上 下
54 / 65
番外編

リンドという男 6

しおりを挟む

 「それで、あなたはなぜこのような時間に市場にいたのですか? しかも供も付けず、お一人で」

 あれからローランド辺境伯邸へ到着したマリアンヌは、ローランドによって丁重にもてなされた。
 屋敷の応接間にて、リンドが怪我の手当てを行いながらそう尋ねる。

 「……私はシルビア公爵家を出たのです。もう公爵令嬢ではありませんわ」

 マリアンヌの言葉に、リンドが手を止めて顔を上げる。
 その表情には驚きの色が含まれていた。
 懐かしい恋しいエメラルド色の瞳に、マリアンヌの胸が高鳴る。

 「……本気で言っているのですか? シルビア公爵のあなたの可愛がり様は有名でしたのに」

 「お父様は所詮私よりもシルビア公爵家の方が大切なのですわ。口を開けば結婚、結婚と。私の気持ちなど無視して婚約を結ぶと言われて口論になってしまいました」

 「それは、あなたの幸せを祈っているからでは無いのですか? 」

 「いいえ。父は、貴族の女性の幸せは結婚だと思い込んでおります。たとえそこに気持ちがなかったとしても」

 リンドはマリアンヌの話を聞きながら、叩かれて赤くなった頬を冷やす。
 赤く腫れた頬に冷たいタオルを当てられて、マリアンヌはうっと顔を顰めた。

 「っと……失礼、痛んだか」

 「……いえ、大丈夫ですわ。やめないでくださいませ」

 二人の間に沈黙が走る。
 マリアンヌはそっと上目遣いでリンドの様子を伺った。
 記憶の中に残る彼よりも髪は乱れ、確かに目元はやつれているものの、その顔は彫刻のように美しく、シークベルト公爵であった時の面影を大いに残している。
 マリアンヌが幼い頃から一途に恋焦がれて来た男性がそこにはいた。



 「これでとりあえず様子を見てくれ。応急処置ではあるが、痕は残らないだろう」

 どれくらい時間が経っただろうか。
 ふいにリンドはそういうと、冷やしていた頬のタオルを外した。
 真っ赤に腫れていた頬の腫れはいくらか引いた様に見える。

 「ありがとうございます」

 「では俺はこれで」

 リンドはそう言って立ち上がり、マリアンヌに背を向けて部屋を出て行こうとした。

 「待って……! お待ちください……」

 咄嗟にマリアンヌは彼を引き留めていた。
 マリアンヌの声に、リンドは怪訝そうな表情で足を止めて振り向く。

 「私は、まだあなたをお慕いしているのです……」

 マリアンヌは遂にリンドに想いを告げた。
 リンドは彼女の突然の告白に目を見開く。

 「おかしいと思ってくださって結構ですわ……。婚約破棄までされて、他の女性の元へと去っていったあなたのことを忘れられないなんて……自分でも呆れてしまいます。でも私にはあなたで無いとダメなのです。あなた以外の方とは結婚する気になれず、ここまで来てしまいました……」

 リンドは何も発さない。
 先ほどまではあれほど心地よかった沈黙が、今では気まずいものとなりマリアンヌは俯く。


 「……正直にいって、俺はまだカリーナ……いや、王妃様のことを忘れることができていない。それに俺はもうシークベルト公爵でもない。ただのリンドという騎士だ。あなたに俺はふさわしくない」

 「身分など、気にしておりませんわ! それを言うなら、私だってもうシルビア公爵令嬢ではありません。ただのマリアンヌです」

 「……マリアンヌ嬢、俺のことは忘れてください」

 「いいえ、忘れられません。あなたがカリーナ様のことをまだお慕いしていても構いません。ただお側にいられれば、それでいいのです……」

 「マリアンヌ嬢……」

 マリアンヌは顔を両手で覆って泣き出してしまった。
 どうしたものかとリンドは途方に暮れる。
 以前から言っているが、マリアンヌのことは嫌いでは無い。
 魅力的な女性であるとは思っていた。
 だが彼はもう幸せは望まないと決めたのである。
 ただの一人の男として、人生を生き直すと決めたのだ。



 「まあまあ、とりあえずマリアンヌ嬢はこの屋敷にしばらく滞在してはどうかな? 」

 その時、入り口からローランド辺境伯が姿を現した。
 実は二人のやり取りを覗いていたのである。

 「しかし、ローランド辺境伯様っ……」

 「良いでは無いか。マリアンヌ嬢には、屋敷の手伝いでもしてもらうことにするかね」

 「っありがとうございます! 」

 マリアンヌは勢い良く頭を下げた。
 その後ろでリンドは困惑したまま立ち尽くす。


 ……ようやくリンド君にも幸せが訪れるかもしれない。

 ローランド辺境伯がそんなことを呟きながら部屋を出て行った事を、リンドもマリアンヌも知る由もなかった。

しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

離縁してくださいと言ったら、大騒ぎになったのですが?

ネコ
恋愛
子爵令嬢レイラは北の領主グレアムと政略結婚をするも、彼が愛しているのは幼い頃から世話してきた従姉妹らしい。夫婦生活らしい交流すらなく、仕事と家事を押し付けられるばかり。ある日、従姉妹とグレアムの微妙な関係を目撃し、全てを諦める。

愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を

川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」  とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。  これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。  だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。  これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。 完結まで執筆済み、毎日更新 もう少しだけお付き合いください 第22回書き出し祭り参加作品 2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

大好きなあなたを忘れる方法

山田ランチ
恋愛
あらすじ  王子と婚約関係にある侯爵令嬢のメリベルは、訳あってずっと秘密の婚約者のままにされていた。学園へ入学してすぐ、メリベルの魔廻が(魔術を使う為の魔素を貯めておく器官)が限界を向かえようとしている事に気が付いた大魔術師は、魔廻を小さくする事を提案する。その方法は、魔素が好むという悲しい記憶を失くしていくものだった。悲しい記憶を引っ張り出しては消していくという日々を過ごすうち、徐々に王子との記憶を失くしていくメリベル。そんな中、魔廻を奪う謎の者達に大魔術師とメリベルが襲われてしまう。  魔廻を奪おうとする者達は何者なのか。王子との婚約が隠されている訳と、重大な秘密を抱える大魔術師の正体が、メリベルの記憶に導かれ、やがて世界の始まりへと繋がっていく。 登場人物 ・メリベル・アークトュラス 17歳、アークトゥラス侯爵の一人娘。ジャスパーの婚約者。 ・ジャスパー・オリオン 17歳、第一王子。メリベルの婚約者。 ・イーライ 学園の園芸員。 クレイシー・クレリック 17歳、クレリック侯爵の一人娘。 ・リーヴァイ・ブルーマー 18歳、ブルーマー子爵家の嫡男でジャスパーの側近。 ・アイザック・スチュアート 17歳、スチュアート侯爵の嫡男でジャスパーの側近。 ・ノア・ワード 18歳、ワード騎士団長の息子でジャスパーの従騎士。 ・シア・ガイザー 17歳、ガイザー男爵の娘でメリベルの友人。 ・マイロ 17歳、メリベルの友人。 魔素→世界に漂っている物質。触れれば精神を侵され、生き物は主に凶暴化し魔獣となる。 魔廻→体内にある魔廻(まかい)と呼ばれる器官、魔素を取り込み貯める事が出来る。魔術師はこの器官がある事が必須。 ソル神とルナ神→太陽と月の男女神が魔素で満ちた混沌の大地に現れ、世界を二つに分けて浄化した。ソル神は昼間を、ルナ神は夜を受け持った。

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

処理中です...