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縋りつかれる日々

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 案の定、それから毎日のように健斗は私のアパートを訪れるようになった。
 もはや一種のストーカーのようである。
 だが最初の時とは違い、無理に関係修復を迫るようなことはなくなった。

 基本私の方が不規則な仕事で帰りの時間がまちまちになるため、営業職の彼の仕事のリズムとは合わないのだろう。
 定期的にドアノブにかけられているスイーツなどの紙袋。
 そしてその中には毎回律儀にメッセージが書かれた紙が入っていた。

 内容は『お疲れ様』などの簡単なものではあったが、彼の連絡先が書かれたメモも入っていた。
 しかし私はそれに対して何もアクションを起こしてはいない。
 彼と再びつながりを持ってしまってはいけないと、私の中の本能が教えてくれているような気がしたのだ。

 今まで当たり前のように隣にいた私が突然いなくなったことで、勘違いしているだけだろう。
 今は私にこれほど執着しているが、どうせまた手に入った途端に手放すのだ。
 釣った魚にエサはやらないとは、まさにこのこと。
 長年彼と付き合ってきたからこそ、私にはわかる。

 彼女やセフレは今いないと話していたが、それだって本当のことかはわからない。
 たとえどこかで嘘をついていたとしても、今の私たちの関係では真実など知る由もないのだ。

 ◇

「沙良!」

 そんな日々を過ごしながら、健斗との再会から一週間を過ぎたある日のこと。
 いつもより早めに仕事を終えてアパートへと帰ると、部屋の前にはあの日と同じようにスーツ姿でたたずむ健斗の姿があった。

 彼は私の姿を視界にとらえると、ぱっと笑いながらもたれかかっていたドアから離れる。

「……何? ねえ、まさか毎日こうやってここにいるの? ご近所さんに変な目で見られるからやめてよ」
「まさか。さすがに毎日待ってたらキモイだろ。今日は俺も仕事速く終わったから、会えたらいいなーと思って」

 果たしてその言葉は本当なのだろうか。
 毎日ドアノブにプレゼントがかけられていることから、少なくとも毎日このアパートへ訪れていることは間違いない。

「なあ沙良……なんで連絡くれないの? 俺の連絡先、渡したよね……?」

 そう言いながらじいっと私の方を見る健斗の顔は、薄ら赤らんでいる。

「連絡する必要がないから」
「っ……沙良、お願いだよ。せめて連絡先だけでも!」
「無理、帰ってくれる?」

 私は健斗の縋るような視線を避けて、玄関ドアの前に割り込む。
 だがそのまま鍵を開けて中に入ることは憚られたので、ちら、と後ろを確認した。
 
「沙良、待ってっ……」

 するとその時。
 私の元へ駆け寄ろうとした健斗が、大きく前のめりになった。

「……え、ちょっと!?」

 健斗は私にもたれかかって全体重をかけてきた。
 だがそこに甘い雰囲気などはなく、彼はどうやらバランスを崩して倒れそうになってしまったらしい。

 なぜか彼の顔が埋められた私の肩口からは、はあはあと荒い呼吸が漏れている。
 そして触れ合っているところがどうしようもなく熱い。

「……もしかして体調悪い?」
「……ん……」

 先ほど彼の顔が赤らんでいると思ったのは、照れ隠しではなく熱が出ていたせいだったのだと気づく。

「ごめん、ほんと……俺今日は帰るわ」

 そう言って私から離れて立ちあがろうとすると、その姿はフラフラとしていて心もとない。

 (どうする……? このまま帰らせて大丈夫かな……? いやでもなんで私がそんなこと。勝手に健斗が来てるだけなのに)

 私の頭の中で結論の出ない問いが延々と駆け巡る。
 そうしているうちにも、健斗は私に背を向けて手すりにしがみつきながらフラフラと歩き始めている。

「……うちで寝ていきなよ。風邪薬あるから」

 気付けばそんな言葉が口をついて出ていた。
 健斗は怠そうに目を閉じており、私の必死の提案に軽く頷く。

 (ああ、馬鹿だな私。でも健斗のことが心配だからじゃない。あのまま帰らせて、倒れられる方が気分悪いから……)

