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第2章 サークス村のF級冒険者

侯爵クエスト ウィルと黒の魔女④

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「ここです」
「ああ、分かってる」

 とりあえず何にも分かっていないけど、分かってるという雰囲気は出さないといけない。そうしないとプリシラに怪しまれてしまう。しかし目の前には垂直にそり立つ岩崖しかない。実験室に行くには壁をよじ登る必要があるのだろうか。

 本当に実験室があるのか不審に思っていると、プリシラがマントの中から柄の先に緑色の宝石が付いた短剣を取り出した。急いで邪龍剣の柄に手を触れて戦闘態勢を取るが、どうやら早とちりのようだ。プリシラは魔法を使って岩崖にピッタリと嵌っていた大岩を前に動かして行く。大岩が退かされると、その後ろに人一人が通れる隠し通路が現れた。

 これは知らない人には絶対に見つけることは出来ない。おそらくは天然の洞窟の入り口を大岩で塞いで、その中を自分好みの実験室に改築したのだろう。

「この奥です。通路は狭いですが、中は広いです。まあ、知っているでしょうけどね」
「ああ、もちろんだ」
「そうですか。では付いて来てください。罠の位置は教えなくてもいいですよね?」
「ああ、もちろんだ」

 出来れば罠は解除してほしいが、常時、神眼の指輪を使っているので、見える罠に引っ掛かることはないはずだ。プリシラも今のところは魔法で攻撃する気配もない。用心はしているが、立ち入り禁止区域で無許可に変な実験を繰り返していただけなのだろう。

 どちらかというと、罰金よりも事情聴取を受けるのが嫌なのだろう。おそらくは実験データは罰金の金貨三枚以上の価値があるはずだ。それをタダで没収されるぐらいならば、見ず知らずの男に口止め料を支払う方が得策だとそう判断したのだろう。納得できる選択だ。

 よくよく考えると実験室とはいえ、まあまあ若い女性の部屋に入るのだ。ちょっと緊張してしまう。もしかすると下着なんかを干しっぱなしにしている可能性もある。興奮と期待を胸に実験室に到着すると、まずはベッドに座るように言われてしまった。全くやる気満々なんだから。

「そこのベッドに座ってください。飲み物はお酒とジュースのどちらがいいですか?」
「お酒でお願いします」

 結構綺麗な部屋だ。ベッドに本棚に人骨と物はそこまで置いていないようだ。食料品がほとんどないから、この場所で暮している訳ではないのだろう。この小さな実験室を維持するにもそれなりのお金が必要だろうから、キチンと働いて収入も得ているようだ。

「助かります。お酒しか置いていないんですよ」
(ふぅ。さて下着が干しっぱなしとかいうレベルじゃないぞ。何故、部屋の中に人骨が散らばっている?)

 まずは落ち着け。もしかするとプリシラには墓荒らしと人骨の収集癖があるだけなのかもしれない。ほら頭蓋骨も抱き枕にちょうどいい形だし。

「お待たせしました」
「いえ、大丈夫です」

 プリシラは僕にお酒を渡すと黒マントを脱ぎ始めた。白のフリルシャツと黒のスカートが露わになり、ロングブーツとスカートの僅かな隙間から少しだけ白い肌が見えている。これが大人のチラリズムなのかもしれない。

 さあ渡されたお酒を飲んで、さっさと人骨なんて気にならないようにしないと駄目だ。プリシラはやる気満々なんだから。女性に恥をかかせたら駄目だ。

【強力痺れ薬入りのお酒】 即効性の痺れ薬で、飲んだだけで呼吸困難になる可能性があります。死にたくないのなら、まず飲まないことをオススメします。

(はぁ…! はぁ…! 殺る満々の方だった‼︎)

 この女は絶対に墓荒らしが趣味じゃない。物理的な口止め料を貰うのはもう無理そうだ。今は物理的な口封じを強制的に受けそうになっている。もう僕は迷わない。仕事に戻ろう。

「床に散らばっているのはこの森にやって来た男達ですね? 酷いことをする」
「そうですか? 噂の幽霊を見たくて来たんです。最後に実物を見れて喜んでいましたよ」
「殺されて喜ぶ人間はいない。それともこの男達も、これから僕とするようなことをしてから殺したのか? このアバズレめ」
「ふっふふ♬」

 否定はしないのか。おそらくはここまで連れて来て、痺れ薬入りのお酒で無抵抗にしているんだ。

(口封じ?)

