トマトの指輪

相坂桃花

文字の大きさ
上 下
4 / 14

2恋しい人の眼差しの先

しおりを挟む



 屋敷のテラスでは、母がお茶を用意して待ってくれていた。年ごろの娘がふたりもいるとは思わない、年齢よりも若々しく見える楚々とした女性である。

「ルビーお疲れさま。サリーも、呼んできてくれてありがとう」

「母さま。サリーって呼ぶのをやめてちょうだい。もう子供じゃないのよ?」

 母の入れた紅茶に口をつけていたルビーの耳に、ほんの少し困ったような笑う姉の声が入った。サリーは幼少時の、サファイアの愛称で、その愛称は今でもごく近しい人間だけ使い続けていた。無論、彼女たちの母親も使っているひとりである。

「どうして? みんなもそう呼ぶでしょ」

「みんなは母さまが呼ぶから、呼ぶのよ。もう」

 不満そうにしながらも、姉は幸せそうだった。
 母が入れてくれたお茶はおいしく胸をホッと温かくさせてくれる。
 今日は天気が本当によくて、こんな日がいつまでも続けばいいと思わず願わずにいられないような日だった。

「ルビー。こちらの胡桃のクッキーも、とてもおいしいのよ。一枚どう?」

 母の瞳は、自分と同じ色をしている。しかしその瞳に宿るのは穏やかさと、粛々とした強さ。魅力的な瞳だった。自信がなく、いつもオドオドしてしまう自分とは違う。

「う、うん」

 欲しいと意思表示をすると、自分用の取り皿の上にクッキーを数枚乗せてくれた。
 ルビーの目に、母の指に嵌められているシンプルなデザインの指輪が入ってきた。
 それは母がまだ娘時代に、ルビーたちの父親から贈られたものだと聞いている。

 誓約せいやくの指輪。

 神力を持つ特別な乙女たちも、いずれは乙女ではなくなる。年齢という意味ではなく、男性と交わることでその処女性を失うからだ。

 愛を得るかわりに神力を喪失する。
 乙女と交わった男性は、神力と引きかえに自身へと愛を捧げてくれた乙女に敬意を払い、乙女と生涯をともにし、一生愛し守り続けるその証として、乙女の名を持つ宝玉(ほうぎょく)を指輪にして渡すならわしがあった。

 そのため、乙女たちには宝玉に関わりのある名前を与えられるのだ。
 ルビーもまた、いずれ愛し愛するものから与えられるであろう、紅色を帯びた宝玉の名をつけられた。

「ルビー?」

 姉の声に、ハッとする。ほんの少しだけ意識がどこかに行っていた。

「どうしたの? 今日はずいぶんと、ぼんやりしてるみたいだけど」

 心配するように問われて、慌てて首を横にふった。
 なんでもないのだ。
 ただ、ほんの少しだけ……。














(………寂しくなっただけ)















 胸の中だけでぽつりと呟く。
 両親とも姉とも関係は良好なのに、本当に時々。自分だけ、ひとり取り残されているような気分に陥る時がある。

 それは自分自身のふがいなさを思った時や、将来を考えた時により強く感じた。
 乙女に贈られる、指輪。
 その指輪を、自分の指にはめてくれるようなひとはあらわれるだろうか。

 自分のように取り得もなく、見栄えもよくない娘を愛してくれるひとはいるのだろうか。
 そしてその相手が……――もしも、あのひとだったら――……。

「お、うまそうだな」

 胸が、鳴った。
 突然後ろからニュッと腕が出てきて、自分の皿から一枚クッキーを取られたせいでもあり、その声が耳元で聞こえたせいでもあった。

「まぁ、行儀が悪いわよ。ギルバート」

 美しい細い眉をほんの少しだけひそめて、サファイアは突然の訪問客をやんわりとたしなめた。母はあらあらと楽しそうに笑っている。

「そう言うなよサリー。俺にクッキーを一枚恵んでくれたところで、ルビーも泣きはしないだろ。なぁ、ルビー。ほぉら、お前の大好きなギルお兄ちゃんだぞぉ」

 ニコニコと笑いながら、頭をグシャッとされる。少し乱暴だけど、とても優しく感じることのできる大きな手。この手が、ルビーは大好きだった。

 ギルバートはルビーたちの家のすぐ近くに住んでいる青年で、年は十八。ルビーとは四つ年の離れた、兄のような存在だった。少し赤みの強い茶色の髪に、意志の強さを伺わせるこげ茶の瞳。しなやかな身体の造りで、雄としての逞しさも感じる。

