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第1章
三大公爵家
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あれからカリーナは五年間ジルと共に暮らした部屋を出て、自分だけの部屋を与えられた。
そして公爵の言う通り、美容に確かな手腕を持つメアリーが専属女中として常に控えている。
さすがに侯爵令嬢であった時と同じとはいかないが、奴隷であった時の暮らしからするとかなりの変化だ。
「あんたがどんな立場になろうとも、ずっと友達でいてくれるわね?」
ジルとの部屋を出る日、いつもは勝ち気なジルが珍しく不安気だ。
「もちろんよ。アルハンブラから来た私と仲良くしてくれた御恩は、一生忘れない」
「カリーナ、頑張ってね」
二人は泣きながら抱き合って別れを惜しんだ。
とはいえ、部屋を出たといっても同じ屋敷暮らし。
給仕係であるジルは、時々カリーナの給仕も担当するようになった。
以前のように砕けた会話は表立ってはできないが、目配せをして二人でこっそり微笑むことが恒例になっている。
折を見てジルが持ってきてくれる洋菓子はカリーナの癒しだ。
そしてカリーナの方はと言うと、朝から晩まで貴族令嬢にふさわしいマナーや教養のレッスン。
侯爵令嬢としての教育は十三歳までしか受けていないため、まだまだ至らぬ点が多い。
そんなカリーナが一番得意なレッスンはダンスだ。
音楽に合わせてリズミカルにステップを踏んでいる間は、嫌なことを忘れられる。
舞踏会に出る上でもダンスは必要不可欠。
その分ダンスに割く時間も多い。
「本当にお上手ですよ。これならお相手の男性もあなたの魅力に引き込まれるでしょう」
その実力は講師のお墨付きである。
「ありがとうございます。ステップを踏んでいる時だけは、幸せな気持ちになれますわ」
と、その時ガチャリとドアが開き、ある人物が顔を出した。
「リンド様」
そう、我がシーベルト公爵家の主人であるリンドだ。
あの日の口付けから約ひと月。
まるで何事もなかったかのように、リンドは素知らぬ顔で接してくる。
ただ一つ変わったことは、その呼び方。
「公爵様ではなく、名前で呼ぶがいい。公爵様では呼ばれている気がしない」
さすがに呼び捨てはできないので、それ以降はリンド様とお呼びするようにしている。
彼はあの日の口付けをどう思っているのであろうか。
カリーナはあれ以来、今までのような憎しみや蔑みの気持ち以外の何かを封じ込めたまま、リンドと接している。
そんな彼女の気持ちをつゆ知らず、こうしてリンドがカリーナの元を訪れる理由はただ一つ。
いずれやってくる舞踏会に向けて、この国の貴族社会についての講義を行うためだ。
「今日はこの国の公爵家について話をしよう」
挨拶もそこそこに、リンドはドサリとソファに座り足を組む。
「バルサミア王国で一番上に立つ者は国王であるアレックス。知っているであろうが我が従兄弟である。」
国王に会ったことはないが、この国についての講義を受けるにつれて色々と話を聞くようになった。
非常に優秀でバルサミア国始まって以来の賢王だと。
「国王の下に続くのが、我がシーベルト公爵家を含む三大公爵家だ。我が家の他にエリクセル公爵家、シルビア公爵家がある。国王アレックス様は未だ結婚しておらず妻はいないが、婚約者候補に二人の令嬢が絞られている。大方この二人のどちらかで決定だろう。近々発表がある予定だ。それぞれ令嬢は公爵家出身で、確かエリクセル家のマリー嬢、シルビア家のルアナ嬢という名だったはずだ」
「シーベルト公爵家からは、婚約者候補を輩出しなかったのですか?」
バルサミア国では従兄弟同士の結婚も認められている。
前国王の姪であるリンドの妹が婚約者となってもおかしいことはない。
むしろ、王家一族と繋がりのあるシーベルト公爵家が、一番婚約者候補の座に近いのではないか。
「婚約者候補を選定している頃は、ちょうど我が父が急死した時であった。公爵家を引き継ぐだけで精一杯で私が右往左往していた時に、残りのニ家が勝手に話を進めていたのだ。まあ、国王の妃になって悪いことはあっても良いことはほとんどない。常に命を狙われ世継ぎの心配をされ、寿命が縮まるだけだ。」
なぜ彼が初めて出会った時のように冷酷な人物になってしまったのか。
リンドと接する機会が増えたことで、カリーナには何となくわかってきたような気がする。
それと共に、次第に彼に絆されてしまいつつある自分にも、気づいていた。
「エリクセル公爵家の当主であるジョージ様とシルビア公爵家のレオナルド様は犬猿の仲だ。エリクセル家は金融業で、シルビア家は貿易業で財を成している。表向きは親密そうに見えるが、裏を返してみると最悪だ。我が娘を王妃にと血眼の争いになっていてな。一戦を交えることにならないかと周囲の貴族達からも心配されている。まあそのようなことはアレックスが許さぬであろうがな」
どこの国でも結局は権力争いは無くならないのだ。
カリーナの祖国アルハンブラでも、国王の後継者争いに便乗して貴族同士の諍いが勃発していた。
国自体が滅ぼされてしまったため、そんな諍いは無駄となってしまったが。
「そこでだ。カリーナ、いよいよ私と行動を共にする時が来た。近々シルビア公爵家の屋敷にて、ルアナ嬢の成人を祝う舞踏会が開かれる。お前も私と一緒に参加するのだ」
奴隷の仕事は無くなったとはいえ、リンドにとってのカリーナの立場は未だ奴隷のまま。
カリーナに断る権利はない。
「かしこまりました」
「……嫌に素直だな。以前のように反抗しないのか? 」
「仕方ありません。私は敗戦国の者ですから断る権利はありません。そうリンド様が仰ったのではないですか」
「そうか……そうだったな」
リンド様は一瞬戸惑うような表情を浮かべた後、すぐに元の冷徹なお顔を取り戻した。
「舞踏会はひと月後の予定だ。それまでにドレスや装飾品を見繕いたい。近々時間が合う時に街へ出るぞ」
(……今、街に出るって言ったかしら? 私と、リンド様が一緒に?)
「いえ、あの、ドレスならお部屋を移動した際に頂いた数着の中からで十分ですわ。私のような者に勿体のうございます」
もらったドレスはカリーナの体型に合っているし、わざわざ買い直す必要はないり
それに、カリーナはリンドに気を遣われたり、何かを与えてもらったりする事が嫌だった。
なけなしのプライドだろうか。
喜んだ顔を見せて、施しを期待しているとも思われたくない。
一時よりはリンドとの距離が近くなってはきたものの、それでも気を許した訳ではないのだ。
「何を言っている。お前は公爵家の顔となるのだぞ。お前の身なりはこのシークベルト公爵家の威信に関わる。お前がなんと言おうとこれは決定事項だ。日時が決まり次第使いを寄越す。いいな」
カリーナが口を開く隙も与えず、リンドはずかずかとドアに向かって歩き、バタンと勢いよく扉を閉めて出て行った。
自分の事を名前で呼べというのなら、カリーナのことをお前と呼ぶこともやめてもらいたい。
「先が思いやられるわね」
ポツリと呟いたカリーナの独り言が、静まり返った部屋に響くのであった。
そして公爵の言う通り、美容に確かな手腕を持つメアリーが専属女中として常に控えている。
さすがに侯爵令嬢であった時と同じとはいかないが、奴隷であった時の暮らしからするとかなりの変化だ。
「あんたがどんな立場になろうとも、ずっと友達でいてくれるわね?」
ジルとの部屋を出る日、いつもは勝ち気なジルが珍しく不安気だ。
「もちろんよ。アルハンブラから来た私と仲良くしてくれた御恩は、一生忘れない」
「カリーナ、頑張ってね」
二人は泣きながら抱き合って別れを惜しんだ。
とはいえ、部屋を出たといっても同じ屋敷暮らし。
給仕係であるジルは、時々カリーナの給仕も担当するようになった。
以前のように砕けた会話は表立ってはできないが、目配せをして二人でこっそり微笑むことが恒例になっている。
折を見てジルが持ってきてくれる洋菓子はカリーナの癒しだ。
そしてカリーナの方はと言うと、朝から晩まで貴族令嬢にふさわしいマナーや教養のレッスン。
侯爵令嬢としての教育は十三歳までしか受けていないため、まだまだ至らぬ点が多い。
そんなカリーナが一番得意なレッスンはダンスだ。
音楽に合わせてリズミカルにステップを踏んでいる間は、嫌なことを忘れられる。
舞踏会に出る上でもダンスは必要不可欠。
その分ダンスに割く時間も多い。
「本当にお上手ですよ。これならお相手の男性もあなたの魅力に引き込まれるでしょう」
その実力は講師のお墨付きである。
「ありがとうございます。ステップを踏んでいる時だけは、幸せな気持ちになれますわ」
と、その時ガチャリとドアが開き、ある人物が顔を出した。
「リンド様」
そう、我がシーベルト公爵家の主人であるリンドだ。
あの日の口付けから約ひと月。
まるで何事もなかったかのように、リンドは素知らぬ顔で接してくる。
ただ一つ変わったことは、その呼び方。
「公爵様ではなく、名前で呼ぶがいい。公爵様では呼ばれている気がしない」
さすがに呼び捨てはできないので、それ以降はリンド様とお呼びするようにしている。
彼はあの日の口付けをどう思っているのであろうか。
カリーナはあれ以来、今までのような憎しみや蔑みの気持ち以外の何かを封じ込めたまま、リンドと接している。
そんな彼女の気持ちをつゆ知らず、こうしてリンドがカリーナの元を訪れる理由はただ一つ。
いずれやってくる舞踏会に向けて、この国の貴族社会についての講義を行うためだ。
「今日はこの国の公爵家について話をしよう」
挨拶もそこそこに、リンドはドサリとソファに座り足を組む。
「バルサミア王国で一番上に立つ者は国王であるアレックス。知っているであろうが我が従兄弟である。」
国王に会ったことはないが、この国についての講義を受けるにつれて色々と話を聞くようになった。
非常に優秀でバルサミア国始まって以来の賢王だと。
「国王の下に続くのが、我がシーベルト公爵家を含む三大公爵家だ。我が家の他にエリクセル公爵家、シルビア公爵家がある。国王アレックス様は未だ結婚しておらず妻はいないが、婚約者候補に二人の令嬢が絞られている。大方この二人のどちらかで決定だろう。近々発表がある予定だ。それぞれ令嬢は公爵家出身で、確かエリクセル家のマリー嬢、シルビア家のルアナ嬢という名だったはずだ」
「シーベルト公爵家からは、婚約者候補を輩出しなかったのですか?」
バルサミア国では従兄弟同士の結婚も認められている。
前国王の姪であるリンドの妹が婚約者となってもおかしいことはない。
むしろ、王家一族と繋がりのあるシーベルト公爵家が、一番婚約者候補の座に近いのではないか。
「婚約者候補を選定している頃は、ちょうど我が父が急死した時であった。公爵家を引き継ぐだけで精一杯で私が右往左往していた時に、残りのニ家が勝手に話を進めていたのだ。まあ、国王の妃になって悪いことはあっても良いことはほとんどない。常に命を狙われ世継ぎの心配をされ、寿命が縮まるだけだ。」
なぜ彼が初めて出会った時のように冷酷な人物になってしまったのか。
リンドと接する機会が増えたことで、カリーナには何となくわかってきたような気がする。
それと共に、次第に彼に絆されてしまいつつある自分にも、気づいていた。
「エリクセル公爵家の当主であるジョージ様とシルビア公爵家のレオナルド様は犬猿の仲だ。エリクセル家は金融業で、シルビア家は貿易業で財を成している。表向きは親密そうに見えるが、裏を返してみると最悪だ。我が娘を王妃にと血眼の争いになっていてな。一戦を交えることにならないかと周囲の貴族達からも心配されている。まあそのようなことはアレックスが許さぬであろうがな」
どこの国でも結局は権力争いは無くならないのだ。
カリーナの祖国アルハンブラでも、国王の後継者争いに便乗して貴族同士の諍いが勃発していた。
国自体が滅ぼされてしまったため、そんな諍いは無駄となってしまったが。
「そこでだ。カリーナ、いよいよ私と行動を共にする時が来た。近々シルビア公爵家の屋敷にて、ルアナ嬢の成人を祝う舞踏会が開かれる。お前も私と一緒に参加するのだ」
奴隷の仕事は無くなったとはいえ、リンドにとってのカリーナの立場は未だ奴隷のまま。
カリーナに断る権利はない。
「かしこまりました」
「……嫌に素直だな。以前のように反抗しないのか? 」
「仕方ありません。私は敗戦国の者ですから断る権利はありません。そうリンド様が仰ったのではないですか」
「そうか……そうだったな」
リンド様は一瞬戸惑うような表情を浮かべた後、すぐに元の冷徹なお顔を取り戻した。
「舞踏会はひと月後の予定だ。それまでにドレスや装飾品を見繕いたい。近々時間が合う時に街へ出るぞ」
(……今、街に出るって言ったかしら? 私と、リンド様が一緒に?)
「いえ、あの、ドレスならお部屋を移動した際に頂いた数着の中からで十分ですわ。私のような者に勿体のうございます」
もらったドレスはカリーナの体型に合っているし、わざわざ買い直す必要はないり
それに、カリーナはリンドに気を遣われたり、何かを与えてもらったりする事が嫌だった。
なけなしのプライドだろうか。
喜んだ顔を見せて、施しを期待しているとも思われたくない。
一時よりはリンドとの距離が近くなってはきたものの、それでも気を許した訳ではないのだ。
「何を言っている。お前は公爵家の顔となるのだぞ。お前の身なりはこのシークベルト公爵家の威信に関わる。お前がなんと言おうとこれは決定事項だ。日時が決まり次第使いを寄越す。いいな」
カリーナが口を開く隙も与えず、リンドはずかずかとドアに向かって歩き、バタンと勢いよく扉を閉めて出て行った。
自分の事を名前で呼べというのなら、カリーナのことをお前と呼ぶこともやめてもらいたい。
「先が思いやられるわね」
ポツリと呟いたカリーナの独り言が、静まり返った部屋に響くのであった。
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