12 / 39
第1章
近づく距離①
しおりを挟む
「カリーナ様、本日のご予定ですが、外出の用意を整えておくようにとの事です」
朝、メアリーがカリーナの身支度を整えながら唐突にこう言った。
なるほど、だからいつもよりも髪型に気合いが入っているのか。
いつもは編み上げてまとめる長い黒髪は、緩々としたウェーブのハーフアップに仕上げられていた。
普段は控えめなメイクも、今日は心なしか気合いが入っているように感じる。
「お洋服ですが、本日は動きやすいドレスをお召しいただこうかと思うのですが、いかがでしょうか?」
そう言ってメアリーが差し出したドレスは、裾がフレアになっており確かに動きやすそうだ。
普段身につけるドレスは、体のラインにフィットするデザインのものが多いため、新鮮に感じる。
「そうね。これなら動きやすそう。特にこだわりはないから大丈夫よ」
メアリーに介助されながらドレスに袖を通す。
未だに鏡に映る自分が信じられない。
この数ヶ月で目まぐるしく変化する自らの環境に、カリーナの気持ちはついていけないことがある。
奴隷になる前の薄汚い姿も、奴隷となって屋敷中を掃除していた姿も、今の姿も全て自分である。
姿は変わっていっても、ずっと変わらないこと。
それは亡き両親達への想いと、元侯爵令嬢としての誇りだ。
奴隷として買われた公爵と、平穏な日々を過ごしていることに申し訳なさを感じる時もある。
自分はどの道を進めば良いのか、答えは見つからない。
「おいカリーナ、支度はできたか?」
半刻程経った頃、ガチャリとドアが開きリンドが顔を覗かせた。
「やはり身なりを整えると、それなりに見えるな。これなら公爵家としても鼻が高い」
誉めているんだか、けなしているんだか。
相変わらず、いけすかない男である。
でも今日はお前ではなくカリーナと、名前で呼んでくれた。
たったそれだけのことで、少し胸がときめいたような気がして、そんな自分に驚く。
(バカね。勘違いだわ。突然のことで気が動転しただけよ)
「はい。お待たせして申し訳ございません」
何事もなかったかのようにふるまう。
「では参ろう。屋敷の下に馬車を用意してある。本来奴隷と同じ馬車に乗るなど言語道断だが、お前をあまり人目にさらしたくはないのだ。舞踏会が終わるまではな。よってお前には一緒に馬車に乗ってもらう。私の後ろからついて来い」
カリーナが返事をする前に、またもや公爵はスタスタと先を歩いて行ってしまった。
カリーナは慌てて後ろを追いかける。
「また、お前に戻ってしまったのね」
胸にチクリとした痛みを感じながらも、その痛みに気づかないフリをするカリーナであった。
リンドの選んだドレスはどれもこれも美しく、贅を凝らした作りである。
不思議なことに、カリーナによく似合うドレスの選び方をリンドは知っているらしい。
シルビア家の舞踏会で袖を通す1着で十分だというカリーナの声は聞かず、リンドは数着のドレスを購入した。
その全てが体のラインを強調するデザインであったことを、後にリンドは後悔することになるのだが。
「これでドレスは良いだろう。あとは装飾品だな」
仕立て屋を後にし、装飾品を取り扱う店へと馬車で向かう。
「お前の黒髪には、鮮やかな赤が似合うであろう。ルビーを用いた首飾りや耳飾りはどうだ」
今朝カリーナと呼んだきり、リンドの呼び方はすっかり元に戻ってしまった。
「私にはもったいないくらいですわ。ありがとうございます」
ただ……。
リンドはカリーナが一瞬見せた憂いの様な表情を見逃さなかった。
「いかがした。ルビーでは不満か? 」
片眉をピクリとあげ、カリーナの顔を見つめる。
「いえ……。奴隷の分際で申して良いことではないということはわかっております。ですが、どうしても舞踏会の日に身につけたい物があるのです」
エメラルドの首飾り。
バルサミアとの戦いで命を落とした母、アルシェ侯爵夫人の形見である。
「もしもの時は、これを売ってお金になさい。あなたは生きるのです」
命を落とす間際に、母はカリーナの手に首飾りを握らせてこう言った。
それが母の最期の言葉であった。
カリーナはどんなにひもじくとも、首飾りを売るような真似はしなかった。
奴隷としてバルサミアに連行されてからも、必死にこの首飾りだけは隠し通した。
他に隠し持っていた宝石は全て見つかり、没収されてしまったが、首飾りだけは奇跡的に残ったのである。
首飾りをつけていると、舞踏会でも自分の誇りを失わずに強くいられるような気がするのだ。