「ギルバートまで子供みたいに呼ばないでちょうだい。いつまでも、子供じゃないのよ」

「サリーはサリーだろ。なぁ、ルビー」

 話をふられて、ルビーはオドオドと姉とギルバートを交互に見た。
 子供扱いをして欲しくないと思う姉の気持ちもわかるけれど、サリーと言う姉の呼び方も、実はルビーも好んでいた。

 結果、どちらにうなずくことも、できそうにない。
 どう答えるべきかと、モジモジ身体を動かすと、クククとギルバートに笑われてしまった。

「ルビーはあいかわらずだなぁ」

 楽しそうな声音が、好きだと思った。
 でも、あいかわらずだと思われるのは嫌だと思ってしまう。

 幼いころから内気な性格で、友達を作るのがとても下手だった。
 病弱で、家にこもりがちだったせいもあるのかもしれない。

 けれど何より、自分の意見をハッキリと言う勇気がなかったのが原因だ。

 同じ年ごろの子たちと遊ぶことがあっても、いつの間にかひとり取り残されることが多かった。

 故意にひとりにされたのか、そうじゃないのか。それは今でもわからない。

 小さいころ、ひとりになって泣いているところを見つけてくれたのは、いつもギルバートだった。四つ年の離れた自分を妹のようにかわいがり、探してくれた。

 帰ろうと、その手を伸ばしてくれた。
 あの時から、自分はまったく成長していない。
 今でも自分の意見を言うのが苦手だ。

 いろいろ考えてしまい、想いを言葉にすることができない。

 成長のない、ダメな自分。

 そうわかっているから、ギルバートに同じことを思われるのが嫌だと感じてしまった。

 恥ずかしいと、思ってしまった。

「ギルバート。ルビーの頭から手を離してちょうだい。レディーの頭をそう気安くさわるものじゃないわ」

 姉に言われて、ようやくギルバートの手が頭から離れた。

 彼女は珍しく、ほんの少しだけ機嫌を損ねたような顔でギルバートを見ていた。

 それはごく短い時間で、彼女はすぐにいつもの穏やかな顔に戻っていたけれども、ルビーの中には強く印象に残った。

 サファイアは昔から、ギルバートに対してだけは、他の人間とは違った対応をとっていたように思う。ごく近しい関係ゆえの、遠慮のない様子。

 どこか大人びて穏やかで優しいサファイアが見せる、年ごろの少女たちと同じような気安さ。はっきりと言われたことはなかったけれども、サファイアとギルバートは特別な関係なのだと、ルビーは理解していた。

「いつまでもたっても、ルビーは俺のかわいいルビーだよな?」

 ギルバートはルビーを見おろして笑う。明るく、人懐っこい大好きな笑顔で。

 妹のように思われていても。
 サファイアのおまけのように思われていても。
 近くにいてくれること、ただそれだけで。






 ――――嬉しいと、思ってしまう。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

男装の公爵令嬢ドレスを着る

おみなしづき
恋愛
父親は、公爵で騎士団長。 双子の兄も父親の騎士団に所属した。 そんな家族の末っ子として産まれたアデルが、幼い頃から騎士を目指すのは自然な事だった。 男装をして、口調も父や兄達と同じく男勝り。 けれど、そんな彼女でも婚約者がいた。 「アデル……ローマン殿下に婚約を破棄された。どうしてだ?」 「ローマン殿下には心に決めた方がいるからです」 父も兄達も殺気立ったけれど、アデルはローマンに全く未練はなかった。 すると、婚約破棄を待っていたかのようにアデルに婚約を申し込む手紙が届いて……。 ※暴力的描写もたまに出ます。

