ)」
『ゴリ』
「(……おい、おいおい、朝からなんで、こんな)」

 熱量を持った何かが背後で前後に揺れている。硬くて熱いモノが僕のお尻に押し付けられている。
 割れ目に埋め込むようにグリグリと動かされて、まるで性交のような動きで揺さぶられている。

「(……嘘、やめてよ。本当にヤダ)」
『ガタンゴトン』

 気持ち悪さに鳥肌が立ち、怖すぎて呻き声すら出せない。
 痴漢の不審な動きは電車の揺れで紛れている。偶然当たったとかではなく、故意的なものだ。

「…………~~!」

 恐怖のあまり、ガクガクと身体が震え出す。今すぐに大声で叫びたいのに、口を開けば変な音が漏れそうだ。
 なんで、どうして、僕はただ普通に通勤してただけなのに、そんな事するんだよ!
 怖い。怖い、怖い、誰か助けて、助けて、誰か。

『キィ……ガタン』
『プシュー』
「ふっーー……っ!!」

 扉が開いて当て擦られていたモノが外れ、下車していく痴漢。
 それから、僕は目的地に着くなり、人混みを掻き分けて改札へ走る。階段も一段飛ばしに駆け上がり、とにかく駅から逃げた。
 会社のトイレに駆け込んで鍵をかける。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 何アレ……なんで、あんなこと……身体の震えが止まらない。
 気持ち悪い。キモチワルイ、キモチワルイ!!

「っ……う、ぇ……おぇ」

 嘔吐きながら、便器に吐き出されるのは朝食だ。
 涙がボロボロ零れて床に落ちる。拭っても後からどんどん溢れてくる。嗚咽と空嘔きの汚い音を漏らしながら、しばらく泣いた。
 僕が何をした? 何をしたっていうんだ。僕みたいな地味な人間をわざわざ追いかけてきて嫌がらせなんて、意味わかんない。

「うぅ……っ、ひくっ……」

 涙腺が壊れたみたいに泣き続けた。涙と一緒に鼻水まで出てきてグズグスだ。顔が酷いことになっているに違いない。

『コンコン』
「伊織?」
「っ……ささ、きさん?」
「大丈夫か? なんか、すげぇ泣いてるみたいだけど」
「すみません……や、ヤバい痴漢に遭って」

 トイレの水を流してから、個室の鍵を開けた瞬間に佐々木さんが心配そうに覗き込んできた。

「震えてんじゃん。マジでどうした?」
「僕もよくわからないけど、あの……後ろからずっと押し付けられてて……うぅ、ううう……っ」

 思い出すとまた涙が出てくる。気持ち悪くて、怖くて、身体の芯から寒気がする。

「わかった。ちょっと落ち着けって」

 個室に入って来て僕の背中をさすって、ティッシュで目元と口元を拭ってくれた。
 それから宥めるように背を撫でてくれる。優しくて温かい手付きに安心感を覚えた。

「落ち着いたら話せるか?」
「……うん」
「じゃあ、まず、ゆっくり深呼吸な」

 言われた通りに、ゆっくりと息をする。
 何度か繰り返したら少しだけ気分が良くなった。
 休憩所へ向かって、自販機で冷たい水を買ってくれた。

「目ぇ冷やしとけ」
「ありがとう……」
「よし、そんじゃ聞かせてくれ」

 椅子に座って、向かい合わせに座る。

「痴漢されてたんだよな?」
「……いつものように電車に乗ってたら、後ろからお尻辺りに、硬いのがゴリって……鞄かと思ったけど、どう考えても人ので……それで、押し付けて擦り付けられて」

 思い返すと、全身の血の気が引くぐらい怖かった。

「……ヤバいな。誰かに相談はしたのか? ボディーガードしてくれてる友達には?」
「……言いにくくて」
「俺には言えてるだろ。なぁ、それ本当にヤバイぞ。エスカレートしてるって前にも言ってたじゃん。絶対、そこから最悪なパターンに入るから。ちゃんと言えよ。このままだと……お前」

 背に当たる胸筋の位置で僕より体格も背も大きい相手だ。
 もし、何かされたら僕は抵抗出来るだろうか。いや、きっと出来ない。何も出来ずに、押さえ込まれて好き勝手されてしまう。考えただけで恐ろしい。

「とりあえず、そのストーカー野郎の特徴は?」
「……えっと」

 特徴と言っても顔も服装も知らない。身長もわからないし……わかるのは男の人ってことだけだ。

「特徴はわかってねぇってことか」
「……はい」
「わかった。ひとまず、今日はデスク仕事だけしろ。その他は俺がするから」
「それは流石に」
「俺の分もデスク仕事してくれたらいいから」

 いいのかそれで……いや、でも、確かに僕が外回りに出るのは心情的に無理だ。
 佐々木さんのお言葉に甘えて、今日はデスク仕事に従事させてもらった。
 そして、定時にも上がれた。

「(電車……怖い、どうしよう)」

 駅に着いて、数分刻みでどんどん来る電車に尻込みしてしまっている。
 時間は刻一刻と過ぎていき、次の電車がやって来る。
 意を決して電車に乗り込むと、案の定というべきか満員で押し潰されそうな車内だ。
 鞄を胸に抱いて、犇めき合う人々の隙間に何とか潜り込んだ。なるべく壁に背中を預けられる位置を確保する。
 しかし、この選択が仇になった。

『プシュー』

 扉が閉まって発車すると同時、人混みに押されているせいで密着状態だが、明らかに意図的に接触してきた。
 満員電車で人を盾に、下から伸びてきた手に太腿を撫でられる。

「ひっ」

 股間を掴まれた瞬間、情けない悲鳴が出るも、電車の走行音と人々の漣のような騒めきで掻き消される。
 痴漢の手は、僕の性器があるだろう箇所を揉みながら前後している。
 こんな大勢の前で何してるんだよ……信じられない。必死に足を閉じて、太腿をピッタリとくっつけ、腰を引いた。
 が、それが気に食わなかったのか、ジィッと手早くズボンのチャックを降ろす音が耳に届く。下着越しに、反応していないソコに触れられた瞬間に総毛立った。

「(今日はなんなんだよ!!!)」

 後ろは壁、左右と前に人、これ以上身動き出来ない。
 どうしよう! どうすればいい!? バレたら僕もいろいろヤバい! 最小限の動きで逃げないと! でも、どうやって??
 考えが纏まらないうちに、痴漢の行為はどんどん大胆になっていく。チャックの隙間に差し込んだ指先でなぞるような触れ方から、手の平を押し込まれ、全体で包み込まれるような感触に変わり、やがて緩々と動かされる。

「……んっ、く」

 声が出ないように、歯を食い縛る。息を殺して我慢しても、刺激が強くなるばかり。
 やめてくれよ。
 嫌なのに……怖くて仕方がないのに……バレたら終わるのに……身体が勝手に反応していく。

「伊織さん」
「!?」
『バッ』

 清水さんの声に顔を上げたら、股座の手が凄い勢いで引っ込んだ。
 ホラー映画のお化けみたいだった。

「すみません、通ります。すみません」

 慣れたように満員電車内をスルリスルリと移動して、僕の元に辿り着く清水さん。
 あ、ダメだ……間に合わない。

「伊織さ、ん?」
「…………見ないで、ください」

 開けられたチャックから、反応を少し示し始めている僕のモノが下着越しに顔を覗かせていた。それをバッチリと見られてしまい、半端ない羞恥心が襲ってくる。崩れ落ちそうなぐらいに恥ずかしくて、情けなくて、もう、死んでしまいたい。

「失礼します」

 そう言う清水さんに股関のチャックを閉められた後、抱き寄せられる。そして、耳元で囁かれた。

「酷い痴漢に遭ったんですね……ごめんなさい。俺がもっと早く来ていれば」
「違、僕が、ちゃんと逃げれなかったから」
「どいつか、わかりますか? 誰ですか?」

 アイシャドウによりいつもより鋭くなった目元と眼光で、周囲を威嚇するように睨む。
 
「わ、からない、ごめんなさい」
「いえ……一旦次で降りましょう」

 ちょうど、次の駅に到着したところだったのでそのまま下車する流れになり、人波に流されるようにホームへと降りてベンチに座る。

「(どうしよう……)」

 今朝もあんなに泣いて、佐々木さんに慰めてもらって、仕事まで請け負ってもらったのに……僕は、また迷惑をかけてしまっている。

「……伊織さん、電車……乗れそうですか?」
「む、無理……」
「今夜は俺の家に泊まってください」

 気遣う温かい言葉に泣きそうになる。
 どうしてこうも僕は弱いのだろうか。本当に……悔しい。
 そうしてその日は、清水さんの家に泊まることになった。

「ちょっと変わった部屋ですけど、気にしないでください」

 マンションの上層階に上がり、鍵を開けて中に案内される。

「!」
「……あ、はは、やっぱ引きます?」
「いえ、引くというか、驚いてます」

 清水さんの部屋は、一言で言うなら『女の子っぽいお部屋』だった。ぬいぐるみとか、花柄のカーテンとか、パステルカラーのクッションとか……全体的に爽やかで可愛らしい雰囲気だ。キャピキャピしたフレッシュ感と言うより、乙女心を忘れない大人の女性って感じの部屋。
 女装した見た目ならしっくりとくる。

「変ではないと思います。色合いとか雰囲気とか……なんと言うか、清潔感があって安心出来ます。あと、女性らしさもあるし、可愛いですね」

 思ったことをつらつらと正直に告げると、ポカンとした表情を浮かべた後、照れた様子で頬を掻いた。

「はは、ありがとうございます。とりあえず、先にシャワー浴びてください。その間に夕飯作りますんで」
「え、そんな、悪いですよ」
「いいんですよ。それより、スッキリしたいでしょう?」
「……」