 いや、それだとわざわざ人骨を実験室に置いておく意味はない。地面の深くに埋めて置けばいい。だとしたら人体実験の可能性もあるけど、とりあえずは人殺しを野放しには出来ない。捕まえないと。

 人骨は頭蓋骨だけで数えても五人分だ。これだけ殺したのなら、捕まれば死刑は確実。僕に口止め料を支払いたくなる気持ちも分かる。けれども痺れ薬入りの酒は飲みたくはない。聖龍剣を握って、飲んで直ぐに状態異常回復の魔法を使えば大丈夫かもしれないけど、どうせ殺すつもりだ。そんなことをする意味はない。

「それよりも飲まないですか? 大丈夫ですよ。何も入っていませんから。心配ならば飲まずに始めましょうか? 私も実は興奮しているんですよ」

 酒を飲まずに考え込んでいると、プリシラが警戒し始めた。何が興奮して来ただ。興奮は興奮でも、僕を殺す想像をして興奮しているだけだ。ここは痺れ薬が効いているフリをして、プリシラを油断されて倒すのもいいかもしれない。父さんも、「女を殴る男は最低だ。でも、時と場合によっては殴ってもいい」と断言していた。

 でも魔法使いの前で回復魔法を使えばバレるだけだ。結局は酒を飲んでも駄目、飲まなくても駄目だ。残された手段は一つしかない。

「ちょっと緊張してしまって、外にオシッコに行って来ていいですか?」

 狭い室内で剣と拳で戦うのは圧倒的に不利。プリシラを一撃で倒し切れないと、手痛い魔法の反撃を覚悟しないといけない。リスクを選ぶよりも、広い外に出る方が賢い選択だ。

「ここでしていいですよ。どうせ、汚れるでしょう」
(汚れる? 痺れている僕をさっきの短剣で滅多刺しにするのか)

 本当にヤバい女だ。早くここから脱出して、エミリアと合流しないと駄目だ。

「でも大きい方だから外でして来るよ。服を脱いで待っててよ」
「そうですか、分かりました。早く戻って来てくださいね」

 そんな誘うような仕草と表情をしても騙されないぞ。もう二度とここには戻っては来ない。

「分かってる。直ぐに戻って来るよ」

 幸い、出入り口は一つだけだ。外側からは岩を引っ張って移動させるのは難しいけど、中から押して移動させるのは可能なはずだ。上手く外に出られれば、この洞窟の実験室にプリシラを閉じ込めることも可能なんだ。

(何の音だ?)
「がはっ…‼︎」

 背後から音がした。振り返った瞬間には手足に氷の飛礫つぶてが突き刺さっていた。

「どこに逃げるつもりですか? トイレなら実験室にありましたよ。あなた、本当はどこまで知っているんですか?」

 暗闇の中からプリシラの声が聞こえる。神眼の指輪には短剣を構えたプリシラが見えた。ヤバい、油断していたのは僕の方だった。この狭い通路では剣は振れない。出来るのは突くことだけだ。飲んでも、飲まなくても、逃げても駄目。ここはプリシラが邪魔者を確実に処刑する為の場所なんだ。

「はっは、何を誤解しているのか知らないけど、トイレに行きたいだけだよ。邪魔しないで行かせてよ」
「分かりました。予定通りに朝まで拷問することにします」
(そんな予定は僕にはない)

 これからは森の中で出会った美人魔法使いには注意しよう。とりあえず龍剣二振りを正面に構えて多少の防御は出来る。HPを回復しながら出口を目指して逃げるしかない。
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