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第四話 雨月の祭り
雨月の祭り 肆
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しばらく沈黙が続いた。
男も香果さんもただ静かに距離をとる。しかしお互いを今にも斬りかかりそうな眼付と空気だった。
男は私の首を指さした。
途端、私の首は悲鳴を上げ、呼吸は苦しく喉は酸素を欲していた。絞殺でもされている時の様だ。
「八雲」
男性が私をそう呼ぶと静かに変形し始めた。
見上げるほど大きな赤子の様であり、それでいて禍々しく、骨の様で死肉の様で恨みの様で切望の様で悲しいようで恐ろしい。イケイの様でシゼンの様な畏れ。全くと言って良いほどに形容不可能であり、物体なのか概念なのか亡霊なのかそれとも別の何かなのか。理解しがたい何かが現れた。私は見てはいけないと直感的に思った。しかし何故だか首を動かすどころか目を逸らす事すら出来なかった。
得体の知れない感情が私の中を這いずり喰らい引っ掻き回す。
恐ろしい、畏ろしい、悲しい、辛い、苦しい、孤独、憧れ、生死、痛い、永遠、恨み、信仰、嫉妬、希死念慮、独占欲、束縛、愛情。
助けて。
嗚呼、何だこの叫びは。身体をぐちゃぐちゃに折りたたんでも消えない号哭。
哀しい、虚しい、悔しい、こうふく、選別、矜伐、尊敬、欲望、嫌悪、驚き、思慕、機体、冷笑、苛立ち、拒絶、恍惚、崇拝。
まだ生きていたい
息が出来ない。
これは何だ。
私ではない。
得体の知れない誰かの心が私の精神を奪っていく。すべての感情が血を伝って、一つ一つの細胞を激しく突き動かす。自分の身体の形を保つことすら限界がきている。身体も脳も細胞も全てをかき混ぜてもなお消えない衝動。身体も脳も内臓も心も全て取り出せるなら。もしそれが出来たならこの騒いでいる細胞からの苦しみは、辛さは無くすことが出来るだろうか。
「八雲君っ」
誰かが私の名前を、呼んでいる。
「霧立八雲」
私の名前を呼ぶ鋭く優しい声が聞こえた。首をじわじわと啜っていたものが消えた。
「八雲君、飲み込まれてはいけないよ。気を強く持つのだよ」
気を失った時の様にクラリとして、それからあと記憶がない状態が暫く続いた。
気が付くと香果さんが倒れない様に抱えてくれていたらしい。私が意識を取り戻し目を開けると香果さんは心配そうに「大丈夫かい」と言ってくれた。私は何とか一人で立てそうだと感じ、香果さんにお礼を言うとゆっくり立った。
すると香果さんは静かに先ほどまで化け物だった男を強く睨んだ。目線だけで人を簡単に斬れそうだった。
「香因、これ以上私たちに拘らないでくれ。私は君を恨んでいない」
「俺はな香果、お前を怨んでいる」
二人は静かに間を取った。しかしどちらかが勢いよく踏み込めばお互いに無事ではないであろう距離だった。
黒猫は毛を逆立てて化け物を捉えている。
男は休戦だなとでも云う様に静かに鼻で笑った。
「解ったか。八雲。俺も香果も同じ化け物なのさ。如何すべきかよく考えろ」
「え」
私は驚いて香果さんを観た。香果さんは一切動揺せずにただ男の事を警戒していた。
男は去っていった。もう姿は見えなくなった。
「八雲君、大丈夫だったかい。本当に申し訳ない。私が居ながら守れなくて」
彼は右手を差し出して悲しそうな顔をした。
私は彼の顔を見た瞬間、先ほどの饒舌しがたい感情と「香果も同じ化け物だ」と云う声が甦った。そう言えば同じ人間の成れの果てだと香果さんはあの時に言っていた。
信じたくない。その一心で訊いてしまった。
「あ、あの。アナタは本当に、あの、バケモノ、なの」
「嗚呼」
「ウソ、だよ、ね。香果さんは違うよね、バケモノじゃないよね」
「否」
たった一言を答える彼の顔すら私は見られなかった。
その代わりに小さく後ずさりして今にも逃げ出そうっとしているのが解った。
無言の空間。
風の音も小鳥の声すらも黙ったままだった。
