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第1章
近づく距離①
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「カリーナ様、本日のご予定ですが、外出の用意を整えておくようにとの事です」
朝、メアリーがカリーナの身支度を整えながら唐突にこう言った。
なるほど、だからいつもよりも髪型に気合いが入っているのか。
いつもは編み上げてまとめる長い黒髪は、緩々としたウェーブのハーフアップに仕上げられていた。
普段は控えめなメイクも、今日は心なしか気合いが入っているように感じる。
「お洋服ですが、本日は動きやすいドレスをお召しいただこうかと思うのですが、いかがでしょうか?」
そう言ってメアリーが差し出したドレスは、裾がフレアになっており確かに動きやすそうだ。
普段身につけるドレスは、体のラインにフィットするデザインのものが多いため、新鮮に感じる。
「そうね。これなら動きやすそう。特にこだわりはないから大丈夫よ」
メアリーに介助されながらドレスに袖を通す。
未だに鏡に映る自分が信じられない。
この数ヶ月で目まぐるしく変化する自らの環境に、カリーナの気持ちはついていけないことがある。
奴隷になる前の薄汚い姿も、奴隷となって屋敷中を掃除していた姿も、今の姿も全て自分である。
姿は変わっていっても、ずっと変わらないこと。
それは亡き両親達への想いと、元侯爵令嬢としての誇りだ。
奴隷として買われた公爵と、平穏な日々を過ごしていることに申し訳なさを感じる時もある。
自分はどの道を進めば良いのか、答えは見つからない。
「おいカリーナ、支度はできたか?」
半刻程経った頃、ガチャリとドアが開きリンドが顔を覗かせた。
「やはり身なりを整えると、それなりに見えるな。これなら公爵家としても鼻が高い」
誉めているんだか、けなしているんだか。
相変わらず、いけすかない男である。
でも今日はお前ではなくカリーナと、名前で呼んでくれた。
たったそれだけのことで、少し胸がときめいたような気がして、そんな自分に驚く。
(バカね。勘違いだわ。突然のことで気が動転しただけよ)
「はい。お待たせして申し訳ございません」
何事もなかったかのようにふるまう。
「では参ろう。屋敷の下に馬車を用意してある。本来奴隷と同じ馬車に乗るなど言語道断だが、お前をあまり人目にさらしたくはないのだ。舞踏会が終わるまではな。よってお前には一緒に馬車に乗ってもらう。私の後ろからついて来い」
カリーナが返事をする前に、またもや公爵はスタスタと先を歩いて行ってしまった。
カリーナは慌てて後ろを追いかける。
「また、お前に戻ってしまったのね」
胸にチクリとした痛みを感じながらも、その痛みに気づかないフリをするカリーナであった。
リンドの選んだドレスはどれもこれも美しく、贅を凝らした作りである。
不思議なことに、カリーナによく似合うドレスの選び方をリンドは知っているらしい。
シルビア家の舞踏会で袖を通す1着で十分だというカリーナの声は聞かず、リンドは数着のドレスを購入した。
その全てが体のラインを強調するデザインであったことを、後にリンドは後悔することになるのだが。
「これでドレスは良いだろう。あとは装飾品だな」
仕立て屋を後にし、装飾品を取り扱う店へと馬車で向かう。
「お前の黒髪には、鮮やかな赤が似合うであろう。ルビーを用いた首飾りや耳飾りはどうだ」
今朝カリーナと呼んだきり、リンドの呼び方はすっかり元に戻ってしまった。
「私にはもったいないくらいですわ。ありがとうございます」
ただ……。
リンドはカリーナが一瞬見せた憂いの様な表情を見逃さなかった。
「いかがした。ルビーでは不満か? 」
片眉をピクリとあげ、カリーナの顔を見つめる。
「いえ……。奴隷の分際で申して良いことではないということはわかっております。ですが、どうしても舞踏会の日に身につけたい物があるのです」
エメラルドの首飾り。
バルサミアとの戦いで命を落とした母、アルシェ侯爵夫人の形見である。
