30 / 65
本編
30
しおりを挟む「リンド様は出て行かれたのですね」
リンドを見送ったトーマスの後ろから、ぽつりとマリアンヌが問いかけた。
「マリアンヌ様……」
トーマスが恐る恐る振り返ると、マリアンヌは俯きながらハンカチを握りしめて立っていた。
リンドの婚約者であるマリアンヌに見られていたことは想定外であったが、もう後には引けない。
どちらにせよ、カリーナと上手くいかなかったとしても、リンドにはマリアンヌとの未来は考えられないのだ。
執事として誰よりも近くでリンドを支えてきたトーマスだからこそ、わかる。
「あのお方の……カリーナ様の元へ行かれたのですね」
マリアンヌには、リンドの行き先がわかっている様だった。
顔もわからないリンドの恋焦がれる女性は、一体どんな人なのか。
マリアンヌの声色にはカリーナへの敵意は見受けられない。
「なぜ私ではダメなのでしょうか……こんなに、ずっとリンド様だけをお慕いしていたというのに……」
堰を切ったように涙が零れ落ちる。
マリアンヌは人前で声を出して泣いたのは初めてだった。
「マリアンヌ様……申し訳ありません。責任はこの私めにございます。これまでずっとお側であのお方をみてきたというのに……リンド様のお気持ちには気付いていましたが、見て見ぬフリをしてここまで来てしまいました。まさかリンド様がここまで思い詰められるとは思いもせず……。結果的にマリアンヌ様を傷つけてしまった事、お詫び申し上げます……」
トーマスは平身低頭で謝罪する。
「頭をお上げくださいませ。私はその様な事、求めてはおりません。誰のせいでもないのです……」
謝罪をしてもらったところで、リンドの気持ちがマリアンヌに向くことはないだろう。
この先もずっと。
リンドの真っ直ぐで不器用なところが好きだった。
叶うならば、その愛を一身に受けたかった。
「お姉様が羨ましい……」
マリアンヌの姉ルアナは、かねてより想いを寄せていた侯爵と無事に結婚し、領地で幸せに暮らしている。
年明けには子どもも産まれるとか。
自分も姉と同じように、愛し愛される人生を送ると信じて疑わなかったのに。
帰って父には何と説明しようか。
まだリンドが例の侯爵令嬢とうまくいくとは限らない。
だが、リンドが王妃となる予定の女性に横恋慕したということがわかれば、シークベルト家に処分が下るだろう。
そうなれば父であるシルビア公爵はリンドとの婚約を破棄するに違いない。
マリアンヌには父に逆らうほどの力は持ち合わせていなかった。
「屋敷に帰るのが気が重いわ……当分お父様にはこの事は話せそうにないわね……」
マリアンヌは重い足取りで馬車に乗り込み、シルビア公爵家の屋敷へと帰って行った。
残されたトーマスもまた、今後のシークベルト公爵家の行く末について気を揉みながら待つしかなかったのである。
一方19歳を迎えたカリーナは、日々結婚式の準備で大忙しだ。
主役のカリーナ本人より張り切り、忙しくしていたのはメアリーではあるが。
彼女は結婚式で、カリーナをどれほど美しく飾り付けられるかばかり考えている。
この日も朝から慌ただしく結婚式の打ち合わせを終え、ようやく束の間の休憩をとっていた。
「お疲れ様です、カリーナ様。お茶でも淹れましょうか? 」
今ではすっかりなくてはならない存在となったメアリーが尋ねる。
「そうね。一息つきたいわ、よろしくお願い」
メアリーが部屋を出て行った後、カリーナはふう、とため息をついた。
「本当に、私はアレックス様のお嫁さんになるのね」
アレックスとの日々は幸せに満ち溢れている。
未だに自分が王妃となる実感は湧かないが、アレックスのことは好きだし愛おしく思う気持ちもある。
リンドの時の様に激しくはないが、二人の間には落ち着いた愛があると感じている。
これで良かったのだ。
そんな事を考えているうちに、リンドに手紙を書いた日のことを思い出していた。
「黙って首飾りを持ってきてしまった事を一言お詫びするために、手紙を書いた……というのは口実で、本当は最後にリンド様へお別れの挨拶を、きちんとしたかったからなのだけど」
もちろん、アレックスと結婚する上でリンドからもらった首飾りをいつまでも大事にしているわけにはいかない。
そこはケジメをつけるべきである。
ただそれだけではなく、カリーナ自身が本当の意味でリンドとの関係を終えるためには、手紙を書くべきだと思ったのだ。
リンドからの手紙を灰にしたあの日以来、カリーナの中でリンドへの気持ちに踏ん切りがついていた。
さらに未来のバルサミア王妃としての自覚が湧き始めると同時に、今がリンドと決別する時だと感じた。
いつまでもリンドの幻影に囚われていては、アレックスにも申し訳が立たない。
彼に対しては誠実でありたかった。
そこでカリーナは、首飾りを手放す決心をしたのだ。
自ら書いた手紙と共に。
