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「はい、水」
「……ありがとう」

  それから私達は静まり返った夜の海沿いの公園へとたどり着き。
 拓真は自販機で水を買って私に手渡すと、先にベンチに腰掛けていた私の隣に座った。

 途端に香るタバコの苦い匂い。
 付き合っていた時の彼からは想像もつかない香りである。

「タバコ、吸うんだ」
「そんな吸わないけど、ストレス発散に。ごめん、臭かった?」
「別に」

 その香りは私たちの間に流れた月日の長さを物語っていた。

 私はペットボトルの蓋を開けて水を流し込む。
 お酒で火照っていた体が冷たい水で冷やされるようで、気持ちいい。

「なんか大人になったんだなぁって。もうすぐ社会人だもんね」
「凛は就職決まった?」
「うん、決まった。と言っても普通のOLだけどね」
「場所は?」
「都内だよ。今一人暮らししてるところからそのまま通えそうだから、ひと安心」
「俺も、就職先都内だよ。同じく普通の会社員だけど」
「そっか。お互いおめでとうだね」

 そこまで話すと、私たちの間に沈黙が走った。
 本当ならあの時のことを話すべきなのに、不自然なほどにお互いその話題を避けている。

 正直私はそれでいいと思い始めていた。
 このまま後腐れなくさよならすれば、私の心の中に残っていたモヤモヤも消えてなくなるはず。

「なあ、凛」

 そんな沈黙を先に破ったのは拓真だった。
 水のペットボトルを手のひらで挟み転がすようにしながら、思い詰めたような様子で話し続ける。

「なんであの時急に俺のこと振ったの?」

 あまりに単刀直入な拓真の問いかけに、私の喉がヒュウッと音を立てる。

「それは……」
「俺、マジで浮気とかしてないし、凛のことしか見てなかった。なのに急にあんなこと言われて、すげーショックで……」
「ごめん」

 私が謝ることはないだろうと思うのだが、咄嗟に口をついて出た言葉は謝罪の言葉であった。

「理由教えて。俺いまだに納得できてない」
「……高校三年の三学期に教室で……」

 観念した私は、あの日自分が見たことの一部始終を話した。
 嫌な思い出に昔の傷が抉られるような感覚に陥りそうになる。

 だが話し終えてしばらくしても、拓真は口を開こうとしなかった。

「話したかったのはそれ? ならもうこれで満足でしょ。私帰るから」

 そう言ってベンチから立ち上がった私の手首を拓真は強い力で掴むと、グイッと引っ張る。
 そのせいで私は再びベンチに腰掛けるような形になってしまった。

「もう、痛いんだけど。何なのさっきから」
「お前があれ聞いてたとは思わなかった……ごめん」
「べ、別にもういいって。気にしてないし」

 本当は嘘。
 大学に入ってからもふとした時にあの時のことを思い出しては自己嫌悪に陥っていた。

「私も、今考えればちゃんと拓真に伝えれば良かった。直接言われるのが怖くて、逃げちゃったんだ」

 面倒くさい女だと思われたらどうしよう、直接彼に振られてしまったらどうしようという思いが私の心を支配した結果、私は拓真と向き合うことから逃げたのだ。

「だからさ、もう気にしないで。あれから三年? 四年? 近く経つんだしお互いスッキリして前に進もう」
「あれ、本気じゃないんだ」
「……え?」
「本当は凛にぞっこんだったよ。何なら今すぐにでも結婚したいと思ってたくらいに凛に夢中だった。だけどしょーもないあの年代の恥ずかしさというか……ちょっとカッコつけたくなってあんな言い方したんだ。まさか凛に聞かれてるとは思わなくて……」

 本当にごめん、と拓真は頭を下げた。
 誰もいない公園の静けさと、ときおり吹く海風が身に沁みる。

「でも私と別れた後、すぐ彼女できたよね」

 そう。拓真は一ヶ月経たないうちに新しい彼女を作ったのだ。
 それが何よりあの時の言葉が真実であるということを表しているのではないか。
 すると彼は苦々しげな表情を浮かべる。

「……一週間だけな」
「は?」
「お前に振られたのがムカついて悔しくてヤケクソになった。腹いせに新しい彼女作ってお前に後悔させてやるって、女々しいよなほんと」
「でもなんで一週間……」
「勃たなかったから」
「た、勃たな……?」
「セックスできなかった。お前と別れてから俺誰にも勃たないんだよね」

 ものすごいパワーワードを拓真は至って真面目な顔で淡々と告げていく。

「それで、あー俺にはやっぱり凛しか無理だわって思って、馬鹿なことしたなってわかったからすぐ別れた。相手の子には申し訳ないことしたと思う」
「そ、そう……」
「別れた後、何としてでも凛にアプローチしようと思ったらお前は新庄と付き合い始めてたし……すぐ別れると思ったんだよ。そしたら意外と長く続いてて、凛は俺じゃなくても付き合えるのか、セックスできるのかって」

 よくわからない拓真の主張に、私は返す言葉が見つからない。
 そんなくだらない理由で私はあのとき苦しめられたというのか。
 私は拓真と別れたからと言って、腹いせで新庄と付き合ったわけではない。
 当時の拓真の考えに唖然とする。
 それとも高校生の男子の恋愛など、こんなものなのだろうか。

「結局大学入ってからもお前に連絡はつかないし、高校卒業したから全然会えなくなったし。母親に聞いてもお前のことだけ何も教えてくれなくてさ」
「おばさんは私に気を遣ってくれたんだと思う……」
「だろうな。俺の母親、凛のこと気に入ってたし」

 拓真はそういうとお尻のポケットからタバコを取り出して火をつけようとした。

「やめて、タバコ。……本当は好きじゃない」
「……悪い」

 彼は私の要望に素直に従い、大人しくタバコをポケットへと戻した。
 先ほどからの拓真の様子を見て、恐らく気持ちが落ち着かないのだろうということはわかった。
 その緊張を和らげるためにタバコを吸おうとしたのだということも。

「同窓会の連絡来た時、正直めっちゃ嬉しかったよ。チャンスじゃんって思った」
「そう……」
「バイトで遅れたのは予想外だったけど……三年ぶりに凛のこと見て、息が止まるかと思った。何なんだよお前……そんな綺麗になって」

 拓真は瞳を揺らしながら顔を歪める。
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