「もしもの時は、これを売ってお金になさい。あなたは生きるのです」
命を落とす間際に、母はカリーナの手に首飾りを握らせてこう言った。
それが母の最期の言葉であった。
カリーナはどんなにひもじくとも、首飾りを売るような真似はしなかった。
奴隷としてバルサミアに連行されてからも、必死にこの首飾りだけは隠し通した。
他に隠し持っていた宝石は全て見つかり、没収されてしまったが、首飾りだけは奇跡的に残ったのである。
首飾りをつけていると、舞踏会でも自分の誇りを失わずに強くいられるような気がするのだ。
「そうか……亡き母の首飾りをか」
「奴隷として公爵家に雇われてからの五年間、隠し通していたことをお許しください」
カリーナは頭を下げる。
「いや、よいのだ。それしきのことで怒るような器の狭さではない」
リンドの瞳が揺れる。
「ただ……言いにくいことではあるが、エメラルドの首飾りをつけて舞踏会に参加することは許可できない」
リンドは苦々しくそう告げた。
「一体それは何故です? 首飾りが母の形見だと言うことは、私が口を開かなければ、誰にもわからないことです」
「それは、だな……」
リンドはモゴモゴと小声で何かを呟く。
「はっきりとおっしゃってくださらないと、わかりませんわ」
「……では、端的に話すと。バルサミアでは舞踏会で、将来を約束した男の瞳の色と同じ色の装飾品を身につける慣わしがある」
何を言っているのか全くわからない。
「と、申しますと?」
「そなたの母の形見である首飾りに使われるエメラルドは、私の瞳の色なのだ。その色をまとって舞踏会に参加することはすなわち……」
「……私がリンド様と恋人であるという事になってしまうのですね?」
「まあつまり、そういうことだ」
リンドはそう言って目線を逸らす。
カリーナの中で、なんとも言えない苦い気持ちが広がっていく。
ああ、また胸がチクリと痛む。
これは母の首飾りをつけることができない悔しさなのか。
それとも自分と恋仲にみられては困る、と言外に言われたことへの悲しみか。
カリーナは気づいてしまった。
自分が公爵に惹かれていたのだ、と言うことを。
朝、メアリーがカリーナの身支度を整えながら唐突にこう言った。
なるほど、だからいつもよりも髪型に気合いが入っているのか。
いつもは編み上げてまとめる長い黒髪は、緩々としたウェーブのハーフアップに仕上げられていた。
普段は控えめなメイクも、今日は心なしか気合いが入っているように感じる。
「お洋服ですが、本日は動きやすいドレスをお召しいただこうかと思うのですが、いかがでしょうか?」
そう言ってメアリーが差し出したドレスは、裾がフレアになっており確かに動きやすそうだ。
普段身につけるドレスは、体のラインにフィットするデザインのものが多いため、新鮮に感じる。
「そうね。これなら動きやすそう。特にこだわりはないから大丈夫よ」
メアリーに介助されながらドレスに袖を通す。
未だに鏡に映る自分が信じられない。
この数ヶ月で目まぐるしく変化する自らの環境に、カリーナの気持ちはついていけないことがある。
奴隷になる前の薄汚い姿も、奴隷となって屋敷中を掃除していた姿も、今の姿も全て自分である。
姿は変わっていっても、ずっと変わらないこと。
それは亡き両親達への想いと、元侯爵令嬢としての誇りだ。
奴隷として買われた公爵と、平穏な日々を過ごしていることに申し訳なさを感じる時もある。
自分はどの道を進めば良いのか、答えは見つからない。
「おいカリーナ、支度はできたか?」
半刻程経った頃、ガチャリとドアが開きリンドが顔を覗かせた。
「やはり身なりを整えると、それなりに見えるな。これなら公爵家としても鼻が高い」
誉めているんだか、けなしているんだか。
相変わらず、いけすかない男である。
でも今日はお前ではなくカリーナと、名前で呼んでくれた。
たったそれだけのことで、少し胸がときめいたような気がして、そんな自分に驚く。
(バカね。勘違いだわ。突然のことで気が動転しただけよ)
「はい。お待たせして申し訳ございません」
