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本編

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 「リンド様は出て行かれたのですね」

 リンドを見送ったトーマスの後ろから、ぽつりとマリアンヌが問いかけた。

 「マリアンヌ様……」

 トーマスが恐る恐る振り返ると、マリアンヌは俯きながらハンカチを握りしめて立っていた。
 リンドの婚約者であるマリアンヌに見られていたことは想定外であったが、もう後には引けない。

 どちらにせよ、カリーナと上手くいかなかったとしても、リンドにはマリアンヌとの未来は考えられないのだ。
 執事として誰よりも近くでリンドを支えてきたトーマスだからこそ、わかる。

 「あのお方の……カリーナ様の元へ行かれたのですね」

 マリアンヌには、リンドの行き先がわかっている様だった。
 顔もわからないリンドの恋焦がれる女性は、一体どんな人なのか。
 マリアンヌの声色にはカリーナへの敵意は見受けられない。

 「なぜ私ではダメなのでしょうか……こんなに、ずっとリンド様だけをお慕いしていたというのに……」

 堰を切ったように涙が零れ落ちる。
 マリアンヌは人前で声を出して泣いたのは初めてだった。

 「マリアンヌ様……申し訳ありません。責任はこの私めにございます。これまでずっとお側であのお方をみてきたというのに……リンド様のお気持ちには気付いていましたが、見て見ぬフリをしてここまで来てしまいました。まさかリンド様がここまで思い詰められるとは思いもせず……。結果的にマリアンヌ様を傷つけてしまった事、お詫び申し上げます……」

 トーマスは平身低頭で謝罪する。


 「頭をお上げくださいませ。私はその様な事、求めてはおりません。誰のせいでもないのです……」

 謝罪をしてもらったところで、リンドの気持ちがマリアンヌに向くことはないだろう。
 この先もずっと。

 リンドの真っ直ぐで不器用なところが好きだった。
 叶うならば、その愛を一身に受けたかった。

 「お姉様が羨ましい……」

  マリアンヌの姉ルアナは、かねてより想いを寄せていた侯爵と無事に結婚し、領地で幸せに暮らしている。
 年明けには子どもも産まれるとか。
 自分も姉と同じように、愛し愛される人生を送ると信じて疑わなかったのに。

 帰って父には何と説明しようか。
 まだリンドが例の侯爵令嬢とうまくいくとは限らない。
 だが、リンドが王妃となる予定の女性に横恋慕したということがわかれば、シークベルト家に処分が下るだろう。
 そうなれば父であるシルビア公爵はリンドとの婚約を破棄するに違いない。
 マリアンヌには父に逆らうほどの力は持ち合わせていなかった。

 「屋敷に帰るのが気が重いわ……当分お父様にはこの事は話せそうにないわね……」

 マリアンヌは重い足取りで馬車に乗り込み、シルビア公爵家の屋敷へと帰って行った。

 残されたトーマスもまた、今後のシークベルト公爵家の行く末について気を揉みながら待つしかなかったのである。


 

 一方19歳を迎えたカリーナは、日々結婚式の準備で大忙しだ。
 主役のカリーナ本人より張り切り、忙しくしていたのはメアリーではあるが。
 彼女は結婚式で、カリーナをどれほど美しく飾り付けられるかばかり考えている。
 この日も朝から慌ただしく結婚式の打ち合わせを終え、ようやく束の間の休憩をとっていた。

 「お疲れ様です、カリーナ様。お茶でも淹れましょうか? 」

 今ではすっかりなくてはならない存在となったメアリーが尋ねる。

 「そうね。一息つきたいわ、よろしくお願い」

 メアリーが部屋を出て行った後、カリーナはふう、とため息をついた。

 「本当に、私はアレックス様のお嫁さんになるのね」

 
 アレックスとの日々は幸せに満ち溢れている。
 未だに自分が王妃となる実感は湧かないが、アレックスのことは好きだし愛おしく思う気持ちもある。
 リンドの時の様に激しくはないが、二人の間には落ち着いた愛があると感じている。

 これで良かったのだ。
 そんな事を考えているうちに、リンドに手紙を書いた日のことを思い出していた。

 「黙って首飾りを持ってきてしまった事を一言お詫びするために、手紙を書いた……というのは口実で、本当は最後にリンド様へお別れの挨拶を、きちんとしたかったからなのだけど」

 もちろん、アレックスと結婚する上でリンドからもらった首飾りをいつまでも大事にしているわけにはいかない。
 そこはケジメをつけるべきである。

 ただそれだけではなく、カリーナ自身が本当の意味でリンドとの関係を終えるためには、手紙を書くべきだと思ったのだ。

 リンドからの手紙を灰にしたあの日以来、カリーナの中でリンドへの気持ちに踏ん切りがついていた。
 さらに未来のバルサミア王妃としての自覚が湧き始めると同時に、今がリンドと決別する時だと感じた。
 いつまでもリンドの幻影に囚われていては、アレックスにも申し訳が立たない。
 彼に対しては誠実でありたかった。

 そこでカリーナは、首飾りを手放す決心をしたのだ。
 自ら書いた手紙と共に。
 リンドへの手紙は、書き終えるのに時間がかかった。

 何度も何度も書き直したが、書きたいことはまとまらない。
 そこで、手紙を書くに至った経緯と、カリーナがどうしても伝えたいことだけを書くことにした。
 それは王妃として生きる自分の覚悟と、リンドの幸せを祈っているということである。

 リンドはマリアンヌと婚約した。
 その事実は未だにカリーナの胸にチクリと刺さるものがあるが、以前ほどではない。

 お世話になったトーマスやミランダ、ジル達のいるシークベルト公爵家を、二人で盛り上げていって欲しい。
 それは純粋な心からの願いである。

 便箋に思いを書き記し、封筒の中にルビーの首飾りを入れる瞬間、リンドとの思い出が走馬灯のようにカリーナの頭の中を駆け巡った。

 「永遠にさようならね、私の初恋。そしてリンド様……お幸せに」

 (リンド様も、私たちの結婚式の後にマリアンヌ様と式を挙げる予定だとか……きっとその頃には、笑ってお二人の門出を祝福してさしあげられるようになっているわ)

 ……と、その時だった。
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