リンドへの手紙は、書き終えるのに時間がかかった。
何度も何度も書き直したが、書きたいことはまとまらない。
そこで、手紙を書くに至った経緯と、カリーナがどうしても伝えたいことだけを書くことにした。
それは王妃として生きる自分の覚悟と、リンドの幸せを祈っているということである。
リンドはマリアンヌと婚約した。
その事実は未だにカリーナの胸にチクリと刺さるものがあるが、以前ほどではない。
お世話になったトーマスやミランダ、ジル達のいるシークベルト公爵家を、二人で盛り上げていって欲しい。
それは純粋な心からの願いである。
便箋に思いを書き記し、封筒の中にルビーの首飾りを入れる瞬間、リンドとの思い出が走馬灯のようにカリーナの頭の中を駆け巡った。
「永遠にさようならね、私の初恋。そしてリンド様……お幸せに」
(リンド様も、私たちの結婚式の後にマリアンヌ様と式を挙げる予定だとか……きっとその頃には、笑ってお二人の門出を祝福してさしあげられるようになっているわ)
……と、その時だった。
4
お気に入りに追加
1,411
あなたにおすすめの小説
大好きなあなたを忘れる方法
山田ランチ
恋愛
あらすじ
王子と婚約関係にある侯爵令嬢のメリベルは、訳あってずっと秘密の婚約者のままにされていた。学園へ入学してすぐ、メリベルの魔廻が(魔術を使う為の魔素を貯めておく器官)が限界を向かえようとしている事に気が付いた大魔術師は、魔廻を小さくする事を提案する。その方法は、魔素が好むという悲しい記憶を失くしていくものだった。悲しい記憶を引っ張り出しては消していくという日々を過ごすうち、徐々に王子との記憶を失くしていくメリベル。そんな中、魔廻を奪う謎の者達に大魔術師とメリベルが襲われてしまう。
魔廻を奪おうとする者達は何者なのか。王子との婚約が隠されている訳と、重大な秘密を抱える大魔術師の正体が、メリベルの記憶に導かれ、やがて世界の始まりへと繋がっていく。
登場人物
・メリベル・アークトュラス 17歳、アークトゥラス侯爵の一人娘。ジャスパーの婚約者。
・ジャスパー・オリオン 17歳、第一王子。メリベルの婚約者。
・イーライ 学園の園芸員。
クレイシー・クレリック 17歳、クレリック侯爵の一人娘。
・リーヴァイ・ブルーマー 18歳、ブルーマー子爵家の嫡男でジャスパーの側近。
・アイザック・スチュアート 17歳、スチュアート侯爵の嫡男でジャスパーの側近。
・ノア・ワード 18歳、ワード騎士団長の息子でジャスパーの従騎士。
・シア・ガイザー 17歳、ガイザー男爵の娘でメリベルの友人。
・マイロ 17歳、メリベルの友人。
魔素→世界に漂っている物質。触れれば精神を侵され、生き物は主に凶暴化し魔獣となる。
魔廻→体内にある魔廻(まかい)と呼ばれる器官、魔素を取り込み貯める事が出来る。魔術師はこの器官がある事が必須。
ソル神とルナ神→太陽と月の男女神が魔素で満ちた混沌の大地に現れ、世界を二つに分けて浄化した。ソル神は昼間を、ルナ神は夜を受け持った。
【完結】初夜寸前で「君を愛するつもりはない」と言われました。つもりってなんですか?
迦陵 れん
恋愛
侯爵家跡取りのクロディーヌと、公爵家三男のアストルは政略結婚といえども、幸せな結婚をした。
婚約者時代から日々お互いを想い合い、記念日にはプレゼントを交換し合って──。
なのに、記念すべき結婚初夜で、晴れて夫となったアストルが口にしたのは「君を愛するつもりはない」という言葉。
何故? どうして? クロディーヌは混乱に陥るも、アストルの真意は掴めない。
一方で、巷の恋愛小説ばりの言葉を放ったアストルも、悶々とした気持ちを抱えていて──。
政略で結ばれた婚約でありながら奇跡的に両想いとなった二人が、幸せの絶頂である筈の結婚を機に仲違い。
周囲に翻弄されつつ、徐々に信頼を取り戻していくお話です。
元鞘が嫌いな方はごめんなさい。いろんなパターンで思い付くままに書いてます。
楽しんでもらえたら嬉しいです。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。
るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」
色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。
……ほんとに屑だわ。
結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。
彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。
彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる