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第一部 二人の絆 ~更科と森之助~
第九章 出産 ~再びの旅立ち~
しおりを挟む暗闇が近づいていた。
更科一行は、昨夜の宿とした、寺から出て歩き始めていた。
川沿いの土手道を歩いていた。
その一行を見つけた、農作業を終えて帰ろうとしていた老婆が声をかけてきた。
「お前さんたらあ、こんな時刻からどこへ行きなさるのかえ? こっからさきは当分なにもねえべさ」
「かたじけない。先を急いでいるもので」おまつ
「そうかえ? そったら大きなお腹で大丈夫け? 娘さん」
「ありがとうございます。大丈夫で御座います」更科が答えた。
顔を伏せ、一礼をした
「そうかえ。なら、気いつけてな」
しばらくして、また別の老婆と出会った。
「あんたら、何処へいきなさるね? こんな夜更けに?」
「ええ。南の方へ」
「南? こっから先は当分何もねえべ。そったら大きなお腹ではきついべ?」
「お気遣い、ありがとうございます。でも先を急ぎます故」おまつ
「そっかあ? でも、夜道はあぶねえ。川にでも落ちかねえぞ。今夜はおらさ家に寄ってけ? 何もねけど」
「ありがとうございます。お気持ちだけ頂いておきます」
一行は礼を述べて先を急いだ。
「この村の人達は、やさしい方ばかりですね」おまつ
「左様ですね。母様」お結
「我らが、戸隠から逃げ延びて来た時は、どの村も皆、見て見ぬふりをしました。誰も声を掛けてはくれませんでした。更科様しかおりませんでしたね。しかしこの村は皆、声を掛けてくれる。そして更科のお腹を見て気遣ってくれている。他の村とは違いますね?」おまつ
「ここは、相木の領地に入っておる」晴介
「相木に?」更科
「森之助の故郷の相木村だ」晴介
「森之助殿の生まれたところか?」更科
「ああ」晴介
「いつか、連れて来てくれと頼んだが、一緒にはこれなんだの」更科
「ただ、この子には見せてあげれたの」更科
「うう」
「更科。どうした?痛むのか?」お結
「更科様」おまつ
「いけません。近くに休めるところはありませんか?」
「おいらが探してくる」晴介
「頼む」お結
「大丈夫か? 更科」お琴
「ああ。大丈夫じゃ。少し休んだら、良くなった」
「今夜は、この辺りで野宿を致しましょう。幸い、少し暖かい夜で御座います故」おまつ
そこへ晴介が戻って来た。
「少し先に、岩穴がある。程よい大きさだ。そこで休もう」晴介
「そうか。それは良い。まいりましょう」おまつ
岩穴に着いた。
更科が苦しそうにしている。
「更科。痛むか?」お結
「少し、痛むが大丈夫だ」
「陣痛が始まったようです」おまつ
「ここでお産をしましょう」
「ここでか?」お結
「致し方ありません」
そこへ先程声を掛けてきた老婆がやってきた。
「陣痛が始まったようじゃの?」
先程の更科の様子を見て、お産が近いと感じていた為、後を追って来ていたのである。
しかも体格の良い男の村人二人を連れて来ていた。
「ほれ、この戸板に乗せて、城まで運べ」
「城? どこの城じゃ」晴介
「見上城じゃ」老婆
「見、見上城?」晴介
見上城 今は森之助の兄が城主となっている城だ。今は敵国である。
「参りましょう。お願い致します」おまつ
身分を隠し通す必要があるが、今はそれよりも更科の出産を優先しなくてはならぬ。
皆で、戸板に更科を乗せ、見上城まで運んだ。
老婆が出産に立ち会ってくれた。村で一番の産婆との事であった。
「ううっ。ううっ」更科の苦痛の声が響いた。
「がんばれ。更・・姉上」お結が名を呼ばずに姉上と呼んだ。
素性を明かすわけには行かなかった。
森之助の生まれた城。兄上夫婦の城だが、
今は敵方。気を許すわけにはいかなかった。
ただ、そんな中無事、出産を終える事が出来た。
「おぎゃー」赤ん坊の声が城中に響いた。
兄、頼房の妻、お直なおが様子を見に来ていた。
「男の子ですね。名を何と申すのですか?」
「甚次郎と名付けました」更科
「それは良い名前ですね」お直
※この森之助と更科の子が、後に尼子再興に尽力した尼子十勇士の山中鹿之助と伝承されている。
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で知られ「山陰の麒麟児」と称された。
しかし、山中鹿之助の生誕説にはいくつかの説があり、本当のところは解明されていない。
「此度の事。お助け頂き誠にありがとうございました。突然の事にも関わらず、このようにおもてなしを頂き、有難き幸せにございます」おまつ
「困っているときはお互い様です」お直
「ただ、関心はしませんね。臨月の娘を連れて夜中に出歩くとは」お直
「どこに行くつもりですか?」お直
「……南の方へ」おまつ
「……そうですか。まあ良いでしょう。それぞれ事情がありましょう。詮索はいたしません。但し、身体が落ち着くまでは、ここにいて下さいませね」
「有難きお言葉。甘えさせて頂きます」更科が答えた。
「ちょっと、こっちさに来い」助けてくれた老婆がおまつに声をかけた。老婆は、およりと言った。
少し離れた誰もいない場所で
「このたわけが。臨月の娘を夜に連れ歩くとは」おより
「申し訳ありません」おまつ
「何故じゃ?」
「急ぎの用がございまして……」
「あのお方はどこぞの姫か?」
「……」おまつ
「お主らの身なりを見ればわかる」
「……」おまつ
「そうか……」大体を悟っていた。その為、多くは聞かなかった。
「お助け頂き、本当にありがとうございました」
「三日は動かしてはならぬぞ」おより
「はい」 おまつは皆の暖かい言葉に涙があふれた。
見上城に、噂を聞いた村の子供達が集まってきていた。赤ん坊を見に来たのである。
お結、お琴が、その子供達に気が付いた。
「こっちに来い」お結が手招きした。
「わあ。かわいい。女の子じゃな?」
「男の子じゃ」更科が答えた。
「そうかあ。かわいいなあ」
その光景に、おまつ、お結、お琴、晴介は敵国の城にいるのを忘れていた。
また、子供達、村人が、容易に出入り出来る城、なんという信頼関係であろう。城主の人柄が、その関係性を物語っていた。
このような城で森之助は育ったのだ。
城の外の村人達では、噂が広がっていた。
「あげな、べっぴんさんおら見たことがねえべさ。どこかの姫君にちげえねえ」村人
「おらもだ。そう思う」
「村上に人質に出した森之助殿の嫁が、えらいべっぴんな姫さんと聞いたことがあるべ。もしかしたら森之助殿の嫁でねえか?」
「そら、ねえべ。なしてそげな姫が、この村に来る?」
「んだな」
「森之助殿を追ってきただか?もしかして?」
「そったら事、ばかげた事すっか?」
「んだ。正気の沙汰でねえべ」
晴介が道を調べに行って見上城に戻る道すがらに
二人の若者が声をかけてきた。
おより婆と一緒に岩穴に戸板を持ってきて運んでくれた百姓の若者二人だ。
二人とも体格は良く、太い腕、太い足腰である。力がありそうである。特に百姓らしくその指は汚れており特に太い指をしていた。
「教えてくれ。あれは森之助の妻の更科け?」
「……違う」晴介
「本当の事を教えてくれ。わしら、森之助の幼馴染じゃ」
「何?……」晴介
「うそじゃねえ。わしら孝之進と圭二郎と申す」
「森之助を追って、甲州まで行く気か?」
「……」晴介
「わしらも連れってくれ。わしらも森之助を助けてえ」
「わしらは、市兵衛様のお使いで躑躅か城館までの道を知っておる」
「それに、甲州では山賊が出るだ。女子ばかりではあぶねえ」
「何。それは本当か?」晴介
「……あっ? しもた」
「やっぱ。そうけ」孝之進
「間違えねえ」圭二郎
「よし。頼房殿に、頼みにいくべ」
「んだ」
二人が見上城へ走り出した。
「ちょっ。ちょっと待て。わしは何も言うておらぬぞ」
夕刻
更科一行は、急ぎ旅支度をして旅立とうとしていた。
日中の晴介の報告を聞いて素性がばれた為、急いで離れる必要があった。
「ささ。早う」おまつ
更科が甚次郎を抱えて、出ようとした時。
「待たれよ。更科殿」頼房が声をかけて来た。
森之助の実兄である。お直も一緒だ。
更科達は、片膝をついて頭を下げた。
「お面を上げられよ」頼房
そこへ、庭の袖からおより婆と、村人達も大勢集まって来た。
「森之助を助けに行く気か?」
「……」更科
「言えぬか?」
「館には父上がおる。父上が今取り計らっていてくれる。ここで待たれよ」頼房
「……」更科
「我らをお助けくださり、誠にありがとうございます。おかげで無事出産も出来、幸せの限りでございます」おまつが代わりに答えた。
「お礼も言わず、出て行こうとした事、誠に申し訳ございません。お許し下さいませ」お結
「更科殿。父上が信じられぬか?」
「ご子息を人質に出しておきながら、敵方に寝返るお方を信じろと?」まっすぐに頼房を見つめ、更科が答えた
厳しい言い方に、頼房は驚いた。なんと気性の激しい姫じゃ・・
「それには、訳があるのじゃ」
「どのような?」
「それは、今は言えぬが」
「……」更科
