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2恋しい人の眼差しの先
しおりを挟む屋敷のテラスでは、母がお茶を用意して待ってくれていた。年ごろの娘がふたりもいるとは思わない、年齢よりも若々しく見える楚々とした女性である。
「ルビーお疲れさま。サリーも、呼んできてくれてありがとう」
「母さま。サリーって呼ぶのをやめてちょうだい。もう子供じゃないのよ?」
母の入れた紅茶に口をつけていたルビーの耳に、ほんの少し困ったような笑う姉の声が入った。サリーは幼少時の、サファイアの愛称で、その愛称は今でもごく近しい人間だけ使い続けていた。無論、彼女たちの母親も使っているひとりである。
「どうして? みんなもそう呼ぶでしょ」
「みんなは母さまが呼ぶから、呼ぶのよ。もう」
不満そうにしながらも、姉は幸せそうだった。
母が入れてくれたお茶はおいしく胸をホッと温かくさせてくれる。
今日は天気が本当によくて、こんな日がいつまでも続けばいいと思わず願わずにいられないような日だった。
「ルビー。こちらの胡桃のクッキーも、とてもおいしいのよ。一枚どう?」
母の瞳は、自分と同じ色をしている。しかしその瞳に宿るのは穏やかさと、粛々とした強さ。魅力的な瞳だった。自信がなく、いつもオドオドしてしまう自分とは違う。
「う、うん」
欲しいと意思表示をすると、自分用の取り皿の上にクッキーを数枚乗せてくれた。
ルビーの目に、母の指に嵌められているシンプルなデザインの指輪が入ってきた。
それは母がまだ娘時代に、ルビーたちの父親から贈られたものだと聞いている。
誓約の指輪。
神力を持つ特別な乙女たちも、いずれは乙女ではなくなる。年齢という意味ではなく、男性と交わることでその処女性を失うからだ。
愛を得るかわりに神力を喪失する。
乙女と交わった男性は、神力と引きかえに自身へと愛を捧げてくれた乙女に敬意を払い、乙女と生涯をともにし、一生愛し守り続けるその証として、乙女の名を持つ宝玉(ほうぎょく)を指輪にして渡すならわしがあった。
そのため、乙女たちには宝玉に関わりのある名前を与えられるのだ。
ルビーもまた、いずれ愛し愛するものから与えられるであろう、紅色を帯びた宝玉の名をつけられた。
「ルビー?」
姉の声に、ハッとする。ほんの少しだけ意識がどこかに行っていた。
「どうしたの? 今日はずいぶんと、ぼんやりしてるみたいだけど」
心配するように問われて、慌てて首を横にふった。
なんでもないのだ。
ただ、ほんの少しだけ……。
(………寂しくなっただけ)
胸の中だけでぽつりと呟く。
両親とも姉とも関係は良好なのに、本当に時々。自分だけ、ひとり取り残されているような気分に陥る時がある。
それは自分自身のふがいなさを思った時や、将来を考えた時により強く感じた。
乙女に贈られる、指輪。
その指輪を、自分の指にはめてくれるようなひとはあらわれるだろうか。
自分のように取り得もなく、見栄えもよくない娘を愛してくれるひとはいるのだろうか。
そしてその相手が……――もしも、あのひとだったら――……。
「お、うまそうだな」
胸が、鳴った。
突然後ろからニュッと腕が出てきて、自分の皿から一枚クッキーを取られたせいでもあり、その声が耳元で聞こえたせいでもあった。
「まぁ、行儀が悪いわよ。ギルバート」
美しい細い眉をほんの少しだけひそめて、サファイアは突然の訪問客をやんわりとたしなめた。母はあらあらと楽しそうに笑っている。
「そう言うなよサリー。俺にクッキーを一枚恵んでくれたところで、ルビーも泣きはしないだろ。なぁ、ルビー。ほぉら、お前の大好きなギルお兄ちゃんだぞぉ」
ニコニコと笑いながら、頭をグシャッとされる。少し乱暴だけど、とても優しく感じることのできる大きな手。この手が、ルビーは大好きだった。
ギルバートはルビーたちの家のすぐ近くに住んでいる青年で、年は十八。ルビーとは四つ年の離れた、兄のような存在だった。少し赤みの強い茶色の髪に、意志の強さを伺わせるこげ茶の瞳。しなやかな身体の造りで、雄としての逞しさも感じる。
「ギルバートまで子供みたいに呼ばないでちょうだい。いつまでも、子供じゃないのよ」
「サリーはサリーだろ。なぁ、ルビー」
話をふられて、ルビーはオドオドと姉とギルバートを交互に見た。
子供扱いをして欲しくないと思う姉の気持ちもわかるけれど、サリーと言う姉の呼び方も、実はルビーも好んでいた。
結果、どちらにうなずくことも、できそうにない。
どう答えるべきかと、モジモジ身体を動かすと、クククとギルバートに笑われてしまった。
「ルビーはあいかわらずだなぁ」
楽しそうな声音が、好きだと思った。
でも、あいかわらずだと思われるのは嫌だと思ってしまう。
幼いころから内気な性格で、友達を作るのがとても下手だった。
病弱で、家にこもりがちだったせいもあるのかもしれない。
けれど何より、自分の意見をハッキリと言う勇気がなかったのが原因だ。
同じ年ごろの子たちと遊ぶことがあっても、いつの間にかひとり取り残されることが多かった。
故意にひとりにされたのか、そうじゃないのか。それは今でもわからない。
小さいころ、ひとりになって泣いているところを見つけてくれたのは、いつもギルバートだった。四つ年の離れた自分を妹のようにかわいがり、探してくれた。
帰ろうと、その手を伸ばしてくれた。
あの時から、自分はまったく成長していない。
今でも自分の意見を言うのが苦手だ。
いろいろ考えてしまい、想いを言葉にすることができない。
成長のない、ダメな自分。
そうわかっているから、ギルバートに同じことを思われるのが嫌だと感じてしまった。
恥ずかしいと、思ってしまった。
「ギルバート。ルビーの頭から手を離してちょうだい。レディーの頭をそう気安くさわるものじゃないわ」
姉に言われて、ようやくギルバートの手が頭から離れた。
彼女は珍しく、ほんの少しだけ機嫌を損ねたような顔でギルバートを見ていた。
それはごく短い時間で、彼女はすぐにいつもの穏やかな顔に戻っていたけれども、ルビーの中には強く印象に残った。
サファイアは昔から、ギルバートに対してだけは、他の人間とは違った対応をとっていたように思う。ごく近しい関係ゆえの、遠慮のない様子。
どこか大人びて穏やかで優しいサファイアが見せる、年ごろの少女たちと同じような気安さ。はっきりと言われたことはなかったけれども、サファイアとギルバートは特別な関係なのだと、ルビーは理解していた。
「いつまでもたっても、ルビーは俺のかわいいルビーだよな?」
ギルバートはルビーを見おろして笑う。明るく、人懐っこい大好きな笑顔で。
妹のように思われていても。
サファイアのおまけのように思われていても。
近くにいてくれること、ただそれだけで。
――――嬉しいと、思ってしまう。
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