「そうか……亡き母の首飾りをか」
「奴隷として公爵家に雇われてからの五年間、隠し通していたことをお許しください」
カリーナは頭を下げる。
「いや、よいのだ。それしきのことで怒るような器の狭さではない」
リンドの瞳が揺れる。
「ただ……言いにくいことではあるが、エメラルドの首飾りをつけて舞踏会に参加することは許可できない」
リンドは苦々しくそう告げた。
「一体それは何故です? 首飾りが母の形見だと言うことは、私が口を開かなければ、誰にもわからないことです」
「それは、だな……」
リンドはモゴモゴと小声で何かを呟く。
「はっきりとおっしゃってくださらないと、わかりませんわ」
「……では、端的に話すと。バルサミアでは舞踏会で、将来を約束した男の瞳の色と同じ色の装飾品を身につける慣わしがある」
何を言っているのか全くわからない。
「と、申しますと?」
「そなたの母の形見である首飾りに使われるエメラルドは、私の瞳の色なのだ。その色をまとって舞踏会に参加することはすなわち……」
「……私がリンド様と恋人であるという事になってしまうのですね?」
「まあつまり、そういうことだ」
リンドはそう言って目線を逸らす。
カリーナの中で、なんとも言えない苦い気持ちが広がっていく。
ああ、また胸がチクリと痛む。
これは母の首飾りをつけることができない悔しさなのか。
それとも自分と恋仲にみられては困る、と言外に言われたことへの悲しみか。
カリーナは気づいてしまった。
自分が公爵に惹かれていたのだ、と言うことを。
朝、メアリーがカリーナの身支度を整えながら唐突にこう言った。
なるほど、だからいつもよりも髪型に気合いが入っているのか。
いつもは編み上げてまとめる長い黒髪は、緩々としたウェーブのハーフアップに仕上げられていた。
普段は控えめなメイクも、今日は心なしか気合いが入っているように感じる。
「お洋服ですが、本日は動きやすいドレスをお召しいただこうかと思うのですが、いかがでしょうか?」
そう言ってメアリーが差し出したドレスは、裾がフレアになっており確かに動きやすそうだ。
普段身につけるドレスは、体のラインにフィットするデザインのものが多いため、新鮮に感じる。
「そうね。これなら動きやすそう。特にこだわりはないから大丈夫よ」
メアリーに介助されながらドレスに袖を通す。
未だに鏡に映る自分が信じられない。
この数ヶ月で目まぐるしく変化する自らの環境に、カリーナの気持ちはついていけないことがある。
奴隷になる前の薄汚い姿も、奴隷となって屋敷中を掃除していた姿も、今の姿も全て自分である。
姿は変わっていっても、ずっと変わらないこと。
それは亡き両親達への想いと、元侯爵令嬢としての誇りだ。
奴隷として買われた公爵と、平穏な日々を過ごしていることに申し訳なさを感じる時もある。
自分はどの道を進めば良いのか、答えは見つからない。
「おいカリーナ、支度はできたか?」
半刻程経った頃、ガチャリとドアが開きリンドが顔を覗かせた。
「やはり身なりを整えると、それなりに見えるな。これなら公爵家としても鼻が高い」
誉めているんだか、けなしているんだか。
相変わらず、いけすかない男である。
でも今日はお前ではなくカリーナと、名前で呼んでくれた。
たったそれだけのことで、少し胸がときめいたような気がして、そんな自分に驚く。
(バカね。勘違いだわ。突然のことで気が動転しただけよ)
「はい。お待たせして申し訳ございません」
何事もなかったかのようにふるまう。
「では参ろう。屋敷の下に馬車を用意してある。本来奴隷と同じ馬車に乗るなど言語道断だが、お前をあまり人目にさらしたくはないのだ。舞踏会が終わるまではな。よってお前には一緒に馬車に乗ってもらう。私の後ろからついて来い」
カリーナが返事をする前に、またもや公爵はスタスタと先を歩いて行ってしまった。
カリーナは慌てて後ろを追いかける。
「また、お前に戻ってしまったのね」
胸にチクリとした痛みを感じながらも、その痛みに気づかないフリをするカリーナであった。
リンドの選んだドレスはどれもこれも美しく、贅を凝らした作りである。
不思議なことに、カリーナによく似合うドレスの選び方をリンドは知っているらしい。
シルビア家の舞踏会で袖を通す1着で十分だというカリーナの声は聞かず、リンドは数着のドレスを購入した。
その全てが体のラインを強調するデザインであったことを、後にリンドは後悔することになるのだが。