何事もなかったかのようにふるまう。
「では参ろう。屋敷の下に馬車を用意してある。本来奴隷と同じ馬車に乗るなど言語道断だが、お前をあまり人目にさらしたくはないのだ。舞踏会が終わるまではな。よってお前には一緒に馬車に乗ってもらう。私の後ろからついて来い」
カリーナが返事をする前に、またもや公爵はスタスタと先を歩いて行ってしまった。
カリーナは慌てて後ろを追いかける。
「また、お前に戻ってしまったのね」
胸にチクリとした痛みを感じながらも、その痛みに気づかないフリをするカリーナであった。
リンドの選んだドレスはどれもこれも美しく、贅を凝らした作りである。
不思議なことに、カリーナによく似合うドレスの選び方をリンドは知っているらしい。
シルビア家の舞踏会で袖を通す1着で十分だというカリーナの声は聞かず、リンドは数着のドレスを購入した。
その全てが体のラインを強調するデザインであったことを、後にリンドは後悔することになるのだが。
「これでドレスは良いだろう。あとは装飾品だな」
仕立て屋を後にし、装飾品を取り扱う店へと馬車で向かう。
「お前の黒髪には、鮮やかな赤が似合うであろう。ルビーを用いた首飾りや耳飾りはどうだ」
今朝カリーナと呼んだきり、リンドの呼び方はすっかり元に戻ってしまった。
「私にはもったいないくらいですわ。ありがとうございます」
ただ……。
リンドはカリーナが一瞬見せた憂いの様な表情を見逃さなかった。
「いかがした。ルビーでは不満か? 」
片眉をピクリとあげ、カリーナの顔を見つめる。
「いえ……。奴隷の分際で申して良いことではないということはわかっております。ですが、どうしても舞踏会の日に身につけたい物があるのです」
エメラルドの首飾り。
バルサミアとの戦いで命を落とした母、アルシェ侯爵夫人の形見である。
「もしもの時は、これを売ってお金になさい。あなたは生きるのです」
命を落とす間際に、母はカリーナの手に首飾りを握らせてこう言った。
それが母の最期の言葉であった。
カリーナはどんなにひもじくとも、首飾りを売るような真似はしなかった。
奴隷としてバルサミアに連行されてからも、必死にこの首飾りだけは隠し通した。
他に隠し持っていた宝石は全て見つかり、没収されてしまったが、首飾りだけは奇跡的に残ったのである。
首飾りをつけていると、舞踏会でも自分の誇りを失わずに強くいられるような気がするのだ。
「そうか……亡き母の首飾りをか」
「奴隷として公爵家に雇われてからの五年間、隠し通していたことをお許しください」
カリーナは頭を下げる。
「いや、よいのだ。それしきのことで怒るような器の狭さではない」
リンドの瞳が揺れる。
「ただ……言いにくいことではあるが、エメラルドの首飾りをつけて舞踏会に参加することは許可できない」
リンドは苦々しくそう告げた。
「一体それは何故です? 首飾りが母の形見だと言うことは、私が口を開かなければ、誰にもわからないことです」
「それは、だな……」
リンドはモゴモゴと小声で何かを呟く。
「はっきりとおっしゃってくださらないと、わかりませんわ」
「……では、端的に話すと。バルサミアでは舞踏会で、将来を約束した男の瞳の色と同じ色の装飾品を身につける慣わしがある」
何を言っているのか全くわからない。
「と、申しますと?」
「そなたの母の形見である首飾りに使われるエメラルドは、私の瞳の色なのだ。その色をまとって舞踏会に参加することはすなわち……」
「……私がリンド様と恋人であるという事になってしまうのですね?」
「まあつまり、そういうことだ」
リンドはそう言って目線を逸らす。
カリーナの中で、なんとも言えない苦い気持ちが広がっていく。
ああ、また胸がチクリと痛む。
これは母の首飾りをつけることができない悔しさなのか。
それとも自分と恋仲にみられては困る、と言外に言われたことへの悲しみか。
カリーナは気づいてしまった。
自分が公爵に惹かれていたのだ、と言うことを。
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