 なんて理由を並べて自分自身の決断を必死に正当化させた。
 私は健斗を抱えるようにして部屋の鍵をあけると、ドアを開けて中へと入ったのである。


 ◇

「……沙良、ごめん。本当にありがとう」

 あれからぐったりとした健斗に無理矢理風邪薬を飲ませると、よほど体がしんどかったのか彼はそのまま2時間ほど眠り続けた。

 そして目を覚ました彼は、目に入ってくる見慣れぬ景色に一瞬目を見開いた後、申し訳なさそうに謝罪したのである。

「あのまま道端で倒れられたらみんなの迷惑になるでしょ」

 間違ってはいない。
 私はなんでもないふりを装うために、彼に背を向けて洗濯物を畳みながら努めて冷静にそう告げる。

「そのまま見捨ててくれてよかったのに」
「え……?」

 ふいに返された予想外の言葉に、私は思わず作業の手を止める。
 健斗の方を向くと、彼はぼうっと天井を見上げていた。

「俺、お前が具合悪い時、ほったらかして遊んでた……」
「……うん、そうだったね」

 あれは別れる二ヶ月ほど前のことだっただろうか。
 私は健斗と約束していた日に熱を出してしまい、寝込んでいた。
 一人暮らしであったため心細く、本心を言えば健斗にそばにいてほしかったのだ。

 しかし約束の時間に私の部屋へとやってきた健斗は、布団の中で朦朧としている私を見て一言こう言ったのだ。

『風邪? 俺ちょっと出てくるわ』

『大丈夫?』や『お大事に』の言葉など何もない。
 看病などもってのほかだ。
 彼は本当にそのまま帰って行ってしまったのだ。

 パタン、と虚しく響いたドアの閉まる音は今でも忘れることができない。
 ボロボロと布団のなかで泣いていたことを、私は今まるで昨日のことのように思い出した。

 忘れようと必死に蓋をしていた辛い記憶たちが、引きずられて姿を表す。

「あの時の俺は本当に馬鹿だったよ。沙良と向き合うのが怖くて、沙良のことおざなりにしてた」

 薬が効いたのか、彼の口調は息を荒げていた先ほどのようなものではなくなり、打って変わって落ち着いたものとなっていた。

「だからこんな俺なんて、看病しなくてよかったのに……どうして……」

 最後の言葉が震えている。

 (まさか、泣いてるの……?)

 恐る恐る再び彼に目をやると、健斗は指で眉間押さえて必死に泣くことを我慢しているように見えた。

「沙良、俺やっぱりお前が好きだ。いなくなって初めて気づくなんて遅すぎるよな。ごめん……」

 しん……と静まり返った部屋には、隠しきれない彼の嗚咽だけが響きわたる。

「俺頭おかしいくらいに沙良のこと好きだ。沙良がいないと生きていけない、息も吸えない」

 いやさすがにそれはないだろうと思いながらも、私は黙って彼の言葉を聞いていた。

 二年の月日を経て、少しは健斗なりに反省をしたのかもしれない。
 やつれた見た目からも、再会してから彼が話していたことは事実なのだろう。

 だがそれでも私の中に健斗とやり直すと言う選択肢は生まれてはくれなかった。

「……体調、落ち着いたら帰ってくれる? さすがに泊まるのはナシだよ」

 しばらく続いた沈黙の後、私の口から出た言葉はこれだけだった。
 健斗は相変わらず天井を見つめたまま、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。

「沙良にとって、俺はもうなしなの?」

 その声はいつになく弱々しい。

「……なしだよ。より戻してもずっと前みたいに浮気の心配して、気が休まらない」
「俺浮気なんてもう二度としないよ!」
「そんなの信じられるわけないじゃん! あんなに私のこと馬鹿にした態度ばっかりとってきたくせに……今更何よ。ちょっと寂しくなったからって、調子のいいことばっかり言わないで!」

 久しぶりにこんなに大声を出したかもしれない。
 一息で捲し立てた私は、思わずはあはあと肩で息をする。
 
 壁の薄いアパートではさぞ迷惑だっただろう。

「俺……ごめん、帰るわ」

 健斗はぽつりとそう告げると、ゆっくりと布団から起き上がる。
 そして先ほどよりはマシになったものの、まだおぼつかない足取りで玄関へ向かい、外へと出て行ったのであった。
 

 
 
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