「これでドレスは良いだろう。あとは装飾品だな」
仕立て屋を後にし、装飾品を取り扱う店へと馬車で向かう。
「お前の黒髪には、鮮やかな赤が似合うであろう。ルビーを用いた首飾りや耳飾りはどうだ」
今朝カリーナと呼んだきり、リンドの呼び方はすっかり元に戻ってしまった。
「私にはもったいないくらいですわ。ありがとうございます」
ただ……。
リンドはカリーナが一瞬見せた憂いの様な表情を見逃さなかった。
「いかがした。ルビーでは不満か? 」
片眉をピクリとあげ、カリーナの顔を見つめる。
「いえ……。奴隷の分際で申して良いことではないということはわかっております。ですが、どうしても舞踏会の日に身につけたい物があるのです」
エメラルドの首飾り。
バルサミアとの戦いで命を落とした母、アルシェ侯爵夫人の形見である。
「もしもの時は、これを売ってお金になさい。あなたは生きるのです」
命を落とす間際に、母はカリーナの手に首飾りを握らせてこう言った。
それが母の最期の言葉であった。
カリーナはどんなにひもじくとも、首飾りを売るような真似はしなかった。
奴隷としてバルサミアに連行されてからも、必死にこの首飾りだけは隠し通した。
他に隠し持っていた宝石は全て見つかり、没収されてしまったが、首飾りだけは奇跡的に残ったのである。
首飾りをつけていると、舞踏会でも自分の誇りを失わずに強くいられるような気がするのだ。
「そうか……亡き母の首飾りをか」
「奴隷として公爵家に雇われてからの五年間、隠し通していたことをお許しください」
カリーナは頭を下げる。
「いや、よいのだ。それしきのことで怒るような器の狭さではない」
リンドの瞳が揺れる。
「ただ……言いにくいことではあるが、エメラルドの首飾りをつけて舞踏会に参加することは許可できない」
リンドは苦々しくそう告げた。
「一体それは何故です? 首飾りが母の形見だと言うことは、私が口を開かなければ、誰にもわからないことです」
「それは、だな……」
リンドはモゴモゴと小声で何かを呟く。
「はっきりとおっしゃってくださらないと、わかりませんわ」
「……では、端的に話すと。バルサミアでは舞踏会で、将来を約束した男の瞳の色と同じ色の装飾品を身につける慣わしがある」
何を言っているのか全くわからない。
「と、申しますと?」
「そなたの母の形見である首飾りに使われるエメラルドは、私の瞳の色なのだ。その色をまとって舞踏会に参加することはすなわち……」
「……私がリンド様と恋人であるという事になってしまうのですね?」
「まあつまり、そういうことだ」
リンドはそう言って目線を逸らす。
カリーナの中で、なんとも言えない苦い気持ちが広がっていく。
ああ、また胸がチクリと痛む。
これは母の首飾りをつけることができない悔しさなのか。
それとも自分と恋仲にみられては困る、と言外に言われたことへの悲しみか。
カリーナは気づいてしまった。
自分が公爵に惹かれていたのだ、と言うことを。
8
お気に入りに追加
484
あなたにおすすめの小説
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
人形となった王妃に、王の後悔と懺悔は届かない
望月 或
恋愛
「どちらかが“過ち”を犯した場合、相手の伴侶に“人”を損なう程の神の『呪い』が下されよう――」
ファローダ王国の国王と王妃が事故で急逝し、急遽王太子であるリオーシュが王に即位する事となった。
まだ齢二十三の王を支える存在として早急に王妃を決める事となり、リオーシュは同い年のシルヴィス侯爵家の長女、エウロペアを指名する。
彼女はそれを承諾し、二人は若き王と王妃として助け合って支え合い、少しずつ絆を育んでいった。
そんなある日、エウロペアの妹のカトレーダが頻繁にリオーシュに会いに来るようになった。
仲睦まじい二人を遠目に眺め、心を痛めるエウロペア。
そして彼女は、リオーシュがカトレーダの肩を抱いて自分の部屋に入る姿を目撃してしまう。
神の『呪い』が発動し、エウロペアの中から、五感が、感情が、思考が次々と失われていく。
そして彼女は、動かぬ、物言わぬ“人形”となった――
※視点の切り替わりがあります。タイトルの後ろに◇は、??視点です。
※Rシーンがあるお話はタイトルの後ろに*を付けています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる