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私と彼の八年間 3
しおりを挟む「ねえ、結婚とか……考えたことある?」
あれは去年のことだろうか。
一度だけ、私は俊にこう尋ねたことがあった。
「いや、今の生活に満足してるし忙しい時期だから、まだ別にいいかなと思ってる」
俊はスマホをいじりながら、その目線を一切上げることなく淡々とこう告げた。
「そっか」
「何? 結婚したいの?」
「……長く付き合ってるし、どうかなと思っただけだよ」
「まだ早くね? 俺ら二十五だぜ? 今どき三十過ぎとかで全然問題無いだろ」
「そう……そうだよね」
あと五年経って私たちが三十歳になったとき、果たして彼は本当に私と結婚するだろうか。
恐らくその可能性はないだろうと悟ったのは、そのときである。
今ですら俊にとって私は、もはや都合のいい家事要員なのだ。
付き合った最初の頃はあれほどしていたセックスも、今では月に一度あるかないかの義務的なものだけ。
もしかしたら彼には他にも相手がいるのかもしれないし、知らないうちに二番目になっているのは私の方なのかもしれない。
俊から別の女性の影を直接感じたことはなかったが、そんなことを疑ってしまうほど私たちの仲は冷え切っていた。
三十歳になって俊と結婚できなかったとき、私は笑ってその事実を受け入れることができるのだろうか。
結婚が全てではないことはわかっているつもりだが、そうはいっても好きな相手と結婚して永遠の愛を誓うというのは、女性ならば憧れて当然ではなかろうか。
——私には、このままでいるのは無理だ。
俊の返事に対して、私は咄嗟にそう思った。
彼と別れなければ自分が苦しむだけであると、この頃からわかっていたのだと思う。
だが高校三年生から抱き続けた俊への思いは、そう簡単に彼を諦めさせてはくれなかった。
せめてあと一年。結婚までは行かずとも、彼との関係が改善するならば……
そんなことを微かに期待していた去年の私を笑ってやりたい。
彼は全く変わらなかったし、むしろ二人の距離はより一層開いたかのように感じた。
その間に私の彼への想いは急速に失われて行き、今ではほんの少しの情と惰性で同棲を続けているようなものだ。
そして今、私はようやく彼との関係を終わらせるべく動きはじめようとしている。
同棲しているこの部屋を出て、新しいアパートを借りて一人暮らしをしよう。
休日に俊と出かけることがなくなった私はお金を使う機会がほとんどなく、引っ越し費用ならばなんなく工面できるほどの貯金もある。
もう十年近く私の人生には俊がいたのだ。
きっと別れを告げた直後は恐らくポッカリと穴が空いたような感覚に陥るだろうが、すぐにその穴も塞がるだろう。
むしろ別れを後回しにすればするほどその穴も大きくなっていくことはわかっている。
ちょうどいい、今が潮時なのだ。
そう決めた私はスマホの電源を落とした。
また指がいつもの癖を思い出してしまう前に。
俊は恐らくまだ帰ってこないだろう。
最低限の荷物だけまとめてとりあえず一旦部屋を出てから、メールで別れを告げることにした。
もうこの部屋にいたくなかったという方が正しいのかもしれない。
この部屋にいればいるほど、一人で過ごした惨めな時間を思い出してしまうのだから。
私は慣れた手つきで身支度を整える。
朝に施したメイクは少し崩れかかっていたが、緩く巻いた髪はまだ朝の状態を維持している。
地味で目立たない高校生だった私も、大学に入り社会に揉まれてそれなりに大人の女性になったのだと思う。
なぜか昂った気持ちを落ち着けるために、私は丁寧にメイクを直して濃い口紅を付けた。
鏡に映るのはもうあの頃の地味な私ではない。
意志を持った自立した大人の女性なのだ。
それと同時に、俊に恋していたあの時の私もいつのまにか失われてしまったのだと実感した。
カバンの中には当面の着替えと財布、そしてスマホだけ。
後は必要なものは適当に買い揃えればいい。
そう思ってカバンを肩にかけ、ガチャリと鍵を回してドアを開けると、そこには思いがけない人の姿があった。
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