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初めての恋人
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「ごめん、待った?」
優馬との約束の日、待ち合わせ場所に向かうと既にそこには彼の姿があった。
(こういうところ、昔から変わってない)
高校生の時に付き合っていた時も、彼は常に律儀であった。
待ち合わせに遅刻などしたことなかったし、いつだって私の嫌がることなどしなかった。
(……健斗とは大違いだ。って……なんで私こんな時に健斗のこと思い出してるんだろう)
そんな邪念を振り払うかのように唇を噛み締め、気持ちを切り替えて優馬の方を向いて微笑む。
「いや、ちょっと早めに着いちゃっただけだから。気にしないで。行こっか」
「お店、近いの?」
「ここから五分もかからないよ」
彼が事前に予約してくれていたという店は、オシャレなフレンチレストラン。
入り口で名前を告げると、奥まった個室へと案内された。
「……なんか、すごいね」
「ごめん変な意味はないんだけど。この方が落ち着いて話せるかなって」
「あっ……そういう意味で言ったわけじゃ……」
わかっている。
優馬がそんなことをする人ではないことくらい。
私は促されるまま上着を預け、椅子に腰掛けた。
優馬も少し遅れて向いの席に腰掛ける。
「何飲む? せっかくだからワインでも思ったけど、無理はしないで」
「じゃあ最初だけ、スパークリングにしようかな?」
「了解」
ワインを頼み、あとはコース料理が運ばれてくるのを待つだけ、という段階になって優馬はゆっくりと口を開いた。
「あのさ」
ただそれだけなのに、なぜか私の体に力が入ってしまう。
どこを見つめていればいいのかわからなくて、視線が右往左往してしまった。
「ごめん」
「え……」
「あの時……高三の時、自分勝手な理由で沙良のこと振って傷つけた。本当にごめん」
優馬は真剣な顔でそう告げると、そっと頭を下げた。
重苦しい沈黙が走る。
「やめて、頭上げてよ。もう昔のことだし、私なら気にしてないから」
「本当?」
「そりゃ……あの時はすごくショックだったけど……」
「……だよな、本当にごめん。沙良が泣き腫らした顔で学校来てるのも知ってた。でも俺のせいだってわかってたから、なんて声かけていいのかもわからなくて……。結果的に無視したことになるよな……」
優馬は申し訳なさそうに眉を下げる。
だが今の私には、優馬への憤りや怒りの感情は本当に全く残っていないのだ。
そんなこともあったな、若かったなぁ……なんて、昔の思い出の一部になりつつある。
「本当にもう大丈夫だから! だから優馬もあの時のことは忘れてほしい」
「俺は忘れられない」
「へ……」
その時、ちょうどいいタイミングと言うべきなのか、ウェイターが飲み物を運んできた。
優馬はグッと拳を膝で握りしめて、口を閉ざす。
ウェイターは素知らぬ顔で互いの前にワインを置くと、そのまま静かに立ち去っていった。
「あ、あの……ワイン、せっかくだから飲もうよ」
それからしばらく経っても口を開こうとしない優馬に対して痺れを切らした私は、そう促す。
「ああ……ごめん。乾杯しようか」
「そうだね」
あの頃とは違って大人になった私たち。
グラスを傾けて、カシャンと合わせる。
『乾杯』
一口含めば、スパークリングが爽やかに口の中で弾ける。
とても美味しい。
「ん、これ美味しい」
「そう? 良かった……」
優馬は私の反応を見て、ふっと笑った。
(あ、その顔……)
その笑顔は、高校生の時の彼の面影を十分に残しているもので、とても懐かしくなる。
「あのさ、沙良。さっき言いかけたことなんだけど」
そんな思い出に浸りそうになった私を、優馬の沈んだ声が一気に現実へと引き戻す。
「俺、あの時のこと後悔してる。本気で沙良のこと好きだったのに……。結局受験失敗して地元出ることになって、なんとなく沙良に合わせる顔がないと思ってた。だからそのまま連絡も取れなくて……」
「……」
「気づいたら沙良はあいつと付き合ってた。俺、あいつが沙良のこと好きだってこと知ってたよ」
優馬のいうあいつとは、健斗のことだろう。
唐突に彼の存在が優馬の口から飛び出してきたことに、私は戸惑いを隠せない。
「あいつと付き合ってる時の沙良、俺といる時よりもすごい幸せそうだった。沙良にこんな顔させることができるんだって、羨ましかった」
なんで答えればいいのかわからない。
ちびちびとスパークリングを口に含むうちに、いつのまにか目の前に置かれていた前菜に気付く。
「食べながら聞いてて」
「あ、うん……。優馬も、食べながら話そうよ」
「俺はこれだけ話してから食べる」
優馬はゆっくりとグラスを傾けてワインを口に含むと、はぁーっと小さく息を吐いてからこう続けた。
「俺、沙良のことがまだ好きだ」
口に含んでいた前菜の味がわからない。
もしかしたら……なんてことを食事の前に考えないでもなかったが、実際に思いを告げられるとなると心の準備が整っていなかったことを思い知る。
「本当に自分勝手でごめん。でも沙良と付き合ってた時、楽しくて幸せだった。あんな馬鹿な理由で自分から関係を切ったこと、後悔しっぱなしだよ」
「いや、でも私たちもう別れてから六年くらい経つよね……」
「俺はあれから沙良以上に好きになれる人には出会えてない。何人か付き合ったこともあるけど、続かなかった。共通の友達に連絡先を聞いて、メッセージを送ってみるつもりだったんだ。そんな時沙良に偶然会えて、奇跡だと思った」
あの時トイレの前でぶつかりそうになっていなかったとしても、優馬は私とコンタクトを取るつもりだったということか。
優馬は気まずそうに、恥ずかしそうに顔を掻く。
そしてようやく運ばれてから時間の経った前菜に口をつけた。
「沙良は今付き合ってる人はいないんだよね?」
「いない……はず」
健斗との一ヶ月の約束がちらりと頭をよぎるが、今ここで優馬に話す内容でもないだろう。
「なら、俺が立候補してもいい?」
彼の手が、いつのまにかカトラリーを持つ私の手の上に重ねられていた。
熱いその手のひらが、ギュッと握るように私の手を包む。
彼はいい人だ。
きっと高校生の時のことを心から反省していて、これから先付き合うことになったとしても、私を尊重して大切にしてくれるだろう。
ぼんやりとではあるが、それだけはわかる。
きっと彼みたいな人と結婚すれば、穏やかな日々を送ることができるのかもしれない。
「俺、次は結婚前提で付き合いたいと思ってる。あの時みたいな自分勝手なことはしないって約束する。だから、俺とのこと考えてくれないかな……?」
だけど……だけども。
なぜか私の頭の中に、彼と二人並んで家庭を築いていく未来は見えなかったのだ。
可愛い子どもと、その隣に並ぶ大切な人。
その大切な人の顔は……。
「優馬、ごめん……私……」
「……いいよ。こうなるって、なんとなくわかってたから。それでも自分の気持ちを諦めたくなかった」
「ごめん……」
「でもやっぱり諦めきれないから、俺もう少しだけ待っててもいい?」
優馬はまるで私に断られることがわかっていたかのように、寂しげに笑った。
「なあ、今もあいつと連絡取ったりしてるの?」
「あいつ……?」
「そう、砂内健斗」
「な、なんで……」
まさかここで再び健斗の名前が出るとは予想もしていなかった。
「あいつさ、すごいひどいことして沙良と別れただろ」
優馬が健斗の所業を知っているとは思わなかった。
地元を出たとはいえ、かつての旧友たちとの繋がりは保たれていたのだろう。
「俺が言うのもなんだけど最低だと思う。二人が別れたって聞いた時、良かったって思った」
「そう……。でも健斗とのことも、もう終わったことだから」
「あいつさ、別れた後必死に色んなやつに連絡取りまくってたんだよ。俺のところにも連絡来た」
「嘘……」
健斗が、まさか優馬にまで連絡しているとは思わなかった。
先ほどから次々に料理が運ばれてきており、流れ作業のように口に運んではいるものの、せっかくのその味わいを大して感じることができていない。
「沙良とより戻したか、って頓珍漢なことも聞かれたな。かなり憔悴してやつれてたらしいよ」
「それは……」
「あいつと会った?」
鋭い、探るような質問に思わず胸がズキンと苦しくなる。
口の中のものを必死に咀嚼して飲み込むと、水を含んで口の中を潤した。
食事をしているはずなのに、なぜか喉はからからだ。
「会ったんだろ? ヨリ、戻したの?」
「まさか……」
「会ったのは事実なんだな」
なぜ私はこれほど嘘が下手なのだろうか。
必死に笑おうとするが、その笑顔は引き攣った不自然なものとなっている。
「相変わらず、最低な男だっただろ? 気をつけろよ、あんなやつ一緒にいても碌なことがない」
「がう……」
「え?」
「健斗は別に最低な男にはなってなかった。そりゃ、頭おかしいし非常識なところもたくさんだったけど……ちゃんと反省して、変わろうと努力してた」
自分でもなんでこんなに必死に健斗のことを庇おうとしているのかわからない。
だが確かに彼は変わろうとしている。
そしていい方向へ成長したところもたくさんあるのだ。
健斗の過去の行いは最悪だった。
私との再会から一ヶ月の仮初の契約も、強引極まりないものであった。
だが彼と過ごす時間が増えるにつれて、私は少しずつ彼に絆されてしまったのかもしれない。
「……あいつのこと好きなの?」
私の反論がよほど意外であったらしく、優馬は目を丸く見開いている。
「好きとか、そういうのじゃないの。でもずっと幼馴染で一緒にいたし、何かこう、見えない何かがあるの……」
「へぇ……そうなんだ……」
それからしばらくの間は気まずい時間が続いた。
しかしやがて気持ちを切り替えたらしい優馬が別の話題を振ってくれたため、なんとかデザートまで辿り着けたのだ。
デザートのイチゴのシャーベットを口に運ぶと、爽やかな甘味と冷たさが疲れた思考を癒やしてくれる。
◇
「美味しかった。ありがとうお店選んでくれて」
「なら良かった。探した甲斐があったよ」
優馬は私のその言葉を素直に喜んでくれた。
「そろそろ行こうかな」
ただでさえ時間のかかるコース料理に、途中であんな話を挟んでしまったため、かれこれ三時間近く経っていたらしい。
時計を見ればもう二十三時近くなっており、私は優馬にそう告げた。
「もうこんな時間か。あっという間だったな」
「久しぶりだったけど、普通に話せて良かった」
店を出ると、先ほどよりも更に冷え込んだ外気が私たちに襲いかかる。
吐く息は白く、冬の夜は極寒だ。
「また、会えないかな?」
駅に向けて歩き出そうと足を踏み出したその時、突然そう声をかけられた。
振り向けば、切なげに眉を寄せる優馬の姿が。
「今日は本当に楽しかったよ。久しぶりなのにこんなに話が弾むと思ってなかった。やっぱり沙良だ……って思った。俺は沙良とこれから先も仲良くしていきたい」
「それは……彼女としてってこと?」
「そうなってくれたら嬉しい。でも、もしそれがダメでも、これっきりにはしたくない」
うまい返事が出てこなかった。
もし彼の申し出を断った上で友達として付き合いを続けるなど、できるのだろうか?
彼の気持ちをいつまでも弄ぶような真似になってしまわないだろうか?
「ごめん、困らせて。でももう前とは違って、連絡したいときにはいつだってできる。またそのうち連絡させて?」
優馬はそう告げると、私の返事を聞かぬまま駅へと歩き出す。
私は慌ててその後を追いかけたのであった。
優馬との約束の日、待ち合わせ場所に向かうと既にそこには彼の姿があった。
(こういうところ、昔から変わってない)
高校生の時に付き合っていた時も、彼は常に律儀であった。
待ち合わせに遅刻などしたことなかったし、いつだって私の嫌がることなどしなかった。
(……健斗とは大違いだ。って……なんで私こんな時に健斗のこと思い出してるんだろう)
そんな邪念を振り払うかのように唇を噛み締め、気持ちを切り替えて優馬の方を向いて微笑む。
「いや、ちょっと早めに着いちゃっただけだから。気にしないで。行こっか」
「お店、近いの?」
「ここから五分もかからないよ」
彼が事前に予約してくれていたという店は、オシャレなフレンチレストラン。
入り口で名前を告げると、奥まった個室へと案内された。
「……なんか、すごいね」
「ごめん変な意味はないんだけど。この方が落ち着いて話せるかなって」
「あっ……そういう意味で言ったわけじゃ……」
わかっている。
優馬がそんなことをする人ではないことくらい。
私は促されるまま上着を預け、椅子に腰掛けた。
優馬も少し遅れて向いの席に腰掛ける。
「何飲む? せっかくだからワインでも思ったけど、無理はしないで」
「じゃあ最初だけ、スパークリングにしようかな?」
「了解」
ワインを頼み、あとはコース料理が運ばれてくるのを待つだけ、という段階になって優馬はゆっくりと口を開いた。
「あのさ」
ただそれだけなのに、なぜか私の体に力が入ってしまう。
どこを見つめていればいいのかわからなくて、視線が右往左往してしまった。
「ごめん」
「え……」
「あの時……高三の時、自分勝手な理由で沙良のこと振って傷つけた。本当にごめん」
優馬は真剣な顔でそう告げると、そっと頭を下げた。
重苦しい沈黙が走る。
「やめて、頭上げてよ。もう昔のことだし、私なら気にしてないから」
「本当?」
「そりゃ……あの時はすごくショックだったけど……」
「……だよな、本当にごめん。沙良が泣き腫らした顔で学校来てるのも知ってた。でも俺のせいだってわかってたから、なんて声かけていいのかもわからなくて……。結果的に無視したことになるよな……」
優馬は申し訳なさそうに眉を下げる。
だが今の私には、優馬への憤りや怒りの感情は本当に全く残っていないのだ。
そんなこともあったな、若かったなぁ……なんて、昔の思い出の一部になりつつある。
「本当にもう大丈夫だから! だから優馬もあの時のことは忘れてほしい」
「俺は忘れられない」
「へ……」
その時、ちょうどいいタイミングと言うべきなのか、ウェイターが飲み物を運んできた。
優馬はグッと拳を膝で握りしめて、口を閉ざす。
ウェイターは素知らぬ顔で互いの前にワインを置くと、そのまま静かに立ち去っていった。
「あ、あの……ワイン、せっかくだから飲もうよ」
それからしばらく経っても口を開こうとしない優馬に対して痺れを切らした私は、そう促す。
「ああ……ごめん。乾杯しようか」
「そうだね」
あの頃とは違って大人になった私たち。
グラスを傾けて、カシャンと合わせる。
『乾杯』
一口含めば、スパークリングが爽やかに口の中で弾ける。
とても美味しい。
「ん、これ美味しい」
「そう? 良かった……」
優馬は私の反応を見て、ふっと笑った。
(あ、その顔……)
その笑顔は、高校生の時の彼の面影を十分に残しているもので、とても懐かしくなる。
「あのさ、沙良。さっき言いかけたことなんだけど」
そんな思い出に浸りそうになった私を、優馬の沈んだ声が一気に現実へと引き戻す。
