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前編・前

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「ヤバイヤバイ、このままじゃ遅刻だ!」

 高校二年生の新学期初日の遅刻は流石にヤバイ。学校までの住宅街の道を全力で走る。何とかして入学式に間に合わないと、教室で一人待機させられて、あとで職員室に呼び出されてしまう。
 ……こんな大事な日に限って、母さんも胡桃くるみも何で起こしてくれないんだよ!

「うおおおおお!」

 薄情な家族に文句を言っても仕方ない。今は走るのに全集中だ。今、俺は自分の限界を超える。
 学校へと続く整備されたアスファルトの道を、近所迷惑にならない程度の雄叫びを上げて突き進む。

 ……よし、よし、行ける! 間に合う!
 狭い道を左に右に素早く曲がる。今の俺は一流レーサーだ。クラッシュしなければ間に合う。遅刻ギリギリなので逆に学生が減って人通りが少なくなっている。障害物競走だったら危なかった。

「はぅっ、はぅっ、ジャパンの道は福沢諭吉でぇす!」

 だが、俺は重要な事を忘れて油断していた。遅刻する人間は俺だけじゃないという事を……

「ワオッ⁉︎」

「なっ⁉︎」

 曲がり角を左に曲がろうとした瞬間、その女は飛び出してきた。顎のラインまでの金色のボブヘアの女は、俺と同じ高校の制服を着ている。口にはパンを咥えている。この女もギリギリだ。
 このままだと激突して二人とも怪我してしまう。俺は反射的に「くっ!」と曲がる体勢だった身体を強引に左から右に、反復横跳びのように横っ跳びに切り替えた。

 よし、躱せた……

「はぐっ!」

 と思ったのに甘かった。鼻柱を硬い何かでペシィンと強打された。

「おうぅ、大丈夫ですかぁ?」

「いたたたっ……は、はい?」

 少し涙を浮かべて地面にしゃがみ込む俺を、長いフランスパンを持った金髪の女が心配そうに見ている。道理で躱せなかったはずだ。フランスパンはリーチが長過ぎる。
 それに白っぽい金髪、白すぎる肌、訛りのある片言の日本語。どう考えても日本人じゃない。
 ……この女、もしかしてハーフか外国人か?

「おお! なんてことでしょう! 頭を打って意識がモウモウとしてまぁす! 早く救急車を呼んで救出しなくてわぁ」

「いやいやいや、大丈夫、大丈夫。そんな事しなくていいから。ノーセンキュー、ノーセンキュー!」

 茶色い四角いペタンコ鞄から携帯電話を取り出して、外人女が救急車を呼ぼうとしたので急いで止めた。フランスパンが顔に打つかっただけで救急車を呼んだら、救急隊員に怒られる。

「ホワッ⁉︎ 本当ですかぁ! 痩せ我慢、過労死の始まりでぇす! 日本人、無理無理し過ぎでぇす!」

「はぁぁ、大丈夫だって言ってるだろう。俺は急いでいるんだ。あんたも急がないと遅刻するぞ」

 ペラペラとよく喋る女だ。無駄話している間も時間は過ぎていく。救急車を呼ばないように説得して、さっさと学校に急がないと。

「おお! そうでしたぁ! 初登校で遅刻だと、不良にされて、トイレに呼び出されてしまいまぁす! 日本人は時間にとってもとっても厳しいと聞いてまぁす!」

「そうそう。遅刻すると呼び出されるんだからな。救急車呼んでいる暇はないんだ。それと緑商高校はこっちじゃない。あっちだ!」

「はうぅ⁉︎ ど、どうして、私がその高校に行くと知っているんですかぁ! あなた、何者ですかぁ!」

 学校の反対方向から女がやって来たので親切に道を教えてあげた。なのに、いきなり不審者を見るような目つきで俺を警戒する。
 フランスパンを右手に、鞄を左手に持って、剣と盾のように構えている。薄々気付いていたけど、確実に馬鹿だ。関わるだけ時間の無駄にしかならない。

「その制服を見れば分かる。俺も同じ緑商高校の生徒だ。遅刻するから俺はもう行くからな。救急車は絶対に呼ぶんじゃねぇぞ」

 女の服を指差して教えてやった。緑商高校の女子の制服は茶色リボンに紺色のブレザー制服。スカートは茶色とグレーのチェック柄だ。二年生の俺が見間違うはずがない。

「おお! なるほどですねぇ! ベビーフェイスだから小学生だと思っていましたぁ。同級生様様でしたかぁ。これは失礼しましたぁ。私はルイーズでぇす! 二日酔い者ですが、よよしくお願いしまぁす!」

 ……身長百七十センチの小学生がいるかよ。それと二日酔い者じゃなくて、ふつつかものですがだな。
 一応、心の中だけで間違いを訂正した。

「はいはい、よよしくじゃなくて、よろしくね。俺の後に付いて来ればいいから。遅れるなよ」

「はぁーい! よよしくでぇす!」

 ……外人は朝からテンション高いな。これがピカピカ一年生オーラか?
 同級生ではないと思うけど、いちいち日本語の間違いを訂正するのも面倒だ。学校まで送り届ければ、あとは英語の先生が何とかするだろう。それに遅刻した理由にもなる。

「ハァハァ、ハァハァ……ふぅー、着いたぞ」

「ここが学校ですかぁ? 思っていたより小さいでぇす」

「おい、ぼーっとしてないで行くぞ」

 流石は外人だ。女なのに日本人離れした体力をしている。俺と違ってピンピンしている。
 校門の前には保護者の姿がちらほら見える。完全に遅刻だが、荷物が増えた時からそれは分かっている。さっさと職員室に荷物を送り届けよう。

「おお! そうでしたぁ。あなたのお陰で助かりましたぁ。これはお礼でぇす!」

「あぁ……ありがとよ」

 校門に入るとお礼だと言って、外人女がフランスパンを半分へし折って渡してきた。渡されたパンには歯形が付いている。

 ……まさか、これを食べろというのだろうか?
 そんな変態趣味はないので鞄の中に仕舞った。あとで鳥の餌にしよう。
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