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最低な元カレは最愛の人

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「私、元彼とより戻したんだ」

 休み明け、職場で顔を合わせた愛に事の顛末を簡単に話す。

「沙良が決めたのなら、私はそれを応援する!」

 愛はたくさんの祝福の言葉を送ってくれた。
 彼女のおかげで、今の私たちの関係があると言っても過言ではない。
 いずれ愛にも健斗を紹介したいと思っている。

「……ちなみに上条さんは?」

 愛は周りを確認すると、顔を寄せて小声でそう尋ねる。

「忘れた頃にまた食事に誘われたんだよね。あんなにハッキリ断ったのに、メンタルが強すぎる……」
「え、それ大丈夫なの?」
「うん、多分……」

 健斗とヨリを戻すきっかけとなったあの食事の日、私はきっぱりと上条さんの申し出を断ったはずだ。
 それからしばらくは誘いもなく、彼の狙いは別に移ったものだと安心していたのだが、どうやら違ったらしい。
 どういうつもりか、未だに顔を合わせると食事に誘ってくるのだ。

 断るとそれ以上何かをしてくることもないため、無下にすることもできず、対応に少し困っているのだが、様子を見るしかないだろう。

「あの人は、誰かと付き合ってる女の人を狙いたいだけだから」

 上条さんは人の物が欲しくなる質らしい。
 私への誘いが一層激しくなったのも、私に彼氏がいると判明したからだ。
 これまで社内で関係を持った女性も、上条さんと付き合うためにわざわざ元の恋人との関係を切ったのだとか。

 そこまでしても、結局やり捨てのような形で振られてしまった女性の気持ちを考えると、居た堪れない。
 謝罪と贈り物どころではすまないはずだが、なぜか今のところ社内で大きな問題にはなっていないらしい。

「いつかバレて飛ばされそうだけどね」
「でもそういうところは器用にやりそうだから、どうだろう」
「沙良も本当に気をつけてね?」
「ああ、それなら多分大丈夫……」

 実はここ最近毎日のように、健斗が会社へと迎えにくるのだ。
 繁忙期で忙しいはずなのに、わざわざ仕事を持ち帰りにしてまで早く切り上げているらしい。

 なぜ彼がここまでして迎えにくるのか。
 それは、上条さんが私にちょっかいを出すことに過度な心配を抱いているからである。

『なあ、この前の沙良の上司、もうさすがに何か言ってきたりしてないよな?』

 ある日の夜、夕飯を食べ終えて二人でコーヒーを飲みながらテレビを観ていると、彼は唐突にそんなことを言い出した。

『どうしたの突然』
『ずっと心配してたんだ。でもあんまり嫉妬深いのもあれかと思って我慢してた……。で、どうなんだよ?』

 あまり健斗に心配をかけたくはなかったが、正直に話さずに誤解を招くようなこともしたくはない。
 仕方ないので、本当のことを話すことにした。

『……たまに、たまーに、だよ? 食事に誘われる……けど、断ってるから!』
『……』
『け、健斗……?』

 自分から質問しておきながら、私の答えに対して反応が見られない。
 思わず隣に座る彼の方を覗き込んだ私は、息が止まるほどびっくりしてしまった。

『きゃっ! 何、怖いんだけどその顔』

 彼は見たこともないような恐ろしい顔で、マグカップを握りしめている。

『まじかよ。ふざけんなよそいつ……』
『いやでも、食事だけだし。断っても何も言われないし、本当にたまにだし』

 必死に弁明のようなものをするが、健斗の背後からじわりと滲み出るどす黒いオーラが、消え去ることはない。

『俺毎日沙良の会社まで迎えにいく』
『は、はあ!? 何言ってんの、大袈裟だよ』

 とんでもない提案をし出した健斗に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

『大袈裟じゃねーよ、またこの前みたいに手でも繋がれたら……俺無理だよ、辛くて生きていけない』
『生きていけないって……ほんと、いつも大袈裟なんだから』

 最近健斗は、私がいないと生きていけないという言葉をよく口にする。
 そんなわけあるかと思っているのだが、あながち冗談でもないらしい。

『俺本気だよ。二年前に自分で沙良のこと振って、沙良がいなくなって、生きた心地がしなかった。もう二度と離さないし、離れたくない』

 そう言って苦しいほどに私を抱きしめる。

『苦しい、それにコーヒーこぼれちゃうっ……』

 とまあこんなやりとりがあり、それから彼は本当に毎日のように、会社の前まで迎えにくるようになったのだ。
 どうしても早く帰ることのできない日は、しつこいほどに連絡が来る。
 以前付き合っていた時とは全く様子の違う健斗に振り回されつつも、前よりも穏やかな気持ちで接することができているのはなぜだろうか。

 それは恐らく、健斗の気持ちが真っ直ぐ私だけに向いてくれているということがわかるから。
 復縁してからの彼は誠実で、かつてのように不安を抱いたことは一度もない。

 常に私のことを考えてくれて、尊重して接してくれる。
 それだけで幸せなのだ。



「沙良!」
「ごめんね、待った?」
「いや、大丈夫だよ。お疲れ様」

 今日もいつものように、会社を出たところに佇む健斗の元へ向かう。
 私の姿を見つけると、まるで飼い主を見つけた子犬のように、ぱあっと表情が明るくなる。
 そしてそんな彼の姿に、仕事終わりで疲れた気持ちが軽やかになっていくのを感じるのだ。

「今日何か食べて帰るの、どう? 沙良も明日休みだろ?」
「いいね。私焼肉が食べたいな」
「ぱーっといくか」

 健斗はニッと私に向けて笑うと、すぐに手を繋ぐ。
 その手は冷たくて、きっとずっと外で待っていたのだろう。
 私は両手で包むようにして彼の手を温める。

「沙良……キスしたくなった」
「っダメ、会社の前だし、外だよ!」
「やっぱり焼肉やめて家帰る?」
「焼肉の気分だから無理」

 ぶつぶつと文句を言いながら、しっかりと私の後をついてくる彼が可愛い。

「そういえばさ、この前優馬から連絡来たんだ」
「え……優馬から?」

 先ほどまでのふざけた会話から一転、健斗の声色が真面目なものへと変わる。

「ヨリ戻したこと……あいつに言ったんだろ?」
「あ……うん……」

 健斗ともう一度やり直すことになった後、私は優馬にその旨をメールで伝えた。
 彼は特に引き止めるでもなく、『幸せに』とだけ返信してきたのだ。

 たとえ復縁がなくとも、友達として……そんなことを優馬は言っていたが、きっとそれは難しいだろう。
 どちらかに恋心が残っていての友情は、長続きしないと思っている。

 健斗にも、優馬にも、不誠実な態度は取りたくないのだ。

「やっぱりあいつはいいやつだよな……」

 ぽつり、と健斗がそんなことを呟く。

「また心配になったの?」
「いや……でも俺は、これから今までやらかしたことを挽回していくしかないから。絶対に沙良を幸せにする」

 私は彼の腕に自らの腕を回して、ぎゅっと寄り添った。

「期待してるね」
「……やっぱり焼肉やめて、家帰ろ? 俺もう我慢できない」
「それは無理!」

 かつてないほど穏やかな時間が、私たちの間に流れていた。




「お母さん、多分反対すると思うけど……」
「わかってる。門前払いかもな……でも頑張るから」

 あれから私は母に連絡を取り、健斗とのことを話した。
 そして直接会って話がしたいということも。

 案の定、母の反応は芳しいものではなく。
 それも当たり前のことだ。
 自分の娘があれほどぞんざいな扱いを受けていて、何も思わない親はいないだろう。

 休みの日ではあるがスーツを着込んだ健斗は、私に連れられて久しぶりに地元へと戻ってきた。
 そして今、目の前には私の実家の表札が。

「いい……? 押すよ?」
「……ん」

 自分の実家だというのに、震えそうになりながらチャイムを押す。
 しばらくして、ガチャリと玄関のドアが開いた。

「お帰りなさい沙良。……それから、健斗くんも」

 母はチラと健斗を一瞥すると、少し複雑な表情を浮かべて気まずそうにそう告げた。

「お久しぶりです。その節は本当に申し訳……」
「とりあえずいいから、中入って」

 私たちは促されるままに中へと入る。
 そしてリビングのダイニングチェアに腰掛けた。

 思い返してみればあっという間だったのだが、その時の私には長く重苦しい時間であったことは間違いない。

 健斗は両親に頭を下げて謝罪し、私と結婚を見据えて再び付き合いたいと気持ちを伝えた。

 両親は当然いい顔はしなかった。
 だが、反対もしなかった。

「沙良がそう決めたのなら、頑張りなさい」

 母は私にそう話し、健斗の方を向いた。

「お母さんから色々聞いてるわ。健斗くんも、色々と頑張ったみたいね。正直前のことを知っているから、手放しで喜んであげることはできないけど……沙良を悲しませるようなことはしないでね」

 母のその言葉に、健斗は深く頷いたのである。



 それからの私たちのことを少しだけ。

 無事に両親への挨拶を済ませた私たちは、新しい家を探して同棲をスタートさせた。
 距離が近くなる分、ぶつかり合うことが増えるのではないかと心配していたが、そんなことはなく。
 二人で並んでキッチンで料理をしているときが何より幸せな時間だ。

