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私と彼の八年間 11

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 だが俊はそんな私の足を再び引き止める。

「そう。別に私には関係ないから」
「葵がいなくなって気付いた。営業してた時の俺がいかに最低な男だったか。遅くなる連絡も無しに葵のこと夜遅くまで待たせて、手料理も何度も無駄にして……」
「もう、いいよ」
「仕事の付き合いだからって当たり前のように女の香水の匂いがついたスーツで帰っても、葵は何も言わなかった。休みの日も、俺はちっとも葵のことなんて構ってやらなかった。最低な彼氏だよな」
「もう、やめてっ……」

 思い出したくなかった辛い記憶が蘇る。
 俊の大好物を作って待っていた彼の誕生日、結局その想いが報われることはなかった。
 冷え切った料理たちを皿に移し替えてラップをした時の虚しさは、二度と忘れることはできない。

 付き合ってからの七回目の私の誕生日、一言おめでとうの言葉が聞きたくて夜遅くまで待っていた。
 もしかしたら何かケーキでもあるかもしれない、なんて抱いた淡い期待は呆気なく打ち砕かれる。

 全身から甘ったるい香水の香りを漂わせて俊が帰宅したのは、とうに日付が切り替わった頃。
 私の誕生日はもはや終わっていた。
 それでも笑って彼を出迎えたが、そんな私を見て俊が告げたのはたった一言。

『まだ起きてたの?』

 そしてそのままシャワーを浴びてリビングで寝てしまった俊の姿を見て、私は一人寝室で声を押し殺して泣いた。
 次の日スーツから出てきた名刺は、ビリビリに破ってゴミ箱へ捨てた。

 そんな日々を繰り返すうちに、私の心は剥がれていったのかもしれない。
 いつしか感情が鈍くなり、俊への恋心も薄らいでいった。
 というよりも、無理やり自分で蓋をしたという言い方の方が正しいだろう。
 そうしないと私は崩れてしまいそうだったから、自分で自分を守るために無意識にそうしていたのだと思う。


「俺は葵に甘えてたんだ。葵が隣にいるのが当たり前だと勘違いしてた……」

 泣き腫らして赤くなった目元を隠すことなく、俊は私の方をまっすぐ見つめる。
 なんとなく彼と視線を合わせることはできなくて、私はそっと顔を横に向けた。

「異動願いを出して、営業部から異動になった。新しい部署は飲み会も残業もかなり少なくなる。これからは俺も家事やるし、休みの日は葵のために時間を使いたい。だから……戻ってきてくれないか……」

 だんだんと声が小さくなり、最後の方は掠れ声で囁くように告げた俊は、以前よりひと回り小さく見えた。

「私、俊のこと前みたいに好きじゃないんだよ? 嫌いではないけど、本当になんとも思ってない。将来のことも考えられないし、一緒にいたって時間の無駄だと思う」
「それでもいい。葵が一緒にいてくれるなら、葵とまた暮らせるなら、それでいい。お前と何の繋がりもなくなるなんて、耐えられない……」

 顔を片手で覆った俊の口からは嗚咽が漏れる。

「俺、葵がいないと生きていけないから」
「……それも脅しだよ……」
「でも本気だから。お前がいないなら何のために仕事して生きていくのかもわからない。こんなになってやっと気づくなんて、馬鹿だよな。本当にごめん葵……」

 静まり返った部屋には彼の嗚咽だけが響き渡っていて、私はそんな彼をどこか他人事のように見つめていたのだった。
 
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