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第十章

第7話『牢屋の買収』

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「まだ寝ているの? さっさと起きなさい」

 牢屋のベッドの上に寝ているウォルターに向かって、イシスは落ち着いた声で話しかけています。
 ウォルターは寝たふりを続けるか少しだけ迷った後に、ベッドから起き上がりました。
 キメラに無理矢理に叩き起こされるのも、イシスを怒らせるのも、何の意味も無いです。

「……外に出してくれるんですか? それとも、もうバラバラに解剖するんですか?」
「あなたはどっちがいいの?」
「……」

 質問に質問で返されました。ウォルターはどう答えようか迷います。
 素直に答えても、外に出してくれる可能性はゼロです。
 そして、解剖を選ぶつもりは絶対にないです。

「自分では決められないようね。だったら、こうしない? あなたが私達の研究に協力するの。そうしたら、ドロシーとも一緒に暮らせるわ。良いアイデアでしょう?」

 ウォルターが答えないでいると、イシスは名案とも言える選択肢を言ってきました。
 皆んなが幸せに暮らせる方法のようですが、その中に材料になる人達の幸せは入っていません。

「本気で言っているんですか? それに協力しろと言われても、一体何をさせるつもりなんですか?」
「あなたにとっては簡単な仕事よ。材料の調達と資金の調達。便利なスキルを使えば、見つけるのも、連れて来るのも簡単でしょう?」

 まったく協力するつもりはありませんが、ウォルターは話を合わせる事にしました。
 多分、イシスが冗談を言っている可能性が高そうです。

「なるほど、誘拐の手伝いをすればいいんですね? 分かりました。いつから始めればいいんですか?」
「フッフッ。今はやる気があるようだけど、流石に信用できないわ。この薬を一週間服用してもらった後に、改めてお願いするわ。まずは飲んでみて。とても気持ち良くなれる薬だから」

 冗談だと思っていた仕事の勧誘が、イシスが取り出した赤色錠剤の登場で、一気に真実味が出てきました。
 どう見ても、小瓶に入った一センチ程の赤色の錠剤三錠は、気持ち良くなる薬じゃなくて、ヤバイ薬です。

「それを飲んだら、どうなるんですか? 死ぬんじゃないんですか?」
「そんな事はないわ。ちょっと依存性が高いけど、あなたはドロシーと結婚するんだから、薬切れの心配をする必要はないでしょう? さあ、本気でドロシーと結婚したいなら、飲んでみて」

 イシスはウォルターが鉄格子から手を出せば、すぐに取れる所に小瓶を置きました。
 忠誠心を見せるには飲むしかありませんが、これに手を出したら服従生活が始まってしまいます。
 多分、他の牢屋に入っている人達も服用済みの可能性が高いです。

 この研究施設から囚われている人達全員を外に逃す事が出来ても、薬の副作用が残ったままです。
 囚われている人達を救出するなら、イシスも一緒に連れて行かないと駄目みたいです。

(飲めば、どうなるか分からない。でも、飲まないと力尽くで飲まされるだけだと思う。それに食事に混ぜられれば分からない)

 ウォルターは色々と考えますが、囚われている状態では何も出来ません。
 今出来るのは鉄格子の向こうにいるイシスを道連れに死ぬぐらいです。
 けれども、死ぬつもりは一切ありません。
 なんとかして薬を飲まずに、信用される方法を見つけるしかないです。

「その薬はちょっと危なそうなので、遠慮しておきます。別の方法はありませんか?」
「そんな方法はないわ。飲むか、飲まされるか、選べるのはどちらかよ。一日だけ待ってあげるから決めなさい」

 やっぱり他に方法はなかったようです。飲むのを拒否した瞬間に交渉は終わりました。
 イシスの穏やかだった口調が、冷たく突き放した口調に変わりました。
 そして、一日だけの猶予期間をウォルターに言い渡すと、イシスは立ち去って行きます。
 
「ちょっと! 他に方法があるはずですよ!」
「それを決めるのは、あなたじゃない。私よ」

 ウォルターはイシスを引き止めようと、鉄格子に近づいて、見えないイシスに向かって声をかけました。
 けれども、返ってきたのは返事だけで、イシスは戻って来ませんでした。

