上 下
13 / 30

縋りつかれる日々

しおりを挟む
 案の定、それから毎日のように健斗は私のアパートを訪れるようになった。
 もはや一種のストーカーのようである。
 だが最初の時とは違い、無理に関係修復を迫るようなことはなくなった。

 基本私の方が不規則な仕事で帰りの時間がまちまちになるため、営業職の彼の仕事のリズムとは合わないのだろう。
 定期的にドアノブにかけられているスイーツなどの紙袋。
 そしてその中には毎回律儀にメッセージが書かれた紙が入っていた。

 内容は『お疲れ様』などの簡単なものではあったが、彼の連絡先が書かれたメモも入っていた。
 しかし私はそれに対して何もアクションを起こしてはいない。
 彼と再びつながりを持ってしまってはいけないと、私の中の本能が教えてくれているような気がしたのだ。

 今まで当たり前のように隣にいた私が突然いなくなったことで、勘違いしているだけだろう。
 今は私にこれほど執着しているが、どうせまた手に入った途端に手放すのだ。
 釣った魚にエサはやらないとは、まさにこのこと。
 長年彼と付き合ってきたからこそ、私にはわかる。

 彼女やセフレは今いないと話していたが、それだって本当のことかはわからない。
 たとえどこかで嘘をついていたとしても、今の私たちの関係では真実など知る由もないのだ。

 ◇

「沙良!」

 そんな日々を過ごしながら、健斗との再会から一週間を過ぎたある日のこと。
 いつもより早めに仕事を終えてアパートへと帰ると、部屋の前にはあの日と同じようにスーツ姿でたたずむ健斗の姿があった。

 彼は私の姿を視界にとらえると、ぱっと笑いながらもたれかかっていたドアから離れる。

「……何? ねえ、まさか毎日こうやってここにいるの? ご近所さんに変な目で見られるからやめてよ」
「まさか。さすがに毎日待ってたらキモイだろ。今日は俺も仕事速く終わったから、会えたらいいなーと思って」

 果たしてその言葉は本当なのだろうか。
 毎日ドアノブにプレゼントがかけられていることから、少なくとも毎日このアパートへ訪れていることは間違いない。

「なあ沙良……なんで連絡くれないの? 俺の連絡先、渡したよね……?」

 そう言いながらじいっと私の方を見る健斗の顔は、薄ら赤らんでいる。

「連絡する必要がないから」
「っ……沙良、お願いだよ。せめて連絡先だけでも!」
「無理、帰ってくれる?」

 私は健斗の縋るような視線を避けて、玄関ドアの前に割り込む。
 だがそのまま鍵を開けて中に入ることは憚られたので、ちら、と後ろを確認した。
 
「沙良、待ってっ……」

 するとその時。
 私の元へ駆け寄ろうとした健斗が、大きく前のめりになった。

「……え、ちょっと!?」

 健斗は私にもたれかかって全体重をかけてきた。
 だがそこに甘い雰囲気などはなく、彼はどうやらバランスを崩して倒れそうになってしまったらしい。

 なぜか彼の顔が埋められた私の肩口からは、はあはあと荒い呼吸が漏れている。
 そして触れ合っているところがどうしようもなく熱い。

「……もしかして体調悪い?」
「……ん……」

 先ほど彼の顔が赤らんでいると思ったのは、照れ隠しではなく熱が出ていたせいだったのだと気づく。

「ごめん、ほんと……俺今日は帰るわ」

 そう言って私から離れて立ちあがろうとすると、その姿はフラフラとしていて心もとない。

 (どうする……? このまま帰らせて大丈夫かな……? いやでもなんで私がそんなこと。勝手に健斗が来てるだけなのに)

 私の頭の中で結論の出ない問いが延々と駆け巡る。
 そうしているうちにも、健斗は私に背を向けて手すりにしがみつきながらフラフラと歩き始めている。

「……うちで寝ていきなよ。風邪薬あるから」

 気付けばそんな言葉が口をついて出ていた。
 健斗は怠そうに目を閉じており、私の必死の提案に軽く頷く。

 (ああ、馬鹿だな私。でも健斗のことが心配だからじゃない。あのまま帰らせて、倒れられる方が気分悪いから……)

 なんて理由を並べて自分自身の決断を必死に正当化させた。
 私は健斗を抱えるようにして部屋の鍵をあけると、ドアを開けて中へと入ったのである。


 ◇

「……沙良、ごめん。本当にありがとう」

 あれからぐったりとした健斗に無理矢理風邪薬を飲ませると、よほど体がしんどかったのか彼はそのまま2時間ほど眠り続けた。

 そして目を覚ました彼は、目に入ってくる見慣れぬ景色に一瞬目を見開いた後、申し訳なさそうに謝罪したのである。

「あのまま道端で倒れられたらみんなの迷惑になるでしょ」

 間違ってはいない。
 私はなんでもないふりを装うために、彼に背を向けて洗濯物を畳みながら努めて冷静にそう告げる。

「そのまま見捨ててくれてよかったのに」
「え……?」

 ふいに返された予想外の言葉に、私は思わず作業の手を止める。
 健斗の方を向くと、彼はぼうっと天井を見上げていた。

「俺、お前が具合悪い時、ほったらかして遊んでた……」
「……うん、そうだったね」

 あれは別れる二ヶ月ほど前のことだっただろうか。
 私は健斗と約束していた日に熱を出してしまい、寝込んでいた。
 一人暮らしであったため心細く、本心を言えば健斗にそばにいてほしかったのだ。

 しかし約束の時間に私の部屋へとやってきた健斗は、布団の中で朦朧としている私を見て一言こう言ったのだ。

『風邪? 俺ちょっと出てくるわ』

『大丈夫?』や『お大事に』の言葉など何もない。
 看病などもってのほかだ。
 彼は本当にそのまま帰って行ってしまったのだ。

 パタン、と虚しく響いたドアの閉まる音は今でも忘れることができない。
 ボロボロと布団のなかで泣いていたことを、私は今まるで昨日のことのように思い出した。

 忘れようと必死に蓋をしていた辛い記憶たちが、引きずられて姿を表す。

「あの時の俺は本当に馬鹿だったよ。沙良と向き合うのが怖くて、沙良のことおざなりにしてた」

 薬が効いたのか、彼の口調は息を荒げていた先ほどのようなものではなくなり、打って変わって落ち着いたものとなっていた。

「だからこんな俺なんて、看病しなくてよかったのに……どうして……」

 最後の言葉が震えている。

 (まさか、泣いてるの……?)

 恐る恐る再び彼に目をやると、健斗は指で眉間押さえて必死に泣くことを我慢しているように見えた。

「沙良、俺やっぱりお前が好きだ。いなくなって初めて気づくなんて遅すぎるよな。ごめん……」

 しん……と静まり返った部屋には、隠しきれない彼の嗚咽だけが響きわたる。

「俺頭おかしいくらいに沙良のこと好きだ。沙良がいないと生きていけない、息も吸えない」

 いやさすがにそれはないだろうと思いながらも、私は黙って彼の言葉を聞いていた。

 二年の月日を経て、少しは健斗なりに反省をしたのかもしれない。
 やつれた見た目からも、再会してから彼が話していたことは事実なのだろう。

 だがそれでも私の中に健斗とやり直すと言う選択肢は生まれてはくれなかった。

「……体調、落ち着いたら帰ってくれる? さすがに泊まるのはナシだよ」

 しばらく続いた沈黙の後、私の口から出た言葉はこれだけだった。
 健斗は相変わらず天井を見つめたまま、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。

「沙良にとって、俺はもうなしなの?」

 その声はいつになく弱々しい。

「……なしだよ。より戻してもずっと前みたいに浮気の心配して、気が休まらない」
「俺浮気なんてもう二度としないよ!」
「そんなの信じられるわけないじゃん! あんなに私のこと馬鹿にした態度ばっかりとってきたくせに……今更何よ。ちょっと寂しくなったからって、調子のいいことばっかり言わないで!」

 久しぶりにこんなに大声を出したかもしれない。
 一息で捲し立てた私は、思わずはあはあと肩で息をする。
 
 壁の薄いアパートではさぞ迷惑だっただろう。

「俺……ごめん、帰るわ」

 健斗はぽつりとそう告げると、ゆっくりと布団から起き上がる。
 そして先ほどよりはマシになったものの、まだおぼつかない足取りで玄関へ向かい、外へと出て行ったのであった。
 

 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

処理中です...