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一度目の別れはあなたから

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「もうさ、お前のそういうのめんどくさいんだわ。別れて?」

 数えきれないほどの時間を過ごした慣れ親しんだ空間。
 ベッドの上に腰かけていた幼馴染で彼氏の健斗は、心底うんざりした声色でそう告げる。
 その表情は怖くて見ることができない。

「なんでそうなるの? 意味がわからない……」
「俺が誰と遊ぼうが沙良には関係ないだろ。お前に何の権利があって俺の交友関係に口出ししてくるわけ? お前は俺の母親なの?」
「私と一緒にいるのに、いつも途中で他の女の子のこと優先するのっておかしいよね? それに今日だって……それ何? 誰か部屋に呼んだの!?」

 叫ぶようにそう告げた私の目線の先には、女物のピアスが置いてあった。
 明らかに目につくような場所へ置いてあるそれは、相手の女からの挑発なのだろうか。

「うるさいんだけど。本当そういうのめんどくさい」
「彼女がいるのに部屋に女の子呼ぶって、それ浮気じゃないの!?」
「だったら何?」
「……え?」
「だったら何なの? 謝ればいいわけ?」

 目の前にいる人は一体誰なのだろうか。
 幼い頃から共に過ごしてきたかつての健斗はもういない。

「もう、いい……私帰る」

 いたたまれなくなった私は、床に置いてあったコートとカバンを手に持つと、玄関の方へと体を向けた。
 泣きそうな顔を見られたくなくて、うつむいたまま彼の横を通り過ぎようとする。

 そんな私の背後から、追い打ちをかけるような彼の一言が。

「なあ、別れて? もう俺も疲れたんだよね。お前といると息苦しいわ」
「……」
「じゃあそういうことで。また幼馴染に戻ろうぜ。またな沙良」

 私は健斗の言葉には何も返事をせずに、彼のアパートを後にした。
 ドアを開けた瞬間、身を切るような寒さが私を襲う。
 冷え切った心に突き刺さるような寒さが身に堪えた。

 そしてばたん、と静かにドアが閉まると、堰を切ったかのように涙が零れ落ちる。
 彼の前では必死に泣くことを我慢した。
 最後の最後で面倒な女だと思われたくはなかった。

 (終わっちゃった……)

 彼のために丁寧に巻いた髪も、ぐちゃぐちゃに崩れてしまっている。
 化粧もすっかり落ちてしまっただろう。

 自分の家路へ足を進める間、ひとしきり泣いた。
 やがて涙も枯れ果てたのか、少し気持ちが落ち着いた私は崩れ落ちるようにして家の玄関にしゃがみ込む。
 やっとの思いでヒールを脱ぎ捨てると、壁伝いにフラフラと部屋へ進み、目の前に置かれたベットにそのまま倒れこんだ。

 頭の中で先ほどの健斗とのやり取りが、走馬灯のように浮かぶ。
 今日は久しぶりに二人きりで過ごすはずだった。
 だが途中で健斗が女友達に呼び出され、そして彼もその誘いを断らなかったために喧嘩が勃発したのだ。
 さらに追い打ちをかけるように部屋へと置かれたピアスが、私の余裕をなくした。

 思えばとっくの前に終わっていたはずの関係を、私が無理やりつなぎとめていただけなのかもしれない。
 健斗とは高校生の頃から付き合い始めて、かれこれ四年の付き合いになる。

 今年大学四年生となった私たちは就職を控えていた。
 ちょうどよかったのかもしれない。
 新しい場所で心機一転、新生活を始めることができる。
 地元は見渡す限り健斗との思い出だらけで、胸が締め付けられるように苦しくなるのだ。

 それにしても、彼は一体どういうつもりで『またな』と言ったのだろうか。
 私の中ではもうすでに一つの決心を決めていた。
 それは、二度と健斗とは会わないということ。

 ありがたいことに、健斗と私は異なる大学へと通っており、偶然顔を合わせることは少ない。
 いつもは互いの一人暮らししている家を行き来していたが、もうそれも今日でお終いだ。
 家へ行くことをやめれば、健斗との接点は無くなる。
 
 私は自分の家に戻ると、スマホを取り出した。
 そして彼と一緒に撮った写真やメッセージの数々、連絡先を消していく。

 四年の間に増えた思い出はたくさんあって、それらを消去していくたびに、心なしかスマホが軽くなったような錯覚に陥った。
 そんなこと、あるわけないのに。

 時間をかけて積み上げてきたものを、一瞬でなかったことにするのは簡単だ。
 たった一本の指の動きで消し去られた思い出たちに対して、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 自分の部屋を見渡してみれば、いたるところに健斗の痕跡が残されていて。
 この空間にいる限り彼のことを吹っ切れる自信はない。

 次の日。
 段ボールを用意すると、その中へ健斗の私物を全て詰め込んでいく。
 歯ブラシや下着類などの日用品から、二人で写った思い出の写真が入れられた写真立て。
 さらにこれまで彼から贈られたアクセサリーも、全て返すことにした。

 彼との関係はきれいさっぱりなかったことにしたい。
 そのためには健斗からのプレゼントであるリングやピアスの存在は邪魔なのだ。
 だがなぜか自分の手で捨てることは憚られて、その処分を健斗に任せることにする。

 もしかしたら、最後のなけなしのプライドもあるのかもしれない。
 彼の手で捨てるなり売るなり、好きにしてくれればいい。

 季節は冬真っただ中で、大学の授業ももうほとんどなかった。
 元々卒業を機にこの家からは引っ越そうと思っていたのが、少し予定が早まるだけだ。
 実家から近いこの家を気に入っていたが、今はそのようなことを言っているような心境ではなかった。

 早々に新しい家を見つけよう。
 そして事情を話して、しばらくの間は実家に身を寄せることにする。

 幼馴染である健斗にはもちろん実家の場所も知られているのだが、ここ最近の彼の態度を知っている私の母親は、彼を私の部屋へと通すことはないだろう。

 (私、なんで健斗が会いに来る前提で考えてるんだろ……)

 別れを告げられたのは私の方で、彼が私に会いに来るわけがないのに。

 そんなことを考えながら段ボールをガムテープで封じていた時、テーブルの上に置いていたスマホが震えた。
 よいしょ、と重い腰を上げて立ち上がりスマホを手に取れば、見知らぬ番号からの着信である。
 
 それが健斗からのものであるという確証はない。
 だが彼の番号やメアドを全てブロックした今このタイミングでの着信は、私を身構えさせるには十分だ。

 私は手に取ったスマホを再びテーブルに戻し、そのまま画面を見つめ続ける。
 それはかなり長い間振動を続けていたが、やがて諦めたかのようにその動きを止めた。
 思わずため息がこぼれ、張り詰めた気持ちが緩む。

 しかしそれから数分後、再びスマホは見知らぬ番号からの着信を知らせる。

 やはりこれは健斗からの着信なのかもしれない。
 どういうつもりで連絡をよこしているのかはわからないが、どうせこの見知らぬ番号も女友達とやらのものだろう。

 その画面を見ているだけで、過去の苦い思い出達が蘇り吐き気を催してしまった私は、スマホの電源をそっと落とした。

 (明日、番号を変えに行こう)

 少し物が少なくなった部屋を横目で眺めながら、私はそう決意したのであった。
 
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