そして私は無意識に走っていた。私が彼から逃げていると気付いたのは第二の鳥居に頭をぶつけた時だった。
男も香果さんもただ静かに距離をとる。しかしお互いを今にも斬りかかりそうな眼付と空気だった。
男は私の首を指さした。
途端、私の首は悲鳴を上げ、呼吸は苦しく喉は酸素を欲していた。絞殺でもされている時の様だ。
「八雲」
男性が私をそう呼ぶと静かに変形し始めた。
見上げるほど大きな赤子の様であり、それでいて禍々しく、骨の様で死肉の様で恨みの様で切望の様で悲しいようで恐ろしい。イケイの様でシゼンの様な畏れ。全くと言って良いほどに形容不可能であり、物体なのか概念なのか亡霊なのかそれとも別の何かなのか。理解しがたい何かが現れた。私は見てはいけないと直感的に思った。しかし何故だか首を動かすどころか目を逸らす事すら出来なかった。
得体の知れない感情が私の中を這いずり喰らい引っ掻き回す。
恐ろしい、畏ろしい、悲しい、辛い、苦しい、孤独、憧れ、生死、痛い、永遠、恨み、信仰、嫉妬、希死念慮、独占欲、束縛、愛情。
助けて。
嗚呼、何だこの叫びは。身体をぐちゃぐちゃに折りたたんでも消えない号哭。
哀しい、虚しい、悔しい、こうふく、選別、矜伐、尊敬、欲望、嫌悪、驚き、思慕、機体、冷笑、苛立ち、拒絶、恍惚、崇拝。
まだ生きていたい
息が出来ない。
これは何だ。
私ではない。
得体の知れない誰かの心が私の精神を奪っていく。すべての感情が血を伝って、一つ一つの細胞を激しく突き動かす。自分の身体の形を保つことすら限界がきている。身体も脳も細胞も全てをかき混ぜてもなお消えない衝動。身体も脳も内臓も心も全て取り出せるなら。もしそれが出来たならこの騒いでいる細胞からの苦しみは、辛さは無くすことが出来るだろうか。
「八雲君っ」
誰かが私の名前を、呼んでいる。
「霧立八雲」
私の名前を呼ぶ鋭く優しい声が聞こえた。首をじわじわと啜っていたものが消えた。
「八雲君、飲み込まれてはいけないよ。気を強く持つのだよ」
気を失った時の様にクラリとして、それからあと記憶がない状態が暫く続いた。
気が付くと香果さんが倒れない様に抱えてくれていたらしい。私が意識を取り戻し目を開けると香果さんは心配そうに「大丈夫かい」と言ってくれた。私は何とか一人で立てそうだと感じ、香果さんにお礼を言うとゆっくり立った。
すると香果さんは静かに先ほどまで化け物だった男を強く睨んだ。目線だけで人を簡単に斬れそうだった。
「香因、これ以上私たちに拘らないでくれ。私は君を恨んでいない」
「俺はな香果、お前を怨んでいる」
二人は静かに間を取った。しかしどちらかが勢いよく踏み込めばお互いに無事ではないであろう距離だった。
黒猫は毛を逆立てて化け物を捉えている。
男は休戦だなとでも云う様に静かに鼻で笑った。
「解ったか。八雲。俺も香果も同じ化け物なのさ。如何すべきかよく考えろ」
「え」
私は驚いて香果さんを観た。香果さんは一切動揺せずにただ男の事を警戒していた。
男は去っていった。もう姿は見えなくなった。
「八雲君、大丈夫だったかい。本当に申し訳ない。私が居ながら守れなくて」
彼は右手を差し出して悲しそうな顔をした。
私は彼の顔を見た瞬間、先ほどの饒舌しがたい感情と「香果も同じ化け物だ」と云う声が甦った。そう言えば同じ人間の成れの果てだと香果さんはあの時に言っていた。
信じたくない。その一心で訊いてしまった。
「あ、あの。アナタは本当に、あの、バケモノ、なの」
「嗚呼」
「ウソ、だよ、ね。香果さんは違うよね、バケモノじゃないよね」
「否」
たった一言を答える彼の顔すら私は見られなかった。
その代わりに小さく後ずさりして今にも逃げ出そうっとしているのが解った。
無言の空間。
風の音も小鳥の声すらも黙ったままだった。
そして私は無意識に走っていた。私が彼から逃げていると気付いたのは第二の鳥居に頭をぶつけた時だった。
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