「俺、あの時のこと後悔してる。本気で沙良のこと好きだったのに……。結局受験失敗して地元出ることになって、なんとなく沙良に合わせる顔がないと思ってた。だからそのまま連絡も取れなくて……」
「……」
「気づいたら沙良はあいつと付き合ってた。俺、あいつが沙良のこと好きだってこと知ってたよ」
優馬のいうあいつとは、健斗のことだろう。
唐突に彼の存在が優馬の口から飛び出してきたことに、私は戸惑いを隠せない。
「あいつと付き合ってる時の沙良、俺といる時よりもすごい幸せそうだった。沙良にこんな顔させることができるんだって、羨ましかった」
なんで答えればいいのかわからない。
ちびちびとスパークリングを口に含むうちに、いつのまにか目の前に置かれていた前菜に気付く。
「食べながら聞いてて」
「あ、うん……。優馬も、食べながら話そうよ」
「俺はこれだけ話してから食べる」
優馬はゆっくりとグラスを傾けてワインを口に含むと、はぁーっと小さく息を吐いてからこう続けた。
「俺、沙良のことがまだ好きだ」
口に含んでいた前菜の味がわからない。
もしかしたら……なんてことを食事の前に考えないでもなかったが、実際に思いを告げられるとなると心の準備が整っていなかったことを思い知る。
「本当に自分勝手でごめん。でも沙良と付き合ってた時、楽しくて幸せだった。あんな馬鹿な理由で自分から関係を切ったこと、後悔しっぱなしだよ」
「いや、でも私たちもう別れてから六年くらい経つよね……」
「俺はあれから沙良以上に好きになれる人には出会えてない。何人か付き合ったこともあるけど、続かなかった。共通の友達に連絡先を聞いて、メッセージを送ってみるつもりだったんだ。そんな時沙良に偶然会えて、奇跡だと思った」
あの時トイレの前でぶつかりそうになっていなかったとしても、優馬は私とコンタクトを取るつもりだったということか。
優馬は気まずそうに、恥ずかしそうに顔を掻く。
そしてようやく運ばれてから時間の経った前菜に口をつけた。
「沙良は今付き合ってる人はいないんだよね?」
「いない……はず」
健斗との一ヶ月の約束がちらりと頭をよぎるが、今ここで優馬に話す内容でもないだろう。
「なら、俺が立候補してもいい?」
彼の手が、いつのまにかカトラリーを持つ私の手の上に重ねられていた。
熱いその手のひらが、ギュッと握るように私の手を包む。
彼はいい人だ。
きっと高校生の時のことを心から反省していて、これから先付き合うことになったとしても、私を尊重して大切にしてくれるだろう。
ぼんやりとではあるが、それだけはわかる。
きっと彼みたいな人と結婚すれば、穏やかな日々を送ることができるのかもしれない。
「俺、次は結婚前提で付き合いたいと思ってる。あの時みたいな自分勝手なことはしないって約束する。だから、俺とのこと考えてくれないかな……?」
だけど……だけども。
なぜか私の頭の中に、彼と二人並んで家庭を築いていく未来は見えなかったのだ。
可愛い子どもと、その隣に並ぶ大切な人。
その大切な人の顔は……。
「優馬、ごめん……私……」
「……いいよ。こうなるって、なんとなくわかってたから。それでも自分の気持ちを諦めたくなかった」
「ごめん……」
「でもやっぱり諦めきれないから、俺もう少しだけ待っててもいい?」
優馬はまるで私に断られることがわかっていたかのように、寂しげに笑った。
「なあ、今もあいつと連絡取ったりしてるの?」
「あいつ……?」
「そう、砂内健斗」
「な、なんで……」
まさかここで再び健斗の名前が出るとは予想もしていなかった。
「あいつさ、すごいひどいことして沙良と別れただろ」
優馬が健斗の所業を知っているとは思わなかった。
地元を出たとはいえ、かつての旧友たちとの繋がりは保たれていたのだろう。
「俺が言うのもなんだけど最低だと思う。二人が別れたって聞いた時、良かったって思った」
「そう……。でも健斗とのことも、もう終わったことだから」
