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番外編

リンドという男 10

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 「サフラン様……どうなさったのですか? 」

 マリアンヌは応接間の花瓶の水を取り替えようと部屋の前まできたところ、入口のドアの前にはサフランが立っていた。

 数ヶ月前にサフランに告白されたが、はっきりとその返事を出す事は未だにできていなかった。
 だがサフランはさほど気にしていない様子で、これまで通り毎日の様に声をかけてくれている。
 いつのまにかマリアンヌの中でサフランの存在が大きくなりつつあった。

 「しーっ。今は入らない方がいい」

 何やら険しい顔をしてサフランはそう言う。

 「でも花瓶のお水を……」

 「いいか、君が傷つくだけだ。今は絶対に部屋に入るな」

 サフランのその一言で、マリアンヌは応接間の中で何が起こっているのかを理解した。
 ショックと動揺でマリアンヌはその場に呆然と立ち尽くす。

 「まさか……」

 「この前も言ったが、リンドの事は諦めろ。俺は君が傷つく姿を見たくないんだ」

 サフランはそっとマリアンヌを抱き締めると、頭を撫でた。

 「アマリアはリンドに惹かれている。リンドの気持ちはわからないが……今はとにかく部屋には入るな」

 「サフラン様……私……」

 マリアンヌの目から堰を切った様に涙がこぼれる。
 またしても、ダメだった。
 シルビア公爵家を捨ててまで挑んだ本気の恋であったのに。
 リンドの心を得ることは遂にできなかったのだ。

 「私、何のために……」

 もはや今自分がローランド辺境伯邸で働く意味さえわからなくなる。
 このままここでリンドとアマリアの思いが通じ合う様子を見続けなければならないのか。
 それならばいっそのこと屋敷を出て、新たな居場所を見つけた方が良いのではないかとすら思えてくる。

 「君はきっとどこかの貴族令嬢だったんだろう? それをリンドへの想い故に家を捨ててここへやってきた……違うかい? 」

 サフランはマリアンヌを優しく抱き締めたまま、諭すように尋ねた。

 「とりあえず、場所を移動しようか。いつ二人が出てくるかわからないからね」

 マリアンヌは言われるがままに、サフランと共に中庭へ移動したのである。


 「それで、さっき僕が尋ねたことに答えてもらえる? 」

 サフランは真っ直ぐにマリアンヌを見つめる。
 その視線から、もう言い逃れはできないとマリアンヌは覚悟して全てを話し始めた。

 「私は元シルビア公爵令嬢マリアンヌですわ……。リンド様とは、かつて婚約者の間柄でしたの。結局婚約破棄になってしまったのですが、あのお方のことを忘れられなくて……」

 話しているうちに、自分が惨めになってきた。
 一度ならまだしも二度もリンドには振られているのである。
 家まで捨てたというのに、果たしてマリアンヌには何が残ったのだろうか。

 「……君が、まさかシルビア公爵令嬢であったとは思わなかった。シルビア公爵家といえばアルハンブラの三大公爵家だろう? 」

 サフランの目が戸惑いで揺れる。
 マリアンヌの所作からいずれかの貴族令嬢だとは思っていたが、まさか公爵家出身であったとは。
 
 「今はもう公爵令嬢ではありません。ただのマリアンヌという一人の女ですわ」

 「その話から行くと、リンドの奴が元シークベルト公爵だという噂も本当らしいな」

 「そのような噂が? 」

 「ああ。なぜローランド辺境伯の関係者がシークベルト公爵家を支援しているのか、屋敷で働く者達の間では疑問に思っている者も多いんだ。それに、リンドのあの見た目は……ただの騎士には見えない何かがあるからな」

 確かに、リンドには隠しきれない何かがある様な気がする。
 それが見た目故なのか、立ち振る舞いからくるものなのかはわからない。

 「リンド様のことに関しては、私からお話しできることはありませんわ……あのお方に迷惑がかかりますもの」

 「君って人は本当に……きっといつもそうやって自分を犠牲にしてきたんだろう? せめて僕の前では、我慢しないで自分の弱いところを曝け出してほしい」

 サフランは涙で濡れたマリアンヌの前髪をそっと指で掬い上げると、額に口付けた。
 マリアンヌは誰かに救いを求めていたのかもしれない。
 サフランの言葉によって今まで我慢していた何かが溢れ出し、気づけばサフランの胸元に縋りながら声を上げて泣き続けたのである。
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