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あのとき(2)健斗サイド

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 そんな俺の安易な考えはあっさりと否定されたらしい。
 それから何日経っても沙良は俺の元へやっては来なかった。

(少しきつく言い過ぎたかな……)

 なんてのんきに考えてはいたが、さすがに音沙汰がなさすぎる。
 いつもなら毎日のように日々の報告が来ていたスマホも、震えてはくれない。
 騒がしく震えるのは、どうでもいい女たちからの連絡だけ。

 そして沙良と連絡が取れないまま二週間ほど経ち、俺はようやく念願の内定を手にすることができた。
 沙良に受かったとすぐに報告したくて家に帰るが、もちろん彼女の姿などあるはずがない。

 この興奮を誰かと分かち合いたくてスマホを開くが、連絡先に並ぶ名前の中にそんな相手はいなかった。
 俺がこの気持ちを分かち合いたいのはただ一人だけ、沙良だけだったのだ。

(くそ、何やってんだよ沙良)

 そう思ってメッセージを送ってみるものの、既読すらつかない。
 焦って電話をするが、沙良が出ることはなかった。

 日に日に苛立ちが募り、俺は彼女が一人暮らしをしているアパートを訪れる。
 しかし玄関のドアに下げられていたはずのチャームが取り外され、部屋の中からは物音ひとつしない。
 明らかに人が住んでいる気配はなかった。

(嘘だろ、引っ越したのか? 俺に何も言わず?)

 気づけば自然と沙良の実家へと向かう足。
 何度押したかわからないほど押し慣れたチャイムを押せば、見慣れた沙良の母親が顔を出す。
 だがその表情は困惑気味であった。

『健斗くん……? 久しぶり、元気してた?』
『お久しぶりです。あの、沙良いますか?』
『あー……ごめんね。家にはいないわ。何か伝言しておこうか?』

 沙良の母親が一瞬見せた表情の強張りから、沙良は実家にいるのだろうということがわかった。
 そして俺に会うことを拒否しているのだとも。

 (……親まで巻き込むなんて、面倒なことするなよな)

 そんな理不尽なことを思いながらも、俺は懲りずに沙良の実家へと足を運んだ。
 自分から別れを切り出しておきながら、なぜあのような不可解な行動をとったのだろうか。

 きっと心のどこかでは、沙良を失いかけているとわかっていたのかもしれない。
 だがそれを認めたくはなかった。

 それから彼女の家に何度通っただろうか。
 沙良の母親からは日に日に迷惑そうな態度が見え隠れし始める。
 俺だって、こんな非常識なことはしたくなかった。
 だがこうでもしないと沙良と会うことができないのだ。

 そしてようやく、沙良が家の外に姿を現してくれた。
 久しぶりに見る沙良はなんだか痩せて、翳りのある表情を見せている。
 初めて見る幼馴染のその表情に、思わず見惚れてしまいそうになった。

 結果から言えば、沙良は俺を拒絶した。
 それも永遠に。
 もう二度と幼馴染の関係に戻ることはなく、会いたくもないと言われてしまったのだ。

 食い下がろうとしたが、警察を呼ぶとまで言われてしまった。
 そしてとどめを刺すかのように俺にショックを与えたのは、俺が沙良の腕を掴もうとした時の彼女の反応。
 心底俺に怯え、恐怖の眼差しでこちらを見つめていたのだ。

 (いつから俺たちの間には、これほど大きな溝ができてしまったのだろう)

 取り返しのつかなくなるほどに距離が空いてしまったのだと言うことを実感するとともに、無性に腹が立った。
 自業自得であるというのに、突然沙良から今生の別れを告げられた戸惑いや焦りを苛立ちで誤魔化す。

 そしてその苛立ちを発散させるために、体だけの関係を持った。
 だがそんな時に脳裏に浮かぶのはあの時の沙良の表情。
 どれだけ沙良を忘れようとしても、むしろ彼女の記憶が濃く蘇る。

 そして心の中に芽生えたのは、幼馴染としての沙良への思いではなく、かつての恋人としての彼女への思いであった。

 (俺は、一番大切なものを失ったのかもしれない)

 その思いに気づいた途端、あんなに沙良をおざなりにして付き合っていた女たちに対し、突然吐き気を催すほどの嫌悪感が生まれ、俺は彼女たちとの関係を断ち切った。
 他の女を抱いていても、沙良の顔が浮かぶ。
 性欲なんて枯れ果てた。