「この僅かな人数でどのように森之助を助けだすというのじゃ? 策でもあるのか?」
「今はございません」更科
「策も無しに? 正面からでも攻め込むつもりか? 笑止。何百人館におるとおもうておる?」
更科始め、皆、迷いなき目を見つめ・・
死を覚悟した者の目と感じた。
「引き留めても無駄の用じゃの」
「では、せめてその子だけでも置いてゆかれよ。赤子が追っては、足でまといであろう。この城で預かっておこう」
思いもよらぬ頼房の提案にとまどった。
甚次郎を固く抱きしめた。
「……」更科
「わしも信じられぬか?」
「では、この村人達はどうじゃ?」
「この村人達の前で誓おう。大事に預かっておく。約束する」
「幸い、村には赤子を生んだばかりの娘が何人か居る。乳を与える事が出来る」
「……」更科 甚次郎をさらにぎゅっと抱いた。
「わしらが責任持って預かるけに」おより婆が言った。
「そうだ、わしらが大事に育てるだに」村人
ポンとおまつが更科の背中をたたいた。
このお方や村人達は信じて良いと皆、感じていたのである。
更科が、肩紐をほどき、甚次郎を両腕で差し出した。
「おお」頼房
「義兄上様に、ひとつお願いがございます」
「おお、なんじゃ」
「このおまつも、甚次郎の世話役としてお預かり願いとうございます」
「更科様?」おまつ
更科がおまつの袖口にそっと森之助の短刀を隠し入れた。
おまつは察した。いざというときは……
「おお。それは良い考えじゃ」
「では、こちらからも頼み事がある」
「頼みとは?」更科
「そこにおる、孝之進と圭二郎じゃ。躑躅ケ城館まで道案内をしたいと願い出て来ておる。願いを聞いてもらえぬか?」
更科は我々の見張り役では無いかと思ったが、昼間の晴介の報告を思い出した。
「更科。この者達だ。森之助の幼馴染だ。間違いねえ」晴介
「この者達も、森之助を助けたいと願い出ておる。何も出来ぬ、この兄の代わりと思うてくれ」
「有難き事に御座いまする。なれど、あくまで道案内として」更科
「……あい、わかった」
更科が、自らあくまで一人で戦に行く覚悟が伝わって来た。
「おお。ありがてえ」孝之進
「よーし。いくべ」圭二郎
「義兄上様。もうひとつお願いがございまする」更科
「なんじゃ」
「義父上様には、我らが向かう事。何卒内密に願いまする」
「……あいわかった。約束しよう」
おまつが甚次郎を抱え、お結とお琴を呼びよせた。
「わかっておりますね。更科様をお守りするのですよ。母は甚次郎様をお守りします」
「わかっております。」
「更科から決して離れません」
「いざというときはこれを」
紙で巻いた小さな薬包みをお結、お琴に渡した。
毒薬である。
「承知しておりまする」お琴
「更科殿、よいな。甚次郎は預かるだけじゃ。必ず迎えにくるのじゃぞ」頼房
その言葉は暖かく、更科の胸に響いた。森之助同様、優しさに満ちた人柄であった。
更科は泣きながら答えた。
「はい。必ず迎えにまいります。必ず」
そうして、村人達に見送られながら、更科、結、琴、晴介、孝之進、圭二郎の一行は見上城を出て、再び甲州へ向け旅だった。
「森之助は幸せな男よの」頼房
「さようでございますね」お直
「あのように、自分の命を顧みず、助けにきてくれる家族や家臣、友人達がおる」頼房
「誠に」お直
「損得抜きの絆よな。森之助が一国を束ねるようになれば、恐ろしい国を作り上げような」頼房
「更科殿は余ほど森之助様を愛しておられるのですね」お直がおまつに聞いた。
「はい。それは深く、森之助様を慕っておられます」
「どれ、わしに甚次郎を抱かせてはくれぬか?」
おまつが、頼房に甚次郎を渡した。
「ほー。小さい頃の森之助によう似ておる」
その姿におまつは喜びを感じていた。森之助から、仲のよい兄弟の話を聞いていた。
「このような子が生まれたのだ、森之助の気が変わってくれたら良いのだが。武田の家臣になると言えば助かる命を、何故拒む? のう、お直?」
「はっ?……殿、お耳を」お直
「なんじゃ?」
「……」お直
「ほおー。それは良い考えじゃ」頼房がほほ笑んだ。
「?」おまつ
「直ぐに素っぱを呼べ」頼房
「何事にございます?」おまつ
素っぱが来た。
「躑躅ヶ城館の父上に急ぎ知らせろ」と頼房が命じた。
「えっ?」おまつ
「更科一行が、そちらに向かったとな」
「なっ? なんと。それでは、お約束が違います」おまつ
……おまつは更科から預かった短刀を手にした。
第九話 完
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