「あいつさ、別れた後必死に色んなやつに連絡取りまくってたんだよ。俺のところにも連絡来た」
「嘘……」
健斗が、まさか優馬にまで連絡しているとは思わなかった。
先ほどから次々に料理が運ばれてきており、流れ作業のように口に運んではいるものの、せっかくのその味わいを大して感じることができていない。
「沙良とより戻したか、って頓珍漢なことも聞かれたな。かなり憔悴してやつれてたらしいよ」
「それは……」
「あいつと会った?」
鋭い、探るような質問に思わず胸がズキンと苦しくなる。
口の中のものを必死に咀嚼して飲み込むと、水を含んで口の中を潤した。
食事をしているはずなのに、なぜか喉はからからだ。
「会ったんだろ? ヨリ、戻したの?」
「まさか……」
「会ったのは事実なんだな」
なぜ私はこれほど嘘が下手なのだろうか。
必死に笑おうとするが、その笑顔は引き攣った不自然なものとなっている。
「相変わらず、最低な男だっただろ? 気をつけろよ、あんなやつ一緒にいても碌なことがない」
「がう……」
「え?」
「健斗は別に最低な男にはなってなかった。そりゃ、頭おかしいし非常識なところもたくさんだったけど……ちゃんと反省して、変わろうと努力してた」
自分でもなんでこんなに必死に健斗のことを庇おうとしているのかわからない。
だが確かに彼は変わろうとしている。
そしていい方向へ成長したところもたくさんあるのだ。
健斗の過去の行いは最悪だった。
私との再会から一ヶ月の仮初の契約も、強引極まりないものであった。
だが彼と過ごす時間が増えるにつれて、私は少しずつ彼に絆されてしまったのかもしれない。
「……あいつのこと好きなの?」
私の反論がよほど意外であったらしく、優馬は目を丸く見開いている。
「好きとか、そういうのじゃないの。でもずっと幼馴染で一緒にいたし、何かこう、見えない何かがあるの……」
「へぇ……そうなんだ……」
それからしばらくの間は気まずい時間が続いた。
しかしやがて気持ちを切り替えたらしい優馬が別の話題を振ってくれたため、なんとかデザートまで辿り着けたのだ。
デザートのイチゴのシャーベットを口に運ぶと、爽やかな甘味と冷たさが疲れた思考を癒やしてくれる。
◇
「美味しかった。ありがとうお店選んでくれて」
「なら良かった。探した甲斐があったよ」
優馬は私のその言葉を素直に喜んでくれた。
「そろそろ行こうかな」
ただでさえ時間のかかるコース料理に、途中であんな話を挟んでしまったため、かれこれ三時間近く経っていたらしい。
時計を見ればもう二十三時近くなっており、私は優馬にそう告げた。
「もうこんな時間か。あっという間だったな」
「久しぶりだったけど、普通に話せて良かった」
店を出ると、先ほどよりも更に冷え込んだ外気が私たちに襲いかかる。
吐く息は白く、冬の夜は極寒だ。
「また、会えないかな?」
駅に向けて歩き出そうと足を踏み出したその時、突然そう声をかけられた。
振り向けば、切なげに眉を寄せる優馬の姿が。
「今日は本当に楽しかったよ。久しぶりなのにこんなに話が弾むと思ってなかった。やっぱり沙良だ……って思った。俺は沙良とこれから先も仲良くしていきたい」
「それは……彼女としてってこと?」
「そうなってくれたら嬉しい。でも、もしそれがダメでも、これっきりにはしたくない」
うまい返事が出てこなかった。
もし彼の申し出を断った上で友達として付き合いを続けるなど、できるのだろうか?
彼の気持ちをいつまでも弄ぶような真似になってしまわないだろうか?
「ごめん、困らせて。でももう前とは違って、連絡したいときにはいつだってできる。またそのうち連絡させて?」
優馬はそう告げると、私の返事を聞かぬまま駅へと歩き出す。
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