[完結] 偽装不倫

野々 さくら
恋愛
「愛するあなたをもう一度振り向かせたい」だから私は『不倫を偽装』する。 川口佐和子33歳、結婚6年目を迎えた専業主婦。夫が大好きな佐和子だが、夫からは愛を感じない毎日を過ごしていた。 そんな佐和子の日常は、行きつけのバーのマスターに夫が構ってくれないと愚痴る事だった。 そんなある日、夫が結婚記念日を忘れていた事により、佐和子は怒りアパートを飛び出す。 行き先はバー、佐和子はマスターに「離婚する」「不倫して」と悪態をつく。 見かねたマスターは提案する。「当て付け不倫」ではなく「不倫を偽装」して夫の反応を見たら良いと……。 夫の事が大好きな妻は自身への愛を確かめる為に危険な『偽装不倫』を企てる。 下手したら離婚問題に発展するかもしれない人生最大の賭けに出た妻はどうなるのか? 夫は、妻が不倫しているかもしれないと気付いた時どのような反応をするのか? 一組の夫婦と、それを協力する男の物語が今始まる。 ※1話毎あらすじがあります。あらすじ読み、ながら読み歓迎です。 ───────────────────────────── ライト文芸で「天使がくれた259日の時間」を投稿しています。 テーマは「死産」と「新たな命」です。よければあらすじだけでも読んで下さい。 子供が亡くなる話なので苦手な方は読まないで下さい。

不器用(元)聖女は(元)オネエ騎士さまに溺愛されている

柳葉うら
恋愛
「聖女をクビにされたぁ?よしきた。アタシが養うわ」 「……はい?」 ある日いきなり、聖女をクビにされてしまったティナ。理由は、若くてかわいい新人聖女が現れたから。ちょうどいいから王都を飛び出して自由で気ままなセカンドライフを送ってやろうと意気込んでいたら、なぜか元護衛騎士(オネエ)のサディアスが追いかけて来た。 「俺……アタシ以外の男にそんな可愛い顔見せるの禁止!」 「ティナ、一人でどこに行っていた? 俺から離れたらお仕置きだ」 日に日にオネエじゃなくなってきたサディアス。いじっぱりで強がりで人に頼るのが苦手なティナを護って世話を焼いて独占し始める。そんな二人がくっつくまでのお話をほのぼのと描いていきます。 ※他サイトでも掲載しております

【完結】昨日までの愛は虚像でした

鬼ヶ咲あちたん
恋愛
公爵令息レアンドロに体を暴かれてしまった侯爵令嬢ファティマは、純潔でなくなったことを理由に、レアンドロの双子の兄イグナシオとの婚約を解消されてしまう。その結果、元凶のレアンドロと結婚する羽目になったが、そこで知らされた元婚約者イグナシオの真の姿に慄然とする。

溺愛される妻が記憶喪失になるとこうなる

田尾風香
恋愛
***2022/6/21、書き換えました。 お茶会で紅茶を飲んだ途端に頭に痛みを感じて倒れて、次に目を覚ましたら、目の前にイケメンがいました。 「あの、どちら様でしょうか?」 「俺と君は小さい頃からずっと一緒で、幼い頃からの婚約者で、例え死んでも一緒にいようと誓い合って……!」 「旦那様、奥様に記憶がないのをいいことに、嘘を教えませんように」 溺愛される妻は、果たして記憶を取り戻すことができるのか。 ギャグを書いたことはありませんが、ギャグっぽいお話しです。会話が多め。R18ではありませんが、行為後の話がありますので、ご注意下さい。

痛みは教えてくれない

河原巽
恋愛
王立警護団に勤めるエレノアは四ヶ月前に異動してきたマグラに冷たく当たられている。顔を合わせれば舌打ちされたり、「邪魔」だと罵られたり。嫌われていることを自覚しているが、好きな職場での仲間とは仲良くしたかった。そんなある日の出来事。 マグラ視点の「触れても伝わらない」というお話も公開中です。 別サイトにも掲載しております。

さよなら私の愛しい人

ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。 ※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます! ※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

王妃から夜伽を命じられたメイドのささやかな復讐

当麻月菜
恋愛
没落した貴族令嬢という過去を隠して、ロッタは王宮でメイドとして日々業務に勤しむ毎日。 でもある日、子宝に恵まれない王妃のマルガリータから国王との夜伽を命じられてしまう。 その理由は、ロッタとマルガリータの髪と目の色が同じという至極単純なもの。 ただし、夜伽を務めてもらうが側室として召し上げることは無い。所謂、使い捨ての世継ぎ製造機になれと言われたのだ。 馬鹿馬鹿しい話であるが、これは王命─── 断れば即、極刑。逃げても、極刑。 途方に暮れたロッタだけれど、そこに友人のアサギが現れて、この危機を切り抜けるとんでもない策を教えてくれるのだが……。

処理中です...