 お見通しだと言わんばかりの視線を向けられて、思わず目を逸らしてしまった。
 
「……じゃあ、お願いします」
「はい」

 バスルームの場所を教えてもらい、着替えは置いてある物を使ってくれと言われ、ありがたく使わせてもらうことにした。

「(やっぱり、良い人だよなぁ)」

 こんなに優しい人は他に居ないと思う。
 それにしても今日は災難だった。二度もあんな目に遭うなんて。

「はー」

 熱い湯を浴びながら溜め息を吐く。

「(清水さんに見られちゃった……)」

 忘れてたけど、醜態を晒した事実は消えない。
 シャワーを終え、借りた服に袖を通す。サイズが大きかったから、捲らせてもらった。
 リビングに行くと、キッチンに立つ清水さんの後ろ姿が見えた。

「あの、何か手伝いますよ」
「大丈夫です。もうすぐで出来るので、左側に座って待っていてください」
「……はい」

 食器も既に出てるし、ほぼ料理も出揃ってる。僕が手伝えることはなさそうだ。
言われた通りに左側に座り、ぼんやりと清水さんの手際を眺める。

「(一人暮らしの自炊って感じの料理だ……)」

 鳥肉野菜炒めと豆腐とワカメの味噌汁、ご飯が並べられる。

「簡単なものですみません」
「いえ! 凄く美味しそうです!」
「あはは、それは良かったです」

 僕もそれなりに自炊はするけど、品数は少なめだ。だから、こういうバランスの良い食事は久しぶりだ。

「「いただきます」」

 二人で手を合わせて食べ始める。
 
「……おお、めちゃくちゃ美味しい」
「ありがとうございます」

 僕の感想に清水さんは嬉しそうに微笑んだ。

「(なんか、凄く癒やされる)」

 疲れた身体と心に染み渡るような温かさがある。

「ふふ……」
「…………なんで」
「?」
「なんで……ヤツらは貴方の笑顔を奪うような事をわざわざするんですかね」

 複雑な表情で味噌汁を啜る清水さんの言葉に箸が止まる。

「なんで、あんな接触しか出来ないんでしょう。苦しみや怯えの顔より、笑った顔の方がずっとずっと魅力的なのに」
「あ、あの……もしかして、口説いてます?」
「ぇああ!? 違いますよ! 事実をただ述べているだけです!」

 何時ぞやにも似たようなやり取りをした気がする。
 僕に興味があると言うのなら、苦痛の顔よりも笑った顔の方が好ましい……つまりそういうことだろう。
 けれど、僕は知っている。

「清水さんのように、僕の心を見てくれる人は稀なんです。アイツらが見てるのは、僕の身体なんです」
「!?」
「何処が良いんでしょう……普通の男の身体だと思うんですけど」

 『普通の男』は、言い過ぎか。
 僕は筋肉が付きにくい。体毛も薄い。髭を生やすのも一苦労だった。背も平均より低い。
 一般論的男性像を『普通』と定義するならば、僕は『普通の男』以下だ。

「(きっと、アイツらの目に僕は男らしく映らないんだろうなぁ……知ってたけど)」

 それこそ、『女の子みたい』に見えるのか?
 それとも、『何しても抵抗出来ない人』に見えるのか?
 
「なんなんでしょうね」
「理解出来ません。下半身に脳があるんじゃないですか? ちっちぇーゴルフボールみたいな脳が。二つ」
「ブッ! あはは、そうかも!」

 そんな会話をしながら食事を終え、身も心も満たされた。

「ご馳走様でした」
「お粗末さまです」

 綺麗に平らげた食器を片付ける清水さん。

「洗うぐらいはさせてください」
「じゃあ、一緒に洗いましょうか」
「はい!」

 二人並んで洗い物をする。鼻の頭に泡を乗せられて、お互いに笑い合ったりしながら。

「じゃあ、そろそろ寝ますか」
「え、でも、見る限り、ベッド一つしかないですよね」
「俺は床で良いです」
「そんな! ダメですって! 腰痛めますよ!」
「大丈夫ですって」

 そう言ってベッドの隣に毛布で包まって見せる清水さん。

「いやいやいや、若いからって甘くみちゃダメですよ……僕が床に」
「それこそダメでしょ」
「なら、一緒に寝ましょう。僕、小さいから寄れば十分スペース出来ます」
「……あの、俺……こんな格好ですけど、男ですよ? 怖くないんですか?」
「????」

 清水さんが男性なのは知ってる。けど、怖いとは思わない。

「だって、清水さんは清水さんですよ?」
「……はは、そうですね」
「はい」
「じゃ、遠慮無くお邪魔します。風呂入ってくるんで、先寝ててください」

 そう言ってスタスタと浴室に向かって行った清水さんを見送り、ベッドに入る。
 お泊りに少しだけドキドキするけど、清水さんの匂いがして落ち着く。肺に香りを貯金するように深呼吸を繰り返す。

「(お腹いっぱい食べて、安心したからか眠くなってきた……)」

 清水さんが戻る前に、僕は寝落ちしてしまった。
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