「……やっぱり僕一人で逃げるしかないのか」

 牢屋に残されたウォルターは、もう駄目だと覚悟しました。
 鉄格子のすぐ外には、ヤバイ薬が入った小瓶が置かれたままです。
 飲むつもりはないので、鉄格子の鍵を開けて、外に逃げ出すしかないです。

 それでも、牢屋の外にキメラが一人、逃げる通路の途中にもキメラが一人います。
 一人で逃げるだけでも、相当に厳しいです。

(まずは落ち着いて逃げる方法を考えよう。キメラさえ居なければ、色々な問題が解決するんだ。僕を買収するなら、こっちは逆に監視しているキメラを買収しよう)

 落ち着いて出した答えがイシスの真似ですが、ウォルターは行けると思っているようです。
 大きな声を出して、牢屋からは見えないキメラを呼んでいます。
 探査で調べた位置的には、キメラは部屋の出入り口から部屋全体を見ているみたいです。
 牢屋の一番奥の部屋に入れられているウォルターからは、まったく見えない位置にいます。

「おーい! おーい!」

 ウォルターは頑張って呼び続けます。その結果、キメラがドスドスと重たい足音を鳴らしてやって来ました。

「ナンダ? ウルサイ。ダマレ」

 やって来た緑色のキメラは、他の完成品のキメラと同じようにデカイです。
 怒らせる事に成功すれば、鉄格子を片手で破壊してくれそうですが、牢屋から逃げる前に掴まって、引き千切られて殺されるだけです。
 それにウォルターはそんな方法で逃げる必要はありません。氷で鍵を作って、静かに脱出する事は出来ます。
 なので、これ以上は大声で刺激しないで、静かにお話しをするようです。

「ここから出て、外の世界で自由に生きてみませんか?」
「ソトニ、デル? オマエ、ワカラナイ」

 ウォルターは緑キメラに対して、友達のように明るく話しかけています。
 けれども、緑キメラは言っている意味が分からないようです。
 買収する前に意思疎通が難しいという壁がありました。

「えっーと、美味しい氷、外に出れば、食べられる。ガリガリ美味しい!」

 ウォルターは緑キメラでも分かるように、氷の魔法を使って、魚の形をした氷の塊を作りました。
 そして、緑キメラの前で食べる真似をしてから、緑キメラに渡しました。

「コレ、オイシイ? ガリガリ、オイシイ?」

 緑キメラは受け取った六十センチサイズの氷の魚を興味深そうに見ています。
 食べるか、食べないか、迷っているようです。
 でも、好奇心には勝てなかったようです。氷の魚の胴体にガブリと囓りつきました。

「ンッ、マズイ! コレ、マズイ!」
「うわぁ⁉︎ ごめん、ごめん!」

 ガシャンと氷の魚はひと囓りされた後に、床に叩きつけられてバラバラになりました。
 味覚は正常な判断力が残っていたようです。
 ウォルターは謝りながら、急いで牢屋の奥に避難しました。
 買収は失敗したようです。

「コレ、マズイ! オイシイ、コレ! コレ、オイシイ!」

 緑キメラが床を指差しながら、怒っています。
 太い人差し指の先にはバラバラの氷の魚と、ヤバイ薬が入った小瓶しかありません。
 ウォルターは恐る恐る鉄格子に近づくと、小瓶を指差しながら、緑キメラに聞きました。

「えっーと、これが美味しいの?」
「コレ、オイシイ。コレ、ホシイ」
「そうなんだ。これが欲しいんだ……」

 イシスはキメラ達まで薬漬けにして操っていたようです。
 ウォルターは小瓶の錠剤で、緑キメラを買収できないかと考えています。
 そして、実行しました。

「ねぇ、これを上げるから逃してほしいんだけど」

 ウォルターは小瓶を手に持って、緑キメラに聞いてみました。ですが、買収は出来ないようです。

「ニガス? ソレ、デキナイ。ニガシタラ、イシス、クスリ、クレナイ。ダメ、デキナイ」
「そうか、そうだよね。分かった。じゃあ、こういうのは駄目かな?」

 流石に逃げる手伝いはしてくれないようです。
 でも、ウォルターは買収を諦めていません。
 逃げる手伝い以外ならば、可能かもしれません。
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