婚約者がいるのに、好きになってはいけない人を好きになりました。

桜百合

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 突然現れた謎の美丈夫の馬に乗せられたルーシーは、そのままの勢いで森を駆け抜ける。

 「この森は危険だ。俺に掴まっていろよ。森を抜ければとりあえず安心だからな。それまでの辛抱だ」

 男は器用に馬を操りながらそう告げた。

 ルーシーは言われるがままに後ろから男にしがみつき、猛スピードで駆ける馬から振り落とされないようにする。
 ふと思い出されるのは馴染みの御者の顔。

 「ジョルジュ、ジョルジュが……」

 「ジョルジュとは、御者の事か?残念だが、先程の男にやられてしまっていた」

 「やはり……そんな……」

 幼い頃から慣れ親しんでいた御者の死は、ルーシーに大きな悲しみをもたらした。
 それと共に自分が巻き込まれた事の次第の大きさを実感し、改めて自分の命が助かったことは奇跡なのだと痛感した。



 ーーどのくらい走ったであろうか。
 真っ暗だった景色はポツポツと家の灯りが見えるようになっていた。
 ルーシーは、ひとまず危険は脱したのだと悟る。

 「さてと、ここまでくれば大丈夫だろう。家まで送り届けてやる。御令嬢、お名前は? 」

 「……ルーシー……ルーシー・シルクよ」

 初対面の男性に名前を教えるなど、本来あってはならないことであり父が知ったら気絶してしまうだろう。
 だが下手をすれば命も危なかったかもしれない危険な場面から救い出してくれた命の恩人である。

 それに不思議とこの男に対しては恐怖心を感じなかった。

 男はルーシーの名前を聞くと少し眉間に皺を寄せたように見える。

 「シルクだって? まさか君の父親は……」

 「父はシルク公爵のマーク・シルクですわ」

 「ということは君はシルク公爵家の御令嬢か……参ったな。俺は……カイルだ」

 「下のお名前は何て仰いますの? その身なり……どこかの貴族でしょう? 隠してもわかりますわ 」

 男は漆黒のシャツに漆黒のズボンという服装をしていたが、洋服に使われている生地は上質な素材であるという事が一目でわかる。
 また、暗くてよく見えないが胸元にはいくつもの勲章が付けられている様子だ。

 ルーシーの問いかけに、男は苦々しい表情を浮かべて観念したかのようにこう言った。

 「……カイル・アルマニアだ」

 ルーシーはハッと息を呑む。
 噂のアルマニア公爵家の令息ではないか。

 「ではアルマニア公爵家の……」

 「そうだ。俺が跡取りだ。アデール国の騎士団長も勤めている。その顔だと、公爵家と王家のいざこざについても知ってそうだな」

 騎士団長とは。
 もっと歳を重ねた男性が任務を行うイメージであったが、目の前のカイルはルーシーよりも少し年上と言った所だろうか。

 だがあの身のこなしと戦闘能力にも納得である。

 「なぜ貴方があのようなところに……? 」

 あの森は人通りは少なく、公爵家の者が行くようなところではない。

 「それは話すことはできない。すまないな、こちらにも色々事情があるんだ」

 さて、とカイルは続ける。

 「本当ならばしっかり屋敷の中まで送り届けてやりたいところだが、アルマニア公爵家の俺がシルク公爵令嬢を送り届けたとわかれば、大騒ぎになるだろう。申し訳ないが門の前で我慢してくれ」

 「いいえ、むしろ命を助けていただいた恩人ですのに……そのような形で大したお詫びもできない事をお許しください」

 カイルはその言葉通りシルク公爵家の門前までくると、手を差し伸べてルーシーを馬から下ろす。
 ただそれだけの動作にも紳士的な思いやりが見受けられ、ルーシーの鼓動は速くなる。

 「まさか門の前とは言えシルク公爵家の屋敷に来るとはな」

 カイルは苦笑しながら言った。

 きっと二度とカイルがこの屋敷を訪れることはないだろう。

 「ここからは一人で行けるか? ああ、その上着はそのまま羽織っていくが良い」

 「はい、大丈夫ですわ。本当にありがとうございます……」

 ここでカイルとはお別れなのだと思うと、なぜか胸がチクリと痛む。
 だがこれ以上引き止める理由も無い。
 シルク公爵家は王家派だ。
 王家と対立しているアルマニア公爵家の嫡男とは関わる事もないだろう。

 「気を付けて」

 「はい、カイル様もお気を付けて。本当にありがとうございました」

 ルーシーは屋敷の入り口に向けて歩いていくが、ふと立ち止まり後ろを振り返るとこちらを見つめるカイルの姿が。

 ルーシーが屋敷の玄関に入るまで見届けるつもりなのだろう。
 彼に向けて再度ペコリと会釈すると、ルーシーはカイルに背を向けて屋敷へと向かっていったのだった。
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