 そして関係を修復したあの日から二年後、私と健斗が初めて付き合い始めたあの日から八年後。
 私は彼からプロポーズを受けて、了承した。

 プロポーズはオシャレなレストランで、バラの花束と一緒に……なんて学生時代に話していた話を覚えていたらしく、ベタすぎるほどのプロポーズをしてもらったのである。

 もちろんヨリを戻してからこれまでの二年間にも、多くの問題に直面してきた。

 健斗が職場の女性から猛アタックを受けたことは、苦い思い出の一つでもある。
 もちろん彼はその誘いに靡くことはなく、毅然とした対応を取ってくれていたのだが。
 以前の嫌な記憶が蘇ってしまった私は不安で仕方なくなり、パニックのようなものを起こしてしまったのだ。

 散々彼に酷い言葉をぶつけて、大人気ない態度をとってしまった。

 また後から来た女性に彼を奪われてしまうのかもしれない。
 底知れぬ不安は次から次に私を襲った。

 だがその度に健斗は私の気持ちが落ち着くまでそばにいて、優しく抱きしめてくれたのだ。

 ああ、以前の彼とはもう違うのか。

 そんなことを何度か繰り返すうちに、いつしか彼の女性関係に対して不安を抱くことは少なくなった。
 あの頃とは違い、健斗は女性と二人きりで行動することはない。
 仕事が終わったらすぐ家に帰ってきてくれる。

 そして一緒に作った料理を食べて、一緒に同じ屋根の下で眠る。
 その一つ一つが何よりも安心材料となってくれたのかもしれない。

 ちなみにその健斗を悩ませていた上条さんの存在だが、彼は私と健斗の結婚が決まった頃に地方への転勤が決まった。

 女性関係のもつれではないかという噂がまことしやかに囁かれているが、本当のところは不明だ。

 だがとりあえず上条さんの存在がなくなったことは、健斗の精神にも安寧をもたらしたようで。
 彼も以前のように少しのことで嫉妬をして余裕をなくすような真似は、しなくなっている。



「なあ沙良、早めに籍を入れないか? 式まで待てない……」
「ん、ちょ……私もう出るんだけど」
「いいじゃん、もう少しだけ……」

 この日、夕飯を食べ終えて先にお風呂に入っていた私。
 そろそろ出ようかと思っていたところに、健斗が入ってきたのだ。

 ただでさえ狭い浴槽が、二人だとぎゅうぎゅうになってしまう。

「沙良、籍入れよ?」
「結婚式まであと半年くらいだよ? その時でいいじゃ……あっ……」

 背後から抱きしめられ、ちゅうっと剥き出しの首元に吸いつかれる。
 そしていつしかやわやわと形を変えられる膨らみ。
 
「健斗、のぼせちゃう……」
「沙良……やりたい……」
「お風呂じゃ、いや……」
「じゃあ出たら、いい?」
「いつも聞かないで襲ってくるくせに」

 EDだという話は一体どこへ行ってしまったのやら、というほどの絶倫ぶりを見せている彼ではあるが、私以外の女性を見ても反応しないのだとか。

 そんなことがあるのだろうかと疑問に思うが、よほど私がいなくなったことがトラウマになってしまったらしく、そんな気が全く起きないのだと教えてくれた。

「沙良に触りたい、明日休みだろ? だから一緒にくっついて寝よ?」

 重いほどの愛を、一身に受けている。

 二年前までは、もう永遠に健斗と会うことはないと思っていた。
 あれほど辛い、怖い思いは二度としたくないと、恋愛からも遠ざかった生活を送っていた。

 人生とは、何が起こるかわからないものだ。

「それでさっきの話だけど、籍いつ入れる?」
「……またその話?」
「早く籍入れたいんだよ、沙良が俺の奥さんだってこと、早く証明したい」

 最近、口を開けばこんなことばかり言われている。
 私は執拗にまとわりついてくる彼の体に、身を任せた。

「……沙良?」

 突然甘えるかのように体重をかけて寄りかかる私の様子に、健斗は少し驚いたような反応を見せる。

「籍、いつ入れよっか?」

 そう言いながらチラと彼を見上げると、みるみるうちに真っ赤になる顔。
 そして次の瞬間、噛み付くような勢いで唇を奪われる。

「愛してる」

 結局夜が明けるまで、健斗の重すぎるほどの愛を受け止め続けたのである。

 だが私は最高に幸せなのだ。

 大好きだった幼馴染は一度は手の届かない人になった。
 そして再び戻ってきた彼は、最愛の人となった。

 これから先も楽しいことばかりではないかもしれないけれど、二人で手を取り合って乗り越えていきたいと思っている。

「ずっと一緒にいようね、健斗」

 まだ夢の中にいる彼の穏やかな寝顔に向けてそう囁くと、まるで返事をするかのように健斗は微笑み返してくれたのであった。
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