『何やってんのお前、一人の女ごときで必死になってんじゃねえよ』

 裕樹から向けられた嘲笑が今でも記憶に残っている。
 ああ、こいつとはもう一緒にいることはできない。
 俺は居心地の良さの意味をはき違えていたようだ。

『俺、もうお前らとつるむのやめるわ』

 そう告げた俺に対し、彼らは何の反応も示さなかった。
 わかっていたはずだ。そういうやつらだと。
 そういうやつらだからこそ、沙良といるよりもわざわざ彼らの方を俺は選んだのだ。

(俺は大馬鹿者だ……)

 けっきょくそれからどれだけ月日が流れても、町のいたるところに沙良との思い出がちりばめられ、彼女のことを忘れることなどできなかった。
 思い出されるのは彼女のぬくもり。
 そしてたわいもない話で大笑いした、楽しかったあの日。
 全て自分で手放したはずなのに、今になってどうしようもなく沙良が恋しくなる。

(幼馴染でいいとか、俺何言ってんだよ)

 幼馴染と彼女とでは、その心の距離は大きく違うなのに。
 一度恋人同士の幸せを知ってしまった後では、幼馴染の関係では物足りないなんてことくらい、わかっていたはずなのに。

 あの時の自分が馬鹿で愚かで、自分自身を罵りたいほどに自暴自棄になった。

 だが俺はそれでも諦めたくはなかったのだ。

 一社の内定を受け取った後、幸いなことにさらに複数の通知を受け取った俺は、即行で沙良の就職先と同じ地域にある会社に就職することを決めた。

『あんた、そこ第三希望だったんじゃないの?』

 俺が一番行きたかった会社を知っている母親は、そう尋ねてきた。
 
『……沙良のこと、追いかけたくて』

 母親はもちろん俺と沙良が破局したこと、その原因が俺にあること、そして沙良からは絶縁を告げられたことも知っている。

『沙良ちゃんのことは、もう諦めなさい。今更迷惑だわ。今度こそ通報されてもおかしくないのよ』
『でも俺は諦めない』
『……自分で手放したんだから、けじめは守りなさい』

 母親は絶対に沙良の居場所を知っていたはずだ。
 だが何度尋ねても俺に沙良の話をしてくれることはなかった。

 それは俺の母親に限ったことではなく。
 沙良の母親や、地元の共通の友人たちも皆同じ。

 友人たちには口をそろえて説教され、もう二度と沙良には近づくなとけん制された。
 そこで改めて、俺がしでかしたことの大きさを実感したのだ。

 結局彼女の居場所はわからぬまま、俺は社会人に。
 しかし沙良への思いはなくなるどころか大きくなるばかり。

 せめて再び沙良と会えた時に恥ずかしくないように、俺はそれまでの自堕落な生活をやめた。
 自炊をし、身だしなみも整え、社会人としてのマナーも必死に学んだ。
 合コンや食事会などに誘われたこともあったが、それらも全て断った。

 沙良でなければ、意味はない。

 仕事が終わった後は必死に町中を歩いて沙良の面影を探す日々。
 正直言ってストーカーだし、自分でもどうかしていると思う。
 だがこうでもしない限り、彼女の存在を見つけ出すことはできないのだ。

 しかしそんな幼稚な方法で沙良がすぐに見つかるはずもなく。
 気づけば社会人となって二年の月日が流れていた。

 そしてようやく、見つけたのだ。
 仕事が終わり家へと歩く、沙良の姿を。

 初めは後ろ姿が似ているな、程度にしか思っていなかったが、ちらりと見えた横顔に息が止まるかと思った。

(沙良……っ)

 長かったこげ茶の髪はショートヘアーに切りそろえられており、最後に見かけたあの時よりも大人びて見える。
 しかしその表情は俺が大好きだった沙良のままだった。

 すぐに声をかけたくて、あの時のことを謝りたくて。
 だがここで突然声をかけたら警戒され、また彼女は姿を消してしまうかもしれない。
 そう思った俺は確実に彼女の居場所を突き止めるため、そっと後をつけた。
 明らかな犯罪行為だろう。
 そしてアパートを突き止めると、翌日彼女の部屋の前で仕事終わりの彼女を待ち伏せたのだ。

 
 
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